エピローグ 『赤と青のコード』
エピローグ 『赤と青のコード』
「悠一くん……?」
突然、後ろから俺を呼ぶ声がした。
その声はついさっきまで聞いていた雨美の声とそっくりで、ハッとして振り返る。
そこには……雨美がいた。 いや――よく見ると違う。
顔は雨美そっくりだったが、着ているものは着物ではなく赤と黒のカラーが交わったボディラインがくっきりしているライダースーツのようなものを着ており、頭には包帯が巻かれている。
「佐々宮悠一くん?」
雨美とそっくりのそいつはもう一度俺の名をフルネームで呼ぶ。
「あ、ああ……雨美?」
試しに聞いてみる。 しかしそいつは首を横に振る。
「私は雨美ではない。 私は……雨美の直系の子供だ」
「雨美の子供? あんたは……」
「私はエール。 アメリカ対テロ機関NCTCのG対策ユニットの隊員だ」
女はエールと名乗り自己紹介をする。 傍らに落ちているさっき雨美が持っていた剣(天叢雲)を拾うと、それを背中に括りつけている鞘に納めた。
俺が持っている吉備津彦命を引き離そうとしたので、力を込めて手放さないようにした。
「大丈夫、それを放せ」
エールの声には何故か安心感があった。 だから、俺は吉備津彦命を放して彼女に渡した。
俺の体に括りつけた鞘を外すと、エールは吉備津彦命をその鞘へゆっくりと納める。
「とりあえず下に降りよう。 そのままだと風邪をひくぞ? すぐ下の公園にテントがある。 そこまで来い」
気づくと、雨は止んでいた。 その代わり風が強く、俺の体は冷え切ってしまっている事に気付く。
※
【十九時四十五分 Gタワー情報処理層】
「こちら宮部。 タワーの東通気窓の穿孔完了。 これから中に入る」
爆弾処理班長の宮部は無線で本部に報告すると、周りの部下たちに指示を出す。
「坂本と牧田はここに居ろ。 手塚と私で行く。 人質の無事を確認したら、まず爆弾の確保だ。 いいな?」
宮部の部下たちは指示に従い、二人は外に、宮部含む二人はたった今拡張した窓の中へと入っていく。
「狭いな……」
何とか体を前に押し込み、宮部と手塚は中へ入ることに成功する。
薄明りの室内の中、十数人の人影が見える。 宮部はその人影に声をかけた。
「皆さん安心してください! 爆弾処理班です!」
宮部が叫ぶと、皆は安堵の声をあげる。
「宮部さん!」
最初に駆けてきたのは、今日画面越しでずっと話していた学園教師の村岡だった。
半ば抱きつきそうな勢いだったが、生徒の前だったので二人は腕と腕が触れる程度にとどめる。
「無事で何よりです、村岡先生」
「来てくれて、ありがとうございます。 これで本当に助かったんですね……」
「ええ。 今爆弾を確認します。 その後で、皆さんを外に避難させますよ」
宮部は手塚を連れて、部屋中央のAi制御端末の上に置かれている爆弾へ近づいていった。
「こちら宮部、爆弾に接近する」
宮部は無線で報告を入れながら、ゆっくりと近づいていく。
「爆弾までの距離は約一メートル。 目視での確認中」
カウンターは00:20:16で止まっていた。
「タイマー確認。 ……カウントはストップしている。 動いている気配はないと思われる」
≪宮部警部。 こちら米国国家対テロGCT日本支部の凪羅です。 聞こえていますか≫
突然、今まで通信していた本部のオペレーターから凪羅と名乗る女性が話しかけてきた。
「はい、こちら宮部。 聞こえています」
不審に思いながらも宮部は返事を返す。
≪緊急を要する件だ。 すぐに実行してほしい≫
「なんですって?」
≪ドローンからの爆弾の内部構造のスキャン画像から、こちらで独自の解析が完了した。 いい? その爆弾は我々の開発、実戦投入していた時限式爆弾であることが判明した。 恐らくその爆弾は棚田雨美が我々から設計資料を入手し、作り上げたものよ≫
「……というと?」
≪その爆弾には二段階の時限装置が組み込まれてるの。 時間が経つともう一度起動する仕組みよ≫
「なんですって?」
≪時限式再起動装置は、タイムリミットが止まった時点から逆向きに時間を刻んでいく。 棚田雨美が爆弾を起動したのは本日九時半。 そしてその爆弾のタイマーが止まったのが十四時四十分。 そこから時限式再起動装置が起動していたなら、その爆弾の再起動までの時間は……≫
宮部は腕時計を見る。 時刻は十九時四十八分だった。
≪あと二分で爆弾は再起動する≫
「その再起動を止める方法――いや、爆弾を完全に止める方法は!?」
≪一度再起動をしたらもう止まらないの。 時限式再起動装置の止め方を今から伝えるから、すぐに実行しなさい≫
「わ、わかった!」
「宮部さん!?」
村岡が心配して近づいてくる。
「下がってろ!」
村岡に制止を促すと、宮部は無線に呼びかける。
「解除方法は!? 早く!」
≪タイムカウンターに繋がっている紫のコードが見える?≫
「あ、ああ!」
宮部は紫のコードを確認する。
≪それを切りなさい≫
「了解!」
一瞬ちらっと腕時計を見る。 四十九分。 もう時間が無い。
宮部は傍らのペンチを手に持つと、タイムカウンターに繋がっている紫のコードを切った。
「紫のコードを切った! これで爆弾は止まるのか!?」
≪――≫
「おい! 聞こえるか!?」
急に無線機から声が聞こえなくなった。
その時、部屋にただ一つあるエレベータから到着を報せる〝チャイム〟が鳴った。
ロックされていたはずのエレベータの扉が開いていく……。
※
赤い鉄骨のタワーから降り、俺たちは隣の公園まで歩いていく。
周りはパトカーや消防車などがずらっと並んでおり、道行く警官たちが俺たちのことを訝し気に見ていたが誰も話しかけてくる様子はなかった。
俺とエールは公園のテントに入る。 そこには白衣を着た医者のような男が一人居る。
医療器具が並んでいるのを見ると、おそらくこのテントの中は医務室の役割をしているのだろう。
「診てやってくれ」
エールが言うと、医者は俺を診察台に寝かせて上半身の服を脱がして診察してくる。
肋が痛む……。
「雨美と戦ってその程度の怪我で済んだのは奇跡だ。 この刀のお陰だな」
エールは吉備津彦命を見ながら言う。
「雨美がお前の母親だって?」
俺はそこでようやくエールに質問をする。
「ああ。 雨美は万物創生の頃から居る鬼だ。 不老不死の存在であり、歳もとらない。 子供もこの世界に大勢居るが、そのほとんどは誰も自分の出生を知らない。 唯一知っているのはこの私だけ……」
確かに、それなら子供の一人や二人いてもおかしくはないか……。
「ショックか?」
エールは薄ら笑いを浮かべて聞いてくる。 まあ、ショックかと聞かれれば全くとは言えない。
「あんたの母親なら……それは、すまないことをした」
「それは私もだ悠一。 本来その役目は私のはずだった。 だが君にやらせてしまった……申し訳ない」
「どうして?」
「雨美はもはやテロリスト。 世界を脅かす悪だ。 だから彼女は居てはならない存在」
「あんたの体にも……鬼の血が?」
エールは頷く。
「二十歳を境に、老化は著しく遅くなる。 これでも結構歳を重ねている」
見た目は本当に雨美と変わらないように見えるが……一体何歳なんだ?
