友達ってなんですか?
さらに続けてクルドニフ将軍は軍刀で地図上の各地点を指しながら言った。
「ここからここ。つまり、ミネロ湾からフィエーネ山に至るまでの急激に狭くなる国境部には続々と両軍が終結しております。そのため、正面から戦闘に臨めば甚大な被害と時間をこの地点に充てなければなりません」
突如、シャーロットの口が開いた。
「将軍。私の話を聞いていただけますか?」
なぜかその思いは彼女じゃない彼女が、いや、むしろ、彼女の中の見えない彼女が起こした行動のようであった。
「あと、そのお言葉遣いはおやめになったほうがよろしいかと。文末は断定、もしくは命令口調にしていただきたい」
将軍としても気が気ではなかった。皇帝がこのような調子で話を続けていたら逆に自分の調子まで狂いそうだったからである。
「分かりました」
将軍が一瞬、むっとした顔をしたのを見てシャーロットは言い直した。
「分かった」
将軍から言わせればこれでもまだ違和感が残る感じがするのであるが、これ以上の要求をすることは控え、「それでは何なりと」とシャーロットに譲った。
「将軍が先ほど言った通り、正面からだけの攻撃は無謀すぎる。それならばこれではどうだ」
シャーロットは何か棒状のものはないかと応接間を見渡し、暖炉に立てかけてあった鉄製の火かき棒をもってきて地図の上を歩きながら火かき棒で地図をなぞるようにして説明する。
火かき棒はランドシアの南部からランドシア・ヴェルグル国境部にまるで壁のようにそびえ立つフィエーネ山の上を通ってヴェルグルに出て、そこから方向を大きく左に変えてヴェルグル・アヴェルセの国境近くに置かれるアヴェルセの首都(敵首都)を指した。
「このルートなら敵の意表をつける」
じっと、火かき棒の先を見ていた将軍は顔をあげシャーロットに言った。
「お言葉ですが陛下、それは無理でございます。理由は三つ。一つ目はフィエーネ山には軍が通れるような道がそもそも整備されていないからです。二つ目は、我が帝国はヴェルグル王国との関係は必ずしも良好といえる状況にない為、ヴェルグル領内を我が帝国軍が進軍することはヴェルグルが了承するとは言い切れないためです。三つ目は、もし前条件の作戦行動が可能であったとしても、ヴェルグル・アヴェルセの国境部には強力な防御陣地があることが確認されており、そこを突破した後に敵首都占領というのはあまりにも非現実的であるからです」
シャーロットは地図の上に立ち、鼻で笑いながら言う。
「いや、出来るな。というよりもやらねばこの作戦を行うよりも、もっと多くの将兵を失うことになるだろう。もっとも、出来ると言う理由もある。まず第一、敵首都占領に向かうのは歩兵だけではない。戦車の随行させる」
「どうやってこの整備されていない3000メートル以上もある山を越えられるおつもりですかな?」
「バラせばいい。何も戦車を引っ張って持っていく必要はない。単に歩兵を守る盾となる戦車があればいいんだ。しかも、地図を見たところランドシアからヴェルグルにかけてちょうどいい川があるからここを下ってヴェルグル領内で戦車を組み立てる」
「果たしてそんなにうまく事は進みますかな?」
クルドニフ将軍はこの作戦内容は希望的観測に過ぎないと思っていた。数々の戦闘を指揮してきた将軍だからこそ戦争の理不尽さや戦場が運に任せきりな状態になることを理解していたのである。
しかし、ここにも彼にとってもう一つの理不尽があった。
「そういうふうにうまく持っていくのが貴官の仕事ではないのか?」
一瞬、二人は無言で見つめ合う状況ができたが、すぐに将軍は言った。
「適任の者を探しておきましょう」
将軍は「それでは私は司令部に戻ります」と言って敬礼し、応接間から出て行った。
将軍が出て行ったかと思えば、またもやノックが鳴る。
皇帝は大変だなと思いながら、「入れ」と声をかけた。
そうすると扉が開かれ二人の男女が入ってきた。
「なんだ。何も変わらないじゃないか。オスカーさてはお前、私を騙したな!」
「騙してねぇよ!」
