第一章 『相思相愛は突然に』
「あれ? 悠一くん……だよね?」
突然女性の声で自分の名前を呼ばれ、驚いて振り返った。
その姿を見てさらに驚く。
「た、棚田さん?」
目の前に居たのは同級生で学園のアイドル的存在の棚田雨美だった。
「こんなところで会うなんて珍しいね! 本が好きなの?」
「え?」
俺は今どこに居るんだっけ? 目の前の棚田さんに驚いて、今自分がどこに居たのか忘れてしまった。 それほどまでに、棚田さんに話しかけられたことに驚いている自分に気が付く。
周りをチラッと見回して思い出す。 ――そうだ。 俺は今図書館に居るんだった。
数日前のことだ。
大学受験に備えた学習資料を揃えるため、ネットで無料配布されている図書館のデジタル書籍を探していたのだが、これがどういう訳か目的の書籍がまだデジタル化されていなかった。
この時代になってまだデジタル化していない本があるのかと嘆いたが、無いものはしょうがない。 俺は休日を利用して街の図書館へとわざわざ足を運んだわけだ。
棚田さんの〝本が好きなの?〟という言葉の真意としては、〝このデジタル社会でわざわざ紙の媒体を使って情報を収集しようなんてもの好きだね〟という意味が多分に含まれている事だろう。
「ああ、ちょっと受験の資料を……ね。 目的の本がまだデジタル化してなくてさ、ダルいけど仕方なく図書館まで足を運んだんだ!」
とりあえず誤解されないように弁解しておく。
「そうなんだ、ふーん? 私は〝本〟が好きなんだ。 デジタルじゃなくて……そう、こういう紙の本ね。 最近は本屋さんなんてほとんど無いからここに来るんだけど、悠一くんも好きなんだと思って、嬉しくなって声かけちゃった!」
「ああ――いや、この暑さでしょ!? ダルいってのは、ここまで来るのがってこと! 俺も紙の本、好きだよ!」
苦し紛れにでも話を合わせようとしたが、ちとあからさまだったかな? 棚田さんが顔を覗き込んできた時には、心の中を見透かされた気がして思わず顔を背けたくなった。
しかし彼女はニコッと笑顔を見せて言った。
「……なんの本、探してるの?」
――気付くと、俺と棚田さんは図書館の読書スペースへ一緒に座っていた。
クーラーの風が心地いい。 外の気怠い暑さとは別世界だ。
周りの机にはほとんど人が居らず、居てもお年を召した方がチラホラ……若者は俺と棚田さん以外皆無だった。 まあ当たり前か。
「日本神話の本なんて、意外だね」
棚田さんが俺の探していた本の表紙を見て聞いてくる。
「もしかして日本史専攻?」
「そういうわけじゃないけど、ちょうど日本史で行き詰まってて、いっそ原点から勉強し直そうと思ってたところなんだ」
「日本史は奥が深いよ。 世界史より全然ね。 でも面白い。 私、日本史はちょっと自信あるんだ。 特に日本神話はね」
「そうなんだ。 何か、予想通りだな」
「予想通りって、何が?」
いや、何がって……そりゃあ勉強ができそうって意味だ。
「頭、良さそうだから……」
「ふーん……なんでそう思うの?」
いやに深堀りされて少し焦る俺。
棚田さんは頭が良い……というのは俺の学園では常識だ。 成績では常に学園一位だし、そして何より、綺麗で可愛い。
去年学園に転校してきてから、彼女はそのルックスと聡明さで学園中の生徒から注目を浴びることになる。
唯一欠点がある所と言えば、彼女は口数が非常に少ない。 男子にも女子にもだ。
自分から話しかける事もしなければいざ話しかけられてもその話が弾むことも無い。 だから彼女には友達と呼べるような存在が極端に少ない。 彼女関連で耳に入ってくる情報といえば、根も葉もない噂ばかりだ。
しかしそんなミステリアスな側面があるからこそ、学園の生徒たちは彼女に好奇心を抱いている。 ただの〝ぼっち〟ではないのは確かだな。
