生まれ変わった彼女
少女の漕ぐ一艘の船に幾人か乗り込んだ。
その多くは、少女が「行き先は?」と問うと、「天国へ」と答える。
黒いドレスを纏った美しい女性が乗り込み、続いて白のスーツを着た青年が乗り込んだ。
少女はその他と同じように彼らに「行き先は?」と尋ねる。
女性は「地獄へ」と答えて青年は「天国へ」と答えた。
それを聞いた船尾に立つ少女は櫂を漕ぎ始める。
心地の良い青空の下、凪いだ湖面をゆっくりと進む。
その湖面をよく見ると美しい街が見えた。
美しい女性は少女に、「奇麗な湖ですね」と言った。
別に少女は何を答えるでもなかったが、少女の顔には心なしか誇らしさが写っている。
朝が来て、昼が来て、夜が来る。
春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎて、冬が来た。
船が目的地に着くころには、少女は女性になっていた。
多くの人が下りた。
白き大勢は女性を見て無言で降りてゆく。
黒のドレスの女性は櫂を持つ女性に言った。
「行きましょう」
櫂を持つ女性は微笑みながら「はい」と答える。
ふたたびその船はゆっくりと動き始めた。
遠くを見ると、女性の知らない世界が広がっている。
その岸には船に見えるように手を振りながら、大きな声をあげる金髪の女性の姿が見えた。
船はゆっくりと彼女の方へ寄っていく。
「待ちくたびれてしまったぞXXX」
女性はいつも通り「行き先は?」と尋ねると、「XXXと同じ所へ」と答える。
これにはさすがの女性も困ってしまった。
豪華だが落ち着いた車両の中で中腰になりながら机越しに両代表は手を握り合う。銃声一つ聞こえないこの静かな森の中で、冷め切ったこの空間の中で笑うものは誰一人としていなかった。
黒のスーツに身を包んだ男が降伏文書を降伏する側の代表に手渡し、代表が署名する。
ささっとその代表は署名してペンを置いた。
しかし、すぐに文書を相手側に渡そうとはせず、彼は一瞬、何か考えているようであった。
彼は、ぱっと頭を上げて、急いで外交文書を手に取り、戦勝国側の代表に引き渡す。
「何をしているんだ」とあきれたような顔をしながら文書を受け取った代表はペンを手に取った。
戦勝国代表が持つペン先がカリカリとその文書を撫でている時、その場にいる者は、気が気ではなかった。
静寂の中にペン先の音だけが響き渡る。
戦勝国側代表がペンをペン立てに入れた瞬間、戦勝国側の外交団の一人が口を開いた。
「条約発効は本日の午後13時からとします」
一見、両使節団は長い交渉の末、長い地獄の末に平和を取り戻した英雄であった。
帝都ユートリヒ 宮廷内にて
拍手の鳴り響くホールの中で白のドレスに紺色の騎士団マントを羽織った女性が壇上に上がろうとしていた。
女性が軋む音を立てながら、木製の階段を一段ずつ上ると彼女は徐々にスポットライトに照らされていく。
しだいに、彼女の体を包み込むマントにつけられた勲章の数々がキラキラと反射して、彼女はより神々しさを纏った。
女性は壇上に立つと、拍手が止むまで待った。
ひたすらに待つのである。
次第に会場内の熱が冷め始めたころ、彼女はゆっくりと口を開いた。
「諸君が今日、この場に集まってくれたことを嬉しく思う。我々は今日にいたるまでの実に長い間、苦しみ、傷つきながら戦い抜いてきた。この戦争が正しい手段において行われた戦争であったとしても、この闘いの日々が我々一人一人にもたらした恐怖と苦しみは計り知れるものではない。しかし、この悪夢は去った!我々は輝かしい未来と希望に向かって歩みださなければならない」
スピーチが行われている間、宮廷召使たちが乾杯のシャンパンを注いで回っている。
「祖国の輝かしい未来と希望に」というと皇帝シャーロットは上へフルートグラスを掲げるのであった。
壇上から下りながら鼻で笑い言う。
「輝かしい未来ねぇ」
彼女の頭の中にはぼんやりと病床で苦しむ過去の自分の姿があった。
病院の一室にて
「赤坂さん。お母様がお見えですよ」
