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1-1.出会い

 始まりは、中学時代からのヨシトの悪友、ニッタの言葉だった。


「やっぱさぁ。高校生って言ったら部活じゃん? んで、部活に入るなら断然ベイスボール部だと思うんだよな」

「ベイス、ボール部?」


 ベイスボールとは、野球を前身とする超世界的な人気スポーツだ。

 全世界で圧倒的な人気を誇るスポーツだった野球だが、一方でそのルールは現代の事情にそぐわないものになりつつあった。


 信じがたいことに、当時の野球には毒物や科学兵器の使用に関する制限が何もなく、現代でも不正行為の筆頭にあげられる、ベンチからのテレキネシス的行為に対する対策すら一切盛り込まれていなかったのだ。

 特に、試合中の核兵器の使用を制限するルールが全くなかったことは、現代の常識から言えば無知を通り越して無謀とさえ言えるだろう。


 それ以外でプレイする上での問題点としてあげられたのが、公式規格のボールやバットがあまりにも脆すぎるという事実だ。

 何しろ当時のボールやバットは、たった数万トンの圧力や、ほんの数千度の熱にさらされただけで破損するお粗末なもの。

 それではプロはおろか、高校生すら全力でのプレーは望めない。


 また、優秀な空手マスターであればバットよりも素手でボールを打った方が効率よく球を飛ばすことが出来るのは自明と言う以前の問題でもあるし、現代ベイスボールにおいては割とポピュラーなバット二刀持ち、三刀持ちについても考慮がされておらず、全体を通して時代錯誤感があることは否めなかった。


 そういった不満が積み重なった結果、全世界的に大きなルール変更が起こり、この余波は当然ながら日本にも波及。

 その際に日本での競技の呼称が「ベイスボール」に統一されることになった、という背景がある。


 超一流のベイスボールプレイヤーの年俸は百兆を越え、有名球団の主力選手ともなれば、その発言力は一国の首相をも凌駕する。

 そのためにベイスボールは世界でもっとも花形のスポーツ、時には「総合スポーツ」などとも呼ばれ、今では競技人口五十億人を超えると言われる一大スポーツへと進化した。


 そういう意味では、軽薄なところのあるニッタがベイスボール部への入部を望むのもそうおかしなことではないのだが、


「ニッタはどうせ、ベイスボール部に入って女の子にキャーキャー言われたいだけだろ」


 何しろ長い付き合いだ。

 ヨシトはニッタの性格を知り尽くしていた。


「……はぁ。お前は分かってないなぁ」


 だが、ニッタはちっちっち、とやけに苛立つ仕種で指を振ってその疑惑を否定した。


「俺の目標は、女の子にキャーキャー言われたいだけ、なんてちっぽけなもんじゃない!」

「言われたいのは言われたいんだ」

「当たり前だろ! じゃ、なくてだな!」


 ニッタは一人でわたわたと手を動かすと、今度はビシッ、とどこだか分からない中空に向かって指を突きつけると、



「――俺は、ベイスボール部で、彼女を、作る!!」



 決め顔を作って言い放つニッタ。


「……はぁ」


 もう、何を言う気にもなれなかった。

 ヨシトはため息をつくと、無言で先を歩く。

 その背中にニッタは慌てて追い縋ると、口早に話し始めた。


「お、お前だってベイスボール部が男女混合の部活だってのは知ってるだろ?」


 野球がベイスボールになって、大きく変わったのはルールだけではない。

 そもそも多くのスポーツで男女が分けられている一番の理由は、身体能力差にある。

 しかし、ベイスボール選手のレベルが向上していくにつれ、元々の男女の能力差などはもはや問題にならなくなった。


 特にベイスボール改名とほぼ同時期に起こった「ヴァルキュリアの変」と呼ばれる事件――女性だけの選抜チーム〈ヴァルキュリア〉が当時のアメリカの男性トップベイスボールチームを破るという快挙――をきっかけに、新生したベイスボールでは男女の別なくチームを組めることになったのだ。


 そうは言っても女性ベイスボールプレイヤーの数は男性のそれと比べると少ないが、日本の高校においてもベイスボール部は男女混合である場合が多く、ヨシトやニッタが入学した栄祝学園もその例には漏れない。


「やっぱり男女で同じ部活をするってのはポイント高いと思うんだよなぁ! しかも活躍して人気が出ればキャーキャー言われるし、一石二鳥だと思うんだけど、どうよこれ?」

「やっぱりキャーキャーは言われたいんだ……」


 あまりにも平常運転なニッタに、ヨシトは頭が痛くなってきた。

 とはいえ、


「……まあ、ニッタは運動部の方が向いてるとは思うけどさ」


 ニッタは中学時代、部活にこそ入っていなかったが、人並み以上に運動は出来ていたようだし、アクティブな印象はあった。


 女子更衣室を覗こうとしたのが発覚して女子から逃げ回ったり、学校の備品を壊したのが先生にバレて逃亡したり、にわとりにイタズラしていたら集団で反撃されて泡を食って逃げ出したり……。


