10.気持ち
呪いを掛けた代償で血涙を流し、赤に染まっていた白目は時間をおくと元通りになった。
翌日には体調は万全、嫌がらせをしてきていた犯人たちへの仕返しを再開した。と言っても、最初の時のように乗り込まずに、呪いを刻んだ魔石を投げ込んで夢見を悪くさせたり、幻聴を聞こえさせたり、幻覚を見せたり……ちまちまと地味に嫌な仕返しだ。実動隊はノワルとトワル。誰も異常事態を引き起こす魔石を設置した犯人が猫や鴉だとは思わないだろう。
最初のは特別だ。私の身を直接的に脅かした。私が最も嫌うことをしようとした。それだけで生かしておく理由はない。
あの屋敷は、「若い女性が無理やり連れ込まれたのを見た」という匿名の通報により警邏隊が突入。その結果、屋敷の中からこの国では禁止されている人身売買を行った証拠の書類が出てきたという。
表向きには『よく当たる』占いの館を装い、裏ではのめり込んできた人たちを騙して売り飛ばしていた事実が判明。関係者は全員牢の中に入れらた。首謀者は発見時、意識のない状態で、その後目覚めることなく衰弱死した。
これらの事件は首謀者の名前から取って『ヴェルドン事件』と呼ばれることになった。
以上が、今朝の新聞に載っていた事件の一部始終だ。なお、首謀者の名前をこの新聞で初めて知った。
「レーツェルさん、何見てるんです?」
ガーデンチェアに座って新聞を広げていると、後ろから彼が覗き込んできた。顔の近さに驚いたけれど、動揺を気取られないようにあくまで自然に距離を取る。
「ここに、例の屋敷についての記事が」
「あぁ、なるほど」
彼に新聞を渡すと、ひょいと隣に回って腰掛けた。
彼は朝から星鈴館に来て、日が沈んでから宿舎に帰るという生活をしていた。仕事は大丈夫なのかと訊いても、『上から与えられた休みに使っていなかった休暇を使ってるので大丈夫です』としか返ってこない。
館の常連にすら顔を覚えられ始めていた。
そしてどうも最近、彼と距離が近い。元々、人との距離を縮めるのが上手な人だとは感じていたけれど、ヴェルドン事件から一気に加速した気がする。
気付けばすぐ近くに居る。甲斐甲斐しく世話を焼こうとする。こちらとしては心臓に悪いので止めて頂きたいところだけれど……当人は無意識にやっているようで、言うに言えなかった。
何より、距離が縮まったことを喜んでしまう自分が居た。もう少し、あと少しだけ。そうやって、ズルズルと離れることを先延ばしにしてしまう。
「レーツェルさん? どうかしました?」
「……いえ。何でもありません」
不思議そうな顔をする彼から目を逸らし、やるべきことに意識を向けた。ここ最近はせっせと魔石呪いを刻む作業をしていたから、食料が少なくなっている。そろそろ買い出しに行くべきだろう。
「エーリヒ様、少しよろしいですか?」
「なんですかレーツェルさん」
声を掛けると彼は直ぐ様こちらを見た。やはり人懐っこい大型犬……いやなんでもない。
「買い出しに行こうと思うのですが、エーリヒ様はどうされま」
「一緒に行きます」
食い気味で宣言された。断る理由もないので了承して、2人並んで昼前の市場に繰り出した。