そういうと看護師は少女の母親を少女と面会させた。
「すいちゃん。変わりはない?」
少女の母親は自分の子供が13歳の時にガンが発覚してから毎週欠かすことなく少女のお見舞いに来ていた。
「大丈夫だって言ってるでしょ?もう毎週毎週来なくていいってば!」
16歳というと反抗期を迎えるころであるが、その時期を迎えるという点では、この少女もほかの子供たちと何も変わらない。
母親は一瞬悲しい顔をしたが、すぐに笑って言う。
「ほら、すいちゃんの好きな歴史の本いっぱい持ってきたよ!」
母親は本屋で長い時間をかけて娘のために選んだ本を広げながら言った。
「だからもういいって!帰って」
彼女からすれば母親の優しさというか愛情的なものが鬱陶しく感じられた。
少しの間が空いて母親は俯きながら「また来るわね」とぼそっと言い病室を後にした。
一瞬、言いすぎたと思ったが、謝る勇気が出ずに謝れなかった。ただ一言、「ごめんなさい」が言えなかった。
少女は後日謝ろうと思いながら、母の置いていった本を見る。
熟考の末か娘との会話を思い出してかは少女にはわからなかったが、少女の好きなナポレオンの本があった。
やはり彼の歴史はおもしろい。
ナポレオンは最終的には配流されてしまったが、それでもなお、彼の軍事的才能とカリスマ性は後世に語り継がれているだけある。
私はその本に没頭し、どんどんと読み進めていく。
あるページで本にかかれるナポレオンの友人の存在に目が留まった。
友人か…私にはいなかったな。この狭い病床が私の世界のすべてだった気がする。若し叶うのならば、来世はナポレオンのように広い世界で自由に生きたい。
少女はその夜、誰にも看取られることなく孤独に死んだ。
女は目を覚ます。
天井がやけに高い。ここはいったいどこだ?
「皇帝陛下!お目覚めになられましたか」
皇帝陛下?この人は何を言っているのだろう。
ベッドの横で涙を浮かべながら自分を見つめる男に女は驚いた。
「大…丈夫…ですか?」
女はベッドの横ですすり泣く男に対して声をかける。久しぶりに母親や医者・看護師意外と話していることに気が付いた。
「陛下。私めなどにお気遣い頂き恐悦至極にございます」
どうしたらいいのかわからない。彼女を差し置いて同じ部屋にいた黒髪で高身長のモーニングコート姿の男が言う。
「おい、サイラス!見苦しいぞ」
「申し訳ございません。シャーロットお嬢様……皇帝陛下がご無事でつい」
「ついで泣きわめいてんじゃねぇ!」
「え、なにこの人たち怖い」女は思った。
モーニングコート姿の男は高身長で凛々しい顔を持っている。その美しく、また強そうな顔を持つ男は彼の頭にのせられていたシルクハットを外し、彼の顔を女へ近づけた。
「ご機嫌いかがですか?シャーロットお嬢様」
女は頭の整理が追い付かなかった。
「私は…シャーロット…」
「おい!それはないぜ!お前昔よりノリ悪くなったんじゃねぇか?」
男は笑っているが、内心残念そうであった。
そういってシルクハットを再びかぶり、彼は部屋から出ていく。部屋から出て言ったあと、シャーロットはすすり泣いていた男、サイラスに尋ねるのであった。
「私は誰?」
一瞬、サイラスは戸惑った顔をしたが、ゆっくりとシャーロットの方へ歩み寄り、目線を彼女と同じ高さにして問いかける。
「どうなさいましたか」
シャーロットは部屋の中をキョロキョロと見渡した後でサイラスに訴えた。
「私、ここのことが思い出せません。もちろん貴方のこともさっきいた人のこともです」
サイラスはその訴えを聞いて動揺しているようである。
それもその筈であろう。
彼は人生の大半をブラウス家に捧げてきた。しかも、彼の目の前にいるシャーロットに関しては長年、自分が教育係を務めてきたのだ。
その主君から忘れられるということは彼にとって自身が死ぬも同じことを意味しているからである。
そんな事情は知らないシャーロットは追い打ちをかけるように更に尋ねた。
「あなたは誰ですか?」
サイラスはまるでナイフで彼の心臓を突かれるような気がした。
「なんのご冗談ですか」