応接間に入ってきたいかにもスタイリッシュなスーツ姿の金髪の女と例の将軍が言い合いしているのをシャーロットは静かに見ていたのだが、さすがに耐えかねて尋ねた。
「お前たちはいったい何をしにここへ来たんだ」
金髪の女はシャーロットにすり寄るようにして話しかける。それを受けてシャーロットはビクッとした。
「聞いてくれシャーロット!オスカーが私を騙そうとお前が私たちのことを忘れたとか言い出したんだ。お前からも何か言ってくれ。最近オスカーは悪ふざけが過ぎる」
ふたたび口論を始めた二人を黙らせるためにシャーロットは普通では考えられないような大きな咳払いをして二人を黙らせた。
「申し訳ないが、その男の言っていることは本当だ。私はお前のことを覚えていない」
このような言葉遣いは他人に対してしたことがなかったため、内心とてもビクビクしていたが、これは夢だと思い跳ね除けるように言った。
「ほら、言っただろ?絶対に呪われてるね」
男は自分の目の前に展開するこのバカげた現象を馬鹿にするように言った。
「呪いなんかあってたまるか。今のご時世、空には航空機が飛んで海には鉄の船が浮いてるんだぞ!」
金髪の女は男のふざけた発言に若干のイラつきを感じながらも、改めてシャーロットの方を向きなおして、椅子に座るシャーロットと目線を合わせながら優しく話しかける。
「本当に私たちのこと、忘れてしまったのかシャーロット」
金髪の女はどこか悲しい表情をしていた。また、その悲しい表情をシャーロットはどこかで見たような気がしたが、彼女には事実を言うほかどうしようもなかったので真実を打ち明ける。
「はい。ここがユートリヒ宮殿でこの国が戦争をしていることは聞きましたでいまいち整理がついていません」
シャーロットとしても不満であった。「なぜ、たかが夢ごときにこんなにめんどくさい思いをさせられなければならないのか」と。そのため、金髪の女からすれば彼女の声色には若干の怒りがのっており、少し早口であるように感じられた。
また、腕組をして壁にもたれかかるあまりにも若い将軍は鼻で笑いながら「勉強したらしい」と金髪の女に言う。
悲しそうな顔をしていた金髪の女はシャーロットに対して笑って見せ、まるで子供に話しかけるようにいった。
「そうか…では、もう一度私たちと友達になればいい」
「友達ってなんですか?」
シャーロットからすれば純粋な疑問だった。しかし、この言葉は目の前にいる彼女をさらに傷つけたらしく、表面上では笑っているが、より深い傷を負っているように見える。ますますその顔はシャーロットの知る、悲しみと辛さが合わさったような顔になっているように思えた。
金髪の女が「また来る」と言って部屋から立ち去ろうとした瞬間、なぜか謝らなければならないと思い、その思いが口に出た。
「ごめんなさい」
金髪の女と将軍は皇帝の言葉とは思えないような謝罪に笑ってしまったが、それによって吹っ切れたのか、金髪の女は笑ながら言う。
「いや、謝る必要なんかない。改めて言うとなると水臭いな。私はクロエ。あいつはオスカーだ。仲良くしてやってくれ」
オスカーは無言で出て行き、それに続くようにクロエも部屋から出て行こうとしたときシャーロットは聞いた。
「クロエ!次いつ会える」
シャーロットのその子供のような言葉遣いにまたも笑ってしまったが、クロエは優しく答えた。
「心配しなくてもまた来るさ。近いうちに必ず」
そう言い残してクロエは部屋を出た。
シャーロットが自分の気持ちと葛藤しているのは当然として、それはクロエとて同じである。久しぶりに旧友と会うと自分のことはおろか、彼女自身のことも忘れているのである。今までとは似ても似つかないシャーロットを見て抱えるモヤモヤと不安。今までの彼女との思い出や共有してきたことのすべてが通用しないのである。
クロエは閉められた扉を背にしばらく考えていたが、考えるのを止めて廊下を歩み始める。その廊下の大きな窓のそばにはゼラニウムが生けられてあった。
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