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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第一章 琅邪の出会い
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(4)

 徐福の持ってきた仙紅布が、どのような性質のものであるかが明かされます。

 仙人に会った証として、偽物であると証明できないもの……どのような内容で、尉繚は納得せざるを得ないのでしょうか。

 海は、今日も凪いでいた。

 始皇帝は穏やかな風に吹かれ、ゆったりと海を眺めていた。

 もう一月以上も見ているのに、この海という場所は見飽きることがない。

 海は、毎日、時間によっても刻々と表情を変える。日の出には朝焼けを映して赤く染まり、その日の空模様によって青の色合いが変わる。

 雨の日には水平線がけぶって空との境があいまいになり、風の強い日には波が高くうねって龍の背のごとく躍動する。

 どの瞬間をとっても絵になって、始皇帝は夢中で見入っていた。

 あまりにも気に入ったので、この琅邪台という高台に離宮を建てることにした。

 これからも、こうして巡幸に出かける事はあるだろう。ならばまたいつかここに来て、美味や歌舞に囲まれてこの風景を楽しみたい。

 願わくば、天下が完全に己の下で泰平となり、仕事に追われる日々が一段落したら、時間を気にすることなくここでのんびりと休みたい。

 もっとも、その日が来るのがいつになるかは見当もつかないが。

 だからこそ、そんな日が来るまで長く生きていたいとも思う。

 始皇帝は海に目を奪われながらも、仙薬の事が頭から離れなかった。


 そんなある日、李斯がうやうやしく声をかけてきた。

「陛下、少し申し上げたき事が」

「構わぬ、申せ」

 始皇帝が振り向くと、李斯の表情が弾むような笑みをたたえているのが分かった。きっと良い知らせだ……つられて、始皇帝も笑顔になる。

 李斯は頬が緩みすぎないように懸命に引き締めながら、報告した。

「尉繚が、仙人に会った証を持つ方士を見つけたとのことです」

「おお、誠か!」

 始皇帝の目が、子供のように輝いた。

 毎日海を見つめながら、片時も頭から離れなかった仙薬の手がかりが、ついに見つかったというのだ。

 始皇帝は、待ちきれずに身を乗り出すようにして李斯に問う。

「それで、その方士はいつここに来るのだ?」

「は……それは、もう少しかかるかと思われます」

 今、尉繚がその仙人に会った証というのが本当かどうか調べておりますので。話が話だけに、慎重に調べているとのことです」

 それを聞くと、始皇帝は少しがっかりしたような、もどかしいような顔をした。

「そうか、まあ確かな手がかりでなければ意味がないからのう。

 その点、尉繚ならば間違いはあるまい。あ奴が認めるならば、しっかりと調べ上げてからであろうからな」

「は、そのためにも、今しばらくお待ちいただきたいとのことです」

 始皇帝は、ふーっと大きく息を吐くと、再び海の方に向き直って告げた。

「納得のいくまで検討してから来いと伝えよ。ただし、できるだけ早くな」

 その命令に、李斯は心の中で苦笑した。

 始皇帝は内心、一日でも早くその方士に会いたいに違いない。だが、調査がいい加減でいいなどとは言えないので、このような言い方になったのだ。

(これは、尉繚が頭を抱えるかもしれぬな)

 いや、元々この任務自体が難題であったか、と李斯は独りごちる。

 本当に存在するかどうか分からぬ不老不死の、確かな証を求めよ……最初に出された命令そのものが既に矛盾している。

 だが、このような時にこそ、全ての事象を客観的かつ現実的に見て判断できる尉繚の出番だ。

 彼の卓越した見識をもって本物と判断したのならば、おそらく本物の可能性が高いのだろう。

 始皇帝も李斯も、それについては尉繚を全面的に信頼していた。


 その尉繚は、連日配下と共に情報集めに奔走していた。

 尉繚の情報収集力に、不足はなかった。

 尉繚と配下の工作員たちは、元々秦が天下統一する時に他の六国を弱体化させた凄腕の集団である。暗殺や破壊活動のみならず、敵国の有力者を買収するために、有効な賄賂を贈るためにあらゆる品物の目利きができる人材もいる。