……かなり気になるが、聞くのはやめておいた。
「悠一、気に病むことはない。 彼女もこの結末を望んでいたはず。 お前は彼女を救ったんだ」
俺は天を仰ぐ。 そして深いため息を吐いた。
――手のひらに、雨美を切った時の感触がこびりついて離れない。
「ありがとう、悠一」
「やめろ。 俺は……人殺しだ。 雨美を、止められなかった」
雨美と同じ顔のエールに言われるのも複雑な気分だ。
「彼女を止めることはできなかった。 私ももちろんそうだ。 でも悠一、お前は雨美のせいで犠牲になるはずだった大勢の命を救うことができた。 それは事実だ」
「分かってるよ。 でも……ちょっとそっとしておいてくれ」
俺は腕で目を覆い、何も見ないようにした。 今は一人になりたい気分だったからだ。
エールを見てると否が応でも雨美のことを思い出してしまう。 それが辛すぎて悲しくて、嫌悪感でいっぱいになる。
「気持ちは分かるよ。 できれば一人にしてやりたいが、もう少し私に付き合ってくれ」
「俺に何の用が?」
「お前にしかわからない。 いいか? お前は今日、雨美から問題を出されてそれを解いたんだよな?」
「ああ、ほとんど俺の力じゃなかったけどな」
「問題はいくつだった?」
「えっと……三問あったな」
「答えの場所は?」
「〝図書館〟と、次に〝オリンピックスタジアム〟最後に〝ヴィンテージショップ〟……」
思い出してまた具合が悪くなるような気がした。 エールはそれを聞いても特に大きい反応は見せない。
「なあ、なんの質問だこれは? もしかして事情聴取ってやつか?」
「いや違う。 現在でもGタワーのAiはセキュリティのロックが解除できない状態だ。 原因はクヴェラの根幹パスコードが変えられてしまっている事にあり、その答えは雨美にしか分からない。 物理的にシャットダウン……例えばそれこそ爆弾とかであのタワーの機械を破壊しようとしても、今クヴェラAiはこの日本社会の様々なデジタル媒体に入り込んでいて破壊と同時に散りばめられたAiがシステムをロックしてしまい使い物にならなくさせてしまうんだ」
「あのごめん。 もうちょい分かりやすく言ってくれないか?」
「……強引にシャットダウンすると、日本の経済やライフラインがストップして大きな大恐慌が起きるってことだ」
なるほど分かりやすい。
「それを安全にシャットダウンさせる方法が、さっき言ってた根幹パスワードってやつ?」
「ああ。 だがそれは雨美の手によって変更させられた。 我々にも雨美からヒントが来た。 〝そのパスワードを解くヒントは悠一にある〟って」
「なんだよそれ。 俺も何も知らないぞ」
「分かってる。 雨美もそんな簡単に解けるようにはしてないだろう。 問題を考えるのが、昔から好きだったからな」
雨美と関連した何かの思い出が脳裏をよぎったのか、その表情は少し儚げだった。 その表情を見て、俺はまた罪悪感でいっぱいになる。
「恐らくお前と雨美にしか分からない、あるものがヒントになってる。 それを考えてる。 Gタワーの本来の役割は覚えているか? Gタワーは日本の防衛能力の根幹を担っている。 今そのシステムは停止している状態だ。 それはつまり、日本の防衛システムが機能していないということだ。 一刻も早くシステムをシャットダウンして新規に起動しなければいけない」
「ああ、そうだな……」
できることなら俺も協力したいところだが、上手く思考が働かない。
「あ……」
俺はそこで雨美が言っていたあることを思い出した。
「そういえば、ヴィンテージショップで雨美はあることを言っていた」
「なんだ?」
「最後の問題の答えの場所。 それは確か、〝エキシビジョンセンター〟だと言っていた」
「エキシビジョンセンター?」
「ああ。 あの時、警察に邪魔されたが順当に行けばエキシビジョンセンターで最後の問題の答えになると言っていた……」
「ふむ……」
しかしエールは尚も頭を抱える。
「特にヒントにならないか?」
「いや、分からない……雨美は他に何か言っていなかったか?」
「いや……すまない。 それ以上は今は……」
「そうか……」
その時、エールが腰に付けていた無線機からコール音が鳴る。 エールはその無線機を手に取って耳に近づける。 しばらく相手の話を聞いたあと、眉間に皺を寄せる。
「なんだと……!?」
何かよくない事が起きているようだった。
「すぐにヘリをこちらに寄越せ! 直接解体する!」
そう言うと、エールは無線を終えて俺の顔を見る。 その顔は緊張感に満ちていた。
「――爆弾が再起動した」
「はあ!?」
爆弾が再起動!?
「爆弾て、あのGタワーの爆弾か!?」
「そうだ」
「どういうことだ! まだ中には――」
「ああ、お前の同級生たちがいる。 ちょうど窓の穿孔作業を終え人が一人出入りできるようになったらしく、爆弾処理班が爆弾の危険性を調査している時だったらしい。 タイムカウンターが再び動き出し、タワーとの通信がそこで途絶えた」
「あと何分だ!?」
「残り時間は今からおよそ00:14:00」
「十四分!?」
冗談じゃない! 苦労して爆弾を解除したと思ったらまた起動した!? しかも中はまだ避難していないって、どんな状況だよ!
