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ぱらさいと  作者: 楸由宇
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虚筺綺譚(其の弐)

■はこ

 一瞬後、子供たちは恐れとも取れる表情を顔に浮かべ、足元に転がっていた鞠を手に逃げるように走り去っていった。

 老婆は相変わらず前歯のない笑顔を顔に張りつかせ、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、もうすぐ日も暮れるし、明日は祭りもあるので、今晩は泊まっていき、祭りに参加してから帰ってはどうかというようなことを言った。

 じいさまは、断りたかったので友人と相談しようと思ったのだが、その友人はあっけなく快諾してしまった。

「だら、うーげの支度っから、ちぃたあまでれ」

 そう言って、笑みを浮かべると、老婆は台所とおぼしき部屋へと入っていった。

「何でそんなに簡単に泊まっていこうとするんだ?」

 老婆の姿が見えなくなると、じいさまは友人に詰め寄った。

「何でって、また夜中に山の中を何時間も歩くつもりか?」

 友人は至極尤もなことを言う。

「しかし……」

「何をびくびくしてるんだよ」

 そう言って、友人は笑った。

「別に、人食い人種の村なんて訳ないだろ。お前は小心者だな」

 友人は追い打ちをかけるように言って、また笑う。

 じいさまは口を開きかけたが、この友人には何を言っても無駄と諦めて、友人の顔から朱に染まる庭に目を向けた。

 実は、じいさまにはちょっとした秘密があった。

 世代を追うごとに弱くはなっているが、母親と俺にも受け継がれてる力。

 そう、じいさまは「見える人」だった。

 戦地へ向かう船の上で、今まさに亡くなろうとしている母親の姿を見たり、東南アジアのジャングルの中で目に見えぬ何かに追いかけられたり、家の前で飼っていた犬が亡くなろうとしたそのとき、家の中でその犬の気配を感じたりと、俺は小さいころからその手の話はよく聞かされていたし、長じて自分も同じような体験をしてきた。しかし、今はそんな話をしている場合じゃない。

 その第6感ともいうべき何かが、村に足を踏み入れたときからじいさまに警笛を鳴らし続けていた。

 幸いなことにというか、生憎なことに、この友人はそんなことをちっとも信じてないし、これっぽっちも感じることはないようだ。

 朱が紫に変わり、紺色へと近づいていく風景を眺めながら、何もなければいいけれどもと、じいさまは思っていたそうだ。


 老婆が用意してくれた夕食は、質素だったが、久方ぶりに暖かい物を食べた2人には、立派なご馳走だった。

 雑穀混じりの御飯、山菜のようなものが入った汁物、鄙びた色の漬け物に、先ほどもいただいた胡瓜がそのまま。

 ちろちろと瞬くランプの光に照らされながら、最初のうち、3人は無言で箸を進めていた。

 そのうち、友人がちらちらと老婆に村のことや祭りのことを聞き始めた。

 相変わらず聞き取りにくい言葉で、友人は何度も聞き返したが、老婆は嫌な顔もせず、根気よく説明をしてくれた。

 老婆の話によると、この村は数百年は続いているらしい。そもそも2人が向かおうとしていたバス停のある村、そこはこの村の分村だったということだ。しかし、時代が降るにつれ、交通の便の良かった分村の方が発達し、本来宗主だったはずのこの村だけが時代に取り残されていったのだという。そして、本家の方が貧しく、分家の方が富んでいるという状況がずうっと続いているらしい。

 また、この村の家の長男が妙齢になると、その国道沿いの村、下ノしものむらと老婆は呼んでいたが、から花嫁を迎えるらしい。老婆もその1人らしい。もうも昔のことだで、そう言って老婆は笑った。

 それから、この村には電気はまだ届いていないようだ。何せ徒歩で5時間以上もかかるような山道に電線を引いてくるのは、非常に重労働だ。というか、無駄であろう。一時は電線を引いてくるという話もあったようだが、戦争でうやむやになったまま、今日に至るという話だ。

 祭りについての話は、はっきりとは分からなかった。ただでさえ分かりにくい老婆の言葉に、聞いたこともないし、想像もつかない固有名詞のオンパレードだったからだ。

 それでも、何となく分かったのは、年に一度、お盆の10日前に行われるということ。下ノ村からもほとんどの住民が参加すること。祭りは朝から始まり、正午ぴったりに終わること。

