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ep.03 広がる世界

 シンヤ・オトギリ。


 かつてのローズマリーを知る、たった1人の生き残りだ。

 もちろん、今の彼を〝生きている〟と表現することに語弊はある。彼の肉体は、生命活動をほとんど停止した状態だ。手足を動かすこともできなければ、自らの眼でモノを見ることも、言葉を話すこともできない。色素が抜け、ホルマリン漬けのようになった肉体が、培養液に浮かんでいるだけ。そこに繋がれたコードが、彼の意識を読み取り、通信空間に投影している。


 オトギリは、人間の肉体から、電子生命体に転生を果たした唯一の人間である。


 言ってしまえば、それは彼特有の生き汚さとも言うべき性根の結晶であった。老衰で死に瀕したオトギリが古今東西あらゆる胡散臭いテクノロジーの収集を行い、実証実験に移した結果、どういうわけか見事に成功してしまって、まあそれ以来ローズマリーとの腐れ縁が続いている。300年の年月で人間臭さを身に着けたローズマリーだが、それだけにこの縁はかえって断ち切りがたかった。


『救援は必要だろう? 火星に手配しておいたから、到着したら合流してくれよ』

「それは、構いませんが」


 ローズマリーは送られてきた資料を確認しながら、正面モニターに映ったオトギリの顔を見上げた。


「一体どこで彼らを捕まえたのです?」

『それは秘密だなァ……。と、言いつつ、まあ半分偶然みたいなものだよ。いやァ、幸運だったなァ。こういうのも、日ごろの行いって言うんだろうね』

「聞き流しておきましょう」


 フラクタライズ・システムの代替案としてオトギリが提供してくれるという戦力は、ローズマリーにとっても予想だにしないものであった。これが事実であるとすれば、戦力不足を補って余りあるが、正直なところ、胡乱な点は多い。

 オトギリがローズマリーに嘘をつく理由などないから、事実なのだろう。


『そう怖い顔をしないで欲しいなァ。言ったじゃないか。同じギルメンのよしみだよ。あとは、そう。300年前に君を消そうとした件の罪滅ぼしかなァ?』

「あなたがそんな殊勝な人物だとは思えませんね」


 次の議題に移りましょう。と、ローズマリーは言った。


 先ほど顔を合わせたアカリという少女についてだ。彼女の顔には見覚えがあった。

 とは言っても、直接の面識があるわけではない。かつて資料で少し確認したことがあるだけだ。ローズマリーの保有する記憶情報の中でも、かなり深い部分に埋没してしまっている。おそらく250年近く前の話だ。ある施設に関する記録の中に、まったく同じ顔があった。名前も確か、同じアカリというものだ。

 その話をすると、電子の海に浮遊するオトギリの表情が、わずかに変化する。


『なるほどなァ』

「こういった件はあなたの方が詳しいのでは?」

『どうだろうね。財団の中でもボクの立ち位置は極めて特殊だったからなァ。特にあの2人とは仲が悪かったんだ。ま、時任とも良かったわけじゃないんだけど……』


 ローズマリーは船長から、乗客情報を受け取った。オトギリとの会話のさなか、それを閲覧する。


 アカリ・ヤムチャコ。木星圏に居住する老夫婦のもとで育てられた少女だ。生年月日に関する記述はあるが、正確ではないとも書かれている。どうやら養子であるらしかった。ローズマリーはさらに、疑念を深める。

