(44)
ついに解剖開始です。
最初は普通の死体、そして次に動く死体……。
人倫を無視した実験に、徐福に従う者たちはどんな感慨を持つのでしょうか。
「さあ、執刀だ。
まずは、普通の死体からいくぞ!」
腐臭に満ちた部屋に、徐福の号令が響く。寝台に拘束されて喚いている一人を除いて、その部屋にいる人間は一人残らず徐福の周りに集まる。
助手の一人が簡素な道具箱を開けると、その中には恐ろしい程に研がれて輝く小刀が何本も入っていた。
徐福は、そのうちの一本を手に取る。
「この死体は三日前に死んだばかりだから、中もそう崩れてはおらんだろう。
それに、こいつは唯一の動かぬ検体だ。まずこいつを解剖して、人の体の中がどうなっているか確かめる。
その後、動く死体、生きた人間の順で解剖する!」
「了解、しっかり記録します!」
大きな木の板と筆を持った助手が、徐福に寄り添う。元は絵描きであったという彼が任されているのは、解剖図の記録だ。
最初に腹を開かれるこの普通の死体は、動かないし血も出ないので安定して切れるしじっくり観察できる。
そして、そこから得られた情報を元に、他の二体を切るのだ。
そういう意味では、これこそが一番の基礎と言えた。
「……こんな奴でも、こうして考えれば貴重な検体だ。
役に立たず死んだだけの老人には、十分すぎる貢献だ」
徐福はそう言って、死体の腹に刃を入れる。
この死体は元々、人柱用に引き渡された死刑囚の一人であったが、老人で体が弱っていたせいか麻痺毒に耐えられず死んでしまった。
こんな役立たずでもこうして利用できれば儲けものだ、という程度に徐福は考えている。
要は、いかに手に入ったものを効率よく利用して多くの情報を得るかだ。そのために徐福は、利用できるものは全て利用する。
そんな手本を部下たちに見せつけるように、自ら小刀を振るって死体の腹を開く。
「これはこれは……医学書に書かれている図とずいぶん違いますね」
「やはり実物を見てみないと分からぬことは多うございますな」
興味深そうにのぞき込むのは、侯生と石生だ。
この二人は元々医術の心得があるため、純粋に人の体に対して興味があった。それに傷病者を見慣れているため、内臓などを見てもそれほど気持ち悪くならない。
「……意外に、虫がいませんね。
私の師などは、体内の虫が万病の元だとか言っていましたが……」
「まあ虫で病気になることも多いが、全てがそうとは言えぬからな。
それに、昔から伝わる医術はどうもまじないとつながっているところがある。どこまでが本当にあるものなのか、誰も確かめていないんじゃないか?
あるいは、人が死んだから虫が逃げ出してしまったか……」
石生の素朴な疑問にも、徐福は答えてやる。
こういう知識欲に満ちた部下は貴重だ。この実験に関しても有用な意見を出してくれたし、伸ばせばもっと使える奴になるだろう。
既にこの段階で吐き気をこらえている盧生や、助手の一部と違って。あれらは少なくとも、こういう人体を使った実験では主力にならないだろう。
将来の主力をもっと伸ばすように、徐福は石生に言った。
「虫に関しては、最後に生きた人間の腹を開いた時に見てみるがいい。
おまえの発案だ、それでおまえの疑問も解消すればいいさ」
「は、ありがとうございます!」
徐福に新しい小刀を渡しながら、石生は嬉しそうに微笑む。徐福も受け取った小刀を閃かせ、さらに死体の腹中を開いていく。
「胃と腸が邪魔だな、どけろ!」
「は、ただ今!」
号令一下、侯生と石生が死体の腹から臓物の一部を引きずり出す。他の内臓もくっついてきたため、徐福はそれを途中で止めさせて記録係に命じた。
「おい、内臓のつながり方を記録しておけ!」
「は、い……うえっ!?し、少々お待ちを……」
今、死体の腹から引きずり出された内臓が持ち上げられて木のような姿をさらしている。胃腸を幹として、実のように他の内臓が連なっている。
そのあまりに残虐な光景に、元絵描きの記録係はたまらず嘔吐した。
だが、蒼白な顔で嗚咽しながらも、筆は止まらない。与えられた仕事を拒んで筆を止めれば、次は自分がこうなるかもしれないから。
やっとの事で記録を終えると、次は死体から切り出した臓器を別の台に並べる作業だ。腐りかけの臓器から、何とも言えない死臭が放たれる。
徐福以外の皆が、生きたまま黄泉に来てしまったような錯覚を覚えた。
目に映る光景、自分たちのやっている事、黒い岩壁……まるで自分たちがいるこの空間だけが、人の生きる世界ではない別の世界に滑り落ちてしまったような。
だが、その感覚でいいのかもしれないと石生は思った。
自分たちは、不老不死を目指しているのだ。
不老不死は人間にはない、だからそれを手に入れるためには人ならざる者の世界に踏み入って当然なのだろう。
正常な感覚が抜け落ちていくのを感じながら、徐福と助手たちは死体の解剖を終えた。
「さあて、次は動く死体だ!
