全艦、出港用意せよ。
ランドシア国内 汽車にて
時は戻って3月17日のことになる。
シャーロットはスペンサー領ウェルトリヒなどの街で幾つかのスピーチを終え、ユートリヒ宮殿へ帰ろうとしていた。
その途中、石炭や水を補充するためにバーゼンという駅に停車していたのだが、そこで侍従長サイラスはグランツェ将軍からの報告書を受け取った。
サイラスは足早にシャーロットの元へ行き、数日に渡たる訪問に疲れ切った皇帝に更なる仕事を手渡す。
「グランツェ将軍からです」
わざわざ近くに座る必要もないのにテーブル越しに向かい合うようにして座るオスカーはじっとシャーロットのほうを見る。
一読してシャーロットはオスカーにその報告書を渡した。
「補給線が経たれているらしい」
オスカーもその報告書の内容に驚きシャーロットに尋ねた。
「異域沖には海軍はいないのか?」
そのようなこと当然シャーロットが知るわけない。
もし、現状を知ろうと思うのであれば海軍の将軍に聞くほかないのであるが、今のところ海軍に知り合いはいないのでオスカーに尋ねた。
「この国の一番偉い海軍の将軍は誰だ」
「サヴィアント大将だ」
5日間にわたる旅の中でこの手の質問は嫌と言うほどされてきたから今さらもう何も感じない。
そのくせに、何も教えなくとも話がスムーズに進むこともあって、オスカーはシャーロットの記憶に対して違和感を感じていた。
「サイラス、その男を宮廷に読んでおいてくれ」
シャーロットがそう言い放った時、オスカーは笑ながら訂正する。
「サヴィアントは男じゃねぇぞ」
「女も軍人になれるのか?」
驚いたように問うシャーロットに対して、そういうバカげた質問には慣れたというふうに答える。
「おいおい、この前のイザベルも女だっただろ」
「確かに自分がイザベル・キャンベルを支隊長に任命したのは覚えているが、まさかあれが女だったとは………」とため息をつきながら下を向いた。
「キャンベル大佐をすぐに呼んでくれ」
この何も考えてなさそうな発言に、オスカーはイラついてその不満を口にする。
「あいつは今、お前の命令に従っているんだぞ。勝手なことを言うな」
シャーロットはその不満を必死に顔に出さないようにしていたが、この微妙な空気に耐え切れなくなって席を移動した。
自分が言ったことは何でも叶うと思っていたぶん、その見えない壁にぶつかった時の衝撃は大きく感じた。
席を立ち、席に着くサイラスの肩を叩いて「こっちに来てくれ」と合図する。
シャーロットは車両の中央当たりの席に腰を下ろした。
その時ちょうどシャーロットの目の前に現れたサイラスに言う。
「サヴィアント将軍へ汽車が動き出すよりも前に電話をかけてこい」
「承知いたしました」と一礼してサイラスはその場を去った。
しばらくして、警笛が聞こえてきた。その瞬間、ガタンッと車内全体が引っ張られるように揺れ、それに合わせて窓際にある卓上ライトの紐が振り子のように揺れる。
ゆっくりと汽車はユートリヒに向かって進み始めた。
車内の大きな窓たちは夕焼けに照らされる畑を映す。
まるで風景画を展示する美術館のようであった。
少々、卓上ライトの明かりが強くなってきたころその美術館の絵画たちは街の風景を映し出すようになってきていた。
シャーロットは執務室の前に着くと、一回深呼吸をしてドアノブに手をかける。
そのドアを開いた勢いに任せてスタスタとデスクまで向かった。
「待たせたな。サヴィアント将軍」
自分のデスクまでまわって相手の方を見たとき驚いた。
短髪で美しい黒髪は光の反射によって青く輝いていた。そして、シュッとした顔を持つ美形の若い将軍は右腕がない。
彼女は最高指揮官たる将軍に対して左手で敬礼した。
その軍人らしい凛々しい眼光はシャーロットに向けられている。
自分のペースを乱されまいとシャーロットは必死に話し始めた。
「異域防衛にあたる第二軍の海上補給が断たれていたとのことだが、我が帝国海軍はいったい何をしていたのか」
その将軍は左腰に下げる短剣の鞘を握りながら言った。
「陛下のご命令に従い、帝国海軍は今すぐにでも出撃可能な態勢を整えております。よって陛下の出撃命令を待っておりました」
「海軍はすでに準備ができていただと?」
シャーロットはそう思いながら執務室の真っ暗な窓の方を向き、窓に映る将軍の方を見ている。
「それで、陸軍一箇師団はどちらに?」
「一箇師団?」
シャーロットは驚いたように振り向きながら問う。
「ええ、陛下御自身が兵を率いて異域へ向かうと」
記憶を失う前の私はいったい何を考えていたのか…
全力で頭を回しているのがばれないようにシャーロット現状説明をすることにして侍従に海図を持ってこさせた。
全く物が置かれていないデスクにバサッと海図を被せるようにして広げて見せる。
その上を彼女の胸ポケットの中にしまってあった万年筆を取り出して、万年筆でなぞりながら説明した。
