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第2章 探索 4 ヘタレの鑑(かがみ)

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「ところでに落ちない点がいくつかあるのだが」

「なんだよ、ハル」

 ふたりはホテルのレストランでディナーを楽しんでいた。ハルは和牛フィレステーキ、稲水は白身魚のグリルをメインディッシュとしたコース料理である。稲水もハルも場所柄をわきまえて、色の薄いサングラスにかけかえている。

「おまえの兄夫婦は失踪したんだろ? 死んだとは限らないんじゃないか」

「もう三年近くも音沙汰がないんだ。おそらく(あかね)さん、義姉ねえさんとふたりで心中したんだと思う。兄は小さな美容室を経営していたんだけど、近所の人間からもひどい嫌がらせを受けてノイローゼになって夜逃げした。ネットで『殺人美容室』と検索したら、兄の店の画像が出てくるくらいなんだ」

「なるほど……生きてはいなさそうだな」

「ああ。ほかにもあるのか? 腑に落ちない点が」

「稲水はなぜ朝子に生命保険をかけた? それさえなければ被疑者あつかいはされなかったろうに」

「ああ、あれは朝子がいい出したんだ。生命保険をお互いにかけようって、パンフレットを何冊も持ってきて」

「なるほど。では、もう一点。朝子が七股をかけていたこと、どうしてマスコミに知られていない? 報道されれば、それこそもっと大騒動になっていたはずだ。被害者の性癖をおもしろおかしく書き立てるのはマスコミの常とう手段だからな。被害若妻の夜の履歴書だとかなんとか」

「警察が朝子の殺害方法を隠蔽したいといってきた時、俺からも条件を出したんだ。朝子の不倫の件に関しては公表しないでくれと。いったんは了承してくれたんだが、犯人逮捕のおりには表ざたになるかもしれないと釘を刺された」

「犯人と警察に感謝だな」

「なぜ?」

「犯人が逮捕されないおかげで、とんだ恥をさらさずにすんでいるんだから……にしても妙だな。あれだけの有名事件だぞ、嗅ぎつけた記者が必ずいたはずだ。警察にしてもそう。口を滑らせるやつがひとりもいなかったというのは解せない」

「いわれてみれば……自分のことで精一杯であまり考えたことがなかったけど、確かに不自然だな。ただ……」

「なんだ?」

「俺が失踪あつかいされた後、警察やマスコミの人間が次々と消息を断ったらしい。それで俺は朝子をふくむ連続殺人の容疑までかけられていたんだ」

「消されたのか」

「さあ。俺にはわからない」

「朝子がらみの闇は深そうだな……テレビや雑誌のインタビューとかで朝子を悪くいう人間はいなかったのか?」

 血のしたたるようなレアステーキを口に入れたハルが、稲水の前でナイフを小さく回す。あまり行儀のいい行為とはいえない。

「いなかったように思う。朝子は本当に天然だから、彼女を嫌っていた人は俺の知る限りではひとりもいなかった」

「天然は演技だろ」

「まさか。あれは本物だよ」

「元妻を信じたい気持ちもわからないじゃないが、考えてもみろ。天然の割には周到じゃないか? 妻帯者を何人も手玉に取って、不倫が周囲の誰にもバレていないというのは尋常ではない」

「そういえば……結婚を決めるまで朝子とつきあっていたことは周りにも家族にも内緒にしていた。彼女が嫌がったから」

「おまえはどうして朝子が浮気をしている事実を知ったんだ?」

「結婚前に本人から聞いた。でなきゃまったく気づかなかったと思う」

「試されたな」

「どういうことだよ」

「そんな女とでも結婚してくれる男を朝子は探していたんだよ。結婚後も公然と情事を楽しめるヘタレ男をな」

「ヘタレ!?」

 思わず声高になってしまった稲水は、咳払いをしつつグラスの水を流しこむ。

「ヘタレじゃないか。さっきは久永の手前、聞き流してやったがな、日本人全員を殺したい? 被害妄想もはなはだしい、それこそ犯罪者の発想だ。おまえの両親や兄夫婦を死に追いやった一番の原因は、そのヘタレが朝子みたいな女と結婚したことにあるんじゃないのか?」

「…………」

 図星を突かれた。稲水の顔には、そう書いてあるようであった。

「想像だが、朝子は天然を常に演じきる天性の女優だった。そして計算が立つ。稲水が結婚生活にいずれ持ちこたえられなくなることも読んでいたはずだ。だから保険金をかけたんだろうな。いつか浮気相手にでも始末させるために」

「まさか、そこまでは……」

「いくらなんでもか? はん、和気あいあいとした家庭でお育ちのお坊ちゃんには想像もつかないか」

「そんないい方するな」

「気にさわったか? 悪かったな」

「いいよ、否定はできないから。俺はヘタレだ」

「本当に正直な男だな。だがヘタレにも人権がある。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある。よかったな稲水、日本人で」

「健康で文化的か。今の俺にはほど遠いような気がするけど」

「そうでもない。一年後には私のエサになってくれるんだろ? それで私は次の一年を生きのびられる。誰かのために命をさしだすなんて、実に文化的な行為だ。それは人間にしかできない崇高な所作であると思うぞ」

「ものはいいようだな」

「稲水」

「うん?」

「この一年は私のためだけに生きろ。いいな」

「半年じゃなくていいのか?」

「許す。この闇はなかなかにおもしろそうだからな」

「楽しむなよ」

「ところで稲水、おまえ、実の兄をだいぶ変な男だといったな。あれはどういう意味だ」

「ああ……あまり話したくはないんだが」

「話せよ」

「兄とは双子だった。いわゆる一卵性双生児だ」

「ほう。では似ていたんだな」

「それはそうだ、そっくりだったよ。親でさえ見分けがつかないほどにね。だから俺が朝子殺しで疑われ、顔写真が出まわった時、兄さんが大ダメージを受けたんだ」

「どこが変だったんだ?」

「兄さんは、内向的な俺と違ってコミュニケーション能力に長けていた。そして、粗暴だった」

「粗暴とは?」

「俺の左目の下にホクロがあるだろ?」

「そうだな」

「これはホクロじゃない。中学生の時、俺と間違われるのを嫌った兄が、俺の顔に鉛筆を突き刺したせいでできた物だ。鉛筆の芯が折れて入れ墨のように残ったんだ。これで見わけがつくだろうと兄は笑っていたよ」

「とんでもないな」

「ああ。女癖も悪くて高校のころにはヤクザの女に手を出して、間違われて俺がボコられた。その時、前歯を折られたんだ」

「まさか、それで差し歯なのか」

 うなずく稲水。

「おまえバカなのか? なにが家族を好きだっただ」

 あきれ果てたような顔をするハル。

二十歳はたちをすぎたころ、茜さんと結婚して兄は変わった。美容師免許を取って小さな美容室を借金と親の援助で開業してから。ふたりは俺にとって理想の夫婦だった。だから俺も早く結婚したかったんだ」

「お人好しにもほどがある。正真正銘のヘタレ、まさにドヘタレの極み、かがみのような男だな」

「そうかい……そうかよ」

「稲水、そうふてくされるな。何事も極めるのは難儀なんぎなことなんだぞ」

「はいはい、どうも」

「さて、部屋にもどるか。作戦会議だ」

 ナプキンで口もとをぬぐったハルは席を立った。

                            (つづく)


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