0-3.エクシード
ゴウダくんはすっげえ目がいいです
「ありえねえ! なんだぁ、これは! 相手は、毎年一回戦負けの、弱小校だぞ!
なのに、なのにオレ様が、こんな、こんなぁ……!!」
――ドゴン!
ゴウダが叫びながらベンチを思い切り蹴り飛ばし、チームメイトが怯えた声をあげた。
――20対0。
それが、現在一回表の攻撃が終わった時点での、栄祝学園と郷力学園の試合のスコアだ。
「くそぉ! くそがぁあ!!」
カズキの俊足によって失点を許してから、ゴウダのピッチングは崩れた。
対戦相手である栄祝学園の選手たちはその隙を突いて大量得点。
何とか三つめのアウトを取った時にはすでに二十失点という、試合前には想像さえしていなかった最悪の状況に陥っていた。
「あ、あの、ゴウダ先輩」
そんな中、彼におずおずと声をかけたのは、ルールマンと呼ばれる役割を与えられたチームメイト。
彼は百科事典と見まがうばかりの大きな本を抱えながら、震える声で進言する。
「た、大会公式のルールによりますと、一回で二十点以上の点差がついてしまうと……」
「黙れぇ! んなこたぁ分かってる!」
そんな彼を、ゴウダは一喝して黙らせた。
ベイスボールは時間のかかる競技だ。
それは野球がベイスボールと名を変え、その試合運びが多様化したことによってさらに顕著になった。
また、ベイスボール人口の増加や広がりに従って、特に黎明期において実力に大きな開きのあるチームが対戦する機会も増え、コールドゲームの制度も大きく見直された。
天候不良によるコールドゲームは「環境条件も勝負のエッセンス」という考え方のもと、ほとんど行われることはなくなったが、得点差によるコールドゲームは以前よりも広く導入され、ほとんどの大会では七回以降で七点差、五回以降で十点差、三回以降で十五点差、そして一回以降で二十点差がついた場合、最終回を待たずに試合終了とする規定が定められている。
つまり、後攻であるゴウダのチームはこの回に一点も取れなければ、その時点で「一回時点で二十点差」というコールドゲームの条件を満たしてしまうため、その瞬間に一回戦敗退が決まる。
前回大会のベスト8としては、無名校に一回戦で敗退など、到底許容出来ない。
いや、それどころではない。
―― 一回コールド負け。
それは、全てのベイスボール選手にとっての最悪の悪夢であり、ベイスボールに携わる者であれば誰もが忌避する最大の屈辱であり、恥辱だ。
「オレ様がそんな無様、許せるはずねぇ!」
ゴウダは、目に爛々と闘志を漲らせ、ガッとベンチの縁をつかんだ。
先ほどまでの自暴自棄なそれとはまた別の熱を持って、叫ぶ。
「一点だ! まずは、一点。それだけでももぎ取ればいい!」
それだけでコールド負けの危機はとりあえず免れられる。
格下と思っていた相手にこんな言葉を口にするのはゴウダとしては業腹だが、もうそんなことにこだわっていられる状況ではない。
郷力学園の一番バッターは、ゴウダだ。
エースピッチャーであるゴウダは、投手としてだけでなく、打者としてもチームを引っ張るだけの実力を備えていた。
ピッチャーであるゴウダは、打撃の練習量で言えば他のチームメイトにやはり一歩も二歩も劣る。
だが、高校生離れした剛速球を生み出す腕力に、ボールに対する天性の嗅覚、そして野生動物のごとき優れた動体視力。
その類稀な資質は、ゴウダをしてチーム一のピッチャーに押し上げていた。
で、あるならば、当然四番に据えられそうなものだが、彼はベイスボールのセオリーを全て放り投げ、
「一番が一番たくさんボールを打てるだろ!」
という単純明快な論理でもって、チームの先頭打者を務めていた。
それはベイスボールの常識と照らし合わせても非合理な選択だ。
しかしそれは同時に、そんなワガママが許されるほど、ゴウダの選手としての実力が抜きん出ているということでもあった。
攻守両面で、ゴウダのモチベーションがチームの戦力に直結する。
郷力学園はまさにゴウダのワンマンチームであったのだ。
そしてその時、そんな彼に、近づく人影があった。
「ゴウダ、いつもお前に頼りきりで、すまん! だが、頼む!
