第二章 『大胆すぎるアイドル』
竹刀を――軽く握る。
肩に力を入れすぎるな。 目線は常に相手の目を合わせろ。
心を無にしろ。 動くものすべてに対して即座に反応できるようにしろ。
そう……ここは山、川、空。 ただの万象の世界。 雑念は存在しない。
ゆっくりと……深呼吸。
――来た。 今俺は自然と一体化した。
そう、それは風に葉が揺れるが如く。 刹那の絶対空間が俺の全身を包み込む。
相手は動かない。 それはまるで岩のようだ。
相手の事を考えてしまいそうになるが、それはダメだ。
目の前の相手はただの自然現象……意志ある存在は俺だけ……。
この世界は俺が作っている。
俺は神……万物の創造主。 全ての事象は、すべて俺の思う通りに動く。
――そして整った精神の中で目の前の〝岩〟は動く。 岩だと思っていたソレは一瞬にして俺に近づいてくる。 分かってる。 その後の動きは分かっている……。
だから俺は手に持つ竹刀を構え――『悠一くん!』――その時、脳裏に昨日の棚田さんの言葉がよぎる。
「一本ッ!」
顧問の先生が勢いよく叫ぶ。 気づくと、俺の頭に相手の竹刀の先が当たっていた……。
「それでは、個人戦終了! 今日の動きを学習して、明日はさらに――って、お前たちは明日社会科見学だったな! 次回までに自分の動きがどうだったかまとめてくるように! ではこれで解散ッ!」
顧問の先生はそう言うと、タブレットに何かを打ち込みながら端の方へと歩いて行った。
緊張していた部員たちはタガが外れたように談笑を開始する。
――ここは剣道部。
放課後の部活の最後は、決まって選ばれた個人同士が試合をして終わるのが決まりだ。
「佐々宮ァ! どうしたんだよぉ?」
先ほど俺から一本取った奴が話しかけてくる。
そいつは面を取ると、ニヤニヤ笑いながら近づいてきた。
「……」
「集中力皆無! ひょっとして、恋でもした?」
凪羅真希。 俺の同級生。 この学園に入ってからずっと同じクラスで過ごし、そして剣道部の最大にして永遠のライバル。 俺は凪と呼んでいる。
「はあ……なんでそんなに強いんだお前?」
俺はその場に座り込みながら凪に聞いた。
段位は俺と同じ三段――しかし大会出場の際に審査員たちから八段の腕前があると言われたらしい。
俺にも大会出場経験はあるが、こいつの強さは半端じゃない。 正直、練習試合の時には戦う前から気力で負けてしまっている。
「秘密、知りたい?」
勝てる秘訣があるのなら是非教えてもらいたいものだ。
「心を読むの」
「心?」
「そう、心。 その人が何を考え、次にどう動こうとするのかを見極める。 あたしにはその力がある」
「自慢かよ……」
凪も幼い頃から剣道を習っていたらしい。 相手の動きなど手に取るように予測できることだろう。 俺はまだその域に達せていないということか。
「でもさっきの佐々宮、ちょっと動きが読めなかったよ。 心を無にしてたでしょ? ああいうのけっこう相手にプレッシャーだから有効な戦法の一つではあるね。 特にあたしのように人の心を読むことができる者には――」
凪はそこで俺へ向けてビシッと指をさす。
「でも中途半端はよくない! その戦法も途中でやめたら意味がないの!」
「ありがたくアドバイス頂戴しときまーす」
「てことでぇ……約束は守ってもらうよ!」
約束? 約束なんかしたっけ?