 彼女の表情を見て、オトギリは嬉しそうな声をあげた。


『おっと、ビンゴかい?』

「ビンゴかどうかを調べるのはあなたの仕事です」


 ぴしゃりと返すローズマリー。


『手厳しいなァ。まァ任せておきたまえよ。ちょっと時間はかかるだろうけど、調べておこう。仮にキミの懸念が正解だった場合、どうするんだい?』

「その時考えましょう」

『そういうの、問題の先送りって言うんじゃないかなァ』

「良いんですよ。こういうのは、先送りにしても」


 最後に、『お元気で』などという、定型句以上の意味など何もない挨拶を交わして、ローズマリーは通信を打ち切った。


「艦長、ご迷惑をおかけしました」

「ああ、いえ、その……。それは構わないのですが……」


 好々爺然とした白ひげの艦長だが、その表情にはわずかに狼狽が浮かんでいる。

 ローズマリーは少し茶目っ気を出し、人差し指を自らの口元にあてると、片目を閉じてこう言って見せた。


「ああ、もちろん、私がいましたが話した内容は、ご内密にお願いします」

「は、はぁ……」




 それから数日、何事もなく。艦艇はアステロイドベルトを抜け、やがて火星へと到着した。


 およそ150年まえにテラフォーミングの完了した火星には、水も大気も存在する。ステーションに降り立ったジュピターチルドレン達は、一斉に窓へと駆け寄った。青々としたマーズポテトの木が、通路に沿うようにして生えている。

 その通路は『道路』と呼ばれるもので、生えているマーズポテトの木は『街路樹』であるのだが、それを正確に理解できる者は一握りだ。ただ彼らは、空と大地、そしてそこから生える木というものを産まれて初めて目撃したのである。


「すごいすごーい! ねえ、ミライも来なよ! 早く! 本物の木だよ!」

「木くらい木星にもあったよ……」

「バイオボックスに入ってる奴でしょ? そんなんじゃないもん! もっと大きくて凄いの!」


 それだって、ネットワークで何度も見たよ。と言おうとして、ミライは言葉を飲み込んだ。

 所詮、ミライが見てきたものは偽物だ。アカリや他のチルドレンは、『本物』の木にはしゃいでいるのだ。


 ミライはあまり面白い気持ちではなかった。地球に行くのは楽しみだったはずだし、火星に寄るのだって興味はあった。だが実際目の当たりにすると、なんだか心が冷めていくような感覚がある。ミライがどれだけ火星のテラフォーミング史や、今や火星全体を覆い尽くすマーズポテトの話をしても、アカリ達にとっては何の説明もなくただ生えているだけの木の方が興味深いらしいのだ。

 だいたい、偽物か本物かどうかの差なんて、些細なものじゃないか。今やワープ通信の時代だ。特に生態量子回路が搭載された自分たちチルドレンは、意識を量子波と同調させて、その偽物をあたかも本物であるかのように感じ取ることができる。


 だから、『本物』であることにこだわる必要なんてないんじゃないか。


 みんな子供なんだから。


 それを口にするのは、自分の方が子供であることを認めるような気がして、ミライにはなんだか憚られた。


 それに、そう。アカリはアドヴァンスド・ミライ・ネットワークにアクセスするのが、あまり上手ではなかった。生態量子回路の不調なのか、ミライが近くにいてやらないとまったくアクセスできなかったし、いたとしてもしばしば失敗した。

 だから、こうやってネットワークにアクセスせずとも火星の広大な大地を見ることができるのは、嬉しいのかもしれない。


「ねー、ミライ。これから自由行動だって。一緒に外に行こうよ!」

「いや、僕は良いよ……」

「えー、なんで? ノリ悪いなぁ」


 あけすけな態度が、なんだかやけに癪に障った。アカリが腕を掴んで引っ張ろうとしてくる。


「だから良いって!」


 引っ張る手を、はたくようにして無理やり引き剥がす。勢い余ったアカリの身体が、思わずしりもちをついた。


「あ……」

「……」


 2人はしばらく、無言のまま視線を交錯させる。


「ふーんだ。じゃあ良いもん」


 先に言葉を発したのは、立ち上がったアカリの方だ。彼女は完璧にへそを曲げた様子で、つんと顔をそらした。


「1人で見てくるし。……変なの! 子供みたい!」

「なっ……」


 ステーションのロビーを駆け抜けていく背中を見ながら、ミライは言葉を失ってしまう。


「こ、子供って言うほうが子供なんだぞ! 1人じゃ通信も出来ないくせに! 集合時間に遅れても知らないからな!」


 自分でアカリの誘いを断っておいてからこの言いようだ。結局、自分に構って欲しかっただけではないのか。子供がどちらかなんて言うまでもない。かくして、ミライ・ノイマンはまたも幼馴染に精神的惨敗を喫したのである。

