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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第二章 徐福の船出
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(6)

 徐福の、仙薬を手に入れる計画が動き出します。

 仙薬を手に入れるためと称して、徐福は始皇帝に莫大な出費を要求します。そんな徐福に、始皇帝は……。

 波が、ざあざあと静かな調べを奏でる。

 始皇帝は、今日も琅邪台で海を見ながら徐福の話を聞いていた。

「……ほう、それではこの仙紅布には邪を払う効果があると?」

「さようでごさいます。それゆえ、保管するよりこうしてお使いになられた方がよろしい」

 始皇帝の机の上には、テーブルクロスのように鮮やかな赤い布がかけられている。徐福が仙人に会った証として持参した、仙紅布である。

 もの珍しそうに仙紅布をなぞる始皇帝に、徐福は語る。

「古来より、赤い色は魔除けとして用いられてきました。

 人や獣の体に流れる生命の源、血と同じ色にございます。血には強い霊力が宿りますゆえ、数多の儀式に用いられてきました。

 それに近い力を得るため、赤を用いるのでございます」

 始皇帝は、なるほどとうなずいた。

 確かに、血や赤は神聖なものとして用いられている。

 例えば、違えてはならぬ約束を交わす時は、獣の血を回し飲みして誓いを立てる。重要な建物の柱は朱色に塗るし、死体を入れる棺も赤く塗ったり朱色の砂である丹砂を敷き詰めたりする。

