(5)
ついに、始皇帝と徐福の出会いです。
全ての運命はここから動き出します。
徐福の持ってきた不老不死の話について、それぞれの登場人物が様々な感情を抱きますが、大事なのはそこじゃありません。
結果が不老不死しかないと思っていたことが問題だったんです。
海が、キラキラと輝いている。
朝焼けの薄紅色が海の青と見事な対比を描き、それはとても幻想的な色使いだった。
始皇帝は薄い雲ごしに、ほのかな光を浴びていた。海の果てから昇る日の光が、中華の大地を照らしていく。
(早起きしてみるのも、悪くないな)
まだ少し肌寒い海風に吹かれながら、始皇帝は思った。
今日が楽しみで待ちきれなくて、つい興奮して早く目が覚めてしまったが、おかげでこんな素晴らしい眺めが見られたのだから気分は上々だ。
今日はきっと、この日の出のような素晴らしい一日になるだろう。
始皇帝は、はやる心の内でそう予感していた。
「かの方士を、連れてくるとのことです」
李斯から報告があったのは、数日前の事。
仙人に会った証の品を持ってきたという方士について、信憑性が高いと尉繚が判断し、ここに連れてくるというのだ。
それを聞いた時、始皇帝はまさに天にも昇る心地であった。
仙人は、本当にいた。会った証を持つ者がいるのが、何よりの証拠だ。
仙人がいるということは、不老不死になれる道が必ずあるのだ。それがないなら、仙人などいるはずがないから。
これまで夢のようであった願いが、一気に現実味を帯びた。
そして、手が届くならば一刻も早く手を伸ばしたくて、始皇帝はその方士……徐福と会う日を指折り数えて待っていたのだ。
薄曇りの空の下、始皇帝は海を見ながら朝食をとった。
太陽は雲に隠れてどこにあるか分からないが、その光が雲に映り、雲がぼんやりと光っている場所がある。
それが今の状況のようだと、隣に侍っている李斯は思った。
直接不老不死になる方法は、まだ分からない。だがそれを手に入れるための手がかりはあった。
その手がかりを元に、仙人に不老不死の術の元を尋ね、仙薬を手に入れることが出来れば、その時こそ始皇帝は人を超えた存在となって唯一無二の支配者となるのだ。
全ての地をあまねく照らす太陽のように。
だが、始皇帝が常しえに光る太陽のようになるには、不老不死とならねばならない。これまではその道の在処すら分からなかった。
しかし、これで道の在処は分かった。
後はあの薄い雲をはぐように、道を明らかにして手に入れるだけだ。
まだはっきりと姿は見えない、だが日は昇ったのだ。
ならば全土に光が降り注ぐのももうすぐだ……李斯は天からの光を見たような心地で、始皇帝の横顔を見ていた。
日の位置を示す光の塊がだいぶ天頂近くになった頃、伝令の兵が息を切らして高台に上ってきた。
「徐福が参りました!」
「おお!」
始皇帝は思わず立ち上がり、高台を上る道を見下ろした。
ふもとからこの展望台まで続く道に、数人の人影がある。
先頭を歩くのは黒ずくめの工作員……尉繚だ。その後ろに、たくましい男と見た目上これといって特徴のない男が二人続いている。
上から見ているので顔は分からないが、始皇帝はひどく胸が騒いだ。
ここまで上ってくるだけの時間すらもどかしくて、今すぐに道を駆け下りて仙人と対面したという顔を見て見たかった。
こんな気持ちは、久しぶりだ。
自分は皇帝になってから、欲しい物があれば命令して待っていればよかったのだ。そうすれば、全ては手に入るから。
だが、不老不死は違う。
人の頂点を極めたとはいえ、人を超えるものを手に入れるのは難しい。
だからこそ、こんな気持ちになったのだ。
始皇帝は、自分が今まさに仙道の入口に立っているような錯覚を覚えた。
あの方士について行けば、人を超えて不老不死になれる……そんな希望が、胸の中ではちきれんばかりに膨らんだ。
始皇帝は、駆け出したい足を押さえつけて徐福を待った。
もう目に見えるところにいるのに、だからこそ顔を合わせるまでの時間がとても長く感じられる。こんなにゆっくり流れる時間は、生まれて初めてではなかろうか。
そのうち、徐福を連れた尉繚が高台の頂上にやって来た。
尉繚が始皇帝にひざまずき、自らの成果を報告する。
「陛下、仙人に会った証を持つ者、徐福を連れて参りました!」
尉繚の声にやや苦いものが混じっている気がしたが、今はそれどころではなかった。
始皇帝は短く尉繚をねぎらうと、すぐ後ろで頭を垂れている徐福に視線を移した。
「うむ、ご苦労であった。
徐福とやら、面を上げよ」
その言葉を受けて、徐福がゆっくりと顔を上げた。
浅黒く日焼けした肌に、まとめられていても剛毅さを隠さぬ癖の強い髪。礼服ごしにも分かるたくましい筋骨、節くれだった大きな手。
そして日の下に晒された顔に、始皇帝は息を飲んだ。
意志の強さを表すような武骨な鼻と大きな口。そして何より目を引いたのは、これまで見たいかなる歴戦の勇士にも劣らぬ鋭い眼差しであった。
いや、勇士たちの眼差しとは決定的に何かが違う。
徐福の目は、従う者の目ではなかった。それは例えるなら、野山を自在に駆け回る虎か、思うままに空を舞う鷹のようであった。
従うだけの者にはない、野性的な奔放さを含んでいるのだ。
もし配下がこんな目をしていたら、始皇帝は危険を感じて警戒したかもしれない。
自分が人間の頂点である以上、その支配を跳ね除けようとする者は敵だからだ。
だが、始皇帝は徐福のその目を許した。なぜなら、徐福は仙人に会える力を持った人間……人間とは違う社会に片足を突っ込んでいる者だから。
神仙の下に立つ者であれば、未だ己の支配が及ばぬのも無理はない。
むしろ、人の枠にとどまらぬからこその表情であるとも思えてきた。
自分は今そんな特別な存在と対面していると思うと、始皇帝は上機嫌にすらなった。思うままにならぬものを前にしても、思い込みによって印象はこんなにも違ってしまうものだ。
始皇帝の高揚を感じ取ったのか、徐福はにっこりと柔らかな笑みを浮かべた。
「徐福と申します、お初にお目にかかります」
見た目の荒々しさとは真逆の、丁寧な礼であった。
それを見ただけで、始皇帝は己が仙人に受け入れてもらえたような心地を覚えた。
一通り挨拶が終わると、始皇帝はさっそく目的の話を切り出した。
「さて、おぬしは仙人に会ったと聞いておるが、どのようにして会ったのか?」
それを聞くと、徐福は少し照れくさそうに話し始めた。
「お恥ずかしながら、海でしけに遭って偶然に流れ着きまして……仙人に助けられ、短い間ですがお世話になりました」
その答えに、始皇帝は肩透かしをくらったようだった。
「偶然……とな?