 他のチルドレンも、楽しげに談笑しながらロビーを後にしていく。ミライは、その場にぽつんと残されてしまった。


 重い足取りで、とぼとぼとガラスの方へ近寄っていく。外には、他の子どもたちが夢中になっていた、マーズポテトの木があった。


 確かに、綺麗だ。青い空と赤茶けた大地。その上を通る舗装された道路。そして、どんな環境でもたくましく育つと言うマーズポテトの木には、深緑の葉が茂っている。中でもひときわ大きなマーズポテトは広場に植えられており、これは火星で育った最初の一株とされていた。〝オデッセイ〟と名付けられたその株は、火星開拓のシンボルとして長くテラフォーマー達に親しまれてきた。


「火星か……」


 そう言えば、アカリは『火星についたら、地球はもっと大きく見えるかな』と言っていた。ミライは『さあ、どうだろうね』とぼかして答えたが、もちろん知っている。多少は大きく見えるはずだが、少なくともそれは、アカリが期待しているようなはっきりとした大きさではないはずだ。

 夜になれば星が見えるようになる。ミライは、その件でアカリをからかうつもりだった。ずいぶんと、ばかばかしい仲違いをしてしまったな、と。後から反省する。


 でも、今から彼女を追いかけていって仲直りするのも、どうにも気が引けた。


 しばらくステーション内をぶらつくことにする。退屈しのぎにはなるだろうと思った。注意して周囲を見れば、警備の人たちが緊張した面持ちで何かを喋っているのが見える。

 そう言えば、あの時宇宙船の中に出現したアフターマンの騒ぎは、あれ以来一度も耳に入ってきていない。数日も経てば、あの時間の方が幻だったような気分さえしてくる。だから、アフターマンが火星で出土したモノリスによって生まれたものだと思い出しても、ミライにはいまいちピンと来なかった。


 よそ見して歩いていたからだろうか。曲がり角に差し掛かった時、ミライはちょうど角から飛び出してきた1人の少年と、思いっきり衝突してしまった。




 少しだけ、時間を遡る。宇宙船がステーションに入港し、ミライ達がちょうどロビーに降り立った頃だ。


 火星のステーションにあるラウンジに、2人組の男がいた。1人は少年だが、もう1人は難しい。若い青年と言えばそのようにも見えるし、壮年に差し掛かっていると言えば、やはりそのようにも見える。ボロ布で身を包んだ姿は、火星の低所得者層を思わせた。あまりステーションのラウンジには相応しくない姿と言える。

 だが、周囲の好奇の視線にさらされようと、男は特に気にした様子もなく、バーテンダーに酒の注文をしていた。


「あのさ、おっさん」


 少年が額を押さえながら、脇の男を見上げる。


「やめてくんない? 恥ずかしいんだけど」

「おまえが恥ずかしがる必要はないだろう。奇異な格好をしているのは俺だ」

「その奇異なおっさんが、俺の所有物に見られるのが恥ずかしいの」


 少年は、気が強そうに吊り上がった目つきの通り、見たまんまの性格をしているようだった。


「どうせ旅の恥はかき捨てだ。おまえも頼め、少年。費用は〝彼女〟持ちだ」

「あーあ、どうして俺、こんなところにいるんだろ……」


 一向に気にする様子の無い男を眺め、大げさに嘆いて見せる。


「本当ならさー、メロおばさん家に泊まる予定だったんだぜ。それがなんでこんな……」


 少年はちょっとした旅行に出かけるつもりが、まあ事故に巻き込まれて、かなり遠くまで漂うことになってしまった身の上である。帰るための手段を模索しているさなか、この浮浪者同然の男に出会い、協力を仰ぐことができた。この広大な世界で、自分の両親を知る男に出会えたのだから、少年の悪運の強さも相当なものである。

