ep.10 300年越しの真実(前編)
およそ350年以上昔の話になる。
第二次世界大戦のさなか、大日本帝国海軍が保有する一隻の巡洋艦が、海上でその消息をくらました。
一説にはアメリカ海軍との戦闘で轟沈したとも言われているが、その重巡洋艦は戦後から現在に至るまで、公の記録には残されておらず、幻の船として一部の好事家の間で語り継がれるのみにとどまっている。無論、詳細も不明なままだ。
だが、事実としてその船は存在した。
その船にまつわる複雑怪奇な物語もまた然りだ。
「その話が……本当にアカリに関係があるんですか?」
ノノ総裁の言葉を聞きながら、ミライはやや困惑した面持ちで尋ねる。
ミライが聞きたいのは、アカリが抱えているという謎だ。獅子王マグナムが死の間際に残した言葉、『アカリの中に何かがいる』という趣旨のそれが、ずっと気になっている。
「長くなると言ったでしょう」
ノノ総裁は、のんびりとした口調でそう言った。
「気長に聞いてもらえればと思います」
「それは……まぁ、わかりました」
釈然としない、というよりは、少しばかり不安を感じつつも、ミライは頷く。
「このお話には、何人かの登場人物がいるのですが」
「はい」
「そうですね。まず覚えておいてほしい人は2人です」
指を二本立てるノノ総裁。ミライの目の前で、彼女は指を折りながら、その人物たちの名を挙げた。
「まず一人目は、当時、大日本帝国海軍の大尉であったツワブキ・ハヤト」
「ツワブキ……」
「そしてもう一人が、たまたまその日、乗艦していた海軍中将のイワト・ゴウゾウ氏です」
そこで言葉を区切り、ノノ総裁はこう続ける。
「これは、およそ半世紀にも及ぶツワブキ家とイワト氏の争いのお話から始まるのです」
石蕗隼人は、のちに、自身の孫である石蕗明朗に対して、このような言葉を漏らしている。
『岩戸中将は、最初から得体のしれない男だった』と。
ある日、石蕗隼人の乗るその巡洋艦に対し、急な乗艦を申し入れてきたのが、岩戸剛三であった。まだ若いが、軍閥内での発言力は高く、中将という地位も有している。そのような命令は受けていないと渋る艦長に対し、岩戸剛三は秘密裏の計画であるとして、やや強引に乗艦した。
太平洋を航行中、その艦を含む大日本帝国海軍の艦隊はアメリカ海軍の艦と会敵し、戦闘になる。
噂では、ここで戦闘に破れ、艦は海の藻屑と消えているはずであったが、事実はそうではなかった。
多大な損害を被り、小破という状態にもかかわらず、その巡洋艦は離脱に成功する。この際、米軍の艦に飛び移り、巡洋艦が離脱するまでの時間稼ぎをしたのが石蕗隼人だ。この際、艦に飛び移った隼人の暴れっぷりは恐ろしく、『TSUWABUKIがあと10人いたらアメリカは敗北していた』と、当時の米海軍少佐であるロック・マグナムの口から語られている。
だがつまりそれは、この後、謎の現象に見舞われる巡洋艦に、石蕗隼人が乗艦していなかったということでもある。
敵艦で大暴れをしていた隼人だが、最終的には米軍による無数の銃撃を受けて、ついに倒れることになった。この際、自身が逃がした巡洋艦が、無事に海域を離脱できたかと顔をあげた隼人であるが、その際に彼は、得体のしれない現象を目の当たりにする。
既に水平線上で小さくなっていたその艦が、謎の発光に包まれたかと思うと、忽然と姿を消してしまったのだ。
米海軍の兵士たちも、多くがその光景を目撃しており、甲板は異様なざわめきが覆った。
隼人はその直後に気を失い、終戦まで米軍の捕虜として過ごすことになる。彼は当時見た光景を幻だと思っていたが、捕虜として過ごす中、ロック・マグナム少佐や他の米兵たちも同じものを見たと知ると、次第に、あれがなんだったのかと疑問に思うようになった。
やがて終戦を迎え、隼人が帰国を許された1948年。石蕗家は財閥解体によってその力を失い、裸一貫で一からやり直すことを余儀なくされた。むしろこれにやりがいを感じた隼人は、故郷鹿児島に戻り、小さな鉄工所を買い取って新たな事業を興した。
妻との間に息子である太朗も生まれ、生活も順風満帆であったある時、隼人の目の前にある男が姿を見せた。
岩戸剛三である。
隼人は、帰国後に様々なところに聞いてまわったが、あの重巡洋艦からの生還者は誰一人として存在しないはずだった。隼人が知るよりも3倍近く老けていた岩戸は、そのとき、出所不明の金によって多額の資本を抱えるに至っており、すでに隼人のそれを超える規模の事業を興していた。
岩戸財団総裁、岩戸剛三。
当時の彼の肩書はそうである。
岩戸は、隼人のことを知らぬふりをしていたが、それでも隼人が詰め寄ると、彼は目を爛々と光らせてこう言った。
『私はとても素晴らしいものを見た。こことは異なる世界であり、未知の生物がおり、魔法があった。私はあれが欲しい』
気の触れた人間の戯言と一蹴するには、看過できぬすごみがあった。
それからしばらくして、岩戸は隼人に対して、自身に協力しないかと接触してきたが、隼人がこれを突っぱねる。以降、岩戸財団は石蕗家の事業に対して様々な妨害を仕掛けてくるようになり、石蕗家と岩戸剛三の争いは、具体的にはこのころから始まっていくようになる。
「今となっては、確かめるすべはないのですが」
ノノ総裁は紅茶を片手に、話を続けている。
「イワト氏が企てていたのは、最終的には異世界への侵攻であったのだと思われます。太平洋上で消息を絶った重巡洋艦は、それごと異世界へと転移したのでしょう。西暦2020年には、日本の地方都市で40人近い規模の集団異世界転移が確認されましたが、その帰還者からの証言によって、ようやく裏付けが取れたとされています」
