3.母の教え
『レーツェル』
『なぁに? おかーさま』
優しく名を呼ばれ、きょとんと見上げると大きな手が頭を撫でてくれた。それが嬉しくて、その手に抱きつく。
『レーツェル、よく聞いて。私たちが受け継ぐ魔法は、良い使い方をしなければならないのよ』
『まほう?』
『そう、魔法』
両脇に手が差し入れられ、抱き上げられた。近くなった顔に頬擦りすると、同じようにしかえしてくれた。
『未来を視ることができる魔法。でも、良いことばかりではないの。良くても悪くても〝変えちゃだめ〟な未来があるの』
『どうして? わるいみらいなら、いいみらいにしたほうがいいのに!』
そう言うと、困ったように笑って頬を突かれた。
『それでも、だめなの。でも、本当に変えたい未来、救いたい命があったら――――』
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ガタンッ!
「うぐっ……?!」
全身を強かに打ち付けて、目が覚めた。どうやらベッドから落ちたらしい。
最近は寝相よく寝れていたのに。
痛む腰を擦りつつ、立ち上がってカーテンを開ける。
〈星鈴館〉の2階からは居住スペースになっていて、最上階である3階に私の寝室はあった。
開いた窓の外に広がる空は瑠璃色に染まり、辺りは静まり返っていた。
窓枠に肘をつき、ぼんやりと外を眺める。
懐かしい夢を見た。もう、顔も覚えていない母とした、他愛ない話。あの後、母は何と言ったのだったか。何しろもう十数年は前の話だ、疾うの昔に忘れてしまった。
とても大切な、覚えておかなければならないことを言われた気がするものの、どれだけ記憶を探ろうとも出てくることはなく。諦め、窓を閉めた。
意図したものではなかったけれど、折角の早起きを活用しない手はない。ちょうど薬草やハーブが少なくなっていたところだ。森に行って採ってこよう。
この時期に生えているものを頭の中で思い浮かべながら着替える。
ふと姿見を見ると、ひょろりとした細身の女が私を見返してきていた。
胸下までの真っ白な髪は右側に寄せて三つ編みに。黄金の瞳を覆い隠すようにヴェールを着け、髪も羽織ったローブのフードを被って見えなくした。
「……よし」
おかしなところはないか、くまなく確認してからバスケットを持った。扉に鍵をかけて、館がある路地から大通りに出る。
早朝の街は普段の喧騒は嘘のように静まり返っていた。人は皆寝静まっているこの静寂が私は好きだ。もちろん、活気に溢れた市場も好きだけれど。
街の東側に広がる森に入ると、下草に付いていた朝露がローブの裾を濡らした。朝早いせいで、鳥の鳴き声すらしない静かな森の中を迷いなく歩いていく。
この街で暮らし始めてからだいぶ経った。その間、月に2、3は森に入って採取をしていたから、もう慣れたものだ。最初は趣味で作っていたサシェやハーブティーを気に入ったお客が商品として買ってくれるようになってから、それらも収入の1つになっていた。
いつものルートで、生えている植物を少しずつ、色々な場所で採取してバスケットに入れていく。決して、その場所に生えているものを根こそぎ採ってはならない。母から習った、『森に生かさせてもらっている以上、生態系を乱してはだめ』という教えは、私の中に根付いていた。
木々が生い茂る獣道に沿って歩くと、少し開けた場所に着く。周りよりも大人1人分高いそこにぽつんとある切り株に腰掛けた。
ヴェールを外して、上を見上げた。
白み始めた空が徐々に色を変えていくのを眺めるこの時間が、とても好きだった。世界が静かに移り変わっていくのを見るような、そんな感覚に陥る。
世界には意思が在るのだと、母は言った。
母も、私と同じ《未来予知》の魔法の使い手だった。
何度も〚死の未来〛を見ては、それを告げずに知らん振りをすることに罪悪感を覚えていると、幼い私を膝上に乗せ語った。
まだ幼かった私はその意味を理解できずにいたけれど、今となっては痛いほど分かる。
『未来を変えることは、大いなる世界の意志に背くこと』
〝死〟の運命を変えることは、世界の禁忌なのだ。世界を壊しかねない歪を生む。
世界の意思に逆らえずに、ただ死ぬのを見ている。
こんな魔法、誰がいつ、何のために生み出したのだろう。
なぜ、血族に受け継がれているのだろう。