 ただ、交換条件として持ち出された話は、かなりの面倒事であった。結果として、少年は今の状況をかなり後悔している。そういった具合だ。


「それで? その、なんだっけ。ローズマリーさんとは、いつ会うの?」

「そろそろ宇宙船がステーションに入港してくる。移動する」


 男が立ち上がったのを見て、少年はほっと一息をつく。


 ステーション内部の床や壁を構成する、やけにつやつやした材質は、少年からしてみるとかなり珍しい。面白いと思うと同時に、妙に落ち着かない。ラウンジの居心地が悪かった理由はそこにもある。

 少年は男と連れ立ってラウンジを出た。ロビーを目指して歩く道すがら、やけに物々しい雰囲気が気にかかる。


「あれ、警備員か?」

「そうだな。何かあったのかもしれないなぁ」


 少年の言葉に、男が頷く。


 よそ見して歩いていたからだろうか。曲がり角に差し掛かった時、少年はちょうど角から飛び出してきた別の人影と、思いっきり衝突してしまった。




 ぶつかったのは、ミライとさして変わらない年頃の少年だった。火星生まれの子供だろうか。先にち上がり、謝りながら手を差し出してくる少年に対して、ミライはそんな感想を抱く。彼の背後には、火星の低所得者層を思わせる浮浪者同然の男が立っていて、少しぎょっとした。

 ミライが礼を言って立ち去ろうとすると、ここから先はラウンジだと言われた。手持ち無沙汰で、一瞬立ち尽くしてしまう。すると、少年はミライの顔をしばらく眺めてから、こう言った。


「俺たち、人を待ってるんだ。待ち合わせの時間まで暇だから、ちょっと話そうぜ」


 少年が、行くあてもなくぼんやりしてるミライを見かねていたのは明らかだ。正直なところ、かなり恥ずかしかったが、同時に肩肘を張るのにも疲れてしまった。行きずりの相手に恥を掻き捨てたところで、何の問題もないだろう。

 どうせ、いまアカリを追いかけていくつもりには、なれないのだし。


「俺、キョウスケって言うんだ」

「あ、うん。僕はミライ」

「こっちのおっさんは……なんだっけ?」

「マジマだ」


 一通りの自己紹介を済ませ、ミライ達はロビーの窓側の方へと並ぶ。


「ミライか。良い名前だな。未来って書くんだろ?」

「え、あ。たぶんそう」


 キョウスケと名乗る少年が、いわゆる漢字のことを言っていたと理解するのには、しばらく時間がかかった。


「少年、彼はジュピターチルドレンだ。漢字の文化にはなじみが薄い」

「ジュピ……あー。そっか。遠い星に住んでるんだっけ。そうだよなぁ。変な話だよな。星って、空に浮かんでるあの星だもんなぁ」

「もう当然の話だよ。そんなに珍しいことじゃない。僕からすれば、火星とか地球に住んでる人の方が変な感じがする」


 キョウスケは、あまりものを知らない少年のようだった。ミライの中で、自尊心のようなものがむくむくと膨れ上がる気配がしたが、すぐに自己嫌悪がそれを抑えつける。キョウスケが自分の漢字を『響丞』だと教えてくれ、そのイメージが頭の中にまったく浮かび上がらなかったものだから、よりいっそう、みじめな気持ちになった。


