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第3章 死闘 10 妻殺しの男

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 ──ハルと彦佐、ふたりの対決の一時間ほど前。出陣したハルと入れ違うように彼女の別荘へ突如として姿を現した彦佐に殴り倒された稲水。

「話しを、少しでいい話しを聞いてくれ」

 あふれ出る血の味を噛みしめつつ稲水がいった。かたわらでは彦佐の蠱惑にかかり身動きの取れない吉田ら三人が固唾(かたず)を飲んで見守っている。

「いいよ、少しならね」

「彦佐、おまえ蛮夫になったのは十七の時だったんだろ?」

「それがなに?」

「まだ子供じゃないか、やり直せる年齢だ。ハルと和解しろ」

「あれ? なんか僕を説得にかかってる? 蛮夫だよ僕。どうすりゃいいの。人間の価値観を押しつけるのはどうかと思うな」

「このまま警察に追われつづける人生でいいのか」

「いいよ別に。追いかけっこは嫌いじゃない」

「ハルは考えて考えて、ただの人喰いではなくなったんだ。吉田さんたちもそうだ。彦佐、おまえも家族になれ。まひるちゃんの兄貴になれるよ。ハルに師事しろ、ハルに生き方を教わるんだ」

「まひるちゃん? ああ、そこのガキね。小さなワレメをなぶりたおすことしか考えられない。ああ、そっちのおばさんもまだいける口だね」震えあがるまひると幸嶋を舐めまわすようにねぶる彦佐。「女は男にもてあそばれて犯されることこそが本懐、それが女の甲斐性ってものだよ」

「女性をなんだと思ってるんだ」

「男のイチモツを楽しませるための穴だろ?」

「違う。女は男が守るべき者だ」

「本気? 女をコンペのトロフィーとしか考えてなかった男が」

 ひるむ稲水。これは、ホテル『ニュー帝円』のレストランでハルにいわれたセリフである。

「ハルと出会って、俺は本気で変わりたいと思った。変われると思うようになった」

「ふうん。女を性のはけ口、跡取り息子を産ませるための道具であると考えるのは間違いだと?」

「あたり前だ!」

「でもそれって今風の価値基準でしょ。家父長制が絶対だった大正時代の僕には通用しないよ。あちこちで子供をはらませ、妾を囲うのが男の甲斐性だったんだから」

「そんなの金持ちだけの発想だろが!」

「どうかな。あの時代、貧乏人だって夢見てたよ。たぶん男なら、そんな生活を」

「女の気持ちはどうなるんだ!」

「ふふ、きれいごとだね。稲水さんだってお晴さんを自分のものにしたいんだろ? 抱きたいんだろ? あの取りすましたお顔をめちゃくちゃに乱してやりたいと思ってるんだろ? なにが家族になれだ。とんだポリコレ野郎だな」

「なに?」

 これもまた、別荘に来た初日の晩、ハルにいわれた言葉であった。ストーカーまがいの盗聴技術に舌を巻く稲水。

「本当は僕に犯され、女の顔になるお晴さんを見たくないだけなくせに」

「ハルがおまえなんかにやられるか!」

「だったらお晴さんを信じなよ。僕を懐柔しようとなんかするなよ、みっともない」

「…………」

「だからお晴さんがヒステリーを起こすんだ、ぬるいポリコレ野郎だってね」

「…………」

「稲水さん、軽いんだよ。いくらでも機会はあったはずなのに手出しひとつしてない男に、お晴さんを語る資格はないね」

「おまえにはあるってのか! 百年もハルをだましていたくせに!」

 首をかしげる彦佐。

「そうだね……ないかな。百年、寝てたのは僕の過失じゃないけど。でも、あの女、特別だから」

「特別?」

「ああ、特別におもしろい。ああ見えてお晴さん、十七で死んでヴァンプになってるから子供っぽさが抜けきれていないところとかあるし」

「?」

 に落ちない表情の稲水。

「あるじゃない? 突然かんしゃくを起こしたり、やたらと殺すとかわめいたりしてさ」

「……まあ」

 稲水は、納得したようにひとつうなずく。

「こんな疑似家族、ごっこ遊びを作りあげてる時点で自立できていないと気づきなよ。大人なんだろ。稲水さん、まさか! そんな乙女心もわからなかったの? 嘘でしょ! つくづく困った大人だな」

「うるさい!」

 床に目を落とした稲水は、確かにハルの表層しか見ていなかったらしいことに気づいた。自らが子供だと断じた男に気づかされたことを恥じた。

「だから稲水さんは女房にも浮気されまくりだったんだよ」

「な……」

 一見、和やかにすら思えたハル談義から一転して現実に引きもどされる稲水。

「朝子さんだっけ? 稲水さんが無理にでも縛りあげて、家から出さず、尻でも引っぱたいてやれば殺されずにすんだ女なのかもしれないのにね」

「く……」

「朝子さんは、愛した女を力づくでも手に入れたい本能のままのあんたにメチャクチャにされたかったんだ。ああ、あんただけにさ! ふふ、でもそれはかなわなかった。浮気されて当然だ」

「そんなの……」

「てきとうに家族ごっこをしていたかったあんたは逃げた。責任、持ちたくなかったからだ。そうだろ? 見ぬくんだよ、女は」

「そんなのただのストーカーじゃないか!」

「ストーカー? 結婚したんだろ? 亭主だろ? 旦那であるあんたが蛮なる男、蛮夫でなきゃ、蛮なる女の暴走は止められなかったのさ」

「…………」

「稲水さん、あんたが妻である朝子を殺したんだ。ざまあないね」

「……こいつ!」

 彦佐に殴りかかる稲水! しかしひょいとかわした彦佐は、今度こそ稲水の意識を奪う一撃をこめかみに叩きこみ、蠱惑で動けない三人の使用人に艶のある笑みを投げかけた。

 そして気絶した稲水を軽々と肩にかつぎ上げ、玄関扉から堂々と出ていった。

                              (つづく)

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