「今ヘリをこちらに向かわせている。 悠一お前も来てくれ! 直接見ないと分からない」
白衣の医者から服を返してもらい、俺は再びそれを着る。
服を着た拍子に、胸ポケットから紙がひらりと落ちた。 なんだと思って拾うと、それは今日雨美が俺に渡した問題を解くための〝メモ〟だった……。
「雨美……」
俺はそのメモをもう一度胸ポケットに仕舞ってテントから出た。
テントから出ると、すでにヘリが公園の広い空間へ降り立とうとしていた。
「行くぞ!」
俺たちは着陸したヘリに乗り込む。
ヘリはすぐに上昇し、Gタワーへと進路を向けて飛行していく。
機内でエールが説明する。
「いいか悠一。 Gタワーまでおよそ五分だ。 タワーの情報処理層の窓に足場が設置してあって、そこに降りる。 中に入って中を確認する。 それから爆弾の解体方法を考える! 時間にして五分もないが、何とかしてその残り時間で爆弾を停止させるんだ!」
「でも、どうすれば! だって、一回目の解除だって雨美のヒントが無ければ無理だったぞ! そもそも再起動なんて聞いてねえよ!」
「あの爆弾は以前我々の組織が怪物を殲滅する際に用いた技術を応用している。 使われているパーツや型番も一致した。 雨美はその技術に独自の解除手段を組み込んだんだろう。 だが再起動方法はいくつかやり方があるが、知識のないものが再起動をさせることはできない。 恐らく乗り込んだ爆弾処理班の中に――」
「裏切者が居たって事か!?」
「それしか考えられない。 いいか悠一、タワーの中に入ったら誰も信用するな。 私の言う事を聞け」
「ああ……」
ヘリは徐々にGタワーへと近づいていく。
やがて地上から九〇〇メートルにある情報処理層へ機体を接近させ、エールがそこの足場に飛び降りた。
急場しのぎで作られた足場だ。 少し緊張するが、迷っている時間はない。 俺もその足場へと飛び降りる。
「ぐ!」
体勢を崩して無様に転げる。 さっきの朱雀の背中に無事着地できた自分が信じられない。エールは俺を立たせると、「行くぞ」と言って穴の空けられた窓へ侵入していく。
外に人は居ない。 どうやら見張りは全員退避させられたのだろう。
穴を見る。
確かに人一人しか通れそうにない穴だ。 エールが先に這いつくばって中へ入っていく。 俺も続けて入る。
かなり狭いが、何とか体を前に這わせて内部に入ることに成功した。
「――これは!?」
室内はシンと静まり返っている……。 そして、そこに居る人間は皆倒れていた。
生徒たちも、爆弾処理の人も全員……!
俺は生徒の一人を揺さぶって起こそうとするが、目を開けない。 しかし息はしているようで、どうやら気を失っているだけらしい。
俺は今日の催眠ガスを思い出す。 もしやまたここに催眠ガスが撒かれたのか?
「悠一!」
中央にあるAi制御端末の上に置かれている爆弾の前でエールが叫ぶ。 俺はすぐにエールの下へ駆け寄った。
コードがむき出しになった爆弾を見る。 そこにつながって外枠だけ外に取り出されているタイマーカウンターを見た。
――あと00:04:27の表示!
「時間が無い……! エール! どうすればいい!?」
藁にもすがる思いでエールに助けを求めるが、エールも首を振る。
この状況では全員を外に出すなんてできない。 時間的にも精々一人か二人くらいだろう。
だとしたら……ここでこの爆弾を止める方法を考えるしかない!
……でも、本当に解除方法なんてあるのか!?
「おいエール! 何か解除できそうな手段は!?」
「この爆弾の解除設定者――つまり雨美しか解除手段は知らない。 だからそれ以外で解除を行おうとすると爆発する。 間違ったことはできない」
「どうすれば……!」
「でも雨美は……母さんは、ヒントのない問題を作るようなやつじゃない。 確実にヒントはあるはず! 悠一! よく思い出せ! この数日で、雨美から何かヒントはもらわなかったか? 何か比喩でも抽象表現でもなんでもいい! とにかく思い出せ! 雨美のヒントを!」
て言われても! ヒントなんて! この短時間に導き出すのはかなり骨が折れるぞ!
――俺は一旦深呼吸し、爆弾をよく観察する。
内部はコードが張り巡らされており、その中で特に目立つのが〝赤と青のコード〟。 コードはすでに両方切断されており、切断面から銅線がむき出しになっているのが分かる。
制止した心の中で、俺は雨美が言った言葉の数々を思い出す。
――『私とあなたとでは住む世界が違う。 私はあなたの世界に行けないし、あなたも私の世界には来れない』
ああ、違うさ。 そっちに行くつもりもない。
00:03:12
『三個目はね……私のことを……見てくれるところ……』
ああ、見てた。 最初はミステリアスな女生徒だなくらいにしか思っていなかった。 でも気づくと雨美に夢中になっていた。
00:02:45
『この物語をシンプルに〝善と悪の物語〟にしよう』
お前は悪だ、雨美。 その通りになった。 良かったのか?
00:02:28
『その紙は最後の問題を解くのに重要なものだから、絶対なくさないようにね』
あの手書きのメモのことか? 失くしてない。 ずっと上着の胸ポケットに入れてある。
00:02:04
『はい、これで爆弾が起動しましたぁ!』
ほんと、軽いノリだったから最初はドッキリかと思った。 でもこれは現実だった。
00:01:50
『本物だよ。 小型だけど、あれは核爆弾なの。 Aiは破壊され、中の人間は全員死ぬ』
ああ、解除できなきゃ俺とエールも死ぬ!
00:01:32
『デート、しよッ!』
普通のデートなら大歓迎だったよ。
00:01:03
『じゃあさ、ゲームしよ?』
なぞなぞ以外で頼む。
00:00:54
『少しは自分で考えたら?』
考えてる! 俺にしか分からない答えってやつを考えてるよ!
00:00:45
「悠一ダメだ! もう時間がない!」
エールが俺の思考を乱してくる。 まったく。 声まで雨美と一緒だから回想とごっちゃになりそうだ。
「ちょっと黙ってろ!」
俺はエールに一喝入れると再び集中する。
あと少し……あと少しで……なにか……。
『爆弾を解除するすべてのヒントは、私と悠一があの図書館で話した内容を思い出すこと。 【あの〝物語〟に、〝悠一が感じた感想〟】……それが答えよ』
じゃあ……二回目のヒントは?
00:00:36
『私はね、そう思わないんだ』
これ……どこで言ってたんだっけ?
