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1-5.蒼天の下で

最後の展開をいじってたら、ちょっと(六時間)だけ時間がかかってしまった

 運命の、朝。

 栄祝学園の入学式に向かうトウヤは、空を見上げ、チッと舌打ちして、毒づいた。


「クソったれな空だ」


 雲一つない、抜けるような蒼天。

 なぜだかそれが、腐っている自分のあてつけのように感じられて、トウヤは空をにらみつける。


 ――いや、本当は分かっている。


 天気なんて、関係ない。

 ベイスボールを失ったあの日から、トウヤにとってクソったれ(・・・・・)ではない日なんて一日たりともないことは。



「――今日も、最低の一日になりそうだぜ」



 誰にともなく吐き捨てて、トウヤは歩き出す。


 その先に待つ、彼の人生すら変える出会いも知らずに……。




 トウヤの退部からほどなく。

 元々素行のあまりよくなかったベイスボール部の部員が問題を起こし、ベイスボールはあっさりと廃部になった。


 誰かが情報を歪めたのか、なぜだかベイスボール部が廃部になったこともトウヤに原因があるとして、さらにクラッシャーの悪名が広まったが、その事実もトウヤの心に波風を起こすには足りなかった。


 カガミと決別し、ベイスボール部とも袂を分かったトウヤは、ベイスボールから逃げるように受験勉強に没頭した。

 もともと物覚えがよく、勉強も苦手ではなかったトウヤだ。

 スタートこそ遅かったものの、それなりの進学校も選択肢に入れられるほどには学力は上がった。


 彼が選んだのは、家から近く、何より付近にある学校の中では一番ベイスボール部が弱いと言われる、栄祝学園高等学校。

 あまり受験に対して思い入れがなかったせいか、本番になっても緊張とは無縁だった彼は、見事に試験に合格。

 スムーズに栄祝学園への入学を果たした。


 そんな彼だから、もちろん、栄祝学園のベイスボール部のマネージャー、ミユキにベイスボール部へと勧誘された時、断るつもりだった。

 しかし、「まずは見学しに来ませんか?」と誘うミユキの言葉に、彼はなぜか首を縦に振ってしまっていた。

 ただ、少しだけ、ほんの少しだけ、期待をしてしまったのだ。


 ――もしかするとここには、オレのボールを受けてくれるキャッチャーが、いるんじゃないか。


 そんな夢みたいな、とっくに諦めたはずの期待を。




 しかし、その結果は、散々なものだった。


 栄祝学園ベイスボール部。

 彼らはトウヤの10%の力にもついてこれなかった。

 先輩のはずの彼らはトウヤを侮った挙句、全員が為す術もなく彼のボールに打ち倒され、チームの四番打者という男に至っては恐怖のあまり逃げ出すという醜態を見せた。


 そもそも優れたベイスボーラーなら、相対したベイスボーラーの実力を、五感ではなくその肌で感じ取ることが出来る。

 トウヤの実力を見抜けず、キャプテンが吹き飛ばされるまでトウヤを見下していたのが彼らの能力の低さを証明していた。


 ――何で、何でオレがこうやって苦しんでる間に、コイツらが、こんなヤツらがのうのうとベイスボールをやってんだよ!


 理不尽とも言える怒りが胸を焼き、トウヤは未練がましく淡い期待を持ってしまった自分を強く呪った。 


 ……だが、予想外の収穫もあった。


 部員たちが倒れ、最後に残った一人。



「――まだ、私が、いる!」



 そう叫んでトウヤの前に立ち塞がったマネージャーのミユキの身体から一瞬、立ち上る陽炎のようなオーラが見えた気がしたのだ。


 普通の人間には理解出来ない感覚のため、あまり一般に知られている話ではないらしいが、ある一定の能力を備えたベイスボーラーは相手から立ち昇る意志をオーラとして視ることが出来るようになる。

