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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第三章 失われた島
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(14)

 ついにゾンビの登場です。


 仙人について知識のある徐福は、初めて見るゾンビをどのように判断するでしょうか。

 現実的とはいえ、迷信深い古代中国の感覚ですから。

 がさり、と不穏な物音を、徐福の耳が捉えた。

 徐福は慌てて口をつぐみ、神経を集中させた。

(……しまった、近くに人がいたか!

 くそっ俺としたことが……!)

 つい浮かれてしまった己に舌打ちしながら、徐福は壁に耳をつけて様子を伺う。

 狭い殯屋の中には、隠れられそうな場所がない。人が入って来て顔を見られてしまえば、一巻の終わりだ。

 徐福は、隠されていた秘密の一端に触れたにすぎない。核心についてはまだ何一つ分からないし、弱みもまだ見つけていない。

(ここで見つかる訳にはいかぬ……どうしてもとなれば、最悪の手段も辞さぬぞ!)

 徐福は、懐から鋭い厚刃の短剣を取り出した。

 それから足甲の一部を素早くほどき、それなりの長さの縄を引き抜く。

 徐福は、探求に必要な隠密行動のために、様々な忍び道具を持っていた。必要な行動の中には、多少の荒事も含まれる。

 幸い、相手は一人のようだ。

 殯屋の入口で待ち伏せして、しばらく動きを封じさせてもらおう。

 しかし、音の主は殯屋に入ってくる様子はなかった。しばらく立ち止まって、少しうろうろした後、殯屋から離れていく。

 徐福は焦った。

(いかん、他の住民を呼ばれるか!?)

 一人ならどうにかなる、しかし増援を呼ばれたら厄介だ。

 徐福は一瞬の判断で、殯屋を出て物音の主を追った。

 このうえは、他の者を呼ばれる前に動きを封じて黙らせるべし。後手に回るほど、状況は厳しくなる。先手必勝だ。

 木々の間に、人影が見えた。

 追ってくる徐福に気づかないのか、その足取りはゆっくりとしている。

 徐福は一気に飛びかかり、相手の首を掴んで押し倒した。


「動くな、そして声を立てるなよ。

 下手な動きをすれば、殺す」

 徐福は相手の耳元でささやき、首に短剣を突き付けた。同時にもう片方の手で、相手の腕に縄を絡ませる。

 しかし、その時徐福の指に違和感が走った。

 相手の肌に、張りがない。いや肌どころか、その下の肉すらぶよぶよと妙に柔らかく、普通の人間とは全く違う感触を伝えてくる。

 それにやや遅れて、強烈な悪臭が徐福を襲った。

 近づいた時にはむしろ芳香を感じたはずなのに、今この相手の体に密着すると、ひどく臭い。鼻がもげそうになって、吐き気がする。

「うげぇっ……何だ、これは!?」

 思わず顔を背けながら、徐福は気づいた。

 これは、死臭だ。死んだ肉の腐っていく臭いだ。

 生きている人間がまとう臭いではない。

 はっと見れば、相手はとても日常生活で着るとは思えぬ、粗末な衣を着ていた。その布地には、濃厚な腐臭を放つ汁がしみている。

 肌は生きているとは思えぬ灰色で、ところどころ崩れて破れている。傷口に見える赤黒いものは、腐肉であろうか。

(まさか……まさか!?)

 徐福の顔が、みるみる青ざめていく。

 確かめたくない、だが確かめなければ。

 徐福は相手が動かないように体で押さえつけ、そっと衣の中に手を潜り込ませた。

 妙に柔らかい、気持ちの悪い感触を伝えてくる胸は、ぴくりとも動かない。呼吸も脈も、全くない。

 徐福の目が、驚愕に見開かれた。


(こいつは、生きていない!!)