サイラスは動揺のあまり、声が震えて何故か笑っていた。彼としては自分に対して助け舟を出したつもりだったのだが、「冗談なんて言っていません」と、故意がないとしてもシャーロットは簡単に彼の助け舟を沈めたのである。
その衝撃の告白に、サイラスは魂が抜けたような顔をしながら、「他の者を連れてきます」と言って出て行ってしまったのだった。
誰もいなくなった大部屋にシャーロット、一人だけが取り残される。
シャーロットは数分の間に自分の前で展開された出来事に混乱していったい自分は何者なんだと思い部屋の隅に置かれている等身大の鏡を覗き込んだ。
そこに写るのは、顔も知らない、自分とは違うと瞬間的に思える容姿を持った女である。
鏡に映りこんだ流線的な美を持つその体は、女らしい体つきというよりかは戦って鍛え上げられた肉体と言うべきであった。
彼女は裸であることに気づいたが、それでもなおも自分の体に感心して彼女の持つ長く美しいブロンドの髪を見て息をのむ。
「きれい…」
刹那的に出た異常に対する感想であった。
ノックがなって、侍従が声をかける。
「陛下?どうかなさいましたか?」
扉越しに聞こえる侍従の声は頑丈な扉にかき消されて曇って聞こえた。
さっとシーツを身にまとい、シャーロットは入るように言う。
窓を見ながら「まるで夢のようですね」とシャーロットが言うと、侍従は「何が始まったんだ?」という顔をした。
その場の気まずさからほんの少しの間が空いたが、シャーロットは話を続けた。
「私に教えてください。私が誰なのか。ここがどこなのか。このようなこと言うのは恥ずかしいですけど、今日以外の記憶がないんです。だから、教えて下さいませんか?」
侍従は驚いた。いつもは威厳に満ち溢れている皇帝がこんな顔を見せるのかと。それにしても理解が追い付かない。「これは本当に陛下なのか?」と思ったが答えなければ自分の身に何が起こるのかわからないと思い答えることにした。
「承知いたしました。私の知りえる限りをお伝えいたします」
シャーロットは嬉しそうに笑って見せた。しかし、それを見て侍従は嬉しくなったりなんかしない。絶えず彼の頭の中にあったのは「不気味だ」ということだけだった。
「まず…どこからお話すれば…」
「私は誰?」
昨日まで女を侍らせ、横暴な振る舞いを行う女帝とは思えない言葉である。侍従はそのシャーロットを知っているからこそ彼女を恐れ、震える声で答えているのである。
「陛下は先王ジョージ・ブラウス様の長女シャーロット・ブラウス様でございます。また、恐れ多くもあなた様はこの国の君主・皇帝陛下にございます」
シーロットは尻から膝裏にかけて手を添わせながら、彼女の纏うシーツがクシャッとならないようにして鏡の近くにあった椅子に腰かける。
「ここは?」
「ここはユートリヒ宮殿の陛下の寝室でございます」
「ユートリヒ宮殿?確かに天井が異常なまでに高いわけだ。私の知っている天井とはまるで違う」と思いながら、さっきも見たはずの部屋全体をもう一度見返した。
「さっきいた人たちは誰なの?」
「先ほどまでこちらに居られたあの方は陛下の侍従長サイラス・ヒル様にございます。侍従長以外の方がこちらにいらしたところを私は見ていないのでお答えすることはできません」
シャーロットは俯き、思った。「陛下、陛下と呼ばれて気づいてはいたが私はこの国で一番偉い人らしい」
「恐れながら陛下。侍従長のことを忘れておられたということは戦争のこともお忘れですか?」
「戦争?」
シャーロットは普通に聞き返したつもりであったが、彼女が見た鏡に映るシャーロット・ブラウスはその顔に笑みを浮かべていた。
「私がお答えすることができるのはここまでです。もし、戦争の詳細をお知りになるというのであれば、再び侍従長をお呼びいただき、侍従長を通して将軍にお尋ねください。侍従長を呼んでおきます」
「戦争か…本で読んだような感じだろうか…」
しばらく経ってサイラスがシャーロットのもとに戻ってきた。
いいねしてもらえれば励みになります!