 意識してのことではないだろうが、ミユキから一瞬でもそれが視えたということは、彼女もすでにその領域に足を踏み入れかけているということになる。


 ――白いオーラ、か。初めて見るな。


 ベイスボーラーが纏う「気」。

 投手であれば「投気」、打者であれば「打気」と呼ばれるそれは、その人物固有の色や性質を持つ。

 そしてそのオーラの性質には、その人物の性質がそのまま反映されていることが多い。


 ――おもしれぇ。


 ミユキの見せた、トウヤにとっても初見のオーラ。

 それは「投気」とも「打気」とも微妙に趣きを異にしていた。

 だから、トウヤは最後の相手に、ベイスボール人生最後の相手に、彼女を選ぶ。


 ――これで、最後だ。だからオレも、本気で行く。


 半ば以上に自暴自棄になっていたことは否めなかった。

 トウヤの「本気」をぶつければ、彼女が無事で済まないことも、分かっていた。


 それでも、本気の彼女にぶつかるにはこちらも本気になるしかないと思っていたし、今も胸を焼く焦燥を吐き出す術を、トウヤはそれしか知らなかった。

 逃げ出した四番バッターの替わりにそこらにいた気に入らない目つきのガキを打席に立たせ、ミットをつけたミユキと向かい合う。


 そして、運命の一投。

 投球フォームに入った彼は、バッターボックスのひょろっとした少年がよろめいたのを目にした。


 まあ、無理もない。

 あの少年がバットを振るのを見たが、てんでなっていなかった。

 バットを振り回すどころか、完全にバットに振り回されていた。


 おそらくバットの重さに耐え切れず、つい身体が傾いだとか、そんな事情に違いない。

 そう、トウヤの理性は判断していた。

 していたはず、なのに。


 ――ゾクッ!


 トウヤの背筋に、悪寒が走った。

 それは、ベイスボーラーとしての、ピッチャーとしてのトウヤが培ってきた、勝負勘。


 中学時代、エースとして登板していた時、相手の打者に打たれる時と同じ感覚。

 このままではまずいと、本能が発する危険信号。


 だが、トウヤはそれを無視した。


 ――やれるもんなら、やってみろ!


 ベイスボーラーは、ベイスボーラーを知る。

 だが、トウヤはその少年からは、一切、何も感じなかった。

 にじみ出るオーラ、「打気」はもちろん、トウヤに手も足も出ずに負けたベイスボール部員たちですら持っていた、ベイスボーラーらしさ(・・・・・・・・・・)すらその少年とは無縁だった。


 そんなガキが、それも、ボールを前に震えて、今は目を瞑ってしまっているような相手が、中学の名だたるベイスボーラーたちをねじ伏せてきたこの球を捉えられるはずがない。



 ――しかし。



 これもまた結果的に言えば。

 正しかったのは、トウヤの理性ではなく、投手としての嗅覚だった。


「なん、だ、と……」


 まるで吸い込まれるようにバットにぶつかり、音もなく打ち上げられるボール。

 それが綺麗なアーチを描いて自らの頭上を越えていくのを呆然と目で追ってから、トウヤは気付いた。


 ……トウヤが悪寒を覚えた、あの時。


 少年は、よろめいた訳ではない。

 バットを、振ったのだ。


 目を、瞑ったまま。

 それも、トウヤが投球フォームに入るからだ。


「……なんだよ、そりゃ」


 トウヤにだって、理屈としては、分かる。


 トウヤの球は、速い。

 それはもう、高校生のレベルを超えて、圧倒的に。

 これは技術的というより物理的なレベルの話で、素人のスイングスピードでは、球が投げられてからバットを振ったのでは100%間に合わない。


 それにトウヤの球は「ミユキの構えたミット」を目標としていた。

 相手のバットが振られているからといって、直前でコースを変えたりはしない。


 だが、だからといって。

 一度も見たことがないはずのトウヤの「本気」の球にタイミングを合わせ、目を瞑ったままボールに当てるなんてことが、果たして可能なのか。


「めちゃくちゃ、じゃねえか」


 それにもう一つ、異様なことがある。


 トウヤを打ち負かしたこの少年は、よろよろとした危なっかしいフォームのまま、バットを振りきった(・・・・・)

 その動作、フォームは、最初から最後まで、対決の前に行った素振りとほぼ寸分違わず同じだった。


 つまりそれは、10%の力でさえベイスボール部の巨漢を吹き飛ばしたトウヤの球の威力の影響を、全く受けていなかった、ということになる。

 常識では考えられない事態。


「なんで、だ?」


 思わず、トウヤの口から疑問の声が漏れた。

 答えを期待してのものではない。


 だが、トウヤと向き合う少年、ヨシトは、静かに答えた。



「――ボールの、声が聞こえたんだ」



 それは、トウヤが予想もしていなかった言葉だった。


「ボールの、声?」


 ベイスボールをするようになってから眉唾な話はいくつも聞いたが、これは極めつきだ。

 そんな意味の分からない話は聞いたことはない。


 あるいは、何かの比喩表現だろうか。

 ますます混乱するトウヤに、少年は淡々と口を開く。


「本当は、怖かったんだ。ピッチャーの前に立つのが、また、ベイスボールに関わるのが。

 でも、その時、ボールの声が、そのボールが、叫んでいるのが聞こえたんだ。

 ――タスケテ、って」


 ――なんだ、そりゃ。ボールが、助けを求める?


