(7)
始皇帝に夢を語る方士、徐福の人となりが語られます。
弟子にされた盧生と侯生にとって、徐福は方士の常識からは考えられない特異な人間でした。
そして、徐福が始皇帝に出させた資金で探しているものは……。
盧生と侯生は、あてがわれた宿舎で資料を整理していた。
二人が向き合って座っている長机の上には、大量の書簡が置かれている。
二人はそれらに代わる代わる手を伸ばし、それを開いてしばらく読みふけっては、相手に渡して内容を覚えたか確認してもらう。
二人は、この大量の書簡の内容をひたすら暗記しているのだ。
もうすっかり辺りが暗くなっているというのに、二人が休む様子はない。
大きな蝋燭を何本も灯してその明かりの中で、ひたすら読んでは確認してもらうことを繰り返している。
不意に、蝋燭の炎が大きく揺れた。
部屋の扉が、開いたのだ。
その先にいる人物を確認して、盧生と侯生は深々と頭を下げる。
「これは、徐福殿。お帰りなさいませ」
入ってきたのは、二人を助手として連れてきた徐福その人であった。
徐福は扉を閉めると、ふーっと体の力を抜いてどかりと腰を下ろした。盧生と侯生が何か世話をしようと立ち上がると、それを制して言う。
「俺への気遣いはいい、それよりも俺が今から言う事を書き留めよ」
「はい、ただ今」
盧生がすぐに何も書かれていない書簡を用意し、侯生が墨をすって筆を用意する。
準備ができると、二人は徐福の言う事を同時に書き留め始めた。徐福の声に集中し、一言も漏らすまいと筆を走らせる。
「仙紅布は、海に日が沈む夕焼けの色を焼き付けたものである。ゆえに特別に邪を払う力が強く……」
徐福が二人に話しているのは、今日始皇帝に話した内容だ。それを二人に詳しく伝え、書き留めさせているのだ。
しばらくして話が終わると、徐福はどこか小狡い笑みを浮かべた。
「ふーっ……今日の仙紅布の説明はほぼ作り話だが、陛下はすっかり信じ込んだな。
おぬしたちもこれから陛下にお仕えする時は、当然知っているという風にふるまうように」
何と、徐福が始皇帝に話した仙紅布の由来は、真っ赤な嘘だったのだ。それも徐福自身ですら正確に思い出せるか怪しい程の、出まかせである。
そのため、徐福は自分の言った事に食い違いが生じないように、こうして自分の話した事を記録させているのだ。
そして、それを盧生と侯生にもしっかりと覚えさせている。
自分が出航した後、始皇帝の心をつなぎ続けるために。
そのために、盧生と侯生には自分の説を間違いなく覚えておいてもらわねば困るのだ。帰ってきた時に始皇帝が自分の説を信じてくれていなかったら、その後の計画に重大な支障が出ることも考えられる。
盧生と侯生は、深くうなずいた。
「は、必ずや!」
二人の返事に、徐福は満足そうに口角を上げた。
そんな徐福を見つめる二人の目には、畏れが宿っていた。
徐福は、神も神秘も信じていない。
盧生と侯生は助手として見出された次の朝に、それを思い知らされた。
朝早く起き、日の昇る海に向かって平伏し祈りを捧げる二人に、徐福は意地悪く笑いながらこう言ったのだ。
「おぬしたちは、何を信じて何に祈っているのだ?」
「は……それは、泰平と加護を願って海の神に……」
「何のために?」
さらに問われて、二人はどう答えていいか分からなくなった。
神々の加護を得、神通力を得る事を願ってこのような祈りを捧げるのは、方士としてはごく普通のことだ。
そもそも、徐福も方士ではないのか。
不思議に思った二人は、逆に徐福に尋ねた。
「それは、神通力を授けてもらうために……徐福殿は、祈らないのですか?」
その問いに、徐福はあっさりと首を横に振った。
「俺は、祈りなどせぬ。祈ったところで、何が得られる訳でもないからな。
俺がするのは、力を得られる理への探求よ」
それを聞いた途端、二人は驚愕した。
徐福の答えは、どう見てもまともな方士のそれではない。徐福は方士の基本である、信じて祈るという行為を否定しているのだ。
二人が唖然としていると、徐福は困ったように言った。
「おいおい、俺は別に神通力を否定している訳ではないぞ。ただ超常の力が神から与えられるもので、祈って手に入るとは思わぬだけだ。
俺は祈るのではなく、理を求めて研究しているのだ」
「いえ、ですが、それでは神の采配は……」
戸惑いながら反論しようとする盧生に、徐福は半ば呆れたように語った。
「おぬしら、世の中には祈りなどでは動かぬ理があるのを知らぬのか。水は下に流れる、日は必ず昇って沈む、これが祈りでどうにかなるか?