俺も、その数多の好奇心を寄せる生徒の一人なわけだが……。
「成績一位だし、そりゃあ勉強もできるよなあって」
「ああ、そういうことね」
彼女はどうやら納得してくれたらしい。
しかし棚田さんが自分の方からこんなに話してくれるなんてまだ信じられない。 これだけでも友達に自慢できるぐらいだ。
俺はふと棚田さんの持っている本が気になって聞いてみる。
「ところでその本は? 何読んでるの?」
棚田さんはまっすぐ俺を見るが……瞳が眩しい。 耐え切れず俺は目を逸らしてしまう。
「あ、悠一くん気になる?」
気にならないわけがない。 棚田さんのことならすべてが気になる。 俺は黙って頷いた。
「『泣いた赤鬼』」
棚田さんは本の表紙を俺に見せた。 その本のタイトルなら知っている。
ていうか、絵本じゃないか。
「意外だな、それ子供向けの本じゃないか」
「あ、馬鹿にしてるのかなぁ?」
「え、いやいや! そうじゃなくて、どうも棚田さんのイメージに合わないから!」
心臓バクバクになりながら否定する俺を見て、棚田さんはクスっと笑う。
「実はこの本もデジタル化してないんだよ」
「そ、そうなの?」
「うん、私この本大好きなんだ。 昔からね。 ねえ悠一くん? この本の内容どんな話か覚えてる?」
子供の頃に読んだ本だったが、難しい内容でもなかったので内容は今も覚えている。 そんなに詳しくはないが、大体のあらすじを棚田さんに答えた。
「そう、最終的にはそうなるね」
「でも、考えてみれば悲しい話だ」
「どうして?」
「赤鬼は欲しいものを手に入れようとした。 でもそれと引き換えにもっとも大切なものを失う。 悲劇だと思わない?」
「私はね、そう思わないんだ」
「とういうと?」
「赤鬼は確かに大切な者を失った。 でも赤鬼はそれまでその大切な者を当たり前だと思ってた。 つまり価値が分からなかったんだよ。 でも、最後の出来事がきっかけで、その当たり前だった者が実は何よりも大切なものだって気づいたの。 結果がどうであれ、その出来事がなければ赤鬼はそれにも気づかぬまま生涯を終えていた……。 私はね、この物語は赤鬼と青鬼が真の友情を結べた……そんなお話だと思ってるよ」
さすが棚田さん。 ただの絵本でそこまで深い考察をするとは……。
「確かに……そうだね。 うん、深い。 でも俺はやっぱり悲しい話に思えちゃうなあ。 結局その大切な友達と離れ離れになっちゃうんだから、これほど悲しい話はないよ。 そのあとでまた再会できるのなら話は別だけどね」
「お? 異論かな悠一くん?」
「い、いやいや! そうじゃなくて、あくまでこれは俺の主観であって――」
「じゃあさ、ちょっと私と話をしようか?」
「へ?」
棚田さんはそう言うと椅子を俺の方にピタッとくっつけて座った!
体が密着する……! え、え、え? なにこれ。 なにこれ神様! もしかして俺今日一生分の運を使い果たしてる? 明日死ぬの俺? なにこの幸せ空間!
「じゃ、一緒に読も!」
――棚田さんは『泣いた赤鬼』の表紙をめくり、一ページ目から読み始めた。
棚田さんの長い髪がふわりとクーラーの風と共に揺れ、花のようないい香りが漂う!
心臓はもちろんバクバクだ。 気を抜いたら生唾を飲み込む音が聞こえてしまうと思い、俺は息を止めながらゆっくり唾を飲み込んだ。
本の内容は文字だけが入ってきて、内容はポンポンと頭から抜けていった!
途中で棚田さんが、「読んだ?」と確認しながらページをめくる。
読んだけど読めてない。 それどころじゃない!
――結局、本を読み終えてからその後の感想の言い合いまで含めると、俺たちは夕方まで密着し続けていた……。