「それで、ミライはどうしてそんなに落ち込んでたんだ?」

「……いや、友達と、喧嘩しちゃってさ」


 もう、これ以上みじめな気分になることはないだろうと思い、ミライは正直に話すことにする。

 キョウスケは最初興味深そうに聞いていたが、次第に真剣な顔になり、最後はにっこりと破顔した。


「なるほどなぁ」

「子供は僕の方だったんだ。でもすぐにアカリを追いかけて謝るのも、なんか、気まずくて」

「そりゃあ仕方ねぇよ。俺たちは子供だ」


 あっけらかんと、キョウスケは言う。


「子供なんだよ、ミライ。俺にだって似たような思い出はあるんだぜ」

「……似たような?」

「そう。俺、両親が立派な人で、その凄いところを受け継いで生まれたサラブレッドなんだけどな?」


 のっけから自慢話を始めたので、ミライは少し苦笑いを浮かべた。


「姉ちゃんが逆なんだよ。全然ダメなんだ。だから俺、ずっと姉ちゃんのことを守ってやるつもりだった。聞こえは良いけど、見下してたんだよな」


 キョウスケの言葉が、妙に胸に突き刺さる。


 見下してた。確かにそうだ。ひょっとしたら、今も見下しているのかもしれない。

 アカリや、他のジュピターチルドレンのことを、ミライは少し下に見てしまっている。だから、自分の知識が見向きもされないと、拗ねてしまう。キョウスケの言葉が、そんなミライの心理を浮き彫りにする。


「でも、いつだったかな。俺がポカやらかした時に、姉ちゃんが身を呈して庇ってくれたことがあってさ。その時はすっげー気まずかったし、俺、姉ちゃんの手が握れなかったよ」

「そのあとどうしたの?」

「どうもしなかった。しばらくは、なんで姉ちゃんの癖にって思ってた。今のミライとおんなじ」


 まあ、すぐにとは言わないけど仲直りはしといた方が良いぜ、とキョウスケが笑った。


 姉との関係は、今は良好らしい。が、直接仲直りをしたわけではなく、自然修復だ。謝る時は気まずいけど、一度ちゃんと仲直りをした方が後腐れがないと、キョウスケは言った。


「本音はきちんとぶつけた方が良い」


 ボロ布の男マジマも、2、3歩離れた場所に立ちながらそう言った。


「劣等感を抱く側が気にしていることだってある。意外と敏感なものだ」

「へー、おっさん。それって経験談?」

「どうだろうな」


 話を聞いてもらったことで、少しだけミライの気持ちも楽になった。同時に、行きずりの相手にこんな話をしてしまった気恥ずかしさが後から襲ってきたが、これは必要経費と割り切ることにする。どうせ、あとでアカリと仲直りするときに、また恥ずかしい思いをするのだし。


 そのまま、しばらく彼らと話をしていると、何やら周囲が急に慌ただしくなる。

 先ほどから警備員たちが神妙な顔をしているのが気にはなっていたのだが、何かあったのだろうか。


 すると、ミライの生態量子回路を通じて通信が入る。引率の先生からのものだった。

 ミライは、目の前に展開されたホログラフパネルをタッチし、メッセ―ジを受信する。キョウスケはその様子が珍しいようで、目を丸くして眺めていた。生態量子回路はジュピターチルドレンの特徴だ。地球や火星で育った人間には埋め込まれない。


「緊急集合……?」


 ミライは首を傾げる。


「非常事態につき、すぐロビーへ集まるように……」

「道理でさっきから警備員がうろちょろしてるわけだ」


 横からメッセージを覗き込みつつ、マジマが頷いた。


「しかし非常事態なら、館内放送も流れそうなもんだけどな」

「………」


 そう、そのうち館内放送が流れるはずだ。だから、ここでじっと待っていれば良い。

 だが、ミライの表情は硬く強張ったままだった。一体今、何が起きているのかはわからないが、多くの子供たちは同じ通信を生態回路で受信し、ロビーに向かって戻ってくるところだろう。だが彼は、生態量子回路の使い方が限りなく下手なチルドレンを一人知っていた。


