脇役転生くんと聖典絵本のお話
「ちょっと頼みがあるんだけどさ」
エドアルドくんが笑顔で言ってくるのを、ああ、またなんかやらかす気かなこの馬鹿は、と幼馴染くんは教会の面談室で笑顔で思った。
「聖典をさ、子供向けにわかりやすい絵本にしてくんない? うちの子の読み聞かせに使いたいんだよねー」
少し照れたように、子供向けの絵本少ないんだよ! と言い訳する姿にどんな無理を言われるかと思った幼馴染くんは拍子抜けする。
「そんなことでいいの?」
確かに子供向けの本は少ない。そもそも本自体が高価なのだ。活版印刷により本の流通自体は安定しているが識字率の問題で市場は上流階級が主となる。貴族や資産家たちのために作られる手の込んだ装丁の本はどうしても価格が高くなる。
「どうせ読み聞かせるなら後々ためになるもののほうがいいじゃん? 俺らの頃は家庭教師に小難しい聖典丸暗記させられてめちゃくちゃ苦労したじゃん?」
教会の教えを国教とするこの国では聖典は知っていて当然の基礎知識である。貴族の子供を教える家庭教師は一番初めに聖典の書き取りで文字を練習させるし、平民の子供達であれば教会の礼拝で修道士たちの説法を聞いて覚える。そうやって子供たちは覚えるが、まあ、覚えるのと理解するのは別の話である。ちなみにエドアルドくんの前世のおっさんは水兵リーベー僕の船という呪文を覚えているが水素、ヘリウム、リチウムまでしか分からない。文系だったので。まあ、そういうことである。
「あの周りくどい古語交じりの聖典をさ、わかりやすく現代語にするだけでもとっつき易さが変わると思うんだよね。先に内容がわかってれば後から聖典に触れても覚えやすいじゃん?」
眉間に皺を寄せて唇を尖らせる天使のような顔をしたエドアルドくんに幼馴染くんは驚愕した。
まともなこと言ってる。
人の親になるってすごいな、とエドアルドくんの成長に涙が滲みそうになってしまう。
そっと目尻を拭う。
「そういうことなら、ぜひやらせてもらうよ」
多大な寄付を教会にしてまで会いに来てくれる大切な友人のために幼馴染くんは笑顔で頷いた。
善意である。感謝でもあった。
「おー、ありがとう! 装丁はこっちでやるからさ! 原稿だけよろしくな!」
エドアルドくんも輝かんばかりの笑顔になる。
ああ、友情とはなんと美しいことか。
しかし、とんでもなく後悔することを幼馴染くんはこの時まだ知らなかったのである。
「クッソめんどくせえ」
教国教皇庁のお膝元にある大聖堂にて神に仕えるカーマイン修道士は手に持った絢爛豪華な本を見下ろしながら顔を顰めた。
実家の名前で荷物が届いた時から嫌な予感はしていたのだ。
中央国家にある実家は大して大きくもなければ小さくもない子爵家であった。その家の当主が妻の留守中に魔が差して手を出したメイドの子がカーマインである。
お怒りの女主人に追い出されて母一人子一人で貧しいながらも支え合って生活していたところ、子爵夫婦に子ができないことからどうしてもと頼み込まれて子爵家に引き取られた。母は生まれながら賢い息子に豊かな生活と教育を与えるために断腸の思いでその手を離した。息子は自分が子爵家から渡された支度金で苦労してきた母が少しでも楽になればと子爵家へ入った。互いを思い遣った結果だった。
正妻からはいないもののように扱われたが、特に虐げられることもなく子爵家の後継として教育を受けて二年。
なんと、正妻が身籠った。生まれてきたのは男児。
家中が喜びに沸き立つ中、カーマインはあっさりと貴族籍を外され平民に逆戻りした。なんだかなあ、というカーマインの釈然としない気持ちはあったが母の待つ家に帰れると思えば隠しきれない喜びがあった。
しかし、その喜びは呆気なく消える。
カーマインのいない二年のうちに母は結婚し家庭を築いていた。真新しい新居でカーマインを迎える母の腕の中には小さな赤子。
これで母の夫となった男がカーマインを邪険にするような人間であれば母を守らねばとカーマインも強く奮い起ったろうが、これがまた生さぬ仲のカーマインにも心を配る気の良い男であった。
幸福な新婚家庭に転がり込んだカーマインの居た堪れなさよ。