 とんでもない電波ヤロウだと笑い飛ばそうとして、失敗した。

 あまりに真剣な少年の顔に、そしてトウヤを見る少年の瞳に、自分と同じ痛みが存在しているような錯覚に、トウヤの口は凍りついてしまったのだ。


 ――ふざけんな! コイツとオレが、同じはずなんてない!


 なぜか萎みそうになる怒りを振り絞り、トウヤは精一杯に毒づく。


「ハッ! つまりアレかよ! お優しいオマエは、オレに捕まって苦しんでるボール様のために、わざわざやってきてオレの球を打ったって?

 そんな話、信じられるハズ……」


 馬鹿にするようなトウヤの言葉に、しかしヨシトは静かに首を振った。


「違う、よ。もしそうだったら、僕はこんなとこに立ってない」


 そうして彼は、スッとその手を上げ、告げた。


「『声』が助けてほしいって言ってたのは、自分のことじゃない。……君だよ」

「オ、レ……?」


 ヨシトは、今度こそうなずいた。

 目を閉じ、今まさにボールの声を聞いているかのように、語り出す。


「苦しいんだって、一人じゃどうしようもないんだって、だから助けてあげてほしいって、そう言ってたんだ」

「なっ……!」


 その言葉が脳に染み入るにつれ、トウヤの視界が怒りに真っ赤に染まる。

 トウヤの胸を、今まで感じたことのない怒りが塞ぐ。


「ふざ、ふざけんな! オレは、オレはそんなの、オレはぁっ!!」


 それは、馬鹿にされたとか、嘘をつかれたとか、そんな表層的なことに対する怒りではない。

 むしろ、その逆。

 見透かされた、心の奥底を覗かれたと感じたことによる、半ば本能的な苛立ちと畏れだった。


 そんなトウヤに、同情するでも、反発するでもなく、ヨシトはただ、呟く。


「分からない。僕にだって、全然分からないよ。

 ……ただ、なんでだろうね。ここで逃げ出したらダメだって。

 そんなんじゃ僕も、君も、誰も救われないって、そう思ったんだ」


 ヨシトはそこで初めてミユキを振り返ると、彼女に向かって手を差し出した。


「え、あの、きみ、は……」

「……ミット。貸してください」


 戸惑うミユキからキャッチャーミットを受け取ると、不器用な手つきでそれをはめる。


「だから、今度は僕が受けるよ。今度こそ、逃げずに、まっすぐに」


 ぎこちなくミットを構え、ヨシトは正面からトウヤを見つめた。

 見様見真似の姿勢は今にも崩れそうで、ミットを構える手はいまだに小刻みに震えている。

 10%と言わず、ほんの1%の力だけでたやすくなぎ倒せそうな、その頼りない姿。


 なのにその両の目には、トウヤの胸を熱くさせる、何かがあった。


「……分かった」


 だからトウヤは、それに賭けることにした。


「ト、トウヤ君、待って!! 彼はただの……」


 我に返ったミユキが止めようとする、その気配を察して、


「そうだな。ソイツはただの見学者の一般人だ。

 そして、この場で唯一、オレの球を捉えたベイスボーラーでもある」

「……っ!」


 トウヤは先回りするようにそう言い放って、ミユキの言葉を封じる。


「なら、本気で行くぞ。どうなったって、オレは責任を……」

「――ダメだ」


 覚悟を決めたトウヤの言葉を、ヨシトは遮る。


「テメエ、ここにきて今さら怖気づいたとか……」

「『本気』じゃ、ダメだ。『全力』で来てくれないと、ダメだ」


 その静かな迫力に、トウヤは数瞬、確かに気圧されていた。

 吹けば飛ぶような、どこにでもいるような同年代の少年に、クラッシャーと呼ばれた元エースが。


 だが、すぐにその表情から怯えは消え、代わりに獰猛な、いかにも楽しげな笑みが浮かぶ。


「本当に、いいんだな? オレの『全力』はオレにも制御出来ない。

 テメエはオレの球が、怖くねぇのか?」

「怖いよ。本当を言うと、今すぐに逃げ出したい」

「だったら……」


 でも、とヨシトは笑った。

 儚げで、でも爽やかな、気持ちのいい笑顔を作って、こう言った。


「信じてる、いや、信じたい、から」

「ハッ! さっき会ったばかりの、こんな惨状を作り出したオレを、か?

