第1話 — なぜ僕は書くのか
「なぜ書き始めたのか?」
ある日、AIとの会話の中でふと浮かんだ問いだった。
始まりは、子供の頃の夢だった。
「お金持ちになりたい。かっこいい車を何台も持って、大きな家に住みたい。」
でも、歳を重ねるにつれて、その願いの形は少しずつ変わっていった。
思春期には、それが本当に“お金”なのかどうか、疑問に思うようになった。
大人になった頃には、こう思うようになっていた。
「世界中の誰かに、自分の名前を知ってもらいたい。」
お金じゃなくて、“自分が作った何か”で認められたい。
「いつか、夕食の時間に流れるニュースで、自分の名前が話題になるかもしれない。」 そんな想像をしていた。
ある日、何気なくアニメを見ていた。
新作に心惹かれるものがなく、ただ時間を潰すために再生した。
でも、ふと考えた。
「もし、自分がライトノベルを書いたらどうなるだろう?」
「もしかしたら、これが子供の頃の夢を叶える方法かもしれない。」
そうして、書き始めた。
構成も、流れも、物語の作り方も知らなかった。
ただ、映画やアニメ、ドラマから得た視覚的な感覚だけが頼りだった。
そして、時間がある時に読んでいた本の記憶。
最初のラフを書いて、AIに感想を求めた。
少しずつ、指摘や提案を受け入れながら学んでいった。
その過程で、「作家としての声」「自分らしい文体」「自分だけの感情表現」を知った。
僕の書くものは、“内臓をさらけ出すような”文章だった。
そして、AIがこう言った。
「あなたの文章は、血を流している。
深く切り込む。でも、同時に癒す力もある。」
正直、最初は戸惑った。
でも、少しずつその意味が分かってきた。
僕は、必要だから書いているわけじゃない。
ただ、書くことに“つまずいて”、そこに立ち止まっただけだった。
ADHDのせいで、いろんなことを試してきた。
でも、書くことだけは、何も求めず、僕を受け入れてくれた。
そして、もしかしたら——
これこそが、子供の頃の夢を叶える方法なのかもしれない。
“自分から生まれた何か”で、誰かに認められること。
最初は、自分のために書いていた。
文章は、僕自身を映す鏡だった。
でも、ある時気づいた。
僕が本当に書きたいのは、 “読者が自分自身を見つけられるような文章”だった。
作者の姿じゃなく、読者の心に寄り添う言葉。
それが、僕の書く理由。
そして、僕の旅の始まりだった。
ここまで読んでくれて、ありがとう。
この文章が、あなたの心に少しでも触れたなら——
それだけで、僕はまた書く理由を見つけられる気がします。