誰も彼もが自分を必要としていない、そんな自分の居場所がどこにもない心許なさに11歳のカーマイン少年はやさぐれた。
信じられるのは自分のみ……。
そんなカーマインに声をかけてきたのが子爵家の寄親であるナダルニア侯爵家の令息、エドアルドである。
「おうおう、やさぐれてんなあ少年」
見たこともないような美しい顔が近所のクソガキみたいな顔して笑っていた。
やさぐれ少年も見惚れる美貌だった。あんまりにも綺麗な顔に見惚れてるうちに話はまとまってカーマインは教国の神学校に放り込まれた。
「ダチがさ、王都の教会に拐われて会えないんだよねえ。うちの中央教会ムカつくからさ、教国側から嫌がらせすんの手伝ってよ」
子爵家に行った時の支度金とは比べ物にならない額の資金を渡されて座り心地のやたら良い豪華な馬車に乗りながらカーマイン少年は思った。
え、知らんし、何これ、こわ……。
そして神学校で最高峰の叡智たる師たちのもとで大陸中から集まった俊英たちと共に揉まれに揉まれ、やさぐれていたカーマイン少年は世界、ひろ、とアホみたいな感想を抱いた。やさぐれている場合ではない。
神学校にきた子爵からの手紙で子爵がカーマイン少年を子爵家には過ぎた才だと侯爵家に相談していたことを知って、この人、悪い人じゃないんだけどなんかタイミング悪いんだよなあ、と頭を抱えたりもしたけれどカーマイン少年は大変優秀な成績で神学校を卒業した。
学生時代に築いたコネと潤沢な資金で大聖堂の司教付き修道士見習いとして配属されたのは自分でもちょっと褒めたくなるスタートだった。卒業祝いに怪物みてえな金工職人送られてきてちょっと真顔になったけど、まあ今のところうまく使えている。おかげで上位聖職者にもツテができた。
やはり金とコネ。やさぐれから腹黒に進化したカーマイン修道士は自分の優秀さに高笑いしながら誠実に神に仕えていた。
というのに、厄介ごとは外からやってくるのだ。
手に持った本を開く。
シンプルな線で描かれた可愛らしい絵に柔らかい色を乗せた絵本だ。教会のシンボルである星の印には金箔が貼られ、繊細な装飾には銀線が光る。砕いた宝石を混ぜたインクは角度によって煌めいた。
馬鹿みたいに豪奢な絵本である。作ったやつが目の前にいたらカーマインは穏やかで人当たりのいい優秀な修道士の仮面を捨て去って馬鹿! 本当に馬鹿! と語彙力なく罵ったであろう。本当に馬鹿の所業。
ましてやその内容である。
解釈の難しい古典表現を損なうことなく子供にもわかりやすい要約。下手すれば聖典の改竄とも取られかねない現代語訳を絶妙な曖昧表現で潜り抜ける翻訳者の狡猾さが透けて見えた。本人に会ったことはないが、なるほど、類は友を呼ぶのだなと納得した。関わり合いたくねーな、でも関わんなきゃいけないのだ。雇われ人の辛さにカーマインは泣いた。
金工職人の工房から送られてきたそれに添えられた手紙をチラリと見る。
任せた!
署名も何もない一言。任せた! じゃねえんだわ、何をどうするか指示しろや雇い主。
いや、分かるのだ、どこで誰にみられるか分からない手紙に具体的な指示など書けやしないことは。でも、それでももうちょっと書きようがあるだろう? 丸投げとかちょっと責任感とかないと思うんですよね。
カーマインは大きくため息をついた。
子供向けの豪奢な聖典絵本。なるほど、素晴らしい内容に素晴らしい装丁だ。
素晴らしすぎる。
ところで、教会は聖職者の結婚を禁止していない。長い歴史の中で様々な論争があったが、聖典に禁じられていないという理由で現在は比較的自由である。ただし聖職者の世襲は禁止されているので子供が親の役職を継ぐことは出来ない。
年配の聖職者の中には神に仕えながら伴侶を迎えることに眉を顰めるものもいたが、カーマインの世代にその感覚はない。
何しろ現教皇が妻帯者なのだ。
そして、現教皇には二人の子供がいる。十歳になる長女と一歳になったばかりの長男。
ええ、ええ、そうでしょうね、雲の上のお方に届けろと、そして作者のお名前を伝えろと雇い主様はおっしゃってらっしゃるのでしょうね。
無理すぎんだろ!!!! ボケが!!!!! いくら俺が天才でもまだまだ新人修道士なんですけどおおお?????