「休み前に約束したでしょ? 今日の個人練習戦で一本取った方が何でも言うこと聞くって……忘れたとは言わせないよ!」
……ああ、そういえばそんな約束してたな。 あの時は勢いに乗ってつい言ってしまったが、こいつに勝つのは無謀すぎることを改めて実感する。
「明日モニコしなさい!」
モニコ……? ああ、モーニングコールか。
「明日はGタワーの見学じゃん? あたし朝弱いんだよねぇ! だから五時にモニコ!」
「お前朝弱かったっけ? めんどくせえな」
「なーに言ってんの! 勝負に負けたクセにグチグチ言わない! みっともないよ!」
「分かったよ! あ~でもそんなので良いのか?」
「それだけじゃないよ。 七時に駅前集合でしょ? 六時半に相木公園の高台で落ち合って、一緒に駅まで行くこと!」
「はあ? 一緒に? なんで?」
「駅前とか朝方酔っ払いの集団が結構居るから怖いの! ボディガードしなさい!」
「そんなのお前なら一発でやっつけ――」
頭を盛大に叩かれた。
「とにかく! 約束守りなさいよ!」
「凪羅先輩!」
剣道部後輩の女子たちが凪の元に集まってくる。
「一戦手合わせをお願いしたいんですが、よろしいですか?」
後輩たちのお願いに、凪は手を振って拒否した。
「あ~パスパス! あたし明日朝早いんだわ! 早く帰って寝たいのよ~!」
そう言うと、残念がる後輩たちの肩を叩きながら俺の方へ言う。
「明日必ず五時にモニコね! 絶対だから!」
そして凪は更衣室へと歩いて行った。
凪が遠くまで行くのを確認すると、後輩たちは目をキラキラさせながら聞いてくる。
「モニコって……まさか佐々宮先輩、凪羅先輩と付き合ってるんですか?」
なんでそうなるんだ。
「は? そんなわけないだろ? アイツが朝起きれないっていうから俺が仕方なくだな――」
「キャー! なんかそれって青春!」
周りの女子たちも黄色い声ではやし立てる。
勘弁してくれ。 凪と恋愛フラグを立てられるのは御免だぞ。
「今日も仲がいいね」
後ろから声がする。
「ああ、流星……」
声を掛けてきたのは剣道部の主将。 赤塚流星だ。 俺の小学生からの親友でもある。
本来は凪が主将になるはずだったが、凪は面倒がってその役を流星に振った。
流星は親が人気俳優らしく、その血を引いているせいかその童顔で甘いマスクは上級生の女子に一定の人気があったらしい。 今では俺たちがその上級生なわけだが。
「ふざけんなよ。 あの強引なところはどうにかしてほしいぜ。 いつもあれで迷惑被ってるこっちの身にもなってくれ」
「そう言うなよ悠一。 お前、幸せなんだぞ?」
流星が俺の肩に手を置いた。
「幸せ? なにが?」
「凪羅はああ見えて他の人には〝お淑やか〟だ。 ああいう姿はお前にしか見せない。 どういうことかわかるか?」
「俺が特別馬鹿にされてるってこと?」
「ちがう。 お前の事を信頼してるってことさ。 もっとわかりやすく言うと、お前のことが好きなんだよ」
「はあ?」
俺はハト豆鉄砲な顔をする。
「やっぱりお前は馬鹿だなあ。 ま、そんな所が気に入ったのかもしれないね」
「いやいや、ありえねえから。 そんなこと、なんで分かるんだよ?」
「分かるよ。 彼女のことは僕が一番見てるからね」
「……?」
さらに難しい顔になった俺の表情を見ると、流星は大きなため息を吐いた。
「正直お前が羨ましいよ悠一。 でも、彼女は僕を見ていない。 これがどんなにつらい事か、わかるかい?」
「まあ……」
何となく状況を察する。 流星、凪の事が好きだったのか……。
「流星、そういう事なら俺が人肌脱いでやるよ! 明日の公園の待ち合わせ、俺の代わりに流星が行ってくれ。 そしたらちょっとは距離も縮まるだろ?」
「いいよやめてくれ! あぁ……そんな事をしてまで彼女の気持ちを変えたくはないんだ! 僕が欲しいのは、彼女の純粋な気持ちなのだからッ!」
流星はまるで星に願いをするかのように両手を上に掲げる。 さすが役者の息子だ。
