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感染した助手を巡って、実験と原因究明です。
徐福がこれまで、とても大切なとある実験をしていないことにお気づきですか?
そのせいで助手たちにあらぬ誤解が生まれてしまい、事故の報告を妨げることになってしまったのです。事故を報告しやすい雰囲気は大事ですね。
たちまち、離宮は厳戒態勢となった。
感染が発覚した助手はすぐさま隔離区画に移され、独房に閉じ込められた。そして感染した助手の元の寝床は、焼却処分された。
それから、感染した助手への尋問が始まった。
「おぬし、離宮に来てから出血したり便所以外で体液をまき散らしたことは?」
「ありません」
「いつ感染に気づいた?自分で他への感染を防ぐ気配りはしていたのか?」
「体が妙に冷えると気づいたのは、人食い死体の解剖から一週間ほど後のことでございます。それから数日、冷えがひどくなるのを感じて感染を考えました。
その時から、私の体液が他の者に触れぬよう気をつけてございます。使った食器などは熱湯で消毒し、食物もまず食べる分だけ自分の皿に取って、それから箸に口をつけるようにしていました」
それを聞いて、徐福はひとまず胸を撫で下ろした。
感染を考えなかったりそれを認められなくて不用意に生活していたら、離宮に感染が広がるところだった。
だが幸い、この部下はそこまで愚かで無責任ではなかったらしい。こうして自分で対策を取ってくれたなら、他への感染の恐れは少ないだろう。
しかし、それでもまだ見過ごせないことがある。
「気づいたなら、なぜ言わなかった?」
その質問をされると、感染した助手は怯えたように身を縮めて答えた。
「言えば、私は実験体として殺されるだけでございます。
私は、死にたくありませぬ。
ですが徐市殿や石生殿は、人食いの病にかかった者を観察して記録するだけで、治療を試みたためしがございません。
ならば、言わずに自分で治療を試みた方が助かるかと思って……」
それを聞いて、徐福は目からうろこが落ちた思いだった。
(なるほど治療か……その発想はなかった!)
確かに、徐福がこれまで感染者の治療をしたことはなかった。死なせて人食い死体を作るのが主な目的だったため、治療は必要なかったのだ。
そのせいで、この病が治療できるかは分かっていない。
治療できるなら、感染した助手を助けられるのに。
完全に、盲点であった。
そのうえ徐福が治療しないのを見て、助手たちは感染しても助けてもらえないものと思い込んでしまった。
結果、感染しても命が惜しいと報告しなくなってしまった。
これは自分たちの視野の狭さが招いたことだと、徐福は反省した。
「そうか、治療か……それは不安にさせてしまったな。これまでは治療する必要のなかった実験だから治療しなかったのだ。
だが、おまえは我々の大切な仲間だ。
我々としても、ここまで一緒に研究をやってきたおまえを失うのは惜しい。ゆえに、おまえの治療には手を尽くすさ」
そう言われて、感染した助手の顔が少しだけ明るくなった。
大切な仲間と言ってもらえて、救われたような気になったのだろうか。
もちろん、徐福の大切という言葉に偽りはない。ここまで教育し技術を仕込んだ替えがききづらい研究員という意味で、大切なのだ。
それに徐福にとっても、この治療は大切だ。
この病が治療可能かどうかは、まだ分かっていない。分かっているのは、何もしなければ確実に死ぬということだけ。
もし治療によって救命が可能であれば、感染対策をそこまで厳重にしなくても良くなる。治癒した者が、新たな可能性を持つ検体になることも考えられる。
そう、これは大切な治療実験なのだ。
徐福は胸を躍らせながら、石生にこの助手の治療を指示した。
石生は、すぐに感染した助手の体を診て治療法を探し始めた。
「うーん、症状は冷えと内臓の機能低下ですか。それからこれまでの感染実験から考えて、血の巡りが悪くなるようです。
いえ、血の巡りが悪くなるから冷えるのか……どちらが先かは分かりませんね。
とにかく、体を温めて血の巡りを良くする薬を作ってみましょう」
人食いの病は新しく生まれたばかりの病であるため、特効薬はまだ分からない。症状から地道に模索するしかないのだ。
「ええ、私もそう考えて、厚着をしたり生姜や辛いものを食べたりしたのです。
ですが、初めの頃は一時的に良くなっても、どんどんひどくなるばかりで……」
感染した助手も自分で症状を何とかしようと、秘かにいろいろ試していたらしい。そのせいで、辛い食材や湯や薪が減っていたのだ。
しかし、何をやっても進行を止めることはできなかった。
「そうですね……辛いものは食べ過ぎると胃腸に負担をかけますよ。それとこの病の材料に肝の病があるので、消化や解毒の機能は真っ先にやられるのかも。
解毒と言えば、体中に毒が溜まって吹き出す天然痘も材料でしたね。
となると、一応升麻や解毒系も試してみますか」
石生は、症状に加えて材料となった病についても考察して治療を考えてくれている。
「あと、確かに物理的に温めるのは有効かもしれませんね。それから、体を揉んで血流を良くするのも一つの手か……」
思いついた治療法は、次々と実行に移されていく。
徐福も、これに使う物資は惜しまない。
足りないものはすぐ盧生と侯生に調達させ、侯生の薬箱からも高価な薬が次々と投入される。もちろん盧生と侯生も、全力でその要請に応える。
他の助手たちも、仕事の合間をぬって積極的に治療を手伝う。
彼らの目には、どうか助かってほしいという祈りがこもっていた。この助手が助かれば、自分が感染した時に希望が持てるからだ。
こうして、研究員たちの全員が手を尽くす全力の治療が始まった。
しかし、必要なのは治療ばかりではない。
助手が感染するのは非常に起こってほしくない事態であり、徐福はそれを防ぐためにいろいろと対策を講じてきたはずだ。
それでも感染が起こってしまったのだから、その原因を究明せねばならない。
「おまえが感染したのは、おそらく人食い死体の解剖をした時だろう。
その時に、何か思い当たることはないか?」
徐福が問うと、感染した助手は懸命に思い出しながら答える。
「そう申されましても、防具はきちんと着けていたし、汗もきちんと拭ったし、顔や手は解剖後にしっかり洗いましたから……」
助手は首を傾げるばかりだが、徐福は何かに気づいたように目を細めた。
「今、拭ったと言ったな?
