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第3章 死闘 3 雑音、騒音。ビッチとシリアルキラー。

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 ハルの別荘、小田原へと高速道路の運転を再開した稲水がいった。

「第三者を巻きこまずに戦える場所なんかあるのかな?」

「いくらでもあるだろ。無人島とか、深夜の廃屋とか」

「こっちが指定できるんだ。少しでもハルが有利な場所を確保したい」

「ふん。私はどこでもオーケーだ」

「駄目だ!」

「なんだよ、稲水」

 稲水の剣幕に驚くハル。

「あいつはどんな卑怯な手を使ってでもハルを倒しにかかる。そんな気がする」

「あんな野郎ではなかったのにな、と思っていた私が甘いのか」

「ああ、大甘だ」

 腹立たしげにこたえる稲水。

「……稲水」

「あ?」

「おまえ、私を抱いた彦佐に嫉妬してるだろ?」

「してない」

「いやしてる」

「してない! ハルは妹分だと決めただろ、根本、相棒だろが」

「そう興奮するな。ちゃんと前を向いて運転しろ。事故っても私は平気だが、おまえは死ぬぞ」

「確かに」

 雨水で視界が(せば)まる眼前の道を、しっかりと見すえる稲水。

「しかし……稲水のいうことはもっともだ。この一年で奴はさらに賢く、いや、ズル賢い男に、間違った進化を遂げたようだ。認めるしかないな、彦佐は最凶の怪物だと」

「そうしてくれ。俺を喰う前にハルが百年も眠らされたら、シャレにもならないんだからな」

「ふっ、では考察してみようか、奴との対比を。それで心配性の稲水が安心できるのなら」

「うん」

「ダッシュ力とすばしっこさでは、奴は私の足元にもおよばない。大正時代のスピード勝負では圧勝だったよ」

「この一年でそこいらのところも、彦佐が進化してなきゃいいけどな」

「それはどうかな? さっき奴は三十秒、私を足止めした。走力や飛行能力では劣るとさとっているからだ」

「なるほど」

 しかし報道では、蛮夫の脚力は尋常ではなく、逃亡時、監視カメラが捉えたのは駆け抜ける残像のみであったという。楽観はできないと稲水は思った。それもハルの油断を誘う奴の駆け引きのひとつなのかもしれないと。

「上半身の筋肉量、つまり腕力ではいささか引けを取るかもしれないがな」

「やっぱりヴァンプにも男女差があるんじゃないか。捕まったら終わりか」

「終わりではない。奴がのんきに寝ていた百年間、私の筋力も格段にレベルアップしている。力関係はなにも変わっていない」

 腕組みしフハハと笑って見せるハル。稲水には、どこか空まわりしているように見えた。

「ハル、ひとつ聞いていいか?」

「なんだ?」

「一年前、蛮夫が現れた時、あれが彦佐だとハルは気づいていたのか?」

「むぅ……まあな」

「なぜ殺しに行かなかった」

「奴がどこに潜伏しているのかなど私にわかるはずもない。サーチ能力などヴァンプにはないのだ」

懐刀(ふところかたな)の久永さんにサーチを依頼すればよかっただろが」

「それは、まあ、そうだが。だいたいおまえも知ってるだろ、『南関東連続幼女殺害事件』あれの犯人監視で一年間、私は岡山にいた。東京にはいなかったんだ」

「東京から逃げたの間違いじゃないのか?」

 かつての恋人の登場に、ハルは一時的な混乱に見舞われたのではないか? 昔日、彦佐を葬る決断をくだせなかった時のように。稲水の中で悩ましさがおりのように沈殿していく。

「マスコミに騒がれて東京から逃げたのは稲水だろ! ヘタレと一緒にするな!」

「俺はヘタレだから逃げてもいいんだよ。そもそも誇り高きヴァンプが──」

「黙れ! 黙れ、黙れ、黙れ!」

「はいはい、黙るよ」

「なんだって、そう突っかかりやがる!」

 稲水に対しプンスカと憤怒(ふんど)しているハル。口にこそしなかったが、稲水は切に願っていた。誇り高く真っ直ぐな気性のヴァンプ、ハルが、蛮なる男、蛮夫からいいようにあしらわれ、バックから突かれる姿などなにがなんでも見たくないと。これはジェラシーなどという安っぽい感情からくるものではなかった。稲水当人にも不可解な、切実な思いであった。

 楽勝、完勝は不可能だとしても、ハルが負けない確実な方法を稲水は見つけねばならなかったのである。

  

 しばらくは気まずい沈黙の時間がつづいていた。別荘地へ行くということで、稲水は勝手に相模湾を臨む箱根方面へ進むのものであろうと推察していたのだが、意外にも不機嫌な顔で指示を出すハルの指先は真逆で、小田原厚木道路厚木インターを経て向かう先は、国道六〇三号線、内陸部の山側方向であった。

 一般道路へと入ったが、都内とは違って降り口での検問はなかった。蛮夫が東京都内限定で殺人を犯しているのが周知の事実であったからであろう。警察は当然、都内に入る者は検閲するが、出る者には関心が薄いのか、もしくは手がまわらないのかもしれない。

 遠目に山々の濃くも薄くも見える緑を眺望しつつ、どこまでもつづいていきそうな広大な道路を走らせる稲水。そして彼は、高い目隠しフェンスに囲まれた建築途上にある工事現場を横目にする。稲水をいかずちが貫いた。