 また、社に祀られているのは、「れんてん様」と「しゃんてん様」の二柱の神様らしいということ。御神体は、一辺が一尺ほどの立方体の箱だということ。

 そして、ここが大事だが、祭りの前にこの村を訪れた人は、必ず客人まろうどとして持て成すこと。

 以上が、友人と老婆の会話からじいさまがうかがい知れたことだった。

 食事も終わり、聞きにくい老婆の話に全身全霊を傾ける以外にすることもなく、だらだらと時間を過ごしていたが、突然老婆は立ち上がり、ふらふらと奥の間へ消えていった。

「何なんだろうな、この村は……」

 じいさまは、友人に話しかけた。

「あっち側が分村だなんてなあ。どう見たって、こっちが分村なのにな」

 友人は笑っている。じいさまとは違い、祭りのことよりも村そのものの方に興味があるようだ。

 何でこの村はつぶれなかったのだろうかと考えていると、ふとあの社がじいさまの頭に浮かんだ。


 老婆が暗闇の中から姿を現したとき、その腕には一升瓶が抱えられていた。死んだ爺さんの忘れ形見だとか何とか言いながら、昼間に麦茶を飲んだ湯飲みにいつのものかもわからない液体を注いだ。

 老婆は、お酒を飲むのは久しぶりだというようなことを言い、何も気にしないで自分の湯飲みに口を付けた。

 じいさまと友人は顔を見合わせ、苦笑した。

 そして、2人で同時におそるおそる湯飲みを口に運んだ。

 おそるおそる飲んでみたものの、おかしな味がするわけでもなく、それどころか非常に飲みやすいものだった。

 また、2人は顔を見合わせて、それから同時に湯飲みの中を飲み干した。

 アルコールが入り、気分も良くなったじいさまは、老婆と友人の会話にいつしか参加していた。

 じいさまよりもハイペースで杯を煽っていた友人の呂律が段々と回らなくなっていき、いつしか舟を漕ぎ始めてから、じいさまは老婆に祭りのことを尋ねた。

 老婆は余りお酒に強くないのだろう。眠そうな顔をしながら、それでもぽつりぽつりと語り始めた。

 じいさまも途中で舟を漕いでしまったし、話も言葉も分かりづらかったが、何とか覚えているところを要約すると、以下のような話らしかった。


 この村は元々ある貴いお方とそのお供がお隠れになられた場所だった。

 木しかなかったこの場所を拓き、風雨をしのげる家屋を建て、糊口をしのげる畑を作り、彼らの支えとなる社を造り氏神様を祀った。

 それが何百年だか前の話らしい。

 そして、徐々にこの場所も住みよい場所へと変わってきたころ、突如アガラッパが現れたという。

 アガラッパとは何かとの問いに、猿のような醜い物の怪じゃ、と老婆は答えた。

 アガラッパは、村を襲い、娘らをさらい、食料を奪っていった。

 男どもも抗ったが、所詮多勢に無勢、雲霞の如く押し寄せるアガラッパには敵うはずもなかった。

 そこで、その貴人は、氏神様にある願を懸けた。

 そのお陰で、1年間はアガラッパから村を守ることが出来た。

 しかし、氏神様の力も1年しか保たず、1年間の眠りにつかれた。

 そして、そのときから、また村はアガラッパに襲われることになった。

 再びアガラッパの脅威にさらされることになった村を守るため、その貴人は、この村の周りにある山の神に願を懸けた。

 そして、山の神はこう答えた。

「生贄を捧げれば、1年間は村を守ってやろう」

 悩み抜いた貴人だったが、自分を山の神に捧げることによって、村を守ることにした。

 後のことを、元服したばかりの息子に託し、貴人は自らの首を山の神に捧げ、1年間の安寧を村にもたらした。

 次の1年間は眠りから覚めた氏神が村を守ってくれたため、生贄を捧げる必要は無かった。

 1年が過ぎ、氏神様が眠りについたとき、またアガラッパたちが村を襲ってきた。

 貴人の息子らは奮闘し、何とか1度目の襲撃を退散させることが出来た。

 そこで、貴人の息子は山の神に願を懸けた。

 山の神の返答は、人の首、若しくは貴人の血を吸った土を供えよと。

 そこで、息子は父が首を切り落とした場所の土をかき集め、箱に詰めて、山の神に供えた。

 そして、また1年間の安寧が約束された。

 その次の年は、眠りから覚めた氏神様が守ってくれた。

 その次の年、三度アガラッパが村を襲ってきた。このときは、貴人の息子らの奮闘により、何匹かのアガラッパを討ち取り、1度目は退散させることが出来たが、次に襲われたとき、抵抗できるだけの力はもう残っていなかった。

