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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第二十八章 正体
141/255

(140)

 後宮の検査ということで、男子禁制の後宮を取り仕切る彼が久しぶりの登場です。

 中国の歴史の中で、鄭和と蔡倫以外の例の奴らが出てくると嫌な予感しかしない。


 そして、検査結果を見た韓衆は、徐福にある進言をします。しかし今の感染状況において、その進言が意味するところは……。

 その日は朝から、後宮がてんやわんやになっていた。

 美しく飾りたてた妖艶な美女たちが、がやがやと騒ぎながら一列に並ぶ。

「ちょっと、陛下がいらっしゃる訳でもないのに一体何なの?私たちは日々陛下のために美を磨くのに忙しいのよ!」

「え、いきなり何……血を採るですって!?

 そんな事して、わたくしたちの肌に傷が残ったらどう責任を取るおつもり!?」

 突然の痛みを伴う強制に驚き嫌がる美姫たちを、男らしき者が妙に甲高い声で黙らせる。

「静粛に、これは陛下のご命令でございますぞ。もし拒否する者あらば隠し事ありとして斬首してよいとのお達しでぇす!

 これからも陛下に寵愛をいただきたかったらぁ?神妙にお受けなさぁい!」

 男らしき者というのは、こいつを男と呼んでいいか定かでないからだ。

 そもそも、後宮に皇帝以外の男は入れない。もしここの姫妾たちが他の男の子を孕んだら、大問題になるからだ。

 だから入れるのは、孕ませる機能を失った元男のみ。

 そういう訳でここを取り仕切っているのは、男の象徴を切り落とされた元男……宦官と呼ばれる者たちであった。

 その宦官の中でも公子の教育係という大役を任されている趙高も、監督役としてこの採血に加わっていた。

「んん~、これなら滞りなく終わりそうです。

 やはり陛下のご命令とあらば、逆らう者はおりませんね。

 ……皆さまそこまでして陛下のお子を欲しがるのも納得です」

 後宮の姫妾たちは皆、何とかして皇帝の種を受け子を生もうとする。なぜなら、その子が次の皇帝になれば母親は絶大な富と権力を手に入れられるからだ。

 皆、我が子に夢を見ている。

 そして皇帝自身も、子を増やすために数多の女を組み敷く。自分の血筋を、あまねく地上に広げるために。

 それを思うと、趙高は軽く唇を噛んだ。

(全く、羨ましい限りですねぇ……出世と引き換えに捨てたこととはいえ)

 趙高たち宦官は、もう子を残すことができない。

 しかし、だからこそこうして普通の男が入れない場所に入って権力に近づけるのだ。趙高も、そのためと割り切って男を捨てた。

 とはいえ、そうして得られる栄華は一代限り。

 人の定めとして死が訪れたら、それで終わり。

(もし、その定めを覆すことができたら……不老不死……)

 趙高は、最近始皇帝が頻繁に呟いている言葉を心の中に浮かべた。

 そんなものがあるはずないと思っていた。そんなものはいくら手を伸ばしても届かない、幻だと思っていた。

 しかし最近、もしかしたらと思うことがある。

 少し前から始皇帝が目をかけている方士たちが、最近特に派手に動き始めた。よもや、本当に不老不死が手に入る目処がついたのか。

 このいきなりの採血だって、その方士の願いだという。他に意味があるとは思えないし、間違いなく不老不死に関わる何かをしようとしているのだろう。

 だが、きっとそれは自分の手に入らない。

 自分が採血の対象になっていないということは、かやの外にいるのだろう。

(ああ……何と残酷な!私のような者にこそ、不老不死は必要なのに……。

 もし……もしもこの手を少しだけ伸ばして、それが手に入るなら……!)

 心の底でずっと望んでいたものを前にして、趙高は焦がれる程の渇望を覚える。何としても欲しいと、思ってしまう。

(あの二人が秘している不老不死の術……何とか手に入れられないものでしょうか)

 キャーキャー騒ぐ若い女たちを前に、趙高はどす黒い嫉妬と欲望を覚える。

 始皇帝にはこいつらと子供たちがいるからいいじゃないか。代わりに自分たちが不老不死になるべきだろう、と。

 後宮で起こったこの騒ぎは、宦官たちのそんな後ろ暗い興味を引くのに十分であった。


 それからしばらく、地下は検査で大忙しだった。

 後宮から届いた姫妾たちの血で検査を行い、それと並行して後宮ごとの姫妾たちの名簿を作っていく。

「しかし、まさか陛下が手をつけた者まで教えていただけるとは……」

「余程あなた方を信頼してのことでしょう。あなた方に任せておけば全てうまくいくとまで、思い込んでいるようですな。

 その分、だまされたと知ればどうなるか分かりませんが……」

 首尾よく情報を入手してきた盧生と侯生に、韓衆はまた嫌なことを言う。

 侯生は、あからさまに嫌な顔をして言い返した。

「資金や表面上のことはともかく、不老不死についてはだます気はないと言っておろうが!

 我々は他の詐欺方士共と違い、こうしてきちんと研究を進めている。不老不死の作り方が分かれば、真っ先に陛下に捧げるつもりだ」

「作り方が分かれば……分かるところまでいけるのですか?