『赤鬼は確かに大切な者を失った。 でも赤鬼はそれまでその大切な者を当たり前だと思ってた。 つまり価値が分からなかったんだよ。 でも、最後の出来事がきっかけで、その当たり前だった者が実は何よりも大切なものだって気づいたの。 結果がどうであれ、その出来事がなければ赤鬼はそれにも気づかぬまま生涯を終えていた……。 私はね、この物語は赤鬼と青鬼が真の友情を結べた……そんなお話だと思ってるよ』
00:00:27
『ねえ、例えばここ』
00:00:25
『そうそう! 友情は引き裂かれてないの。 むしろさらに強固な絆が生まれたんだよ!』
00:00:23
『うん! だから、きっと……赤鬼と青鬼は、いつかまた会えると思うんだ!』
00:00:20
『ね? そう考えてみたら、全然悲劇じゃないでしょ?』
00:00:17
『赤鬼が人と友情を結べたように、きっと青鬼も、人に認められて赤鬼と一緒に友情を結べる日が来ると思う……』
――分かった……雨美。
お前の出していたヒント。 ようやく理解できた。
最後にこんな答えなんて、お前らしいというか……。
もう、これしかない。
俺は……赤と青のコードを――。
00:00:10
00:00:05
00:00:02
00:00:01
00:00:00
――止まった。
カウンターは00:00:00を指してるが……爆弾は爆発しない。
「解除……できた……」
「悠一……よくやった……」
エールが俺の肩に手を置く。 その手は震えていた。 そして俺の爆弾に添えた手も震えている事に気付く。
俺は爆弾から手を放す。
赤と青のコードの、〝銅線〟を繋ぎ合わせて、赤は青に、青は赤にクロスするように接続されていた。
「よくやった悠一!」
エールは俺に抱きついてくる。 顔にふわりとるエールの長い髪がかかる。
その感覚が、雨美を思い出させた。
「あ、あと――」
俺はエールから離れ、胸ポケットにずっと入れてあった雨美からもらったメモを取り出す。
問題を解くのに世話になったメモだ。
「ずっと気になっていたんだ。 このメモの……各施設に書かれた番号」
エールはそのメモを受け取る。
「この番号は……」
エールはメモを指でなぞる。
「その番号……もしかして各施設の何番目の文字かを表しているんじゃないのか?」
エールは俺の言葉で何かに気付き、すぐに爆弾の横にあるAiの操作端末を操作して確認する。
「パスコードは四桁……そうか! 雨美が出した正解の場所も四つ! この番号は文字の番号を表していたんだ! 恐らくアルファベットに直した時に――」
その時、何か乾いたものが弾ける音が室内に轟く。
最初は爆弾が爆発した音かと思った。 しかし俺たちはまだ生きている。
「ぐ……」
エールが突然その場に倒れ、吉備津彦命も床に転がった。
「エール!?」
俺はすぐにエールの横にしゃがむ。 肩から血を流していた。
「……!?」
そして気づく。 倒れている生徒たちに紛れて動く人影、そいつは――。
「……真希?」
真希が――片手をこちらに突き出し……その手には、拳銃を手にしていた。 その拳銃の銃口からは硝煙が上がっている。
「真希……お前、病院の集中治療室にいるはずじゃ――なんでここに居るんだよ……ていうか、その銃はなんだよ!?」
真希は俺の問いには答えず、立ち上がってガスマスクを顔に装着する。
「クヴェラ、やれ」
≪はい≫
真希がAiに言うと、昼間と同じように催眠ガスが勢いよく室内に噴射された。
「……!?」
少し体が重くなったが、意識を失うほどじゃない。 エールも同様だ。
真希はガスマスクを着けたまま言う。
「このガスを吸った者は普通の人間であれば即座に昏倒する。 でも、このガスの真価はそれだけじゃない。 神の血を持つ者の身体能力を人間と同程度まで低下させるの。 眠らせることはできないけど、制圧するには十分。 まあ、その効力も六時間で切れるけどね? まさか雨美がそれを知っていたのは予想外だったけど」
「なに言ってるんだよ……お前、何者なんだ!?」
ガスの霧が晴れた頃、真希はそこで再びガスマスクを外した。 その顔は笑っていた。
「改めて自己紹介しよう悠一! 私は神の使いである〝十二天〟の一人、〝羅刹〟。 十二といっても、残っているのはあたし一人だけだけどね? ふふふ」
エールが肩を押さえながら、端末に寄りかかる。
「ああ……お前が〝ラクシャサ〟だったのか……GCT日本支部の司令官――」
「エール? 悠一にすべて話してないの? ほんと、やさしいなあお前は」
俺は頭が真っ白になる。 真希が……羅刹? 一体何がどうなってるんだ?
「悠一、今からあたしがこの〝物語の真実〟を話してあげるよ。 よく聞いておきな」
そう言い、真希は語りだした。
――太古の昔。
それは万物創生の時代とも言われた遠い昔。 日本神話でよく言われる、天地開闢の時代だね。 そこには後に神と言われる者たちが存在した。
神たちはそれぞれの国を統治し、それぞれの秩序と物語を創り出した。
そして後に日本と呼ばれるこの島は、元々は高天原と呼ばれ〝天照大神〟が統治していた。
それが〝雨美〟の正体。
あたしはその天照に仕えていた十二天と呼ばれる使途の一人である羅刹。
十二天とはまあ、今風で言うなら警護隊みたいなものかな。
父であるイザナギの命により高天原を任せられた天照は私たち十二天を生み出し、他の邪悪なる神から高天原を守った。
あたしたち十二天はその仕事に誇りを持っていた。 悪を打ち滅ぼすのが、あたしたちの使命。 そして最高神に仕えるは最高の名誉!
でもある時……現れたんだ。
それは獣だった。
その獣はある〝岩〟に毎日来ていた。
そこが安心する場所だって本能的に思ったんだろうね。
その場所は、黄泉の国へと繋がる洞窟の入り口だった。
中は現世ではない、死の世界。 当時高天原は生の世界だった。 イザナギの呪いを封じ込め、岩で死を封印した世界。 決して開けてはいけない、〝死の岩戸〟。
厳重に管理されたその岩戸に、獣が一匹……。 大したことじゃない。
でも場所が場所だけに、あたしはその獣を警戒した。 その獣に言葉を教え、なぜそこに居るのかを聞いた。 まあ、理由はやっぱり大したことなかった。
〝その場所が落ち着くから〟だと。
獣の様子を何日か見た。 色々と話もした。 面白い時間だったよ。
あたしは何故かその獣との時間を楽しむようになっていた。 毎日時間を見つけては、その獣と話をしに行った。
舞い上がっていたあたしは、天照にその獣を見せたくなった。 それが間違いだったと今は思う。
天照はその獣を見ると大変気に入り、自分の側近にしたいと言った。 そしてあろうことか〝吉備津彦命〟という名までつけて〝人間〟という位までつけて可愛がった。
〝神が創り上げた最初の神〟としてね。
十二天たちは怒り狂った。 それはそうだ。 昨日までただの獣だったものが、突然自分たちより格上の存在となってしまったのだから。
天照はその時、ある計画を考えていた。
いずれ黄泉の国の封印が解かれた時のことを考え、高天原に死の概念を創り出そうとしたんだ。
黄泉の封印が解かれた時、その時、世界に終わり(オメガ)が訪れる。
不死の神々も例外ではない。 だから吉備津彦命と交わり、子孫を作り、死の数を凌駕するほどの〝生〟を増やそうとしたんだ。
破壊と創造は対の存在。 生と死のサイクルは、終わり(オメガ)を妨げる……。
輪廻転生ってやつだね。 死んでもまた生まれる事で、命の輪を紡ぐことが出来る。 いわばこれは永久機関に等しい。
それは他の神々にとっては忌避してきたもの。 神すらも持たない力を、天照はその人間に宿すことを許したことで十二天の反感を買った。
十二天は当時最も天照のそばに居た吉備津彦命を使った。
黄泉へと繋がる岩戸に封印された洞窟に〝イザナミの刀〟が眠っている。 それを探し出し、その刀で高天原の神々を滅し天照を殺せと――洗脳した。
洗脳は〝あたし〟が施した。
最初は誰も期待していなかった。 あの黄泉の洞窟へ行って生きて帰って来れるとは誰も思わなかったんだ。 でも、吉備津彦命はその刀を見つけ出し、そして戻ってきた。
吉備津彦命は洞窟から戻ってきた時にはすでに自我を失っており、あたしたち十二天の命令の記憶だけを頼りに行動した。 高天原の神々をその刀で殺し、そして天照と対峙した。
しかし、吉備津彦命は天照を殺さなかった。 なぜだろう?