 そこで、貴人の息子は、討ち取った手首を山の神に捧げたが、山の神は納得をしなかった。首なら一つ、手首ならとおは必要だとのことだった。若しくは、生贄の血を吸った土が必要だった。しかし、ここにあるアガラッパの手首は六つ。あと四つ足りなかった。

 悩み抜いた末、貴人の息子は、父と同じ道を選ぼうとしたが、高齢に差し掛かったお供が自らの首を差し出すことで、この村が指導者である貴人の息子を失うことを避けた。

 そうして、次の1年間はそのお供の犠牲によって、村は守られることになった。


 これらが、祭りの起源であると、老婆は語った。

「それでは、あの社に祀られているという御神体の箱の中身は……?」

 じいさまが問うと、老婆は答えた。

「かうべが入ってるど、土が詰まってるど、手首が入ってるども聞けども、あーは知んな」

−−生首が入ってるとか、土が詰まってるとか、幾つもの手首がはいってるとか聞くけれども、儂は知らんな。

 じいさまに残っている記憶は、そこら辺までだった。

 

■しゃんてんまぢり

 翌朝、2人が目を覚ましたとき、既に老婆の姿は家の中に無かった。

 ちゃぶ台とも言い難い小さなテーブルの上に、握り飯が二つずつ笹のようなものついて包まれて置いてあった。その横には、二つの湯飲みと薬缶。中身は、相変わらず薄い麦茶だった。

 それほど飲んだつもりはなくても、ズキズキと痛む頭を抱え、2人は握り飯を麦茶で流し込んだ。

 じいさまは、昨夜の老婆との会話を反芻しながら、2杯目の麦茶を飲んでいた。

 そして、一つのことを思い出した。

 今年は氏神様の年なのか、それとも山の神様の年なのかという問に対する老婆の答えだった。

 老婆は、今年は山神様の年だと、はっきりと答えていた。


 2人は立ち上がることもせず、だらだらと座りながら麦茶を啜っていた。

 そして、じいさまは外が騒がしいことに気づいた。開け放たれた縁側から、外の喧噪が風に乗って届いてくる。

 ああ、本当に祭りがあるんだな。

 そう思ったじいさまは、友人が寝た後に老婆から聞いた話を語った。

 話を聞き終わった友人は、笑いながらこう言った。

「ふーん。今年は山神様の年なのか。その生贄とやらを拝めるのかな?」

 じいさまは、曖昧な笑みを浮かべただけで、何も答えなかった。

 何となく気になる点があったからだ。

 昨日聞いた話には出てこなかった。いや、もしかしたら聞いていたのかもしれないが、覚えていないだけなのかもしれないが。

 それは、友人が昨日聞いたという「客人」と「祭り」の関係だった。

 まさか「客人」を「生贄」にするわけではあるまいな……。

 大昔ならいざ知らず。この昭和のご時世にそんなことがあるわけないか……。

 じいさまは、そう自分に言い聞かせ、言葉を飲み込んだ。

 そのとき、庭に小さな影が走り込んできた。昨日のげー坊だった。

「まぢり」

 社の方を指差しそう言って、手招きをした。そして、2人の行動も確かめずに来たときと同じように走り去っていった。

 じいさまと友人は、顔を見合わせた後、ゆっくりと立ち上がった。


 廃村かと見間違うばかりの昨日の村の状況とは一変していた。

 人、人、人。

 どこから湧いて出てきたのかというぐらいの人だった。老若男女。大人も子供も老人も。

 その内の何人かは、手に小さな箱のようなものを持っていた。

 また、何かを期待するような目で、多くの人々は社に目を向けていた。

 2人はお世話になった老婆を捜したが、人が多すぎて見当たらなかった。

 老婆も見当たらず、ちらちらと視線を寄越す村人たちの中にいるのも居心地が悪いので、2人は広場の中心を離れ、広場の縁をぐるっと周って、最終的に昨日老婆と出会った辺りで落ち着いた。

