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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第四十二章 天下は誰が手に
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(207)

 劉邦と子嬰、新たに成り上がった王たる者と亡国の王。

 子嬰は劉邦の素直さに目を見張り、未来を託そうとしますが、劉邦を取り巻く状況は思った以上に複雑で……そんな劉邦を補佐する二人の軍師が登場します。


 張良チョウリョウ:劉邦軍一の天才軍師、始皇帝を暗殺しようとしたことがある。

 蕭何ショウカ:劉邦軍を支えた補給と後方支援の天才。劉邦の面倒を小役人時代から見ていた。

 咸陽の民は、初め戦々恐々として劉邦軍を迎え入れた。

 しかし劉邦が子嬰と親し気に砕けた調子で話しながら進んでくると、それを見た民たちはひとまず胸を撫で下ろした。

 劉邦は、噂に聞く反乱軍のように憎しみと敵意に満ちていない。

 ただ都に上ってきたばかりの田舎者のように、きょろきょろと忙しなく目を動かしながら都の様子を見ている。

「すっげぇなあ……どこもかしこも宮殿だらけだぜ!

 俺が王になったら、あれが全部俺のものに……グフフ……」

 ニヤニヤする劉邦を、女のように線の細い軍師がにらみつけてささやく。

「ええ、誠に壮観でございますね。

 しかしこのような無駄に豪華で役に立たぬものばかり作っていたからこそ、秦は財政難からあのような苛政を敷いたのです。

 それをお忘れなきよう」

「う……わ、分かってるよ!

 でも、だからって壊すのは忍びねえからさ……しばらくはこのままにしとこうぜ?」

「はいはい、壊すにも費用がかかって何も生みませんからね」

 軍師に釘を刺されると、劉邦はいたずらを咎められた子供のような顔をして襟を正した。これだけの軍勢を率いているのに、気取らない素直な人物だ。

 その様子を見ていて、子嬰の胸に希望が湧き上がった。

(これは、評判以上に大きな人物かもしれない。

 欲望は人並みにあるようだが、それを下手に隠して駆け引きをしたりしないし、他人に言われたことを驚くほど素直に聞き入れる。

 この男ならば、これからの世界を……)

 とにかく、これから劉邦に自分が担ってきたありとあらゆることを引き継がねばならない。表に知られていないことも、全て……。

 それを劉邦が受け止めてくれることを祈りながら、子嬰は劉邦と共に阿房宮に向かった。


 阿房宮に着くと、劉邦はその壮麗さと蓄えられた金銀財宝に目を奪われた。

「うっひょおおお!!すっげえぇえ!!

 こ、これが全部俺のモンに……こりゃ一生かかっても使いきれねえや!」

 劉邦はすっかり鼻息を荒くして、宝物庫の宝を次々と手に取って眺める。その様子は、まるで一夜で大金を手にした小市民だ。

「あ、ああ……胡亥様と趙高が天下の富をかき集めたからな。

 本当に、使うつもりもないのにこんなに集めて、どうするつもりだったのだろうな」

 劉邦のあまりのがっつき具合に若干引きながら、子嬰はぼやく。

 自分も秦王になってから日が浅いし、じっくり財宝を眺めるような暇はなかったので、実際どのくらい宝物があるのかよく知らなかった。

 ここにある分でもそのごく一部にすぎないが、それでもすごい量だ。金や白金の延べ棒が山と積まれ、玉や宝石が目もくらむばかりの光を放っている。

 見ていて、涙が出そうだった。

(これの一部でも民や兵士のために使えば、世の中はどれだけましだったか……)

 思えば趙高も胡亥も、自分の腹を肥やすことばかり考えて使おうとしなかった。

 だから天下の民は生きていけないほど貧苦に喘いでいるのに、ここにはこんなに宝が集まっているのだ。

 これも劉邦のものになるなら、せめて民の役に立つように使ってほしい。

 そう声をかけようとして……子嬰ははたと止まった。

 劉邦が今度は両側から軍師に挟まれ、強い口調で諫められている。

「殿、今ここでこれらの宝に手を出せば、天下は手に入りませぬぞ。

 秦がこれだけのものを民から巻き上げて苦しめたからこそ、殿はその害を除くと称してここまで成り上がれたのです。

 なのにここで殿が欲に溺れて宝を接収しぜいたくに暮らし始めたら、殿も古の暴君と同じになってしまいます。

 忠言は耳に痛くとも行えば利あり、良薬は口に苦いが病にはよく効きます。どうかここはご賢察と自制のほどを」

「そうです、まだ天下は定まった訳ではないのですぞ!