きっと、愛の力ってやつなんだろうねえ。
天照もまた、吉備津彦命を殺さなかった。
吉備津彦命は自我を取り戻して自分のしたことに絶望した。
天照が死んでいない事を悟った十二天は、天照の居た宮殿に乗り込んだけど、そこに彼女は居なかった……。
逃走したんだ。 吉備津彦命と共に。 残ったのは神々を殺した刀だけ。
それから程なくして、あの黄泉へと繋がる岩戸が開かれてしまった。
天照による仕業だった。 あたしたち十二天への仕返しのつもりだったんだろう。 岩戸が開かれたことでイザナミの呪いが放たれ――世界に死が生まれてしまった。
その後の世界はひどい有様だったよ。 獣たちをいくら生贄に捧げても、その数は徐々に減っていく。 このままではやがて我らも死んでしまう。
そこで考案されたのが奇しくも天照が実現しようとしていた輪廻転生の理。
十二天は様々な獣と交わり、その子孫を作り、死の数よりも生の数を増やしていった。
その子孫が、今この世界に居る〝人間〟たちだ。
時は流れ、現代。
天照は他の国であたしたちへの反撃の準備を進めていた。
既に十二天たちはこの地球全体を統括する存在にまでなっていた。 このGタワー……ガーディアンタワーを建造したのも、天照の反撃を阻止する目的が大きい。
しかし天照の力もまた強大なものになっていたんだ。
天照は裏の世界を操り、この世界に争いをもたらした。 そしてその最中、十二天の一人が殺された。 やったのはもちろん天照。
十二天は恐れた。 いずれ残りの十一天も天照の手に掛かるのではないかと……。
絶望に暮れた時……お前が現れた。 そう、エール。 お前だよ。
まだ幼かったお前は紛争地域のテログループに少年兵として徴兵されていた。 そして米軍がテロ組織を壊滅させ、お前の身柄を拘束した。
その時に採取したDNA解析の結果から、お前が天照の娘だということが判明した。
何故お前が戦場に居たのか? 天照に捨てられたのか。 それは分からない。 でもあたしたちには好都合だった。
まだ幼かったお前を洗脳し、訓練し、いずれ来る天照との衝突の際の戦闘員として育て上げた。
そして、十二天の一人である毘沙門天が一つの計画を思いついた。
天照の血族をさらに〝増やそう〟と。 天照と同程度というわけにはいかないけど、数が多いに越したことは無い。
そこでお前に子を産ませた。 その内の一人が……悠一だ。
その後も一人、また一人と十二天は殺され、残ったのはあたし羅刹と、前首相の奥方であった毘沙門天のみ。
その毘沙門も二年前に首相と共に天照に殺された。
私は怖くなった。 そして隠れた。
本来天照をおびき出すのに使うはずだった八咫学園に一般の生徒として潜り込み、気づかれないように普通の生活をつづけた。 今の日本支部の支部長にはあたしの母親役を演じてもらったから、身を隠すのには苦労しなかったよ。
悠一、あたしはお前のことを子供の頃から見守っていた。
そして大きくなるにつれ、お前はあいつに似てきた。 あの獣だった、吉備津彦命にね。
お前はあの吉備津彦命と瓜二つだった。 顔も、性格も、声も何もかもが……吉備津彦命に似ていた。 これも輪廻転生がもたらしたものなんだろうね。
そこであたしは……お前のことが好きだったんだって、はじめて自分の気持ちに気付いた。
天照に盗られる前から、お前のことを見ていたし、最初に話したのはあたしだ。
絶対に次はあたしのものにする……そう決めた矢先だった。
――あの天照が……学園に来たんだ。 このタイミングで!
あたしは天照に気付かれないようにしたが、何故か彼女はあたしに近づいてきた。
あたしは疑われないように必死だった。
天照……本当は気づいているんじゃないか? 何食わぬ顔をして、そしていつか――。
それが怖くて、不気味で、あたしは真意を知りたかった!
そこで考えたんだ。
このGタワーの情報処理層に、本来は絶対に許可されないはずの社会科見学をぶち込んでみたらどう動くかってね!
タワーのAiクヴェラのモデルデータは十二天がモデルになっている。 そしてそのAiに近づいた時、天照はどんな行動をするだろう!
そしてそれを実行した! 結果は……まあ見ての通りだね。
本当は天照がおかしな行動を起こした際にさっきのガスを流して弱らせてから殺そうと思っていたんだけど、天照はそれを逆手にとった。 まさかAiごと懐柔させてたとはね。
してやられたよ。 あたしは戦略で負けた。 人の感情を操るのが得意だったあたしだったけど、やっぱり天照には効かなかったみたいだ。
そして――計画とは少し違ったが、悠一……君が天照を葬った。 あたしたちの目論見は達成することができた。
長い戦いが……ようやく終わったんだ。 悠一……よくやってくれた。
「そんな……」
真希の話が終わり、俺はがくりと膝から崩れ落ちる。
あの神話の神である天照が雨美で……俺の――そして、それを俺が殺した……!?
「俺の……俺の……?」
動悸が収まらない。 手が震える。 目の前が真っ白になっていく……!