仙人の元になる重要かつ貴重な検体だ、心してかかれ」
死体の解剖のみで身も心も疲れてぐったりしている助手たちに、徐福が次の仕事の開始を告げる。
生きるためには、命令に従って自分が役に立つことを示さねばならない。助手たちはすぐに立ち上がって、配置につく。
だが中には、さっきより目に力が入っている者もいた。
「正直、胸が高鳴りますな。
不謹慎ですが、こんな不思議な物を隅から隅まで調べられるとは」
「あなたにも分かりますか?私も同じ気持ちです。
それに、怖いからこそ知ってみたくなります。どんなものでも、正体と性質を詳しく知れば怖がることはない……私たちは、その機会に恵まれました」
石生と元屠畜業の助手が、身を乗り出すようにして拘束された動く死体を覗き込む。徐福は頼もしげに笑いながら、しかしその二人には影を作って作業を妨げないよう注意した。
「では、今回は私も刃を取ります」
さっきは見ていただけの侯生が、徐福と向かい合う位置で小刀を取る。
動く死体は拘束していても身をよじるので、素早く済ませられるように二人で切るのだ。それに解剖できるのが徐福だけでは困るので、侯生に練習させる意味もある。
「では、まず私が!」
侯生が、動く死体の腹を一文字に切り裂く。
悲鳴は、ない。代わりに、これまでとは比べ物にならない腐臭が広がる。
この部屋に入っただけで息をするのが嫌になるくらい臭くて、ようやくそれに慣れてもうこれ以上はないだろうと思っていたのに……現実はさらに上を行く。
「うごぉえええ!?」
隣に寝かされているがたいのいい男が、体をがくがくと震わせて嗚咽した。
覚悟していても動く死体に慣れていても耐え難い吐き気を覚えるのに、ただ連れて来られただけの者に耐えられるはずもない。
がたいのいい男は、目と口を大きく開いて嘔吐した。しかし、周りがそれほど汚れることはなかった。
男の口から出てきたのは、少量の胃液だけだったからだ。
「くっ……ぐふっ、予想通り……」
盧生が、自らも袖で口を拭いながら得意げに言う。
「や、はり……食事を、与えなく……良かった……。
どうせ吐くのなら、無意味……いや、片づけが面倒になるだけ……。わ、我々とて、それは同じ事……で、あるが……」
最後の一言には、盧生自身の自嘲が混じっている。
自分は、ここにいても役には立たない。もし自分が同じ元死刑囚の立場だったら、自分はこの男と同じ側だろう。
だが、だから情けをかけて最後に食事をさせてやろうとか、そんな気はない。
むしろこいつが自分たちにあまり迷惑をかけず、最期くらい十分人の役に立って逝けるように……この空腹の哀れな男に食事を与えなかった。
もちろん盧生も自分がこうなることは分かっていたので、朝から食事を摂っていない。自分がそうだと判断した大部分の助手もそうだ。
ここまでの見た目、悪臭、精神的な抵抗の中でまともに作業ができる者は少ない。
そうでない者は顔を真っ赤にして桶に胃液を吐きながら、体が慣れるのを待つしかなかった。
そんな正常な人間たちを差し置いて、徐福と侯生はどんどん解剖を進めている。刃だけでなく自らの手をも腐った血に染めて、動く死体の腹を開く。
「うわ……これは……!」
目の前に広がった光景に、さすがの徐福と侯生も顔をしかめた。
腐ってボロボロになった皮膚をちぎりながらはがした先には、さらなる地獄が広がっていた。
内臓は溶けかけて、かろうじて膜に包まれたペーストの塊と化している。前に普通の死体を見てつながりを把握していなければ、何がどの臓器かも分かりづらい程だ。そのうえ、胃腸にはうじ虫がわいて、穴から外にこぼれている。
「口の中だけでは、なかったんですねえ……」
侯生が、固まった喉でそれだけ言う。
その横から、元屠畜業の助手が手を伸ばす。
「まあ、口から肛門までは一本道でつながっておりますから……時間の経った死体はこんなものでございますよ。
ところで、少し肉片とうじ虫を取ってよろしいでしょうか?
少々、確かめたいことが浮かびましたので」
「良い、許可する」
徐福は、視線を上げずに答える。
徐福の目は、動く死体の体内に釘付けになっていた。普通の人間なら一瞬でも早く目をそらしたいものだが、徐福の目は縛り付けられたようにそこを見ている。
縛っているのは、紛れもなく徐福自身の探求心だ。
ずっと求めていた仙人伝説の、不老不死の元となった現象がここに詰まっている。今から自分は、これを調べて本当の不老不死へと踏み出すのだ。
(ついに……ついにここまで来た!
俺の探し求めたモノ、道の入口がここにある!!)
徐福はそっと手を伸ばして、動く死体の心臓に触れた。
(動かぬ、そして冷たい……血もあふれぬ……)
こんな状態でも動く死体はなおも声にならない音を漏らし、身をよじろうとして手足を動かしている。
……まさに、神秘。
徐福は、喜悦の表情を浮かべていた。その神秘が今まさに己の手の中にある事が、嬉しくてたまらない。
そしてその喜びを噛みしめながら、ますます探求心の炎を熱く燃え立たせた。
すぐ側にいる哀れな生きた検体が浮かべている絶望など、はなから眼中になかった。