 何だか逃げている図しか思い浮かばないところではあったが、アクティブなのは間違いないだろう。


「だっからさぁ! ヨシトも俺と一緒にベイスボール部に入ろうぜ?」

「いや……。僕は、いいよ」


 馴れ馴れしく肩に腕を回すニッタに、ヨシトはすげなく首を振った。


「えー!」

「いや、だって、僕はスポーツって柄じゃないし、それにほら」

「ん?」


 首を傾げるニッタに、ヨシトは言葉を選びながら、言う。


「……ベイスボールのピッチャーって、すごい速さでボールを投げてくるだろ。

 だから、さ。当たったりしたら、怖いな、って」


 ヨシトの言葉にぽかんとしたニッタだったが、すぐにぷっと吹き出した。


「ったく! ヨシトはいつまで経っても怖がりだな!

 あんなちっちゃなボール、いくら速くたって全然怖くねえっての!」

「……そう、かな」


 冗談めかして言ったが、それはヨシトの本心だった。

 あの小さなボールには、夢だけが詰まっている訳ではない。

 あんな小さなボールが、人を傷つける凶器になることだって、あるのだ。


「まあでも、じゃあしょーがねえなぁ。ヨシトを入部させるのは諦めるかぁ」

「……ごめん」


 なんだかんだで友達想いなニッタに謝りながら、ヨシトは胸の奥がズキンと疼くのを感じた。


 ヨシトだって昔は、今のニッタと同じくらい、いや、それ以上にベイスボールが好きだった。

 プロのベイスボールプレイヤーだった父に憧れ、自分も将来はプロベイスボール選手になると心に決めていた。


 だが、十年前に起こった事件で全ては変わった。

 その日、ヨシトは父と、夢と、そしてベイスボールを一挙に失うことになったのだ。




 ワールドリーグ決勝戦。


 三点のビハインドに加え、すでにヨシトの父が所属するグロリアスナイツの選手は、敵選手のラフプレーによって五人が再起不能にされていた。

 残る選手も軒並み戦意を喪失していて、もはや勝ち目などないように見えた。


 だが、そう思わなかった選手が一人だけいた。

 ヨシトの父だ。


「――ヨシト、ボールを信じろ。こいつは絶対に、その信頼を裏切らない」


 毎日のようにそう口にしていた父は、あふれる闘志を胸にバッターボックスへと立つ。

 ヨシトにとっての、憧れの父。

 その時、観客席にいたヨシトは、その姿を何より誇らしく思い、父の背中を憧憬と共に見守っていた。


 しかし、彼がそのバッターボックスから戻ることは、二度となかった。


 対戦チーム〈アルマゲドン〉の最強にして最凶のピッチャー〈死球デッドボール〉の剛速球を受け、彼は帰らぬ人となったのだ。


 明らかに直接バッターを狙ったその強力無比な一投は、刹那の間に父の命を刈り取った。

 遺体すら、残らなかった。


 ピッチャーが直接バッター目がけて投球を行うのは、明白な反則行為。

 しかし、誰も異議を唱えることは出来なかった。


 ――勝った者が、力こそが、正義。


 超一流のベイスボールプレイヤーの年俸は時に百兆を超え、その発言力は一国の首相をも凌駕する。

 名実ともに世界一のプレイヤーとなった彼に、誰も面と向かって逆らうことなど出来なかった。


 そして、ヨシトは……。

 ヨシトにとってはもう、そんなことはどうでもよかった。


 父は、死んだ。

 そしてその時、父の栄光も、信念も、その言葉も、同時に死んだのだ。



 ――父は、誰よりも信じたボールに裏切られた。



 それが、幼いヨシトにとって何よりも受け入れがたい現実で、全てだった。


 家に帰ったヨシトは、部屋にあったベイスボールに関係するものを全部捨てた。

 何よりの宝物だったバットも、誕生日にプレゼントしてもらったグローブも、憧れの選手のサインも、全て。


 そして、最後に。

 父の書いてくれたサインボールを、父との一番の思い出が詰まったそれを捨てようとして、ヨシトは自分が涙を流していることに気付いた。


 父との思い出が、ベイスボールの思い出が次から次へと溢れてきて、涙が止まらなかった。

 ヨシトは泣いて泣いて、一生分泣いて……そして、父を、ベイスボールを忘れることを、決めたのだ。


 そうして、それからの十年間。

 ヨシトも、彼の母も、ベイスボールのことを口に出すことはなかった。




 だと、言うのに……。


「うおぉおお! ここがグラウンドかぁ! さっすが高校! 中学の時とは比べ物になんない広さだぜ!」