「悠一」
エールが俺の肩に手を置く。
「エール……あんたは、俺の――」
「母さんは……」
エールは肩を押さえて立ち上がる。
「母さんは、すべてを受け入れていた……。 この長きにわたる復讐劇が間違いであることを受け入れていた。 そしてそんな自分のことを……鬼だと……。 鬼は悪。 悪はいつか滅ぼされる。 この世が悪で成り立っている世界なら、それはいつかは滅ぶ。 それをわかっていた」
それを聞いて真希は笑う。
「まるで天照の事を前々から知っているかのようだね! やっぱり密かにコンタクトを取っていたんだねお前! まあそれもいい! 天照は死んだ!」
エールは真希を無視して俺を見る。
「悠一……親は関係ない。 誰から産まれたかなんて関係ない。 自分がこれからどう生きるか? それが問題だ。 お前はお前のやるべきことをやればいい。 それだけだ。 私もその呪縛に悩み苦しんだこともある。 でも私は母さんではないし、自分自身で選んできた生き方をしてきたつもりだ」
「良いこと言うねえエール! そう! 血は関係ない! 大事なのは心だよ!」
「羅刹」
エールが言う。
「お前、何が目的だ……。 お前の望み通り天照は死んだ。 わざわざお前が正体をバラしたということは――」
「……あたしもね、そろそろ疲れたんだよ。 自分を騙し続けるのもね? 天照はこれでいなくなった。 もう何と戦うこともない。 そしてこの世界には何もないって気づかされたんだ。 皮肉にもあの天照にね」
「何を言っている?」
「ここまで人類が繁栄してきたのは天照への恐怖があったからだ。 でもその恐怖はもうない。 ということは、もう人類がこれ以上増える必要性はないし、その存在価値もない。 終わりの無い生の螺旋を断ち切り、世界は再び神が支配する時代に移らなければいけない」
「まさか――」
「天照の思想は正しい! 皮肉にもあたしは天照が居なくなって二度も気づかされた! 人は脆い。 生き方によって異なる国、文化に簡単に染まり、全という規律が無意味な命となりただこの地球を這い蠢いているだけだ! 世界を見てみろ! 天照がいなくなったとしても争いは消えないだろう! 異なる文化によって生まれる思想があらゆる宗教を生み、そして人が勝手に新たな〝幻想の神〟を誕生させていく! 人は何を信じる!? 親か!? 友達か!? 恋人か!? それとも自分!? そんなものは環境でどうとでも変わる! 絶対の神などこの世にはいないんだよ! でも人はその幻想の神を常に追い求める! それになんの意味がある!? 生とはなんだ!? ただ生きる事になんの意味がある!? そう、そんなものは必要ない! あたしは気づいたんだ。 自分の存在理由をね?」
真希は目にも止まらぬ速さでこちらに近づくと、エールが持っていた吉備津彦命を奪う!
「この刀は、破壊の刀! この世界を破壊し、新たな世界を創造するための力! 天照は破壊により新たな創造ができると言っていた! まったくその通りだよ! 彼女やあたしたちが本当に恐れていたのは死ではない! むしろそれは願いだった! では本当に恐れていたものはなんだ!?」
「真希! その刀を放せ!」
「命だよ! 命は破壊をもたらす! 輪廻転生は破壊と創造を延々と生み出すための装置に過ぎなかった! 命がある限り、この世は無間地獄! ここ(現世)こそが、本当の地獄なのだと気づいた! ならばあたしの使命は一つしかない!」
真希は吉備津彦命を振り上げ、エールへ切りつけようとした。 しかし寸前で俺はエールの背中に背負っている鞘から刀を抜いて防ぐ。
金属がぶつかり合う音が狭い室内で反響する。
「輪廻転生を破壊し、この世界を死の世界にする! そしてそこではすべてが平等で、すべての魂が業苦から解放される! 天照が鬼だというのなら、このあたしも鬼だ!」
「真希! やめろ!」
「この世界に誕生した時に与えられた使命をあたしはようやく思い出した! このバランスの崩れた世界を修正しなければいけない! それは神として、あたしができるこの世界へのせめてもの償いッ!」
力で押し負かされて俺は刀ごと吹っ飛んだ。 やはり吉備津彦命の力は凄まじい……!
この刀では太刀打ちできない……!
「悠一……天照は再び悠一をあたしから奪おうとした。 でも良いんだ。 あたしは諦めた。 君にいくら洗脳をかけても、君が本当に好きだったのは天照だけだ。 お似合いだよ君たち! 黄泉の国で幸せに暮らすがいいさ!」
真希が吉備津彦命を構える。 もう……やるしかない!
「真希……!」
俺は立ち上がると、元々雨美が持っていた刀(天叢雲剣)を構える。
「悠一……最後の勝負だ……! この地獄をまだ味わいたいなら……あたしを殺してみろ!」
俺は深呼吸する。
俺はいつもの剣道で真希と対峙する時のように、頭から雑念を消していく……。
――心を無にしろ。 相手に何も悟らせるな。
今、この世界には俺だけ。 空気も、風も、全てはこの刹那に閉じ込められる。 万物はすべて俺と共に……。 ここは俺だけの絶対空間……。
「いつものアレ? ……さて、それがどこまで持つかな?」
――何も聞こえない。
俺の耳には届かない。 俺は時を操る。
そう、俺は今万物の神……。 すべては俺の思いのままに――。
「死ねッ!」
目の前に動く〝岩〟。
だが俺にはわかる。 その岩がどう動くのか……手に取るように!
「!?」
――気づくと、真希は俺の後ろに居た。 そして驚いた表情をしている。
何故なら一瞬で仕留めたと思った俺の体には傷一つ付かず、代わりに自分の衣服が俺の持つ刃によって切られていたからだ。
「馬鹿な……!」
真希は再び刀を構えた。
そして今度こそ俺を仕留めようとゆっくり接近してくる。
今度は隙を見せないつもりだろう。 だが俺にはわかる。 目の前の〝岩〟の動きが!
「くッ!」
再び俺は一太刀をお見舞いする。 それは真希の腕をかすめ、血を流す。
分かる。 分かる。 動揺する真希の気持ちが。 なぜ吉備津彦命の力をもってして俺に一太刀も浴びせられないのか――と。
それは波が引いた砂浜のような感覚。 俺はその隙を逃さない。
一太刀! 二太刀! 三太刀! 足! 腕! 胴!
全ての刃は真希の体を切り裂いた。
「あぐぐッ……!」
そこで真希は膝をついた。
迷うな……次は頭を……!
「やめろ悠一!」
その声で俺は世界に引き戻される。 気づくと、真希の前には……流星がいた。 いつの間に目を覚ましていたんだ?