「現状、何者かによって補給線が断たれている状況にある。しかも、ザンスタッドからも派兵許可要請が来ていることを考えればザンスタッドも同様の被害を被っているに違いない」
「ザンスタッド…」
将軍が独り言をボソッと言ったのを聞き、シャーロットは将軍の方をチラッと見ると再び視線を海図に戻して説明に戻った。
「貴官も知っての通り、ランドシア本国から異域沖へ艦隊を派遣するのならばカールトン・アヴェルセの西側ルートよりザンスタッド沖を航行する方がはるかに安全だ」
説明が止まったと思うとサヴィアントはシャーロットの方を見た。
ここからは完全にシャーロットのハッタリである。
内心の不安と嫌に鳴り響く心臓の音をかき消すようにしてシャーロットは再び話し始めた。
「そこで私だ。私が艦隊の長官としてザンスタッドへ向かい、ザンスタッド艦隊を借りる形で指揮を執る。つまり、ランドシアとザンスタッドの連合艦隊を作る」
将軍は少しの間、黙っていたが「仰せのままに」と口にした。
「今、海軍にどのくらいの戦力があるか知らんが、一箇師団は艦隊に守られながら異域に上陸する」
「今すぐに出撃できるのは戦艦3・護衛艦8・駆逐艦4です」
シャーロットはゆっくり頷いてから言った。
「全艦、出港用意しろ」
将軍は「はい」と答え、足早に執務室を後にした。
シャーロットは侍従に対して自分の身支度と、後日サイラスに自分が出たことを伝えろと命令した。
次に、参謀本部から情報を得るべくクロエに電話を掛ける。
「寝てたか?」
「いいや、仕事をしていた」
「一つクロエに頼みたいことがある」
「なんだ頼み事って」
電話越しにもクロエの声が驚いていることがわかる。
「参謀本部まで行ってすぐに動ける師団を教えてくれないか?戦況を変えたいんだ。頼むクロエ」
電話越しにクスッと笑う声が聞こえた。
「何がおかしい」
「いや、シャーロットが私にこんなふうに頼みごとをするのはなんだか変な感じがしただけだ」
「昔の私は頼みごとをしないくらい強い人間だったのか?」
こんなにクロエと話したのは初めてだった。
第一、こんなに親しげに話せる相手が皇帝の周りにあまりいない。
「もっと距離があった気がする。多分、強かったわけではない」
クロエは電話越しのシャーロットに分かるわけでもないのに笑顔を作って言った。
「いいだろう。私が責任を持ってシャーロットの頼み事を完遂する」
「ありがとう」心の底から瞬間的に、この言葉を言ったのはこの時初めてだったかもしれない。
「それで、頼みごとの詳細はなんだ?」
「現段階で出撃していない師団の情報が欲しい。今すぐに一箇師団が必要なんだ。だから、今日中にスドン軍港に向かえる師団に参謀本部から命令を出してほしい。あと、スペンサー領内から頼む」
シャーロットは時間に余裕がないせいか若干、興奮状態で情報を口にした。
「いつも通りか、分かってる。友人として君の頼みごとを果たしてくるとしよう。あと、会いに行くと言っておきながらそちらに出向けなくて申し訳なかった。」
シャーロットもまた、笑みを浮かべながらクロエに初めて会った日のことを思い出して言う。
「いや、謝る必要はない。改めて言うと水臭いな。ありがとう」
クロエは急ぎ参謀本部へと向かった。
ようやく、秘書の運転する車が参謀本部前に着き、警備兵たちの敬礼によって出迎えられると、参謀本部の中心・作戦情報室がある地下へ下っていく。
階段のすぐ目の前には重厚な金属製の扉があり、その先が作戦情報室となっていた。
警備兵の一人が体全体を使いながらその扉を押し開く。
薄暗い部屋に間接照明がポツポツと点在するその部屋の端には、大佐が一人ウトウトとしながら座っていた。
クロエはその将軍を起こすように「すぐに動ける一箇師団はいますか?」と聞く。
「そんなの無いですよ」とダルそうにその大佐は答えた。
「これは、一つ喝を入れてやらないといけない」と思ったクロエは、息を大量に吸って、叫ぶようにして言った。
「皇帝命令!シャーロット皇帝陛下の命により、スペンサー領内の一箇師団に対し出撃命令を伝達せよ!」
まるで、兵卒に命令するようである。
その場にいた、クロエに見向きもしなかった将校たちは皇帝という言葉を聞いた瞬間、一斉に立ち上がり、命令を聞いた。
その命令を聞いた者すべてが、皇帝命令に従い、出撃していない師団を探し始める。
壁に貼られた地図を見ていたものが一人、大きな声で言った。
「あります!」
「どこの部隊だ」
クロエはその将校が指さす地図に近づきながら尋ねた。
「第七師団です」
「よろしい」
クロエはその将校に対して笑って見せて続けて言う。
「急ぎ第七師団をスドン軍港に向かわせろ」
クロエは参謀本部の電話を使ってシャーロットへ電話を掛ける。
しかし、いくら待っても電話がつながらない。
クロエはふっと鼻で笑いながら電話を切った。
「どれだけ急いでいるんだか」
この出撃が歴史を大きく変えることになるとは、この時、彼女たちは知らない。