「これじゃないのか!?」

「ああ?」稲水の大声に、心地よい高級車のささやかな振動にゆられ、なかばうとうととしていたハルが目をさました。「なんだ、うるさいな。まだ突っかかるか?」

「たとえば十階建てくらいの建設中のマンション、工場とか。隠れる場所はたくさんありそうだし、ハルのダッシュ力で階段を駆け昇ったり、下りたりもできる。高低差をうまく使えば彦佐に勝てるぞ、ハル」

「だから勝つって」

「それに設置前のエレベーターの開口なら素早く飛んで逃げることもできる!」

「逃げないけどな」

 寝ぼけまなこのハル。

「夜中なら、建築作業員もいないだろうしさ」

「大手のゼネコン現場だったりしたら監視カメラがついてるぞ」

「そんなの速攻でつぶせばいいだろ」

「ふん、ヘタレの稲水にしては妙案だ。周囲に住宅街のない、優良物件を探すのは骨を折りそうだがな」ハル、目に浮かぶしずくをふいて大あくび。「だが私は騒音だと思う、決め手はな」

「騒音?」

「どうやらあいつは耳が異常に利くらしい。音に敏感だ」

「だったな」

「ゲリラ豪雨の雨音、スマホに怒鳴る私の罵声を不快と感じていたようだ」

「確かに。そうだった」

「対決の日時に右翼の街宣車でもバイトに雇うか? 奴はきっと動揺するぞ。両耳をかかえこんでうずくまるだろう」

 クククと笑うハル。ここで稲水こそ動揺した。ハルはかつての情夫を粛清する手立てをきちんと構想していたのだ。しかし問題はその方法であろう。

「指定する工事現場に高出力のスピーカーをガンガン設置しておいて、パンクバンドのライブ音源なんかを大音量でビシバシ流すとか! そうだ加園、あいつ、インディーズバンドとかにすごくくわしいんだよ!」

「ああ、それはおもしろいがな」

「いいだろ?」

「だがな、ガンガンもビシバシもいいが、完全防音の施設内でもなけりゃ、ご近所からガンガンビシバシ、クレームが入るぞ。警察に通報されるだろうよ」

「そうか。だけど人里離れた山奥とかだったらさ」

「そんなところに電気がきているのか?」

「きて……いないだろうな。夏の野外フェスとかどうやってるんだろう」

「さあな。フェスには大勢の人間がかかわる。私らふたりだけではとうてい太刀打ちできないだろうよ」

「場所と日時……それから音……雑音、騒音か」

()れるな稲水、まだ少し猶予(ゆうよ)はある。ああ、そこを右に曲がれ。ここから林道に入るぞ」

「わかった」

 少し勾配(こうばい)のかかる道を、右へステアリングを切る稲水。

「──悪いな」

 ぷいと窓へと目を向けるハル。

「なにが?」

「彦佐と私の個人的ないさかいに、おまえを巻きこんだ」

 もともとハルを私的な問題に巻きこんだのは自分の方である、という自覚が稲水にはあった。しかも、お互い様だなんて言葉では語りつくせないほど、ハルに頼りきりであったことも。だからこそ稲水は、わざと投げやりな口調でハルの謝罪にこたえてみせた。

「なんだ、くだらない」

「おまえ、おい! 命のやり取りをくだらないだと!」

「ああ、くだらないな。極論、たかだか男と女の化かし合いだろ? あるあるじゃないか」

「……飼い犬に手を噛まれたていどの話だとでもいいたいのか?」

「そこまではいわない、相手は狂犬だ」

「最凶、最悪のな!」

「俺も結婚して籍まで入れてんだ。最凶、最悪な朝子と。ハルたちと同じようなものだったと、今は思う」

「はん! おまえは一方的に浮気まみれの朝子にだまされていただけだろうが!」

「ハルだって彦佐の口車にまんまと乗せられていただけじゃないか、百年もさ!」

「ちっ!」舌打ちするハル。「つまりは似た者同士だってか? 稲水と私は」

「かもしれないな」

 ニヤッと笑って見せる稲水。未舗装の山道にくぼみがあり、盛大に水しぶきが上がる。

「それこそくだらん。認めないからな」

 えらそうにふんぞり返るハル。

「ビッチとシリアルキラーじゃレイヤが違うか」

「ふん、バカが。横文字をやたらと多用したがるのは自分に自信がないことの裏返し、あらわれだ」

「そうかよ」

 確かにくやしいかな、稲水にはハルを勝たせる手立てがまだない。自信などもうとうない。おちゃらけて見せること以外、なにもできない。

「別荘に着いたら、あっちの問題も検討するぞ」

「あっち?」

「朝子殺しの件だ。本筋を見失うな」

「彦佐の始末が先だと決めただろが!」

「いいんだ。私に考えがある……お、幸先がいいんじゃないか。見ろ、稲水」

「うん?」

 雨が上がり雲間から明るい日ざしがのぞき、青空が広がりはじめていた。立ちならぶ木立の中を駆け抜ける車内ウィンドウからでもそれはっきりと見てとれた。大きな虹が秋空に円弧を描いていたのだ。

「きれいだな、稲水」

「そうだな」

 確かに虹は希望や幸福の象徴である。しかし、この美麗な虹をどこかで彦佐も見ているかもしれない。そしてやはり幸先がいいと感じているのかもしれない。そんなふうにを思う稲水は、どこまでも前向きになれずにいたのである。

                              (つづく)

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