それでは、会おうとして会うことはできぬのか?」
始皇帝にとって何より重要なのは、仙人に会って不老不死の仙薬をもらうことなのだ。こちらから会いに行って会えなければ意味がない。
その疑問に、徐福は難しい顔をして答えた。
「できるとも、できぬとも言い切れませぬ。
島に着けるかは、仙人の気分次第でございますので。
仙人が会うに足りぬと思うと、ふしぎな力が働いてたどり着けませぬ。島が見えても近づけず、行けども行けども遠ざかってしまうのです」
「なるほど、実にふしぎな話だ」
始皇帝がうなずくと、徐福はさらに話を続けた。
「島自体も、いつでも見えるとは限りませぬからなァ。
仙人に害を及ぼす邪なものが近づきますと、島そのものを消して隠れてしまいます。逆に気が清らかであれば、岸からでも島が見える時があるのですが……」
徐福はそう言って、唐突に海の方を指差した。
「例えば、この辺りでも」
その瞬間、始皇帝の中で記憶が弾けた。
この琅邪台に上って間もない頃、突如として海上に現れたおぼろげな島影。少し時間が経つときれいさっぱり消えてしまった、夢とも現実ともつかぬ島の記憶。
始皇帝の胸の奥から、喜びが押し寄せてきた。
つながった……自分が見聞きしたものと、仙人を知る者の話が。
やはり自分が見たあの島影は、海中の神山で間違いなかったのだ。そしてそこに行けば仙人がいて、不老不死の薬が手に入る。
道が、つながったのだ。
始皇帝の胸中を察したのか、徐福がうやうやしく頭を下げて言った。
「私めは海岸で修業を積み、仙人に助けてもらえる程度にはなりました。
貢物を用意して身を清めれば、会うことはできようかと存じます。そして陛下のために、不老不死の仙薬を分けてもらえるよう頼んでみましょう」
「おお、誠か!!」
始皇帝の顔も声も、喜色一色に染まった。
徐福は仙人に会い、不老不死の仙薬を手に入れてくれるというのだ。
仙人に会えるかどうか分からず一度気落ちした分、喜びはひとしおだった。要らぬ心配だったのだと、反動のように安堵感が押し寄せてきた。
「おうおう、頼りにしておるぞ!
必要な物があれば何でも言うが良い。用意しておる間に、また詳しい話を聞かせてくれい!」
有頂天になった始皇帝を前に、徐福は静かに微笑んだ。
始皇帝は、あっという間に徐福の話の虜になっていた。
徐福はただ仙人に会ったことを否定できない一枚の布を持参しただけなのに、始皇帝はもう仙薬が手に入ると確約されたような気でいる。
これも、徐福の巧みな話術によるものだ。徐福はあらかじめ、始皇帝が幻の島影を見たと知ったうえで話を振ったのだ。そして一度軽く失望させてから持ち上げる事で、本来の感情以上に喜ばせてその気にさせた。
(ふふふ……これで、研究の資金は思うままよ!
結果として不老不死になれれば、約束を違えたことにはならぬ)
徐福は、してやったりと笑った。
そんな徐福を、尉繚は射抜くような目でにらみつけていた。
(くそっ……この詐欺師め、よくも陛下のお心を!
必ずや、この俺がからくりを暴いてやるぞ!)
尉繚は、徐福を認めた訳ではない。徐福の話が本質は不確かなままなのを理解しており、いつか真実を暴いてやると心に誓っている。
だが上司である李斯は、始皇帝の喜びに追従してそれを祝福するばかりだ。
大きな運命の歯車がかみ合い、動き出した瞬間であった。
この時、皆の頭の中には、認めるも認めないも不老不死しかなかった。これからその研究がいかなるおぞましいモノを生み出すか、誰の想像も及ばなかったのだ。
誰も行き先を知らぬまま、運命は走り出した。
そんな災いの元凶となった、希望に満ちた出会いであった。