おまえは直接死体に触れる係で、他の者に拭ってもらうはずだが……」
「ああ、後方の者が忙しくしていたので自分で拭ったのです。汗が流れないようにするだけなら、他の者の手を借りる必要はないと思って……」
すると、側にいた助手の一人がおずおずと言った。
「あの、もしや……汚れた布を間違えて使ったのでは?
解剖の片付けの最中、汗ふきを入れた桶の一つがひどく水が汚れていたので……。汗としぶきを拭った程度では、あんなに汚れないかと」
これで、原因は判明した。
感染した助手は後方の者に頼まず自分で汗を拭った時に、人食い死体の血汁がたっぷりしみこんだ汗ふき用ではない布を間違えて使ったのだ。
きちんと後方の者に任せていれば、防げたはずの失敗である。
徐福は、盛大にため息をついた。
「何だ、結局おまえが手順を守らなかっただけか!
いいか、解剖の手順と役割分担はな、このような事態を防ぐために定めたものなのだ。破れば必然的に事故は起きやすくなる。
たとえ他の者に気を遣って善意でやったとしても、それは変わらんのだ!」
徐福が叱りつけると、感染した助手は悔しそうにうつ向いて身を縮めた。
「……そうですか、次からは胆に命じます。
ですが、良い心持で行動すれば天はきっと助けてくれますよね?」
感染した助手の肌は、火の明りでも分かるほど血の気を失っていた。今こうしている間もずっと毛布にくるまって火にあたっているのに、その手は冷たく湿ったままだ。
(天、それに次か……そんなものがあればな)
徐福は、軽く馬鹿にするように心の中で呟いた。
結果から言うと、治療は失敗に終わった。
治療を始めてから二十日ほどで感染した助手は死に、今は寝台に拘束された人食い死体となって横たわっている。
いかなる治療も、この病を止めることはできなかった。
食事も飲み物も温かくして体を焼けつくほど熱くする薬を飲ませたが、冷えは無情に進行していった。何とか体に取り込もうとがむしゃらに飲み込んでも、体が受け付けず吐いてしまうようになった。
かまどの前で座って火にあたり続けると、火傷した。その火傷は治らず、ただれてそこから壊死し始めた。
体を揉むと次第に力を加えた場所が内出血を起こすようになり、そこから腐りかけて結局血管は詰まった。
人食いの病は、全ての努力を嘲笑うように患者を死に引き込んだ。
全ての治療は、わずかに命を延ばしてその分苦痛を増すためにしかならなかった。
この結果には、さすがの徐福も恐怖を覚えずにはいられなかった。
(これは、治せぬ病か……!!)
かかったら終わり、遅かれ早かれ死を免れない。このとんでもない病を、自分たちは扱っていかねばならぬのだ。
徐福は、おののく助手たちに言った。
「見たか、これが定められた手順を破って感染した者の末路だ!
おまえたちも共に研究する仲間を気遣おうとしたり、経験を重ねて慣れが油断を生むこともあるだろう。
だが、そうして手を抜けば死は容赦なくおまえたちに襲い掛かる!
生きてここから出たければ、心しておけ!!」
助手たちは、青い顔をしてうなずく。
助かってほしいという祈りも、助かるという希望も打ち砕かれた。ここにあるのは、人の情も善悪も無視した不治の病のみ。
一瞬、こんなものを作って大丈夫なのかという疑問がよぎった。
だが、逆にここまでしておいて今さら退けるものかという思いもある。
この病が世に生まれてしまった以上、もうなかったことにはできないのだ。それを心の盾に、徐福たちはなおも研究を続ける決意を固めるのであった。