打ってくれ! 俺は、俺たちは、こんなところで終わりたくない!」
それは、ゴウダの相方であり、チームのキャプテンでもあるキャッチャーの三年生だった。
彼は言葉と共に、ゴウダに真っ黒いバットを差し出す。
一本だけ真っ黒に塗られたそれは、特別に重さを二十キロにしたゴウダ専用の特注バットだ。
ゴウダがそれを受け取ると、ズシッとその重さが手にのしかかってきた。
「お前ら……」
そしてゴウダは、縋るように自分を見るチームメイトを、これまで自分が引っ張ってきた仲間たちを見渡した。
――そうだ。こいつらをここまで引っ張ってきたのは、オレ様だ。
そして、それはこれからも変わらない。
ゴウダはにやりと男臭い笑みを浮かべると、二十キロのバットを軽々と肩に担いだ。
「――オレ様に、任せとけ!」
ゴウダは打席に入ると、厳粛さすらうかがわせる静かな空気を纏い、ピッチャーと向かい合った。
――大丈夫、調子は悪くねぇ。
心は燃え盛っているが、意識は驚くほど鮮明で、どこまでも冷静だった。
相手チームのキャッチャーの息遣い一つ、ピッチャーの握るボールの縫い目までが、はっきりと知覚出来る。
すっと、バットを構える。
狙いは、ホームランただ一つ。
いくらゴウダのワンマンチームと言われていても、彼らはゴウダの球を間近で見ていたのだ。
どんなに速い球が来たとしても、対応出来る。
回を重ねられれば、二十点差くらい撥ね返せない点差ではない。
その勢いをつけるためにも、ただのヒットでは足りない。
ホームランを。
失われた自信と誇りを取り戻させる一点が、絶対に必要だった。
「はっ。ちったぁマシな面になったじゃねぇか」
マウンドに立つピッチャー、トウヤはそう呟き、そして腕を大きく振りかぶる。
――来る!
ゴウダはバットを握る手にぐっと力を込める。
様子見など、するつもりはなかった。
「ねじ伏せてやらぁ!」
自らに気合を入れながら、ゴウダは待ち受ける。
トウヤの手から白球が放たれ……。
――間に、合わねぇ……!
その速度に、勢いに、瞠目する。
――だが、負けねぇ! こんなとこでオレ様が、負けてられねえんだよ!
刹那の思考。
極限の集中が生み出す、引き延ばされた時間の中、ゴウダは確かにそれを見た。
――なんだ、あれは!?
加速する、どこまでも速くなるボールが、真っ白な衣を纏う。
そして……。
「――がぁあ!」
気付けば、口から苦悶の言葉を吐きながら、ゴウダは何かに身体を押され、地面に転がっていた。
――なんだ!? 何が、起こった!
混乱の極致にありながら、ゴウダは何かに急き立てられるようにバットを杖に身を起こす。
周りを見回すと、あまりに意外な成り行きに、観客席までもが静まり返っていた。
……最後の、一瞬。
ゴウダには、ボールが破裂したように見えた。
そんなはずはない。
だが、そうとしか思えない何かが、起こったのだ。
「何を、何をしたぁ!」
バッターボックスの方によろよろと戻りながら、ゴウダは叫ぶ。
そうやって叫んでいなければ、気がおかしくなってしまいそうだった。
あの時、ゴウダは確かに何かに身体を押されたはずだ。
だが、おそらく同じだけの、いや、それ以上の衝撃を受けたはずのキャッチャーの少年は平然とその場に座ったまま。
そして、そのキャッチャーミットには、しっかりとボールが納まっていた。
「答えろぉ! 貴様らはオレ様に、何を……」
詰め寄られたキャッチャーの少年、ヨシトは、取り乱すゴウダを静かに見つめると、こう告げた。
「――ソニックブーム、だよ」
「な、に……?」
ゴウダだって、聞いたことはある。
とある条件を満たした物体は、周りに衝撃波を発生させる。
それはもちろん、ベイスボールのボールだって例外ではない。
ベイスボール界においても既知の現象であり、そういったボールは〈エクシードソニック〉と呼ばれ、認知されている。
しかし……。
「そんな、そんなはずは、ねぇ……!」
それは、一部のプロベイスボールの試合などで稀に見られるようなもので、こんな高校ベイスボールの地方大会なぞでお目にかかれるものではないはずなのだ。
だって、なぜなら、その条件というのは……。
――ざわっ!
その時、静まり返っていた観客席が、ざわめき出す。
まさか、ウソだろ、と口々にささやかれる言葉を、ゴウダの耳は捉えた。
「なん、だ……?」
次第に熱を帯び、歓声へと変わっていく観客たちの声。
それに押されるように、彼は正面の電光掲示板を見た。
見て、しまった。
「――せんさんびゃく、ごじゅうにキロ、だと……?」
電光掲示板に表示された、先ほどのボールの球速。
それは、ゴウダの612キロの剛速球の、実に倍以上の速度。
そして……。
「……音速越え、だってのか、よ」
ゴウダの手から真っ黒いバットが滑り落ち、地面に当たって乾いた音を立てる。
あるいはそれは、誰よりも傲慢で、しかし同じくらいひたむきだった一人のベイスボール選手の、心が折れた音だったのかもしれなかった。
「――ス、ストラーイク!!」
我に返った審判がそう高らかにコールした、そのわずか数分後。
栄祝学園は、スコア20対0、一回コールド勝ちという最高の成績で、二回戦進出を決めた。
これでプロローグが終わり、次回より本編スタートです
ストックがあるのでしばらくは一日一話更新
ただ完全に趣味作品なので、一区切りついたらとりあえず休止する予定