 気が付けば、徐福は転がって距離を取っていた。

 こいつは、心臓も肺も動いていない。確実に死んでいる。しかも体中が腐り始めている。死んでから、かなり日数が経っているはずだ。

 それでも、動いている。

 これは一体、どういうことか。

 尸解仙になったのなら、生きているはずだ。

 仙人は不老不死の存在、つまり生きている。気血ともに満ち溢れ、普通の人間と同じかそれ以上に生気をみなぎらせているものだ。

 しかしこいつは死んでいる。

 おそらく、仙人ではない。

 ならばこいつは、一体何なのか。

 混乱する徐福の前で、そいつはゆっくりと起き上った。そして今さら気がついたように、徐福の方に顔を向ける。

 その顔を見た途端、徐福は心臓が縮み上がる思いだった。

 向けられた目は、死んだ魚のように白く濁っていた。鼻からは汚い汁が漏れ、唇が半ば溶けた口には蛆がわいている。

 冥府から這い出た幽鬼の如く、おぞましい姿だった。

「う、ああ……わああああ!!!」

 悲鳴が、喉を突き破って飛び出した。

 こんなものは、仙人ではない。仙人であってたまるか。

 これを仙人と呼ぶならば、なりたい訳がない。

 腐敗してなおも動き回るなど、意識があってもまっぴらごめんだ。それに腐って蛆に食われているということは、不滅では有り得ない。

 これはただの死体、いやもっと恐ろしい別の何かだ。

 死んでなおも歩き回る、人智を越えた化け物の類だ。

「くそっ冗談ではない!!」

 徐福は、短剣を構えたまま後ずさり始めた。

 こんな化け物がいるとは、想定外だ。

 だがよくよく考えてみれば、不可思議な現象は何が原因か分からないのだ。化け物が原因の現象を、仙人と取り違えていてもおかしくない。

 これまでそんな記録にもそんな化け物にも出会わなかったため、油断していたのだ。

 この化け物は、自分をどうする気だろうか。幽鬼に出会った人間は、多くが祟られて死んでしまうと言われている。

 こいつは既に死んでいるのだから、短剣が効くかどうかも分からない。

 徐福は、思わず死を覚悟した。

 これまでの探求の旅の中でも、こんなに死を身近に感じたことはなかった。

 今目の前に立っているのは、まさに死なのだ。

 ……しかし、予想に反してそいつは襲ってこなかった。徐福のことを認識しているのかいないのか、ぼんやりと立っているだけだ。

(……これは、逃げられそうか?)

 一瞬の判断で、徐福は林の中へ身を翻した。

 回転する視界にチラリと映ったそいつの足は、靴を片方しかはいていなかった。


 どこをどう逃げたのか、徐福は小さな川の側に来ていた。

 あの殯屋と化け物からは、だいぶ離れたはずだ。

 化け物を前にして、自分は悲鳴を抑えられなかった。だからその悲鳴を聞きつけて、島の住民が来るかもしれない。

 その意味でも、殯屋からは離れるのが望ましい。

 距離を取ったうえで、とにかく今は頭の整理をして休みたかった。

(……あの化け物は、一体何なのだ?)

 川で手を洗いながら、徐福は考えた。

 あれは見た所、ただ人間の死体が動いているようにしか見えない。体の一部が獣のようになっているとか、人間にはない器官があるとか、そういう妖怪の特徴はない。

 おかしいのは、動いていること。その一点だ。

 それ以外に、殯屋に置いておく死体と違うところはない。

(そう言えば、やはりアレはあの殯屋から出たものか?)

 落ち着いてくるにつれて、化け物の姿が思い出される。

 あの化け物は、まさしく棺に入れられる時の格好をしていた。それに、片方しかはいていなかった靴……棺の中にも、靴が片方だけ残されていた。

 棺から出るときに、蓋にでも引っかけて脱げたのだろう。

 尸解仙の伝説によくある棺の中に残された衣類とは、このことだったのだ。徐福は、妙に納得した。

(……だとしたら、おそらく仙人はいないな。

 いるのはあの化け物と人間だけだ。

 ……ここは、さっさととんずらした方が良さそうだ)

 手についた腐汁を洗い流しながら、徐福は恐怖とともに判断した。

 島の者はおそらく、あの化け物が起こす現象を仙人だと宣伝しているのだろう。これは暴かれては困るので、厳重に隠しておくはずだ。

 しかし……徐福は、それを暴いてしまったのだ。

 島の者が徐福をどうするかは、想像に難くない。

 だが、ここから逃げるための道は、分からないままだ。穏便に帰ることは、もうできそうにないし、船を手に入れて闇雲に海に出ても漂流するだけだ。

(逃げたい時に限って、逃げ道なしか……やれやれ。

 これは何としても、弱みを握らねばな)

 目標を決めると、少しは恐怖が薄らいだ気がした。

 それでも心にこびりつく怯えを洗い流すかのように、徐福はごくごくと水を飲んだ。張りつめた心と体を冷ますように、夢中で飲んだ。

 そして一息ついて顔を上げると、自分の隣に足が見えた。

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