「やめてくれ悠一! 凪羅が鬼でも、僕は凪羅が好きだ! だから、命をかけて凪羅を守る! 例えお前でも、容赦しないぞ!」
「流星! そこをどけ! こいつはみんなを騙した! 天照である雨美も、俺も、そしてお前だって騙されてたんだ! そして世界を破壊しようとしてる!」
「だからなんだ! 凪羅真希は僕にとって大切な人だ! 例え世界が滅んでも、僕だけは凪羅を見捨てない! ずっとそばで見守る! こいつが間違ったことをしたなら僕が謝る! 一緒に謝る! 一緒にその罪を背負う! だから凪羅を助けてくれ!」
流星……こいつ……。
「赤塚……」
――その時、羅刹の脳裏に忘れかけていた思い出がよぎった。
※
「頼む! 陛下を……見逃してやってくれ!」
「羅刹、何故そのようなことを? 血迷ったか!」
燃え盛る宮殿の中、羅刹は天照と吉備津彦命へ迫る十二天たちへ土下座をする。
「某は、陛下が居なくなるのが耐えられん! 陛下亡き世界に某の居場所はない! もし陛下を殺すなら、某を先に殺せ!」
天照は頭を下げる羅刹の首を掴み強引に立たせる。
「羅刹、やめろ。 もういい。 お前が死ぬことはない」
「陛下?」
天照は羅刹へそっと口づけをして、そして言う。
「その呼び方もやめろと何回も言っている。 私とお前は〝友〟ではないか?」
「陛下……某はあなたを、お慕い申し上げておりました……。 十二天の謀反……某の力足りぬばかりに……申し訳ありません!」
「お前が謝ることではない。 全ては私が皆の信用を欠いてしまう行動をしたことにある」
天照は前に出る。
「さあ殺せ十二天! 私を邪悪なる鬼に仕立て上げろ! お前たちを友と呼び親しんだ天照はもういない! 私は悪となった! お前たちは正義となり、この新しい世界を統治しろ! 私は逃げも隠れもしない! だが! この吉備津彦命は助けてやってほしい! こいつはこの世界の希望! 全ての絶望が解き放たれても! この吉備津彦命が再び皆に希望を与える! 私の言葉は信じられないか!? だがこれは真の真実だ! 死にゆく者の最後の言葉、聞いてはもらえないか!?」
十二天の一人、毘沙門天が刀を構えて天照の胸にその切っ先を押し当てる。
天照の胸からは一筋の血が流れた。
「尚も獣を守ろうとするか天照。 貴様はもはや神にあらず。 だが貴様は我らの産みの親……。 その命だけは取らないでおいてやる。 その獣とどこへでも行くがいい。 しかし今度貴様を見かけたら、その時は殺す」
毘沙門天のその言葉を聞き、天照は顔を強張らせて叫ぶ。
「臆病者め! お前たちの覚悟はその程度か!? 悪を滅するのがお前たちの使命だろう!」
「早く行け……我らの気が変わらぬうちに……!」
「後悔するぞ! 悪を野放しにすることそれこそが悪だ!」
「雨!」
羅刹が天照の〝あだ名〟を呼ぶ。
「助けると申している! すぐにここから立ち去ってくだされ!」
「羅刹! 貴様も……とんだ臆病者だ! 殺せ! 私を殺せ!」
天照は羅刹へ詰め寄る。
「できませぬ! 助かる道を投げ捨ててまで死を選ぶなど具の骨頂! 早く!」
天照はそこで一呼吸置くと、十二天たち全員を見回してゆっくりと言った。
「恨むぞ……十二天。 私が生き続ける限り、私はお前たちの世界を認めない……! いつか復讐の時を――」
そこまで言いかけた時、毘沙門天の放った刀の峰が天照の頭へ打ちこまれる。 天照はそのまま気を失い倒れた。
「殺さなくていいのか? 天照は復讐を……」
十二天の誰かが恐る恐る口にする。
「一人で何ができる。 我らこそがこの世界の真の神! 八百万のすべてを統治する我らに、この天照が敵うはずがない」
毘沙門天がそう言い放ち、隣にいる羅刹を見る。
「羅刹天。 天照と獣を高天原から遠く離れた場所へ運べ。 ここへもう踏み入れさせるな」
「ああ……承知致した……」
※
「――赤塚」
羅刹は自分に背を向ける赤塚の肩に手を置く。
赤塚が振り返ると、真希は赤塚の唇にそっと口づけをする。
「ありがとう」
「凪羅……?」
戸惑う赤塚を羅刹は突き飛ばす。 そしてその刀を自分に向ける。
「何してる! やめろ凪羅!」
「赤塚、ありがとう。 あたしは自分の本当の役割を思い出した。 悪を滅することがあたしの使命。 真の悪は、このあたし――」
羅刹はそう言うと、自分の腹部へ刃を押し込んだ。
「……!」
しかし、痛みも無ければ刃が突き立てられた感触もない。
――刀を持っていた手を見ると、どういう訳か吉備津彦命が刀の柄の部分を残して刃の部分は煤になり粉々に散っていた。
「これは……?」
「吉備津彦命が……!」
エールが驚いた声をあげると、天井のクヴェラが言葉を発する。
≪ここで流すべきでしょう。 〝天照〟から皆様へ向けた録音音声を流します≫
そう言うと、クヴェラは録音音声を流し出す。
≪ああ――誰か聞いてるかな?≫
「雨美?」
その声は天照のものだった。
≪吉備津彦命にはとあるプログラムを埋め込んでおいた。 その刀の威力は強大だ。 その刀でいつ望まぬ破壊をしてしまう者がいてもおかしくない。 時にはかつての〝吉備津彦命〟のようにその刀の力に支配された後悔から自害しようとする者も出てくるかもしれない。 その刀は、本当に信念のある奴こそが持つべきだ。 だから持ち主の信念がぶれた時、自壊するように細工しといた≫
羅刹は柄だけになった吉備津彦命を見る。
≪羅刹、お前の演技は中々のものだった。 でも私にはすべてお見通し! 残念だったね! でさあ、今何を考えてるか知らないけど、私はもういない。 ……だよね? だからさ、この世界を、希望に満ちた世界にしてほしい。 母さんの呪いは世界に絶望を与えた。 だから私は母さんとは違って、希望を与えてあげたかったんだ。 でも私にはもうできない。 私のやり方ではないけどそれは羅刹……お前のやり方でいい。 お前たちが作り上げた世界だ。 中途半端で終わらせるんじゃないよ。 私は見てる。 お前たちの〝人間の世界〟をね?≫
「雨……」
≪悠一……君のこと色々と騙してごめん。 すべて私が悪いんだ。 ごめんね。 本当に嫌な役をやらせちゃったと思う。 でも私はどうしても君にやってもらいたかったんだ。 そして君は私の希望を叶えてくれた。 だから本当に感謝している。 だから何も悔やまないで。 これですべてが終わった。 私の贖罪も、この世の悪も君は消したんだ。 君こそが真の桃太郎だよ≫