「な、なるほど……」
「ミライ、あなた、『アカリの話はまだかな』と思っていますね」
「うぐっ……」
図星を突かれて、ミライは言葉に窮する。ノノ総裁は薄く微笑んだ。
「まぁ待ってください。きちんと順序だてて説明してはいますので」
「は、はい……」
あまり結論を急ぎすぎるものでもないか。ミライは深呼吸をして、いったん落ち着くことにする。
唐突に出てきた異世界という言葉にも、ミライはさして驚いたりはしなかった。異世界の存在は、相似疑界理論によって証明されている。おそらくノノ総裁も、そうしたミライの知識を踏まえたうえで、詳細な説明は省いているのだろう。
「結論から言ってしまいますと、イワト氏の野望は失敗に終わります。ツワブキ家の人間はいずれも氏の野望のことを正しく認識していたわけではありませんが」
ハヤトの孫にあたるツワブキ・メイローの代において、ツワブキ家とイワト・ゴウゾウの争いには、一応の終止符が打たれる。
メイローは、祖父、そして父から受け継いだツワブキ家の事業を急成長させ、複合企業体であるツワブキコンツェルンを立ち上げた。最終的にツワブキコンツェルンはイワト財団の事業を飲み込む規模で急成長していき、イワト財団は解体される。イワト・ゴウゾウはその野望を叶えることなく、失意のうちにこの世を去った。
「ですが」
と、ノノ総裁は人差し指を立てて言う。
「イワト氏が、異世界侵攻の下準備として進めていた二つの研究は、別の形で残され、進行していきます。ひとつが、異世界転移技術を確立させるための研究、そしてもうひとつが、異世界の人間と渡り合うことのできる兵士の育成です」
イワト氏の目的を聞けば、納得できる話ではある。
1900年代半ばは、まだ相似疑界理論も提唱されておらず、異世界への転移は偶発的な事故によって起こりえるものでしかなかったはずだ。技術を確立しなければ、野望も夢物語で終わってしまう。
「イワト氏には四人の腹心がいて、そのうち二人は異世界転移技術の、二人は兵士育成の研究を任されていました。が、まぁ結局のところ、異世界転移技術のほうは確立されることはありませんでした」
「どうしてです? 理論的にはその、2010年くらいには、十分すぎるものができていたと思うんですが……」
「まぁ、お金にならなかったからでしょうね」
ノノ総裁は少し遠い目をして言った。
「イワト氏の死後、さほど忠誠心があったわけではない二人の腹心は、私腹を肥やすためにその研究と財産を引き継ぐわけです。財産を引き継いだ方は、国会議員になりましたが汚職が暴かれて失脚、研究を引き継いだ方は、その研究を別分野で活用し始めました。量子ネットワークとか、ドライブ技術とか」
確かに、量子ネットワーク技術やドライブ技術にも、相似疑界理論はその骨子が使われている。今ではより洗練された理論が存在するため、本当に初期の初期は、という話であったと聞くが。
「こちらの人物も最終的には失脚します。2013年、夏ごろの話です」
「そこだけずいぶん詳細なんですね」
「ええ、まあ」
ミライの言葉に、ノノ総裁は少しだけ曖昧に頷く。
「ですが問題はもう片方、兵士育成研究の方です。こちらを任されていたコウノ、トリノという二人の人物は、イワト氏への忠誠心が篤かった。つまり、氏の死後も、その望み通りに研究を進めていきました」
ミライはその時点で少しだけ、嫌な予感がしていた。
すでに、ノノ総裁の話は、かなり核心に迫っているように感じていたのだ。核心、すなわち、アカリの謎についてである。
ノノ総裁も厳密には、その謎について心当たりがあるわけではない。だが、おそらく関係あるであろう存在として、とある施設の名前を挙げていた。
それが――、
「“かがやきの家”」
それまで、壁際でぶつぶつと何かをつぶやいていたマジマが、はっきりとした声で言った。
ミライとノノ総裁は、マジマのほうを向きなおる。
「コウノとトリノが運営していた児童養護施設が、それだ。そこでは、引き取られた子供を用いて、異世界侵攻用の兵士として育てるための研究が続けられていた」
おおよそ、想像していた通りの内容であったとはいえ、ミライはその言葉に顔をしかめた。マジマはそんなミライを見て、それからノノ総裁を見る。
「ここから先は俺が話す」
「お願いします」
そうして、マジマは、もう一度ミライを見た。
「たぶん、おまえにもある程度は思い至るような話だろう。それでも聞くか?」
「そりゃ、聞きますよ。ここまで聞いたんだから」
「そうか」
マジマは大きくため息をつき、それから、少しばかり天井を見上げた。彼は口を開き、ゆっくりとしゃべりだす。
「当時、日本政府には内閣特殊異能対策室という秘密セクションが存在した。“かがやきの家”自体はその時点ですでに消滅していたが、コウノとトリノはその後も隠れての研究を続けていて、内特対はその摘発を狙っていた」
マジマの、何か記憶を掘り起こしているかのようなしゃべりを、ミライは黙って聞いている。
「その決行は、2021年。内特対が把握している複数の異能者、異世界出身者、異世界帰還者などを中心にチームが編成された」
そこで言葉を区切り、マジマは自身の腕を見る。しばらく目を細めてから、彼ははっきりとこう言った。
「その中には、俺もいた」
次回更新予定日は2020年4月1日です。