9.代償と心配
目の前で床に崩れ落ちて痙攣する奴を一瞥して踵を返した。二人の男は溺れて息の根を留めていた。
掛けた呪いは『自分が恐れる無数の未来を延々と見続ける』呪い。二度と覚めることのない呪いだ。精神から攻めて、呪いを解かない限り目覚めることもないため身体も弱り最後には衰弱して夢の中で死んでいく。
私の知りうる中で最も恐ろしい呪い。使ったのは初めてだけれど、上手くいって良かった。
薄暗い階段を上がっていく。と、不意に視界が歪んだ。刺すような鋭い痛みが眼球を襲う。痛みからか、頬を涙が伝うのを感じた。ふらついて階段を転がり落ちないように壁に手を付き俯く。
扉はすぐそこなのに、痛みで身体が動かせない。肩上のトワルがガァガァと鳴いているのがどこか遠くに思える。
代償だ。この瞳を使って呪いをかけたことによる負荷。強い呪いを掛けたのだ、それ相応の代償が起こっただけ。
「……ッ」
痛い。見えない。痛い。
怖い――
「レーツェルさん! そこに居ますか?!」
「……エーリヒ、様……?」
彼の声が、扉の向こうから聞こえた。それに少しだけほっとする。独りではない。
「今扉を開けますね!」
「あっ……!」
扉が開かれる瞬間に慌てて目を閉じた。髪は見られても構わない。けれどこの瞳は、瞳だけは見せてはダメ。見られてしまえば、私は――
顔を上げて、彼がいるであろう方向へ向いた。
「すみません、少し想定外のことが」
「レーツェルさん目ッ?! どうしたのそれ目から血流れてる!!」
「え」
どうやら涙と思ったのは血涙だったらしい。今目を開けると白目は真っ赤に染まっているだろう。なんという恐怖展開。なおのこと目は開けられない。
「落ち着いてください。これは一時的なものなので、時間を置けば治ります」
「よくない落ち着けない早く戻ろう」
「あ、あの……きゃあ?!」
無感情な声音に戸惑っていると突然身体が浮いた。何が起こったのか分からず固まる。ややあって、横抱きにされたのだと理解するも、初めてのことにただ縮こまるしかできなかった。
背中と膝裏に回された腕は思いのほかガッシリしていた。
「……軽っ」
「? あの、何か……?」
ふと彼が何か言ったような気がして問い返すが、彼はいえなんでも、と返した。そのままスタスタと歩き出す。
「大人しくしててくださいね」
「えっ、えっ??」
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「……少々大袈裟では?」
「そんなことないですよ」
星鈴館に帰るなりサンルームにあるガーデンチェアに寝かされた。頭の下にはクッション、目の上には濡れたタオル。動こうとするとすぐに「だめです!」の声が飛んできた。
たかが血涙にそこまでしなくても……と思う気持ちと、心配が嬉しい、という気持ちが混ざる。ここ数年は体調を崩してもひとりで治るのを待っていたから、看病されるのはとても久し振りだ。
どこか看病が手慣れている気がして聞くと、騎士の宿舎でよく酔い潰れた仲間を介抱していたからだと言う。「レーツェルさんは軽いですし全然苦じゃありませんよ」と笑う彼は、本当に優しい。優しすぎる。
私にはこんなことをしてもらえる資格はないというのに。
タオルの下でそっと瞼を開けた。何度か瞬きをして、違和がないことを確認する。これなら、もう大丈夫だ。
目を閉じた状態でゆっくりと体を起こし、タオルを取る。制止しようとする彼に首を振ってから、そばに置かれていたヴェールを着けた。
「ご迷惑をお掛けしました。もう大丈夫です」
「でも目から血を流すなんて、普通じゃないですよ」
彼は心配そうに床に膝をついて私と目線を合わせた。その緑色の瞳が私を射抜く。
血涙は呪いを掛けた反動だと説明しても、その態度は変わらなかった。心配そうにこちらを見ては、甲斐甲斐しく水を持ってきたり外で買ってきた食べ物を持ってきたり。
顔について触れられないのは良かったけれど、こうも尽くされるとこそばゆい気持ちになる。
まるで、恋人にするような行動で……
そこまで考えて、慌てて思考をやめた。これ以上はダメだ。
大切にされて嬉しいのも、そばにいてくれることが安心するのも、ずっとひとりだったから。そうに決まっている。
そうでなければならない。
この、胸の奥が温かくなるような感覚に、蓋をして鍵をかけなければ。
でも。少しであれば、赦されるだろうか。今この時だけ。この優しさに、甘えても良いだろうか。
なぜか、泣きたくなった。