 ヨシトはニッタに連れられて、ベイスボール部が練習しているであろうグラウンドまで出てきていた。


「ほんとに僕は付き添うだけだからね」


 念を押すように口にするが、興奮したニッタにはまるで届いていない。

 ヨシトは今さらながらにニッタの口車に乗った自分に後悔した。


 本当は、グラウンドになんて近寄りたくもなかった。

 ただ、「別に入んなくてもいいからさ! 見学にだけは付き合ってくれよ!」とニッタに強引に頼まれて、どうしても嫌とは言えなかったのだ。


(……それとも。もしかして僕は、もう一度見てみたかったのかな)


 自分が一度捨て去ったはずのベイスボールを、それでももう一度だけ目にしてみたいと、そんな風に思ってしまったのか。

 だとしたら本当に度しがたいと、そう思う。


(今さらそんなことしたって、余計に傷つくだけなのに……)


 ヨシトにとって、ベイスボールは過去だ。

 無邪気にベイスボールに憧れていた時代はもう終わったのだ。


「お、あそこ、ボール持ってる人がいる! 今日も練習やってんのかな? すみませーん!」


 しかしそんな葛藤も能天気なニッタには届かない。


「ちょ、ちょっと、ニッタ!?」


 一人でずんずんとグラウンドに踏み込んでいくニッタを、ヨシトは慌てて追いかけた。

 部外者が勝手に入っていいかどうかも分からないし、何より、グラウンドの空気に不穏なものを感じていたのだ。


「な、何だ、これ?」


 グラウンドの中ほどまで足を踏み入れて、ようやくニッタも、その異常さに気付いたようだ。

 そう、おかしい。


 そこにはユニフォームを来たベイスボール部員とおぼしき少年たちが、何人もその場に倒れている。

 遠目からではただ休憩しているだけとも考えられたが、よく見ると彼等は一様にどこかを押さえ、痛みを訴えるようにその顔を歪めている。


 中にはあまりの痛みに獣のような呻きを漏らす者、苦しそうに咳き込み口から血を吐いている者や、投げ出すように地面に倒れたまま、ぴくりとも動かない者すらいた。


 ―― 一体何が起こったら、こんな風になるんだ?


 一般的にベイスボール部の練習は他の運動部と比べてもスパルタだとヨシトも聞いたことはあるが、これは明らかにそんなレベルを超えていた。


 まるで戦場のような、あるいは野戦病院のような、凄惨な光景。

 例外は、学校指定のジャージを着て倒れた部員の傍らに寄り添う女生徒と、その死屍累々と言うにふさわしい惨状を不機嫌そうに見下ろす制服の少年だけ。


 明らかに、通常の練習では起こりえないような、異常な状況だ。


「ねえニッタ、ここは一度出直して……」


 不穏な空気に、ヨシトが日を改めるように提案しようとした、その時、



 ――……ケテ。



「え?」


 ヨシトの耳に、不思議な声が届いた。

 どこか懐かしい、けれど一度も聞いたことのないような、矛盾したその声。


「だ、れ?」


 辺りを見回すが、当然ながらヨシトの傍にはニッタしかいない。


「ニッタ? 今、何か……」


 言ったのか、と続けようと思った。

 しかし、



「――まだ、私が、いる!」



 その叫びが、止まった世界を動かした。

 マウンドに立つ少年以外に、唯一無事だった人物。

 学校指定のジャージをまとった女子生徒が、少年に向かって挑むように声を張りあげたのだ。


「へぇ。アンタが、ねぇ」


 不機嫌そうだった少年の顔が、どこか人を馬鹿にしたような皮肉な笑顔に変わる。

 そしてその顔がぐるりと回転、ヨシトたちの方を向き、


「ひっ!」


 その迫力に押されたニッタが、その場でぺたりとしりもちをつく。


「……ちっ」


 倒れたニッタを、つまらなそうに素通りし、少年の目が、その隣、ヨシトを捉えた。

 少年の視線と、ヨシトの視線が、ぶつかり合う。


「その目、気に入らねえな」


 愉悦に歪んでいた、少年の笑みが、崩れる。

 少年はヨシトをにらみつけると、歯を剥き出して、言った。


「ちょうどいい。オマエ、ちょっとバッターボックス入れ」

「な、何をっ!」


 女生徒からあがる、抗議の声。

 それをねじ伏せるように、叩き潰すように、少年は言った。



「――オレが、テメエらに本物のベイスボールを教えてやる」







ニッタ「高校の部活ってやべぇ……」

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