 待っていればそのうち戻ってくるはずだ。館内放送だって流れるはずだ。そうすれば、いくらアカリでも気づくし、戻ってくる。だが、この妙な胸騒ぎは、何か。


「どうしたミライ、浮かない顔だな」


 キョウスケが横から覗き込んでくる。


「いや、大したことじゃないんだ……。アカリ、生態回路の使い方が下手だから、ちゃんと受信できてるかなって」

「あー。なるほど」


 すると、自分と幾らも変わらない年頃のはずのこの少年は、やけに悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。


「ちょうどいい。これはチャンスだぞ、ミライ」

「チャンスって?」

「今の通信を口実にその子を探せばいい。そしたらスムーズに仲直りもできるさ。俺たちも一緒に探してやるよ」

「え、悪いよ。だって待ち合わせがあるんでしょ?」

「どうせ本当に非常事態だっていうなら、その待ち合わせだってうやむやになるし、」


 それに、と言って、キョウスケはその表情を引き締める。


「それに、場合によっちゃ先に動いてた方が良いかもしれないからな」




「あーあ、もう! なにさー、ミライのやつぅ!」


 ぷりぷりと頬を膨らませ、アカリはステーションの中庭を歩いていた。


 一緒に外に行こうと言っただけなのに、あんな態度を取られるとは思わなかった。温厚な彼が手を振り払ってまで拒絶するのは滅多にないことで、狼狽と怒りが一緒に来てしまった。それでも、しばらく中庭を散策していると、ようやく心も落ち着いてくる。


 もしや、自分はまた彼を怒らせるような言動を、無意識に取っていたのだろうか?

 アカリはよく空気が読めない子と言われる。空気は透明だから読めないのは当然では? と思ったのだが、どうやらそうした発言をすること自体が、『空気が読めない』ということらしい。彼を不機嫌にさせたことは、1度や2度ではないのだ。


 中庭には、大きな木が生えている。バイオボックスに生えているものではない、本物の『木』だ。


 本物の土と大気、そして水があれば、植物はどこまでも大きくなるという。ミライが以前、得意げに説明してくれたことだ。アカリにはにわかに信じがたかったが、彼が言うなら本当なのだろうと思っていた。ミライは、アカリと違って頭の良い子だった。

 この火星の大気と水も、本当は人工的に作られたものだという。以前の火星は酸素も水もなくて、人の住めるような環境ではなかったものを、地球と似た環境にするために手を加えたのが、今の状態だ。それをナントカナントカと言うらしいのだが、アカリは忘れてしまった。


 いま、自分の目の前に生えている大きな木の名前も、アカリは知らない。


 ミライに聞けば教えてくれるかもしれない。彼は物知りだから。そう思うと、彼と喧嘩してしまったことが、なんだか急に勿体なく思えてきた。いつも彼を怒らせた時は、お爺さんとお婆さんにヒントをもらって、仲直りができた。でも今は、頼れる大人が引率の先生しかいないし、先生はちょっと頼りない。

 自分で、どうしてミライが怒ったのか考えて、解決しなければならないのだ。

 それはとても難しいことである。


「あーあ、人の心の中が読めたらなー……」


 空を見上げて、ぽつりと呟いた。


――あの女はどこにいる?


 不意に、


 頭の中に、誰かの声が流れ込んでくる。


「へっ?」


 アカリは思わず、周囲を見回した。大気の流れ(風と言う)がそよぎ、木の枝を静かに揺さぶる音が聞こえる。ステーションの中庭には、いま、アカリ以外の人影が見当たらない。

 それに今のは、ただ声が聞こえたというものとは、また違う。本当に、頭の中に直接流れ込んでくるような、不愉快な感覚を伴った。まさか本当に誰かの心を読み取っているわけではないだろうが。アカリは額を押さえて、1歩、2歩と後ずさる。背中が木の幹にぶつかった。


