一義の憂鬱08
夜が更ける。
一義は靴を履いて玄関に立った。
「お出かけですか?」
そんな声がかけられる。
一義はドアノブを掴んだまま振り返った。
メイド服を着た姫々が背後をとっていた。
無論一義は気付いていたが。
「ちょっと月見にね」
一義は取り繕う。
「ですか」
一義と過去を共有している姫々にしてみれば納得せざるをえない……しなければならない案件だ。
そんなことは姫々にはわかっている。
一義もわかっている。
銀色の瞳が憂うように揺れる。
一義は姫々の銀色の髪を撫ぜる。
「大丈夫だよ。感傷に浸るだけだから」
安心されるように言って、
「……っ」
姫々の頬にキスをした。
「お帰りをお待ちしております」
「先に寝てていいよ?」
「お待ちしております」
「まぁ……好きにしなよ」
それ以上は、と一義は割り切る。
玄関から外に出る。
夜も更け天空には月が出ていた。
月は和の国では永遠の象徴。
しかしてシェイクランス曰く、
「あなたの愛も月の満ち欠けのように変わるのか」
という様に大陸西方では気まぐれと夜の使者であった。
「なんだかな」
一義は苦笑する。
あるいは憫笑といった方が適切かもしれない。
すくなくとも一義の心の闇は深く暗い。
笑わなければ、
「やってられない」
という気分だった。
「月子……」
と月を見て一義はズキリと心をきしませる。
「きっと君こそが僕の金色だった」
やはり憫笑する他なかった。
「諦めましたよ。どう諦めた。諦めきれぬと諦めた……か」
それは和の国に伝わる言葉遊びの一節だった。
「まぁ」
一義は独りごちる。
「ハーレムに対する裏切りではあるけどね」
ガシガシと後頭部を掻いてシダラの夜の街道を歩く。
天には月と星の明かり。
地には魔術の明かり。
酒場や賭博場が活発な商売をしているのだった。
「やれやれ」
一義は自嘲する。
そして、大通りから小路に身を移す。
途端に暗くなった。
一義の心も。
風景も。
そして一義が言う。
「出てくれば?」
暗黒の虚空に放たれた一義の言葉に、
「是」
と誰かが答える。
そして夜の闇から現れたのは漆黒の服を着て宗教的仮面を顔に張り付けた珍妙な人間だった。
「……ファンダメンタリスト」
一義には心当たりがあった。
「是」
ファンダメンタリスト。
それはヤーウェ教原理主義過激派の総称だ。
そしてその思想によって成り立つ使徒のことも指す。
「ヤーウェ教に背く罰当たりは鏖殺すべし」
という理念によって動く暗殺部隊だ。
「反魂を保護する貴様は……」
「そういう御託はいいからかかってきなよ。アイリーンを殺す前に僕を殺しておきたいんでしょ?」
「是」
答えてファンダメンタリストは疾風となった。
常人ではありえない加速。
薬術に因るブーストがかかっている前提であっても見事な加速だった。
しかして一義も負けてはない。
常人には対応できないスピードにすら食いつくのである。
槍の穂先だけを取り出したような暗器……クナイを片手にファンダメンタリストの毒ナイフを弾く。
丁々発止。
一義と使徒とがナイフを振るって互いを害そうとする。
「……っ!」
一瞬の隙をついたのはファンダメンタリスト。
一義の頬にナイフが掠る。
同時に一義はファンダメンタリストの喉にクナイを突き刺した。
「勝負あったね」
「我々の勝ちだ。我も死ぬが貴様も死ぬ」
先に言ったようにナイフには毒がしこんであり、一義の頬を掠ったのだ。
致死性の毒を前に、しかして、
「大丈夫。僕に毒は通じないから」
一義はあっけらかんと言った。
あらゆる毒の耐性を持つ忍としての一義にしてみれば西洋の安直な毒なぞ何ほどのものでもないのだ。
「…………」
無言で死ぬファンダメンタリストの刺客。
そが最後に思ったことなど一義の知ったことではない。
月はそんな二人を無慈悲に見下ろすだけだった。