 こんな時に私欲に流されて諸侯の機嫌を損ねることもないでしょう。

 ここの宝物は、秦を滅ぼさんとする全ての諸侯が狙っているもの。そんなものを独り占めしても、災いしかありません!

 軍の資金や兵糧は私が絶対切らさぬようにしますから、これは封印してください!!」

 そう言われて、劉邦は非常に悔しそうな顔ながら宝物を手放した。

「ぐっ……くっそぉ……張良も蕭何もそういう意見か!

 こんなにすげえのに……目の前にあるのに、そりゃねえよぉ……。

 けど、おまえらが言うならここは封印するぜ!

 どんな宝も命あっての物種だ、これを手に入れて殺されんのはごめんだぜ!俺は宝より、命と未来を取る!!」

 ビシッとかっこよく言い切って、劉邦は涙目になりながらも全ての宝物庫に鍵をかけ、宮殿内に置かれている金目の物にも手を出すなと部下にも厳命した。

 それを見て、子嬰はホッと胸を撫で下ろした。

 自分の命を守るためとはいえ、劉邦はこれほどの財宝の誘惑に打ち勝った。これだけ後先を考えられる人物なら、ひとまず安心して後を任せられる。

 しかし同時に、懸念もあった。

 今ここに一番に乗り込んできて治めることになったのは劉邦だが、このまま劉邦がずっとここを治めてくれるかは分からない。

 天下には、劉邦以外にも秦を滅ぼして取って代わろうとする諸侯が山ほどいる。

 そいつらがこの結果に納得できず劉邦を除こうとした場合、劉邦の身も天下もどうなるか分からない。

(……それでも、今はこの男にできるだけ引き継ぐしかない。

 私の命も今は助かったが……私にこれから何もできぬ以上、それしかないのだから!)

 だが、子嬰が阿房宮に引き留めようとすると、劉邦は断った。

「ああ、うん……俺もここで暮らしたいのはやまやまなんだけどよ、ここにいると誘惑が多すぎて、な……。

 財宝だけじゃなくて女も……耐えれる気がしねえ。

 それに、宝を取ってなくてもここにいるだけで他の奴に怪しまれっからな」

 劉邦はそう言って何度も名残惜しそうに振り返りながら、去って行った。

 子嬰は己の考えの浅さを恥じ、これで劉邦の身に何事もありませんようにと祈りながら見送るしかなかった。


 翌日、劉邦は阿房宮に来なかった。都や近隣の長老たちが集まってこれからのことを話すというので、そちらに行ってしまったのだ。

 子嬰はもう王ではなく捕虜なので、こちらから呼ぶ訳にもいかない。

 無為に過ぎていく時間に、子嬰は足下に火が迫るような焦りを覚えた。

(国を治めるために忙しいのは、分かる。

 しかし私にも、世界を守るために伝えねばならぬことがあるというのに……。

 今の私は、土地の長老たちよりも力がない。生きていられるだけで幸運だと思っていたが、いやはや……歯がゆいばかりだ)

 こうしている間にも、感染は広がっているかもしれないのに。

 かといって自分が劉邦にわざわざ近づいて二人だけで話をしていれば、劉邦との取引を疑われて劉邦に害が及ぶかもしれない。

 せっかく世を任せられそうな人が見つかったのに、それでは本末転倒だ。

(分かってはいたが、不便なものよな……亡国の王とは)