 急に頭痛が酷くなる。気分が悪い。似たような感覚は、宇宙船に乗った時にもあった。

 あの時は、ミライに付き添ってもらって医務室へ行った。それで、確かあの時は、得体のしれない怪物を見つけて。


――見つけた。


「ひっ」


 びくり、と身体を震わせる。誰かの近づいてくる気配があった。中庭の石畳を、靴の叩く音がする。

 なんだか、訳も分からず怖くなった。身体中の怖気が取れない。今、自分に起きている不可解な現象が、アカリの頭を大きく揺さぶった。

 木の幹の向こう側に、人影が見える。まさか、あの時と同じ怪物では。


 理由はわからないが、確信に近い予感がある。


 あの時、ローズマリーと名乗った総裁は、怪物を2体取り逃がしている。牛のようなものと、虫のようなもの。どちらも図鑑やデータファイルでしか閲覧したことのない、地球上の生物だ。それと人間をないまぜにしたような怪物。

 アカリは震える身体を抑え込むようにしながら、はっきりと、その姿を確認しようとした。


 近づいてきた足音の正体。それは、


「(……あ、人?)」


 それは、そう。ただの、何の変哲もない〝人〟だった。

 スーツに身を包んだ、細身の女性である。まだ頭痛は消えないが、どうやら思い過しただったらしい。


 アカリは、ほっと胸をなでおろす。


――見つけた。


「!?」


 目の前に現れた女性が、笑みを浮かべるのと、頭の中にその言葉が流れ込んできたのは、同時であった。


 変化は直後に訪れる。女の双眸が肥大化し、口が裂けハサミのような大顎へと変化する。スーツを突き破るようにして、とげとげしい甲殻がゆっくりとせり上がった。ギチギチという音と共に、女の肉体が明確に変化する。


――探したぞ。ここにきていると思った。


 この声の主が、目の前にいる怪物であることは疑いようもない。この怪物は、自分を探していると言った。

 なぜ? わからない。心当たりなんてまったくない。自分は物心ついたときから、ずっと木星で暮らしてきたのだ。こんな怪物、知らない。探される言われなんてあるはずがない。


 こんなの悪夢だ。頭を押さえて左右に振るが、それでも現実は変わらなかった。

 虫人間はアカリに手を伸ばし、ゆっくりと近づいてくる。甲殻に覆われたとげとげしい手が、今にも頬に触れそうだった。


「やだ、助けて――! ミライ!」

「アカリっ!!」


 今度は、はっきりとした〝声〟が聞こえる。直後、目の前の虫人間に何かがぶつかり、勢いよく吹き飛ばされるのが見えた。




 最初はただあてもなくステーション内を探し回っていたが、不意に立ち止まったキョウスケが、その後勢いよく駆けだしたのを見て、ミライは少し焦った。それは、何かいきなり心当たりを得たような、確信を伴った動きに思えたのだ。

 そして、実際キョウスケの走り出した方角に、アカリはいた。だが、アカリだけではなかった。


 彼女に手を伸ばし、近づくのは、あの時宇宙船の中で確かに見た虫人間――アフターマンの1体である。


 ミライがアカリの名を叫ぶのとほぼ同時に、キョウスケは全身をバネのように動かして飛び上がると、身体を回転させながら両足をアフターマンに叩き込んだ。動画での知識しかないが、ミライはこれを知っていた。確かドロップキックと言うのだ。

 文字通り、うつぶせに落下ドロップしたキョウスケは、両腕を地面につき、そのまま体操選手ばりのアクロバティックな動きで、無難に着地を成功させる。アフターマンは、彼とアカリを交互に睨んだ。


「キシシシシ……」


 大顎を軋ませて、声のようなものを漏らす。


「(笑った……?)」


 ミライには、その時の怪物の動きが、そのように感じられた。


「ミライ!」

「あ、アカリ、……大丈夫?」


 泣きべそをかきながら、アカリがこちらに駆け寄ってくる。ミライは、彼女の身体を優しく抱き留めてやった。


「ミライ、その子を連れて逃げろ! ……と、言いたいんだけど」


 キョウスケは、アフターマンと睨み合ったまま叫んだ。


「近くにもう1体いる。ひとまず、離れて隠れてろ!」

「え、あ、わ、わかった」


 離れていろと言ったが、キョウスケは怪物と戦うつもりでいるのだろうか。彼もまた、ローズマリーと同じようにフラクタライズ・システムを使えるのだろうか。ボロ布の男マジマも一切逃げる気配がないが、やはり同じように戦う気なのだろうか。そもそも彼らはどうして、アカリの居場所をすぐに突き止められたのか。