 そりゃ、ずいぶんおめでたい――」

「違うよ。僕が、信じるのは……」


 そう言って、ヨシトが示したのは、トウヤの左手。

 そこに強く握られた……。


「……ボール、か。ハハッ。オマエは筋金入りだな。

 本格的に、いかれてやがる」


 ――だが、そういうのは、嫌いじゃない。


 トウヤは口には出さず、胸中だけで呟くと、ボールを握りしめた。


「テメエ、名前は?」

「……ヨシト」


 ためらいながらも名乗ったその名前を胸に刻むようにうなずいた後、トウヤもまた自らの名を口にする。


「オレはトウヤだ。覚えとけ」

「トウヤ……」


 ヨシトもまた、その名前を小さく口の中で唱え、そしてそこからはもう、言葉は必要なかった。

 無言でマウンドを踏みしめるトウヤの瞳に、かつてないほどの熱い炎が宿る。


「あっ……」


 途中から傍観者と成り果てたミユキの口から、驚きの声が漏れる。


 トウヤの身に纏う、今までとは比べ物にならない激しさで燃え盛る炎。

 その威容に呑まれた彼女はペタンとその場に腰を落としたのだが、もはやそれを顧みる者はいない。


 トウヤも、ヨシトも、もはやお互いの存在以外を認識すらしていなかった。


「あ、ぁああああ!」


 トウヤの口から、獣のような呻きがこぼれる。


 限界を超えた肉体の行使。

 それに伴う痛みに無意識にあげた声だったのだが、当の本人はそれを関知していなかった。



 ――ただ、全力。



 今の「トウヤ」という存在を、その一球に懸ける。


「受けられるもんなら、受けて、みやがれ!」


 行動を制限する服装も、慣れないグラウンドも、本格的な練習から離れていたブランクも、関係ない。

 トウヤは力の限りに大きく腕を振り、そして、



「――これがオレの、全力だぁああああああ!!」



 生涯で、最強最高の一球を、放つ!!



「――ッ!!」



 その球は、まるでレーザーのような軌跡を残し、一直線にヨシトへと飛んでいく。


 風を纏い、描かれる天使の翼。


 だがその速度は風を、音を、そして生み出された翼すら、置き去りにする。



 ――会心の、一投。



 疑いようもなく、トウヤのベイスボール人生における最速、最強のボールは、全てを置き去りに、飛んで、飛んでいく。

 そうして一筋の閃光となったそれは、その終着点に、構えられたヨシトのミットに……。



「――あっ!」

「――ふぇ?」

「――は、ぶっ!?」



 ……は、かすりもせずに通り過ぎ、「ボグォ!」と実にリアルな鈍い音を立てて、ヨシトのみぞおちにめり込んだのだった。






 ――や、やっちまったぁあ!!