 今さらながら、自分が国も力も失ったことを実感した。

 だが、このまま相手にされず放っておかれても困る。それでは一番大事なことを伝えられず、国を引き継げても世界を守れない。

 うつうつと悩む子嬰の下に、劉邦ではないが訪れる者がいた。

 昨日劉邦を猛烈に諫めていた二人の軍師、張良と蕭何である。

 二人はつかつかと子嬰の方に歩いて来て、言った。

「さて、我々に秦の比類なき宝を渡してもらおうか!」

 その言葉に、子嬰はぎくりとした。

 昨日はあれほど劉邦に宝を取らぬように諫めていたのに、自分たちに渡せとはどういうことか。この二人は真面目な顔をして、実は主すら出し抜く欲望の権化だったのか。

 思わず警戒を露わにした子嬰に、張良は女のようにすました笑みで言う。

「おや、あなたは秦王だったのに一番の宝が分からぬのですか?

 これでは、国を守り抜こうとしなくて正解ですね」

「一番の宝、とは……何を?」

 小馬鹿にするように言われても、子嬰には分からなかった。皇帝の印も渡して財宝も自由にさせているのに、それ以上の宝とは何なのか。

 戸惑う子嬰に、蕭何がニヤリと笑って説明する。

「フフフ、宝とは他でもない……秦が作り上げたこの国の戸籍だよ!

 それを見れば中華全土、どこにどんな人間がどれくらいいるか手に取るように分かる。こんな素晴らしいものはない!

 重くて光るだけの財宝より、そちらの方がよほど大変なものだ」

 蕭何は目をギラギラさせて、子嬰に迫る。

「さあ、戸籍を保管してある場所に案内せよ。

 昨日、君も我らが殿をずいぶん期待した目で見ていたじゃないか?君も、我らが殿に治めてもらいたいんだろう?

 これから殿が他の諸侯と戦うことになったらねえ、こういうのがすごく役に立つんだよ。

 だからホラ、殿を守りたいなら、ねえ?」

 それを聞いて、子嬰は衝撃を受けた。

 祖父が天下統一した時にそういうものを作ったことは知っていたが、それがどんな意味を持つのか自分はまるで分からなかった。

 やはり自分は、天下の頂点に立つ器ではない。

 同時に、この二人の知略が人並み外れているのも分かった。こんな宮殿とあれほどの宝を差し置いてそこに手を伸ばせる者が、果たして天下に何人いるか。

 子嬰の胸に、希望が広がった。

 この二人は君主ではないが、劉邦はこの二人の言うことをよく聞いている。ならばこの二人に事情を話して助力を請えば、世界を救えるのではないか。

 地方の異常を把握するためにこの二人に戸籍を使ってもらえば、文句はない。

 子嬰は思わず、二人に平伏して懇願していた。

「戸籍は残らず差し上げます……だから代わりに、私の話を聞いてください!

 あなた方の知らない秦の暗部、世を滅ぼしかねない危険のことを!たとえ劉邦殿が信じてくれなくても、あなた方が知ってくれれば……」

 すると、二人の軍師は目をぱちくりして顔を見合わせた。

「あなた方が、と言われても……」

「もう来てしまいましたし……」

 二人の後ろには、いつの間にか劉邦が佇んでいた。

「これは、劉邦殿……長老たちとの会合は?」

「ああ、んなもんとっくに終わらせたぜ!

 守る法なんざ、とりあえず三章で十分だ。人を殺したら死刑、物を盗ったり人を傷つけたら処罰。他はもう廃止でいいだろ!覚えられねえんだから!!

 で、長老連中は俺をもてなそうとしてくれたけどさぁ……蕭何との約束だからな、民に振舞えって言って帰ってきたぜチクショー!」

 劉邦は非常に残念そうだったが、気を取り直して子嬰に聞いた。

「んな事より、ヤバい暗部があるって?

 そいつぁきっと、放っといたら俺の命もヤバくなるやつだよな?

 だったら俺もしっかり聞いて対策考えるぜ。せっかく秦を倒したのに、その遺したモンに殺されんのはごめんだからな!」

 劉邦はそう言って、小気味良い笑みを子嬰に向けた。

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