「馬鹿野郎……」
≪最後に――このクヴェラの強制シャットダウンのパスコードが分からなくて困ってると思うから、特別にさらにヒントを出してあげる。 それは、私が吉備津彦命と、悠一、エール、そして羅刹、お前に思っていた気持ちだよ。 四桁のパスコードだ。 これで分からなかったらそれこそいっぺん死んだ方が良いかもね! はっはっは!≫
「母さん……」
≪……羅刹――居るかい? 最後にお前に伝えたいことがあるんだ。 お前のこと裏切り者呼ばわりしたけど、ほんと……嘘ばっかりついて辟易してた。 でもそんなお前が〝あの時〟私を本気で止めようとしてくれたこと、とても嬉しかった。 そのままそっちに行っちゃいそうだったよ。 でも、私は悪。 あんたは善。 お互い相容れない世界に居る。 だから、そっちに本当は行きたかったけど――やめた。 でも最後にこれだけは言わせてほしい。 私はずっと〝親友〟だと思ってるよ。 あんたがどう思おうと、ずっとね≫
「雨――」
≪楽しい思い出だけ持って、私は行くよ。 元気でな≫
≪メッセージは以上です≫
羅刹はその場に崩れ落ちる。
「雨……雨……! あたしは――あたしはッ……!」
静かに、しかしその泣き声は静まり返った部屋にとてもよく響く。
「凪羅……」
赤塚がそっとその背中に手を置く。
「言えてればよかった……! 雨があたしの前に再び現れた時、ひとこと『ごめんなさい』って……! なんで……なんで言わなかったんだッ! この命なんて本当はどうでもよかった! 雨に復讐されるのならそれはあたしにとって本望だったはずなのに、それであたしは雨に償えたのに、なんで……さも何も知らない友達のように接して、雨との知恵比べだなんて思って……あぁあ! ああ! あぁあああぁあああ!」
絶叫と共に、天井の〝機械〟が動力を停止する音が響く。
「苦しい……苦しいよ雨……! あたしを殺して! だれかあたしを殺してぇええ!」
≪クヴェラシステム、シャットダウン≫
Aiが最後の言葉を放ち、システムが停止する。
「パスコード入力完了。 クヴェラのシャットダウンを確認」
エールが言う。
打ち込んだパスコードがディスプレイに表示されている。 表示は【LOVE】だった。
エールはその表示を見てから、泣きわめく羅刹のそばまで行く。
そして羅刹を――殴った。
「お前の罪はこれで消えた」
羅刹は茫然とした顔でエールを見る。
羅刹の目には、エールの姿が――天照と重なっていた。
「ようやくわかったよ。 母さんがなんでこんな回りくどいやり方をしたのか」
「……?」
「止めてほしかったんだ。 ラクシャサお前に。 自分はもう悪と成り下がり、この先の未来を造る手を失った。 母さんは絶望ではなく希望を望んだ。 そして自分の手では絶望しか作れない事を悟った……。 だからお前に止めてほしかったんだ。 そしてこの世界を導いてほしかったんだ……」
「……」
「これが母さんの贖罪だったんだよ! この世界への、そして何よりもお前へのッ! 罪悪感を感じ続けるお前を解放させるための! そんなこともわからないのか!」
エールは泣いていた。 その様子は、まるで天照が乗り移ったかのように、まるで天照の代弁者のように……。
「だからお前は生きろ! 生きて、この世界を導け! 天照が死の鬼なら、お前は生の鬼だ! 生きてその罪を償え! それがお前が天照へ捧げる唯一の罪滅ぼしだ!」
「エール……」
「慰めになるか分かりませんけど」
いつの間にか起きていた金村が言う。
「あなたが居なかったら、私たちは今頃死んでいましたわ」
「そうそう」
そして長瀬が言う。
「警視総監の息子を救ったんだ君は! これは全人類にとって救済だぞぅ?」
「羅刹――いえ、凪羅さん」
教師村岡が言う。
「あなたの初めにしたことは確かに罪だったかもしれません。 しかし、そこからあなたがこの人の世を十二天として造り、そして今の私たちがある。 私たちにとっては、あなたこそが正義であり、あなたこそが神。 ま――その前に私の生徒ですけどね!」
そしてその横には宮部が立っている。
「ここまで造り上げた世界だ。 ここで途中放棄するのはちょっと無責任じゃないか?」
宮部のその言葉を聞き、悠一が言う。
「そうだぞ真希。 お前も言ってただろ? 『中途半端はよくない』って。 どうせやるなら最後までやれ。 だから雨美は、お前に引導を渡したんだ。 自分にできなかったことを、お前ならできる――ってな?」
「みんな……」
「凪羅」
ずっと背中をさすっていた赤塚が、そっと語り掛ける。
「僕は君を見てる。 そしてこの先の世界も、一緒に見る。 だからお願いだ。 僕たちが見る明日に、君もいてほしい。 それが僕たちの願いだ。 君がいなくなったら、誰に礼を言えばいいんだい?」
「礼なんて……あたしは――」
「少なくとも――」
羅刹の言葉をエールが遮る。
「少なくともお前がいなくなったら、このGタワーの制御はできなくなる。 そして日本はテロの標的にされ、多くの犠牲者が出る。 ここにいるみんなの命も危険に晒される。 それを止められるのはあんただけだ」
「アタシ気づいたんですよね」
皆瀬が言う。
「本当に大切だったもの。 それまでただ当たり前だったと思っていたものが、決して当たり前なんかじゃない、特別なものだったことに」
羅刹はその言葉を聞くと、何かに気付いたように顔を上げる。
そして赤塚を見た。
「凪羅、もう一度。 僕たちを見てくれ。 できれば――僕もしっかりみてほしい、かな」
羅刹はそこで静かに笑う。 そして立ち上がり、天井を見上げる。
「雨……ごめん。 あたしが馬鹿だった。 まったく……本当に自分が嫌いだ。 だから決めたよ。 今度は嘘をつかない、本当の自分になってみる。 そしてその偽りのない目で、真実の世界を見るよ」
――エールはその様子を見ると、穴の空けられた窓へ近づき外を見た。
「エール」
悠一はそんなエールへ声をかける。
「今回、泣いた赤鬼は……誰だったんだろうな」
エールは刀(天叢雲剣)を悠一から受け取り、背中に付けている鞘に納めながら言った。
「さあな。 でも――」
そして悠一も窓の外を見る。
「きっと赤鬼はまた会えるさ。 いつかね」
夜で暗いはずなのに、まるで太陽にように明るい輝きが街を照らしていた。