カーマインは思わず拳で自室の机を殴った。ガダン! と大きく揺れた机に、そういや足がちょっと偏ってんだよなこの机、と現実逃避した。現実って、大変だね。
頭を抱えて現実逃避をしていると戸が叩かれた。
「何かすごい音がしたがどうした?」
ひょこりと顔を出したのは同期の修道士だった。隣の部屋なので気になったのだろう。
そばかすだらけの幼さの残る顔をした同期は心配そうにカーマインを見た。
神学校時代は成績のパッとしない少年だったがその実直さと根気強さはカーマインも一目置くほど。真面目で誠実、面白みのない、聖職者になるべくしてなったような少年。
しかし、カーマインは知っている。こやつ、先祖代々聖職者一族の端っこである。遡れば教皇が一人二人いる家系の末端聖職者。一族に聖職者いすぎてあらゆる部署に満遍なく親戚がいるいわば教会の申し子。最強のコネ持ちである。まあ、この一族、基本的にコネ使わない根っからの聖職者なので大多数が一般聖職者である。
カーマインはこの時、閃いてしまった、数は力。
「やあ、マルセル! 驚かせてごめんよ! 実は実家の父が主家のお姫様に贈る聖典絵本をうちの職人に作らせたんだけど、ついでに私にも一冊贈ってくれたんだよ。孤児院の子供達にでもって。でも見てくれよ、この絵本! びっくりして机にぶつかってしまったよ!」
適当な嘘を流れるように言葉にしてカーマインは絵本をマルセルに見せた。
「これを孤児院に置くのはやめたほうがいいと思うよ。君のお父上はどこかの王族なの?」
マルセルは目を丸くして豪華絢爛な絵本を見て言った。聖職者にしては下世話な質問が思わず出てしまうほど驚いたのだろう。
「まさか! 多分父も受け取って驚いてるんじゃないかな。オーロは父のおかげで教国で工房を持てたから父にも内緒で注文より豪華にしたんだと思う」
「ああ、素晴らしい職人だと聞いたことがあるよ。金工職人だと聞いていたが装丁もするのかい?」
「表紙の装丁に宝飾品を使ってるからね。そうでなくても彼は色々な分野に手を出してるみたいだよ」
それにしても、どうしたものか、と困ったように小首を傾げてカーマインは言う。
「部屋に置いておくのも怖いよ。なあ、マルセル、これ誰かに差し上げられないかな?」
「差し上げるって、カーマイン、こんな高価なものそんな簡単に」
驚くマルセルにカーマインは肩を竦める。
「いや、私が持ってても仕方ないよ。高価すぎて開くのも怖いもの。ああ、内容はとても良いから写本だけして孤児院に持っていこうかな」
数ページ開いてマルセルに見せる。
高価な絵本に及び腰だったマルセルもその内容を見ると目の色を変えた。
「これは、良いね。子供達にもわかりやすい。何より誤訳がない。この作者はとても古語に通じてる方なのだね」
カーマインは内心で喝采をあげた。
「私は存じ上げないのだけど、我が国の中央教会に所属するルードルフ師にお願いしたらしい。ああ、こちらに署名があるね」
ルードルフの名を指でなぞる。マルセルもルードルフ師、と感心したように呟いた。
「写本にもお名前をちゃんと入れないとね。こちらは君に任せるよ」
問答無用でマルセルに厄介な絵本を押し付ける。これでお役御免だ。
戸惑いながらも本を受け取るマルセルに満面の笑みを向けた。
「君は、欲のない人だな」
吹き出しそうになるのを堪えるのにカーマインは必死だ。
欲ばかりだ。
今も、欲しくて欲しくて仕方がないのだ。
自分を認めてくれる、自分だけの居場所が。
だから、あの男の手を取った。手伝ってくれと、カーマインを必要としたから。
「とりあえず、写本するの手伝ってくれないか? 私は文章を写すから、マルセルは絵の方を写してくれないか?」
「ああ、そういえば君、絵は苦手だったね。君の描いた猫、どう見ても溶けたチーズにしか見えないんだよなあ」
「は? なんで突然罵られたの???? 喧嘩売ってる?」
おおよそ半年後のルードルフ師。
「ねえ、なんで教国からファンレターみたいなお手紙いっぱいくるの???? ねえ、なんで教皇猊下直筆で教皇庁認定??? ねえ、ねええ、ちょっとエドアルドくん!!!!!」