 様々な疑問が噴出するが、今は後回しだ。ミライは、アカリの腕を引いて繁みの方へと避難する。そこでまた、別の疑問。近くにもう1体というのなら、ひょっとして他のチルドレンも危ないのではないだろうか。


「ううん。それはないと思う」


 泣き声混じりに、いきなりアカリが発言する。


「あいつ、あたし……と、あと、ほら、あの。そこの男の子にしか興味が無いみたいで……」

「アカリと……キョウスケに?」

「うん。今もそう言ってる。『好都合だ』って」

「アカリ? 何を言って……」


 耳を澄ませても、聞こえてくるのはアフターマンの顎が軋む音だけだ。彼らの声は、ミライには聞こえない。


「(それに、アカリ、なんで僕の思ったことにすぐ返事を……)」

「え? だって、あれ? ミライ、ちゃんと口で言わなかった?」


 泣きはらした顔できょとんとするアカリ。何かが妙だ、とミライは思った。

 何が妙かと言えば、自分を取り巻くこの状況すべてだ。おかしいことだらけ。理解できないことだらけである。キョウスケとマジマは何者なのか。なぜアフターマンはアカリを狙ったのか。アカリだけがアフターマンの言葉を理解できている理由とは何か。アカリはどうして、ミライの心を読むような発言をするのか。


 何がなんだかさっぱりわからない。


 そして、その疑問を打ち晴らすような戦いが、いま目の前で再開した。


「少年! 俺たちでは情報武装を剥がせない! 〝彼女〟が来るまで抑えるぞ!」

「悠長なこと言ってられるか! ミライの友達にまで被害が及ぶってんなら、その前に殺すからな!」


 アフターマンの腕から、ずらりとカマが展開する。その一撃を避けつつ、キョウスケは片腕を掲げた。


「クレセント・ナブラ!」


 虚空から浮かび上がるように、すうっと。キョウスケの手に一本の剣が呼び出される。煌びやかな装飾がなされた、それは片刃の直剣だった。ローズマリーのフラクタライズ・システムと同じかと言えば、おそらく違う。マジマは、自分たちでは情報武装を剥がせないと言った。

 情報武装とは、モノリスによって存在情報を書き替えられたアフターマンの、いわゆる外殻に当たる部分だ。これを上手く剥がすことができれば、アフターマンは人間に戻る。ローズマリーの話ではそうだった。そして、それができるのがすなわち、フラクタライズ・システムによって具現化した情報武装であるとも。


 マジマも何か武器を呼び出すのかと思えば、そんな真似はしなかった。ただ彼は、ボロ布の内側から数本の金属片のようなものを取り出す。それが、最近では見ることも少なくなった旧時代の〝鍵〟であると気づくのには、しばらくの時間を要した。マジマが、数本の鍵を自身の腕に突き立てると、彼の身体から黒い煙のようなものが浮かび上がる。肉体が一回り大きくなり、爪や牙がより一層鋭くなり、双眸が爛々と紅い発光を始める。


「み、ミライ……。あれ、なに……?」


 身体をぴたりと密着させながら、アカリが尋ねてくる。


「……僕にも、わからない」

「ミライにも、わからないことってあるんだ」

「うん」


 唇を噛み、ミライは状況を静観することしかできない。


「どうも、そっちの方が多いみたいだ」

次回更新予定日は2017年4月1日です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 2014年から続いた年1更新もここで終わりか……残念だな
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