むしろ世の中は、祈ってどうにかなる事などない。どんなに信じて供物を捧げて神の加護を求めても、どうにもならぬ事ばかりではないか。
どんなにきちんとした儀式を行って泰平を願っても、国は滅ぶし川は氾濫する。
こんな状況で、神がいるなどと信じる方がおかしい!」
そこで一旦言葉を切ると、徐福は盧生と侯生の目を穴が開くほどにらみつけた。
「おぬしたちは実際に、そうして祈って何か力を得たのか?」
盧生と侯生は、言葉を失った。
確かに、自分たちはまだ人を超える力など手に入れていない。祈り続ければそうなると信じているから、祈っているだけだ。
他の方士たちだって、だいたい同じようなものだ。
自分が信じている神を自分が正しいと思う方法で祀り、それぞれに違う道を人々に売り込んでいる。
そしてその中に、本当に神通力を持っている者などいない。自説を信じさせて売り込むために、普通の人間には分からない方法でそれらしいことをして見せるだけだ。
つまり、多くの方士が様々な神を祀って祈っておいて、その中の一つも効果を発揮していない。
これでは、神などいないと思われてもおかしくない。
実際、盧生と侯生も含めて多くの方士は、祈りや儀式に確実な効果などないと薄々気づいている。
だが、周囲を信じさせるために、まず自分がそれをやって見せているのだ。本人が何もしないのに周囲が信じてくれる訳がないし、それでは方士の生計が成り立たないから。
その矛盾を突くように、徐福ははっきりと言う。
「そら見ろ、おぬしらの行う祈りなどその程度のものよ。
誰が言い出したか分からぬ話を確かめもせず人々に売り込み、そうしているうちに自分も信じ込んでしまった。
ふ、哀れなものよな」
徐福は、小馬鹿にするように鼻で笑った。
だが、盧生と侯生は言い返せなかった。自分たちを含む多くの方士の生き方は、徐福の言うとおりだから。
悔しそうに唇を噛む二人に、徐福は諭すように言う。
「神秘を語ることが悪いとは言わぬ、その方が売り文句としては有効なことが多いからな。
だが、その売り文句に自らが飲まれてはならぬ。自らのやろうとしている事と、稼ぐための口上は区別し、混同せぬようにすることだ。
さすれば、神秘を語って効率よく財を稼ぎ、効率よく理を求められる」
「……なるほど」
理路整然とした意見に、二人は納得した。
他人から金や物資を巻き上げるには、現実からかけ離れた夢のような話をするのがよい。現実的な話にときめいてポンと金を出してくれる者などいないからだ。
だが、自分がその夢のような話を信じて実行しようとするのは、愚の骨頂だ。
要するに、金をむしり取る相手には夢を信じさせておいて、自分は現実の中で目標を追えということだ。それが資金面も含めて目標を達成する最上のやり方であると、徐福は語った。
そのために、盧生と侯生は夢を与え続ける役目を任されている。
まずは徐福が仙紅布にかこつけて始皇帝から最初に必要な資金を引き出し、研究に必要な航海でいない間は盧生と侯生が夢を語って心をつなぎ止める。
徐福がこれまで夢の中に生きる方士であった二人に与えた、最初の仕事はそれだ。
夢を語ってふくらませていくのは、徐福より元々自らも夢の中にいた二人の方がうまくやれるだろう。餅は餅屋に任せるのが一番だ。
その仕事の時に徐福の話と食い違う事を言って始皇帝に怪しまれないように、二人は今こうして徐福の語った設定を書き留めているのだ。
後で、これを参考にしてさらに夢を膨らませるように。
だが、山積みにされた書簡を見て、侯生はぼやいた。
「……それにしても、少し量が多すぎやしませんか。
後から話を膨らませて良いのなら、元はもう少し簡潔にしていただいた方が……」
すると、徐福はすまなさそうに言った。
「まあ、仕方あるまい。俺はこの金や貢物を持ち逃げする訳ではない、あくまで不老不死の研究に使うつもりだ。
実際に研究する以上、完成する前に露見した時のことも考えねば」
万が一途中で本当にやっている事がバレた時のために、あまりに実体と違う夢を語る訳にはいかないのだ。夢の中にも本当のことを散りばめておき、完全な嘘ではないので実現性はあるのではないかというところに落ちるようにする必要がある。
「仙紅布が海上の島でしか手に入らぬのは、本当だ……不老不死の手がかりが、そこにある事も。
だから俺は海中の神山について語り、今回の出航に必要な物を揃えさせた。俺の語る夢は、常に現実を元にしている。
おぬしらも、そうしてもらわねば困る」
そう言う徐福の目には、探求心が燃え盛っていた。
「俺は海に出、必ず不老不死の元を持ち帰ってみせる。
仙紅布の色の元であり、海上のあの島でしか手に入らぬもの……」
徐福は、声をひそめて二人の耳元でささやいた。
「死を超える第一歩……尸解仙を生み出すのに必要な、血だ」