 尉繚はすぐさま織物と染物の専門家を呼び出し、徐福から受け取った仙紅布なる布を調べさせた。

 それから、かつて斉や燕の宝物管理の役人だった者を呼び出し、話を聞いた。

 抵抗したり阻んだりする者はいない。

 尉繚には、任務を遂行するためのあらゆる権限が与えられているのだ。

 滅んだ国の重要な建物に押し入り、必要な物があれば即座に押収し、話を聞けそうな者がいれば有無を言わさず連行できる。

 尉繚は、それらの権限を惜しみなく使って調査を続けた。

 だが、調査が進めば進むほど、尉繚の顔色は悪くなった。


 仙人と会った証だという布が、偽物だという証が出てこない。


「この色とわずかな光沢は、作る技術がありません」

 織物と染物の専門家は、青息吐息でこう言った。

「布自体は、どこにでもある綿でございます。しかし、このような色と光沢を出せる染料が全土を調べても存在しないのです。

 一応、蛮族との交易で手に入れた物も集められる限りで調べてみましたが、同じものはございません。

 もっとも、全ての土地に実際に足を運んだ訳ではありませんので、確実には言い切れませんが……」

 その報告に、尉繚は奥歯を噛みしめた。

 つまり、自分たちの知る限りではこんな色は作れない。

 知らない何かがどこかに埋もれている可能性はあるが、調べたのは中国全土を駆け回ってきたその道の専門家なのだ。それ以上の情報があるかどうか調べ尽くそうとすれば、どれだけの時間と人手が要るか分からない。

 存在しない証拠もないが、存在する証拠もないのだ。

 全ての烏が黒いことを証明するには、世界中の全ての烏を調べなければならない……それと同じだ。

 さらに、斉や燕の宝物を調べていた者からもこんな報告が来た。

「この布と同じ布が、斉と燕の宝物の中にありました。

 入手方法については、納めた者の証言としてしか残っておりませぬが、海上にある仙人の島で手に入れたものだそうです。海で偶然仙人の島に流れ着いた者が持ち帰ったとか、ごく稀に仙人の使いが海岸の街で他の品物と交換していったとも」

 それから、宝物係は一枚の古い布を差し出した。

 それはだいぶ傷んではいるが、徐福が置いて行った物と同じ色をしていた。

「地元の富豪が、家宝として保管しておりました。

 入手方法は斉や燕の宮中にあった物と同じで、二百年ほど前に仙人の使いが置いていったものだそうです」

 これを織物と染物の専門家に見せると、仰天した。

 専門家曰く、これほど古い布にも関わらず色調と光沢が失われていないのは非常に珍しいのだという。

 繊維の傷み具合からして保存状態はあまり良くないのに、色調と光沢はほとんど衰えていない。

 こんなものは初めてだという。


 つまり、集まった情報を統合すると、こういうことになる。

 徐福が持ってきた仙紅布は、少なくともこの国では作れると証明できない。

 同じ布が斉や燕で宝物として保管されていたが、いずれも入手経路は仙人からだ。しかも数百年前から、時々同じように手に入っている。


 つまり、これまでの情報をまとめると、仙紅布は本当に仙人に与えられる以外でこの国に入ってきたことがない。

 そして、徐福は真新しい仙紅布を実際に持ってきた。

 ということは、徐福が仙人に会ったという話の信憑性は非常に高い。


(ぐっ……まさか、こんな事が……!)

 尉繚は、心臓を鎖で縛られたような重圧を感じた。

 これでは、あの徐福という方士の筋書き通りではないか。このままでは、始皇帝は神仙という訳の分からない怪しい話に引き込まれてしまう。

 いっそこの話を自分の手で握り潰してしまおうかとも思ったが、それはできない。

 確かである見込みが高い情報を見つけたら報告する、それが尉繚の使命だからだ。命令に逆らう訳にはいかない。

 それに、徐福の持ってきた証拠は現物としてあり、偽物だと証明できなかった。

 他の方士たちが持ってきた偽物やいい加減な話とは、一線を画している。

 尉繚は、観念するしかなかった。

 始皇帝からは、早く判断して連れて来いとの催促が来ている。これ以上時間をかけても結果が変わるとは思えないし、時間をかけすぎれば始皇帝の怒りを買うことになる。

 諦めて、連れて行くしかない。

 おそらく徐福は最初からこうなるだろうと計算しており、だからあんなに余裕を見せていたのだ。一度引いても、調べが済めば迎えが来るであろうと分かっていた。

 それに屈する事は、尉繚にとってすさまじい屈辱であった。

 確かだと証明できないものを受け入れ、得体のしれない男の言いなりになる……しかし、今はそうするしかない。

 尉繚は、絞り出すような声で配下に告げた。

「徐福、を……召し出せ……!」

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