「そ、そうか……でも、心配すんな。 俺と凪がくっつくことは無いから」
「悠一、恋なんて何がきっかけで始まるかわからないんだよ? そんなこと……嘘でも言ってはいけない!」
「いや……実は俺、今気になってる子がいてさ……」
その言葉に流星は敏感に反応する。
「え!? だ、だれ?」
「誰にも言うなよ……」
俺は流星の耳元で昨日の棚田さんとの出来事を小さな声で言う。
「な!? あの棚田――」
「シー! ……声がデカい!」
流星は気まずそうに両手で口を覆った。
「すまない……でもソレ……まじなの?」
「ああ……俺も昨日のことが信じられねえ……まあ、だからなんだってわけでもねえけど、そういうことだ」
普通の女子と男子のこういう話ならごまんとある。 流星だって驚くことは無いだろう。
だが、相手があの棚田さんとなると話は別だ。
これが知れたら強欲なゴシップ魂の塊である雑誌部の連中はもちろん、学園中に一気に話が広まる。
棚田さん本人にしてみれば不本意かもしれないが、何が何でも隠しておいた方がいい事だ。
俺も棚田さんファンから袋叩きに遭うことは避けたい。
「で、悠一……そのあとはどこまで行ったんだ?」
流星は好奇心に満ちた目で俺を見る。
「いや、何にもねえよ……。 夕方まで話して、そろそろ日が暮れるからって図書館で解散」
流星はアチャ~というように額に手を当てて残念がる。 そして俺の事を物凄い憐みの目で見てくる。
「いやいや、俺だって頑張ったぜ!? でも、ダメだ……いざとなると腰が引けてしまって」
流星はさらに憐みの目を強くした。 ムカついたので一発殴っておいた。
「でもなあ悠一……」
頭をさすりながら流星は言う。
「あの棚田さんだぞ? 堕とすには苦労が――」
その時、部室の話し声のボリュームが一気に上がる。
俺は部室の入り口を見る。 なんと――あの棚田さんが入り口に立っていた!
「どうして棚田さんが……?」 「剣道部に何の用だろう?」 「すげえやっぱ可愛い!」
部員たちが棚田さんへ好奇な目を向けて話をしだす。
別に悪いことを話しているわけではない。 今日の棚田さんは可愛いとか、今日は何食べたんだろうとか、誰が今日最初に話しかける? とか、そんなのだ。
でもきっと棚田さんも自分の名前は言われなくても気づいてはいるだろう。
たぶん、そんなに良い感情は持っていないと思う。 もしも俺だったらそう思う。
棚田さんは誰かを探すように辺りを見回している。
「雨美ぃ!」
部室の中に緊張が走る。
棚田さんの……しかも下の名前を!? 一体だれがッ!?
「ああ、真希」
棚田さんが応答した相手は――凪だった。
「「ハア……なんだ凪羅先輩か……」」
部室がため息ばかりになる。
――そう、棚田さんの数少ない……いや恐らくただ一人の友達は、凪羅真希だ。
どういうわけか、一年前に棚田さんが転校してきてから誰も親しくなれなかった中、凪だけが仲良くしている。 まるで〝昔からの友達〟みたいに。
一度凪に訊いてみた事がある。 なんで棚田さんと仲良くなれたんだ? って。
そしたら彼女は、『雨美の方から話しかけてきた』と言っていた。 そしてなぜみんなが仲良くなれないのか不思議がってもいた。
なぜ凪には心を開いたんだ……。 それはこの学園最大の謎でもあった。
――ふと、棚田さんが俺を見つける。
彼女は俺に向かってニコッと微笑むと、こっちに歩いてきた。
「た、棚田さん!? どうしてここへ?」
棚田さんは俺の動揺を知ってか知らずかニコッと笑う。
「悠一くんに会いに来たんだよ?」
「ふぇ!?」
部室内がさらにざわついた! さっきまではしゃいでいた後輩たちがさらに叫び出す。
「悠一くんもう部活終わったんだよね? ちょっと話したいんだけど、一緒に来れるかな?」
昨日といい今日といい、一体何がどうなってるんだ!? こんなことがあっていいのですか神様!?
「もし、迷惑じゃなければだけど?」
迷惑なんてとんでもないです。 行きますどこへでも付いていきます!