 今こんな状態で」

 韓衆はそう言いながら手元に目を落とし、検査の結果を確認する。

 手元の白い皿に入れられた検査液は、鮮やかな朱色に染まっている。

 これは、後宮で採血してきた検体の一つだ。それがこの色になったということは、やはり後宮で尸解の血の感染が広がっていたのだ。

 しかも、赤くなったのはこれだけではない。侯生の手元に置かれた検査液も、五つのうち一つが同じ色に染まっている。

 盧生が、姫妾たちの名簿を見ながら言った。

「間違いない……陛下があの儀式以降に抱いた女だ。

 悔しいが、おまえの仮説が合っているようだ」

 検査で感染が分かった女は、名簿と照合して始皇帝が感染してから手をつけたかどうか確認する。

 すると、案の定感染している女は全てその条件に当てはまった。

 これで、韓衆の仮説が正しいと証明された。

 尸解の血はその人や民族固有の体質ではなく、血と傷と交合を通じて感染する病。大陸人にも難なく感染し、広まっていく。

 ただし交合では必ず感染するとは限らないらしく、始皇帝に抱かれながらうつらなかった者も半数近くいた。

 それから、どうも母子間では乳でも感染するらしく、始皇帝の感染以前に生まれた子でも母が感染していれば子も感染していることがあった。

 この後宮検査は、思った以上の知見をもたらしていた。

 もっとも、それが突きつけてくるのは想像通りの悪い現実だが。

 さらに、その悪い現実を裏付けるもう一つの結果が届いた。

「蓬莱から、検査の結果が届いた。

 まあ何と言うか……予想通りだな。元からの島民と交わった者に、九割がた感染がみられる。安期小生が相当慌てふためいておるようだ」

 蓬莱の検査結果も、後宮と同じようなものだった。ただしこちらの方が尸解の民と交わった期間が長いためか、感染率がぐっと高い。

 ということは、後宮も放っておけばこうなるということだ。

「で、どうなさるおつもりですか?このままでは、感染者も人食い死体が発生する危険も増す一方ですが」

 この結果を見て、韓衆は徐福をにらみつけて問う。

 悪意がなかったのは認める。しかし、結果は結果だ。

 始皇帝にうつした尸解の血は今や後宮にばらまかれ、その病を宿した女が何食わぬ顔で闊歩している。

 もし今後宮に天然痘が発生しようものなら、世界の危機はすぐにでも訪れる。

 特に、後宮は美貌を重視するゆえに痘痕のない……天然痘にかかったことのない女が多い。ひとたび持ち込まれれば、あっという間に広まるだろう。

 加えて、男が入れないという特性上、人食い死体が発生した時に迅速に制圧できる武力がそこにない。

 一人も人食い死体が出ればその後宮は瞬く間に死者に制圧され、飢えた美女の死体が大量にあふれ出ることだろう。

 咸陽には多くの兵がいるが、事情を知らない彼らが正しく対処できないのは前の暴動の件で証明されている。

 つまり、運が悪ければすぐにでも世界は終わる。

「言い訳はいろいろありましょう。

 しかし、この状況を招いたのは間違いなくあなたです。

 あなたは世のため人のためこの研究をしていると言いました。では世のため人のため、この状況をどうなさるおつもりですか!?」

 噛みつくように問い詰められて、徐福は歯切れが悪いながらも答える。

「……できる限り、陛下と後宮周辺の人の流れを少なくして他への感染を抑える。

 これは盧生と侯生がもう李斯に話をつけてくれたことだが、女の管理をしやすくするために小さな離宮にいる女も主な七か所に合流させるそうだ。

 それから女の移動を禁じ、今後宮にいる女はそこから出さぬ。

 これで、市中への感染は防げるはずだ」

「そうですか、時間稼ぎでしかありませんね」

 韓衆の評価は、辛らつだった。

 当たり前だ、これでは根本的な解決になっていない。危険を増やさないだけで、消し去ることはできない。

「小生が聞きたいのはですね、どうやってこの危険をこの世から消し去るかです!

 今さらいくら感染を防いでも、感染者が残っている限り危険は残り続ける。

 それを消し去るには、もうこの研究と産物を全て破棄してなかったことにするしかないでしょう!

 その覚悟はあるのか、と聞いているのです!!」

 韓衆としては、もうこんな研究自体を捨て去るべきだと思った。

 理想も信念も手段も、まっとうな研究に含まれるとは思う。しかし研究に伴う犠牲が多すぎるうえに、生まれた危険は最悪だ。

 だったらもう不老不死なんて諦めて、全てなかったことにした方がいい。進歩はしないが、平穏を取り戻せる。

 そして、徐福ならそれを理解して決断してくれると思った。

 ……が、徐福は首を縦に振らなかった。

「立派だな。俺もそれができたらいいなと思っていたところだ」

「でしたら、すぐにその手を打ち……」

「しかしおまえ、忘れてないか?

 研究と産物を全て破棄するということは、治療法も見つからぬということ。その場合、感染者はもちろん皆殺しにすることになるが……。

 おまえに、陛下を殺す覚悟はあるのか?」

 その瞬間、韓衆の世界が揺らいだ。

「あっ……!!」


 そう、危険を全て取り除いてなかったことにするとは、そういうこと。

 感染者はこの大帝国の頂点に立つ始皇帝と、その側で厳重に囲われている姫妾たち。そこを、本人の命もろとも取り除くということ。

 それに気づくと、周りにいた者たちは誰も何もしゃべれなくなった。

 確実に危険をなくすため、他ならぬ始皇帝の敵となるか。

 偉大なる始皇帝を守って、世界の安寧を運に任せるか。

 研究は今、大きな岐路に立たされていた。

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