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「ブラック企業の定義って……パワハラはブラックに含まれますかね……」
ワンルームの狭い自室。独り言が、溜息混じりに口をついて出た。
無茶苦茶な要求であっても、お客様には誠意を持って対応しなければならない。それは分かっている。けれども、できることとできないことがある。「お気持ちはごもっともですが、こちらも損失を出すわけにはいきませんので……」と宥めても、納得いただけなければ契約はお流れだ。そして契約が流れれば、待っているのは上司の罵倒。
理不尽に怒られ、嫌味を食らい、その気晴らしにやけ酒を煽る。
ストロング系の缶チューハイを握りしめ、ローテーブルに半ば突っ伏すようにして愚痴をこぼす。明日は久々の休日だ。休日出勤のない貴重な休みを前に、残業続きのうっ憤を晴らすべく酒を流し込む。明日が休みなら、多少深酒をしたって構わない。
テレビで流れる映画を見るでもなしに眺めながら、肴をつまみむ。
本当は映画なんて見る気分じゃない。だけど、気を紛らわせるものがないと、仕事のことが脳裏にこびりついて離れず、苛立ちがつのってしまう。
家族がいれば愚痴を聞いてもらうこともできたかもしれない。だが、一人暮らしでは叶わぬ望みだ。友達とも疎遠で、突発的に呼び出して飲むような仲もいない。
静寂の中でどんよりと飲むよりは、何かしら音があった方がいい。正直、セリフだけではなくBGMすら耳障りに感じるけれど、無音よりはましだった。
気晴らしにと奮発して買ってきたデパ地下のお惣菜は、さすがに高いだけあって美味しい。
美味しいものを食べて気分転換を、と思ったはずなのに、寂しい自室ではそれすらも虚しさを加速させる。
家でやけ酒するくらいなら、お気に入りのお店に食べに行けばよかった。でも、こんなむしゃくしゃした気分で食べに行くのは、好きな気持ちを汚すようで気が進まない。結果、せっかくの美味しいデパ地下のお惣菜が、やけ酒のせいで台無しだ。酒なんて、飲まなければよかったかもしれない。
馬鹿なことをしているなという自己嫌悪で、さらに気分が落ち込んだ。
「はぁああああ、もうヤダ……」
意味などないが、口癖のようになったボヤキが無意識のように口からこぼれる。
会社や上司へのあれやこれやの不満が口をついて出そうで、それを飲み込むようにして、手にした缶をグイっとあおる。
「ぶはぁっ。……はぁ」
酔いは回っても、むなしいばかり。ため息ばかりで、気はちっとも晴れない。
「あーあ、仕事辞めちゃおうかな」
ぽつりと独り言がこぼれた。それも悪くないな、と酔いの回りきった頭でぼんやりと思う。
別に今の仕事に愛着があるわけじゃない。生活の安定のために、ただそれだけだ。いっぱしに仕事ができるようになってきたから、やりがいが全くないとは言わないが、思い入れは大してない。
今日のような強烈に嫌なことがあると、決まって『転職』の二文字がよぎる。だけど、辞めた後のことを考え出すと、それはそれで煩わしい。せっかく仕事を覚えてきたのに、また一から覚え直しというのも、それに伴って給料が下がるだろうということも、足を踏み出すのを躊躇させる。
今の会社に就職したとき、特にやりたいことなんてなかった。それなりに働けて、それなりにお給料をもらえれば、自分としてはそれでよい。だから今の安定を捨ててまで転職するのもな……という気持ちもある。
そんなことをつらつらと考えていたら、面倒になってきた。転職は自分のような面倒くさがりにとって現実的じゃない。たまにあるこんな理不尽を飲み込む方が楽だ。
そう結論は出ているけれども、気持ちが明るくなるわけじゃない。
「仕事辞めて、自然豊かな田舎に移住してスローライフしよっかな」
絶対にするはずがないと確信しつつ、そんな言葉が飛び出した。だが、泥酔した思考回路には、それがすごく魅力的に感じた。クソっくらえな仕事を放り出して、豊かな自然の中で自給自足ののんびりライフ。すごくいい!
のんびりゆったりライフを想像すると、胸が弾んだ。現実的でないのは百も承知だが、夢を見るのはタダだよねと、酔っぱらいの妄想は、膨らんでいく。
こんなことがあったらすてきだな、こんなことができたらカッコいいだろうなと、色々と妄想がよぎる。海外移住とか、田舎に引っ越しして在宅勤務とか、外資系に勤めるとか、自分の持っている技能やら職歴を考えると無謀な希望やら想像も含むけれど、田舎での在宅勤務はパソコンとネット環境さえあればアリだなとか、今後の希望について楽しく考えをめぐらせていた。
残業続きで使う暇もなく貯まった残業代があれば、別にすぐに就職せずに少しくらいお休み期間を設けてもいいかもしれないなと、ふとそんなことも考えた。転職後の給料を考えたら、お休み期間に資格を取得してステップアップというのもありだ。そうなると、物価や家賃の高い都会住まいではなく……。
〈今、移住者を募集しています。移住を希望しますか?〉
そんなセリフが聞こえた。移住者募集のCMなんて珍しいな、と泥酔した頭で思う。そんな勧誘じゃ応募者集まんないんじゃないの?
「うんうん、するする。移住、いいよね~」
ふふっと笑ってしまった。
テレビに返事をしている自分も、奇妙なCMも、すごく可笑しかった。