答えのない問いを何度も考えた。
『救えないのなら、なぜ見せるのだろうか』
『知らずにいた方が良かったのに』
まるで、呪いのようだ。
罪悪感に圧し潰されそうになるたび、空を見上げた。
変えられずにいる世界だけれど、移り変わっていく空の色を見るたび、少しだけ心が軽くなる気がしたから。
朝日が昇っていくのを見て、なぜだか泣きたくなった。
何も変えられない、救えない私が生きている意味は何処にあるのだろう。
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気づけば朝日は昇りきっていて、慌てて立ち上がって採取に戻った。
奥の方にも足を伸ばしたから、帰ってきた時には街の市場は活気に溢れていた。焼き立てのパンの匂い、はしゃぐ子供たちの声と足音、仕事へ向かう父親たちの話し声。その中を足早に通り過ぎる。
路地に入り、館が見えてくると誰かが扉の近くに立っているのが見えた。
見覚えのある色素が薄い茶色の髪に、緑色の瞳――昨日泣き崩れていた青年だ。昨日とは打って変わって、清潔感のあるシャツとトラウザーズを身に着けている。
陽の光に透けて所々金色を纏う髪を風に揺らす彼は壁にもたれて空を見上げていたが、私に気づくと嬉しそうに破顔した。
「占い師さん! おはようございます、今日はとてもいい天気ですね」
「……ええ、そうですね。ところで、今日はどうしてこちらに?」
近寄りながら、ヴェールの下で怪訝な顔をした。
なぜいるのだ。
昨日、彼に指輪について気付いたことを告げると、彼は銀貨を置いて館を出ていってしまった。慌てて私は何もしていない、銀貨など受け取れない、と返そうとしても『指輪について教えていただいたお礼です』と頑なに受け取らず。
結局、その銀貨は鍵付きの箱の中に仕舞った。ちょうどいい、今日彼に返してしまおう。
「少し、占い師さんに聞きたいことが――」
何か言いかけた彼が、険しい顔をして私を背に庇った。一瞬にして入れ替わった位置に驚き固まっていると、野太い声がした。
「おうおう、なんだ兄ちゃん。その女の情夫かぁ?」
「断じて違います。……彼女に何か用ですか?」
広い背中から顔を出すと、明らかにガラの悪い男が2人、路地の入り口を背にして立っていた。その視線は真っ直ぐ私に注がれていた。
「まぁな。だから、その女こっちに寄越してくんねぇか? 兄ちゃんも痛い目見たくないだろ」
「お断りします」
ピシャリ、言い切った彼はそっと私に囁く。
「占い師さん、合図したら中に入って鍵をかけて下さい。声を掛けるまで出てこないで」
「えっ? 待っ――」
制止の言葉を言い終わる前に、青年が男たちに向かって数歩踏み出した。
「中に! 早く!!」
「ッ!!」
「なっ、させるかっ!」
弾かれるように扉に駆け出して、解錠魔法を使う。背後で怒号と何かがぶつかる音がしたけれど、振り返らずに中へ入って鍵を締めた。
バスケットを抱きかかえたまま、扉を背にしてズルズルと座り込む。
おそらく、裏稼業の男たちだ。恐喝などで手配書が出ていたのを少し前に街の掲示板で見たことがあった。どうして私を狙っているのか、思い当たることもある。
でも、まさか……
「……占い師さん。終わりました。もう出てきて大丈夫です」
「あ……はい」
鍵を開けてそっと扉を開けると、青年の背後に男たちが伸びているのが見えた。対する彼は怪我一つしていない。
「……お強いんですね。助かりました。ありがとうございます」
「いえ、当然のことをしたまでです。それで、どうしましょうか。何か縛るものってあったりしますか?」
礼を言うと、彼は首を振った。彼が居なければ、危うく襲われるところだった。
今は気絶しているが、目を覚ましてまた襲いかかってこられては大変だ。拘束は必要だろう。
「いえ、ご心配には及ばないかと」
男たちに向けて手を翳し呪文を唱えると、光の輪が男たちの四肢を縛った。それを見た青年が目を見張る。
「捕縛魔法ですか。とても上手に魔法をお使いになるんですね」
「……そうでもないですよ」
男たちは浮かして、路地と大通りの境目に転がしておいた。手配犯だ、警邏が見つければそのまま御用にしてくれるだろう。
「どうぞ。お話があるのですよね。中でお聞きします」