 改めて見ても、まるで昨日の村とは別の場所のようだった。

 この人々は国道沿いにある村から来たのだろう。しかし、いつの間にという疑問は残った。慣れた者でも5時間かかると言っていた。恐らく子供や老人もいるだろう。この時間に、この村に来るためには、遅くとも日の出前には出発しなければいけないはずだった。

 そんなことを考えていると、徐々に喧噪が小さくなっていき、社の周りに集まっていた人の輪がすーっと外側に広がって、人垣に阻まれて見えなかった社の様子が見えるようになってきた。

 そして、太鼓の音が響いてきた。


 以下、祭りの様子に関しては、じいさまから聞いた直後にメモしたものをそのまま掲載する。

 何となく、そっちの方が伝わるかと思うので……。


社を中心に正方形に竿が立てられ、その先に正方形になるように注連縄が張られている

その正方形から少し離れるように、和太鼓が置かれている

頂点と辺の中心当たりに計8つ

普通の祭りで見られるような勢いのある打ち方はしない

どーんどどーん

どーんどどーん

どどどどどーん

スローな打ち方で、妙に下腹部に響く

そして、その正方形をさらに囲うように村人たちが円を作る

大人の男と女はみな手に小さな立方体の箱を持って前の方にいる

比較的きれいな物から垢まみれで薄汚れた物まで

大人たちの後には子供らや老人たちが手を合わせて頭を垂れている

襤褸を纏いぼさぼさの頭の男が輪の中に入ってくる

社の前までやってきて、太鼓に合わせて、さきの童歌に似た謡を謡う


れんてんしゃんてん

れんてんしゃんてん

ゆーどれらもね

ぬぎはのごがらみまりよった

あうどれらもね

れんてんしゃんてん

れんてんしゃんてん

ゆーどれらもね

かうべをたれてむまりよる

れんてんしゃんてん

れんてんしゃんてん

あうどれらもね

ちまむりちまむれ

はこでいぎたれ

どうにいぎたれ

ちまむりちまむれ

はこでいぎたれ

どうにいぎたれ

ちまむりちまむれ

はこでいぎたれ

どうにいぎたれ


2回目の「ちまむり〜」以降は、村人も一緒に叫んでいる

箱を持った男女は、それらを頭の上に掲げて、左右に振っている

老人たちの中には、その場にしゃがみ込んで胸の前に手を組み、何やら一生懸命唱えている人もいる


「ちまむり〜」以降を何度も繰り返し、何度も繰り返す

20分以上経つと、急に太鼓のリズムが陽気なものに変わり、輪になっていた村人が突然踊り出す

盆踊りと阿波踊りとどこかジャングルの奥地の名も知らぬ民族の踊りを足して3で割ったような代物だ

若い者たちは、奇声を上げ、狂ったように身体を動かしながら、社の周りを反時計回りに回っている

老人たちも一生懸命に手足を動かし、輪の外側をゆっくりと回っている

子供たちも奇声を上げながら、輪の内側から外側を走り回っている

この踊りも15分以上続き、突如太鼓の音が止むと、村人は輪の中心の襤褸の男へとわっと襲いかかった

村人たちに蹴られ殴られ、頭を抱えてへたり込んでいる男の姿が、村人たちの隙間からちらちらと見えた

そして、いつの間にか村の男たちの頭上へと抱えられた襤褸の男は、どこかへ担がれていった

数分後、「せいやっ」という男たちの叫びと、どぼんという水に何かが投げ込まれた音がした

そして、静寂が村を包み、祭りは終わった


 以上が、「じいさまから聞いた直後に書いたメモ」の内容だ。


 祭りというか、気の狂ったような騒ぎを2人は身じろぎもせずに、黙って立ち竦んだまま見ていた。恐らく1時間も経っていないだろう。しかし、あれは非常に長く感じられたと、じいさまは語った。

 そして、襤褸の男を担いでいった男衆が広場へ戻ってくると、皆で社に向かって2拍1礼し、蜘蛛の子を散らすように広場から去っていった。

 その中に、あの老婆が2人の方へ向かってくるのが見えた。

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