一義の憂鬱11
一義は大都市シダラの貴族街へと向けて足を運んでいた。
お供のかしまし娘も連れずに。
兵士に先導されながら。
学院の顧問室でまったりしているところに伯爵の使いから呼び出しを受けたのだ。
「嫌だ」
と言った一義に、
「では私をここで殺してください」
と使いの者は言った。
つまり、
「何があっても連れてこい」
との命を受けているらしい。
ガシガシと後頭部を掻いて、
「じゃあ放課後訪ねるから」
と一義は言い、
「もてなしはコーヒー一杯。それ以上は受け付けない」
と念押しした。
そんなわけでコーヒーの一杯を飲むためだけに一義は貴族街へと向かっているのだった。
市場に隣接した宿舎に住んでいる一義にしてみれば貴族街は別世界だ。
広大な土地に誂えられた庭園。
巨大な屋敷。
働く大勢の使用人。
そのどれもが一義をうんざりさせる。
「どうして権威や名誉を目に見える形にしなくてはならないのか?」
ある意味で異端とも考えられる一義の思考ではあるが、貴族にとってはこれが普通であることも理解だけはしている。
同調はしないが。
ともあれ貴族の私兵に連れられて伯爵の屋敷を訪ねる一義。
認識を受けて門が開き、整えられた庭園を通って屋敷の中に入る。
そして一目で豪華とわかる照明や壁やカーペットを見て嘆息した。
気圧されることなぞ何もない。
ただ趣味が悪いとだけ思う。
そして兵士に連れられて屋敷の一室に導かれた。
兵士がコンコンとノックして一義を連れてきたことを告げる。
「入りなさい」
と返事があった。
兵士は厳かに部屋の扉を開いて、一義を催促する。
そして一義が部屋に入ると慇懃に一礼して退室した。
部屋にいるのは一義と一義を招いた者だけ。
伯爵は白髪の目立つ老齢の人物だった。
意外に思う一義。
一義を取り込もうとした貴族は何も今回の伯爵が初めてというわけではない。
血気盛んな男爵や子爵が一義の能力を見込んで声をかけてくるのだった。
その誰もが若く、貴族の立場を確立するために一義を利用しようとする連中ばかりだった。
一義の能力をもってすれば発言権もいや増すという後ろ暗い打算があったのだ。
そしてそういった打算を弾くのはえてして若い貴族だった。
顧みて此度の伯爵は老齢だ。
今更一義に色目を使う必要が見当たらない。
仮にあるとしてもそれは伯爵家を引き継ぐ子孫との対面でなければないだろうか、などと思ってしまうのだったし、それが順当と言うものだ。
老齢の伯爵は既に席に着いており、
「呼び立てて申し訳なかった」
貴族にしては謙虚な第一声を放った。
対して、
「美味しいコーヒーを御馳走になりに来ただけですよ。それ以上の感情は持っていませんからお気遣いなく」
一義は先手をうった。
使用人が丁寧に入室してきて一義と伯爵にコーヒーを振る舞い、それから退室する。
一義はコーヒーカップを傾けて、舌を楽しませる。
「それで? 何の用です?」
コーヒーカップを受け皿にカチンと置くと本質を切り出す。
「率直だね」
「遠慮はどこかに落としたもので」
一義は肩をすくめる。
「で? 僕を兵器として運用するおつもりで?」
「身も蓋もないね。親しく交友しようと言い換えてはもらえないかな?」
「そんな話は聞き飽きているんですよ」
「だろうね」
くつくつと伯爵は笑う。
「ともあれ伯爵お抱えの魔術師になれってことなんでしょうけどお断りしますよ。僕は貴族が嫌いなんで」
「しかして貴族が都市を支配しなければ絵画や音楽や舞台などの文化の保護はままならないだろう。領民の守護も貴族の務めだ。貴族を贅沢三昧の苦労知らずとこき下ろすのは早計だとは思わないかね?」
「思いませんね」
一義はむしろ淡々と言った。
「その文化を保護する資金は何処から出たものでしょう? この豪奢な屋敷を建て維持しているのは何によってでしょう?」
「…………」
沈黙する伯爵。
「貴族が領民を守ると言いましたね。では伯爵……あなたは鉄の国との闘争において領民を無視してまっしぐらに突撃したんですか? どうせ貴族というだけで軍隊の最後尾に位置して命令を下しただけではないんですか?」
「手厳しいな」
「そして僕をも武力として取り込もうとしている。武力を持つということが自慢のタネになると本気で思っているならおめでたいとしか言い様がありませんね」
言いきって一義はコーヒーを飲む。
特有の香りが一義の口内に広がる。
「どうも求める物を間違えておいでですね。これ以上力になれるとは思えません。失礼させていただきます」
「ここから帰さない……と言えば?」
「ほう?」
一義は苦笑する。
「まさか争う気ですか? 僕と? 自身と引き換えに? 前例が既にある状態で?」
これは一義の言うとおりだった。
一義を無理矢理に抱きこもうとして殺された貴族がいるのだ。
そしてミスト女王陛下の鶴の一声によって一義の罪は不問となっている。
それを知らない伯爵ではない。
故に肩をすくめて最後の質問をした。
「夕餉を準備させているが食べていかないかね?」
「料理を作って待っている女の子がいるんです。その提案には乗れません」
苦笑する一義。
貴族に対しても、
「何を遠慮することがあるものか」
という態度が如実に表れている。
それが一義という存在だった。
そして最近の一義の憂鬱の種でもあった。