 いくら速度の面で今までのベストボールだからといって、コントロールまでが完璧な道理はない。

 みぞおちを押さえたまま動かないヨシトの姿に、流石のトウヤの顔からも血の気が引いていく。



「内臓破裂」「緊急搬送」「心肺停止」「緊急逮捕」「未必の故意」「スクープ! 堕ちた元ベイスボール少年、白昼の凶行!! 凶悪犯を育てた中学時代の闇!!」



 冷静な思考は頭の中を通り過ぎ、不吉な単語ばかりがその脳裏を駆け巡る。


「き、君! 大丈夫!? は、早くマッサージを……!」


 いまだ混乱気味のミユキも慌てて駆け寄り、治療を施そうとする。

 だが、それよりも、ほんのわずかに早く、


「あ……」


 ヨシトの身体が、動く。


 そして、錆びついたまま油を差し忘れたロボットのように、ギクシャクとした動きで、ゆっくりとボールを拾い、顔を、上げて。

 目に涙を浮かべ、今にも泣き出すのを堪えているような、情けない顔で。

 今にも消えそうな震える声で、トウヤに言ったのだ。




「――も、もう一回。次は、絶対捕るから」




 と。


 それを耳にした時のトウヤの気持ちを、どう表現すればいいのだろう。

 言葉にならなくて、息が詰まってどうしようもなくて、



「あ、はは! あははははははははっ!!」



 トウヤは、笑い出した。

 今まで生きてきて、こんなに愉快な気持ちになったことはなかった。


「ちょ、ちょっ! いくらなんでも、そんなに笑わなくても……!」


 憤慨するヨシトの声が、トウヤの耳に届く。

 それでも、


「あははは! あはははははははははははははは!」


 トウヤの笑い声は、止まらない。

 むしろますます大きくなっていく。


 それは、みぞおちを押さえたヨシトの仕種があまりにもコミカルでハマっていたからでも、今にも泣きそうな顔で強がるヨシトがおかしかったからでも、もちろんない。

 ただ、ただトウヤは、嬉しかったのだ。



「ベイスボールは、一人では出来ない」



 プロアマを問わず、ベイスボール関係者の中ではよく使われる常套句だ。

 しかし、その本当の意味を、トウヤはやっと理解出来た気がした。

 だって、ようやく見つけたから。



 ――オマエ、だったんだな。


 ――オレがずっと、捜し続けていたのは。


 ――ただの破壊者クラッシャーだったオレを、ベイスボーラーにしてくれるのは。


 ――オマエ、だったんだ。



 それは、ヨシトがトウヤの球を受けられる能力の持ち主だから、というだけではない。

 ヨシトは、この頼りなくてつかみどころのない、訳の分からない少年は、トウヤが一番欲しかった言葉をくれたのだ。


 あんな目に遭って。

 今にも泣きそうな、痛みを堪えた涙目で。

 それでもトウヤに向かって、言ったのだ。



 ――もう一回、と。



 それはとてもシンプルで、とても力強い、呪いの言葉だ。


 だってそれは、ピッチャーとしてのトウヤを求める、とても単純な想いを載せた言葉だから。

 だってそれは、トウヤが心の底からずっと望んでいた、最高の祝福の言葉だから。


 だからそれは、トウヤを縛りつける。

 ヨシトという存在に、その身を呪縛する呪い(・・)となる。



 もちろん、ヨシトがその言葉を口にしたのは偶然かもしれない。

 いや、偶然、だろう。


 ただヨシトが負けず嫌いで、失敗してしまったキャッチングをやり直したかっただけ。

 そんなことは分かってるし、そんなのもう関係ない。


 ――もう、決めてしまったのだ。


 今さら泣いても笑っても、逃がしはしない。


「……ふざけんじゃ、ねえぞ」


 気付けばトウヤは、ヨシトを見ていた。


「もう一回なんて、ふざけんじゃねえ」


 ヨシトをにらみつけるように見て、口を開いていた。

 そしてヨシトは、そのどうにも頼りなくてどうにも鈍いトウヤの相棒・・は、やっとトウヤの異変に気付く。


「え? トウ、ヤ? もしかして、泣いて……?」


 今さらに驚いて慌て出すが、そんなの知ったこっちゃない。

 ただただ一方的に、宣言する。



「――これからオマエには、もう何万回、いや、何十万回でも、何百万回でも、オレの球を受けてもらうんだからな」



 言った。

 言って、やった。

 そう自覚した途端、あの日(・・・)からトウヤの胸に居座っていた何か重いものが、綺麗さっぱり取れたような気がした。


「え、え? あの、えぇ……!?」


 突然の言葉に狼狽するヨシト。

 それを心底愉快に感じながら、トウヤは空を見上げる。


 瞳から溢れる熱い滴が、せめてこれ以上、こぼれないように。


「ちく、しょうが……」


 にじむ視界に映るのは、雲一つない、抜けるような蒼天。

 そんな、どこまでも続く青い空をにらみつけながら、トウヤは毒づいた。


「――最高の一日に、なっちまったじゃねぇか」





 かくして、ベイスボールに捨てられた少年と、ベイスボールを捨てた少年は、運命の邂逅を果たし、止まった時間は再び動き始める。

 彼らの前に何が立ち塞がり、その道は一体どこへつながっているのか。


 ――それは運命と、白いボールだけが知っている。











ニッタ「……あの。もしかして俺、忘れられてない?」

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