 上は王侯から下は奴隷に至るまで、皆がこのような習慣に従っているのだ。

 赤には神聖な力が宿るというのは、この時代の常識である。

「その中でも、仙紅布は特別に強い霊気を帯びています。

 なにしろ、これは仙人が特別な天の気を込めて作ったものですからな」

 徐福がそう言うと、始皇帝はますます好奇心に目を輝かせた。

「ほう……特別な天の気……とな?それは、どのような?」

 徐福は、もったいつけるように一呼吸置いて答えた。

「太陽が海に沈むときの、夕焼けの色を焼き付けているとおっしゃいました」

 始皇帝は、一瞬目をぱちくりした。

 だが、その意味するところに気づくと、顔中に驚愕の色が広がった。

 海に沈む夕日など、見たことがない。この広い中華全土を手中にした始皇帝でも、知っているのは地平線に沈む夕日だけだ。

 なぜなら、海は中国の東と南にしか存在しないから。

 だが、仙人はそれを見たことがある。なぜなら仙人の島は、東の果ての海に浮かんでいるから。もしくは、島をそれが見られる所まで動かせるから。

 徐福が言ったのは、そういう意味だ。

「……そうか、仙人とは……それ程のものなのだな」

 始皇帝は、放心したようにため息をついた。

 実際、始皇帝は徐福の話に酔っていた。こんなに神秘的で面白い話は、初めてだ。知らなかったのに考えてみれば当たり前のことばかりで、いくら聞いても飽きることがない。

 もっともっと新しい話を聞きたくて、ついのめり込んでしまう。

 そんな話を少しでも多く聞くため、始皇帝は最近いつも徐福を側に置いている。

 それができる時間も、限られているから。

「……惜しいのう、準備が整ったら、この話も終わりか」

 始皇帝は、しみじみと呟いて海を見つめた。

 徐福も、静かにうなずいて海を見る。

「仕方ありますまい、仙人に会うには海に出ねばなりませぬ。それも、仙人が認めてくださったこの私でなければ、望みは薄うございます。

 誰でもたどり着けるとは、限りませんので」

 始皇帝は、徐福との別れを惜しんでいるのだ。

 近日中に、徐福は仙人に会うために、再び海に出なければならない。

 代わりの誰かでは、だめなのだ。仙薬を手に入れるには、現時点で仙人に会える可能性が最も高い徐福を行かせるしかない。

 始皇帝も、それは分かっている。

 だが、徐福が行ってしまったらもう話を聞くことはできないのだ。

 悔しがる始皇帝に、徐福は優しく告げた。

「話でしたら、弟子の盧生と侯生に聞いてください。あの二人は未だ修行不足なれど、知識は豊富でございます。

 他にも、助けになりそうな方士を探しております。

 それよりも……」

 徐福は、にわかに剣呑な顔になって言った。

「貢物と船の準備は、抜かりなくお願いいたします。

 いくら別れが惜しいとはいえ、期日に間に合わせていただかねば、次の吉日まで船出を延ばさねばなりませぬ。

 仙人に近づけるような運気の日はそうそうございませんので……」

「分かっておる、それは必ず間に合わせよう」

 始皇帝は、にこやかな笑顔でうなずいた。

 一時の別れは惜しいが、大事のために小事を惜しんではならない。目的は仙薬を手に入れて不老不死になる事、それが最優先だ。

 徐福との時間に固執するあまり船出を遅らせ、仙薬が届く前に命が尽きてしまったら本末転倒である。

 それに、不老不死になれば時間はいくらでもとれるのだ。

 それでも今許された時間は少しでも話を聞きたくて、始皇帝は徐福を片時も離さず側に置いていた。


 それを、少し離れた所から見守る者がいた。

 李斯と尉繚である。

 李斯は微笑ましげに、尉繚は苦虫を噛み潰したような顔で見ている。二人の視線の先には、かれこれ何時間も話し込んでいる始皇帝と徐福がいる。

 それも一日や二日ではない、徐福が来てから一月以上、ずっとこんな感じだ。

 尉繚は、それが気に食わなかった。

 李斯が、そんな尉繚をたしなめるように言う。

「そう怒ることはあるまい。

 陛下は今もきちんと仕事をなさっているではないか、政務をないがしろにしてはおらぬ」

 そう、李斯の言う通り、始皇帝の政務への熱心さは徐福に会った後も変わらない。毎日決められた量の書類を、きちんと処理している。

 ただ、余った時間の使い方が変わっただけだ。

 しかし、尉繚が怒っているのはそこではない。

「……李斯殿は、何とも思われぬのか?

 あんな不確かな話を熱心に聞いて、夢中になって……!」

 尉繚が怒っているのは、始皇帝が徐福の話をすっかり信じ込んでしまっていることだ。

 それを聞くと、李斯は事もなげにこう返した。

「理論には筋が通っているし、証拠もある。それに信憑性があると判断したから、おまえが連れてきたのではないか」

「……だが、俺が本物の可能性が高いと判断したのは仙人に会った証というその一点だ。

 仙人に会えば不老不死の仙薬を手に入れられるという証はない!」

 尉繚は、小声で李斯に己の考えをぶつける。

「本来なら、そこから仙人が本当にいることを確認し、そのうえで不老不死の信憑性について検討すべきではないか!

 だが、陛下はあの男の言う事が全て本当なのだと信じ込んでいらっしゃる。

 その嘘か誠かも分からぬ話のために、国庫の金と人をあれ程注ぎ込むなどと……!」

 それを聞くと、李斯の顔にもわずかに憂いの色がよぎった。

 尉繚が言ったのは、徐福が仙人への貢物と称して始皇帝に求めたもののことである。徐福がそれを口にした時、尉繚も李斯も少なからず衝撃を受けた。


「仙人への貢物として、汚れなき処女童男をそれぞれ千人ずつ用意していただきます。

 さらに、仙人を祀る宮殿を作るために、大工や種々の職人を連れて行きとうございます。それから彼らがしばらく暮らせる食糧も」


 それは、莫大な出費を強いるものであった。

 千人ずつの処女童男はもちろん金を出して全国から買い取るし、食糧にも金がかかる。種々の職人とて無償で連れてくる訳にはいかない。それに何より、その数千人と彼らをまかなうだけの大量の食糧を運ぶには、大型の船が多数必要なのだ。

 それだけの出費を、始皇帝は二つ返事で承諾した。

 そして、即座に出航のための準備が始まったのだ。

 始皇帝じきじきの判断である以上、異論を挟む余地はなかった。

 おかげで李斯と尉繚は、今度はその準備のための仕事に追われる事になった。李斯はその費用について、尉繚は集める職人や船についての下調べを命じられたのだ。

 実際に仕事をしてみて、二人にはその計画の壮大さが手に取るように分かった。

 始皇帝は成功するかも分からぬその計画を、素性も分からぬ方士が示した不確かな話を、あっさり実行に移してしまったのだ。

 だが、李斯は己を納得させるように言う。

「成功するか分からぬからと、何もしなければ何も得られぬ。

 これまで我々が天下を取るために用いた数々の策略も、同じようなものではないか。

 それに、秦はもう内陸の一国ではない、この中華全土となったのだ。予算として使える額も、これまでとは比べ物にならぬ。

 この程度の出費なら、今の国庫からすれば大したことではない」

 李斯の言う事は、正しい。

 確かに秦の予算規模は以前とは比べるのもおこがましいほど大きくなったし、常々行っている政策や戦略も成功が保証されているものなどない。

 だが、それでも尉繚は違うと言いたかった。

 どんなに予算が増えても信用できない事への出費は控えるべきだし、常々用いている政策や戦略は似たような前例があって、結果をある程度予想できる。

 今回の計画には、それ自体への信用も前例もほぼないのだ。

 それを尉繚が言うと、李斯は少し目を泳がせて言い返した。

「陛下が判断なさった以上、これはもう我々が推し量る問題ではない。

 己の役目を違えてはならぬ、命じられたことを粛々と実行せよ」

 こう言われては、尉繚も引き下がらざるを得ない。

 始皇帝の命令は、絶対だ。逆らうことなどできない。

 計画は、既に走り出している。そのような結果になるか、何をもたらすのか誰にも分からぬまま、それでも走らせるしかない。

 尉繚は言いようのない不安を胸のうちに抱きながら、始皇帝と徐福の蜜月を見ていることしかできなかった。

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