「わ、分かりましたッ! すぐ着替えてくるんでちょっと待っててくださいぃッ!」
俺は慌てて凪の方へ駆け寄って言う。
「凪! 一生のお願いだ! 消臭スプレー貸してくれ!」
「は? い、良いけど……佐々宮、雨美と仲良かったっけ?」
「あ? ああ、ちょっとな!」
俺は凪から消臭スプレーを借りると、慌てて更衣室へ行き胴着を脱いで自分の体に吹きかけまくった。
そのあと俺と棚田さんは学園を出て、帰り道にある相木公園まで一緒に歩く。
その間、俺は緊張してひとことも喋れず、そして棚田さんもまたひとことも喋らなかった。
き、気まずい……幸せだけど気まずい……息が出来ない……。
しばらく歩くと公園の入り口が見えた。 俺たちはそのまま中へ入る。
相木公園は高台に設置されており、そこから都心にある〝Gタワー〟が見えた。
夕陽に照らされた街の景色がめちゃくちゃロマンチックだ。
棚田さんは手すりへともたれかかり、ひたすら街の景色を見ていた。 俺はどうすることもできずにただ立ち尽くして彼女の姿を見つめる。
途中、自分の服の匂いを嗅ぐ。 あぁ……まだちょっと汗臭いかな……。 今はあまり棚田さんに近づかない方が良いかもしれない……。
「ねえ悠一くん?」
臭いの心配をしていた俺に棚田さんは不意に呼びかけてきた。
「は、はい!?」
いきなり話しかけられて思わず声が裏返ってしまう! 落ち着け俺!
「な、何かな?」
堂々としろ悠一! 大丈夫! お前ならできる!
そして棚田さんが振り向く。
風で舞う髪。 背景に映る景色も相まって、まるで天使のように見えた。
「私ね、運命とかそういうのあんまり信じないんだけど……昨日は、まるでその運命みたいだったよ。 悠一くんと会えて、そしてあの本の話を二人で出来た事……すごく嬉しかった。 もし神様が居るのなら、昨日の出来事は神様が二人を引き合わせてくれたんだなって思うの」
これって……まさか告白!? 昨日の今日で!? いやいや、まさかまさか! 勘違いするなよ佐々宮悠一! そんなことあるわけないだろ!?
これはきっと何かの隠喩とか、比喩とか、そんなのだ! しかもあの棚田さんだぞ!?
そんなわけない! そんなことあるわけないじゃないか!?
「悠一くん」
そうひとこと言うと、棚田さんは俺の胸へ飛び込んできた!
「――ッ!?」
いやいやいや~! 今めっちゃ汗臭いから俺~!
すぐに離れようとしたが、しかしその力よりも棚田さんが俺のワイシャツの胸元辺りを掴む力が予想よりも強く、俺の密かな後ずさりはあたかも不意に抱きつかれた衝撃で少し後ろにぐらついたぐらいの印象しか与えなかった。
「た、棚田さん……!?」
ちょっと待て。 その前にこの状況はなんだ!? 俺は今自分に起こっている状況を再認識して非常に混乱する。
え? 今何が起きてるの!?
目がぐるぐる回る。 呼吸をするのも忘れる。 鼓動はドラマーのようにハイテンションに鳴り続け、空はカラスが飛んでいる。
カオスだ……! この空間はカオスだ! 頼む! 俺に落ち着く時間をくれ!
「悠一くん。 あなたを最初に見た時、まさかと思った……。 でも、このタイミングであなたが現れたことは、きっと意味がある事なんだと思う。 だからね、告白するね」
「こ、告……白……!?」
「あなたが……好き……あなたを……待っていた……」
そう言うと、棚田さんは顔を少し近づけ、目を瞑った。
心臓が……張り裂けそうだ。 これはもう……俺がするべきことはもう……決まっている。
「……」
俺はゆっくりと顔を棚田さんへ近づける。
そしてその唇に、自分の唇を重ねた。
……どれだけ経っただろうか。 棚田さんは不意に唇を離した。
「雨美って、呼んで」
背景の夕陽と、棚田さんの顔……まるで儚げな夕陽がもう一つ現れたかのようだった。
「……雨美」




