第十章 『平和の象徴』
【午後十三時 タイムリミットまであと02:00:29】
俺と凪は揺れるトラックの荷台の上で隣り合って座っていた。
スマホの灯りだけが、シートに隠れた暗い荷台の中を照らしてくれている。 経路は今のところ問題ない。 順調にオリンピックスタジアムへのルートを辿っていた。
「……」
「……」
気まずい沈黙が流れる。 この狭い空間で、長い事俺たちは無言で座っていた。
何かを話さなくてはと思うほど、気まずい空気が流れる。
「凪……」
俺は耐えきれずに凪の名を呼ぶ。 その先の事は考えていない。 だからそこで俺の言葉は止まり、再び沈黙が流れてしまう。
「なに?」
凪も耐えきれずに聞き返してきた。
「いや、その……」
なんで俺は凪の事を呼んだんだろう?
「なに? 言いたいことでもあるの?」
凪はしびれを切らした様子で言う。 俺はとりあえず口を開く。
「暑いな」
隙間風が少しだけ涼しいが、割とこの中で二人で居ると熱が籠って暑い。 現に今は汗だくだ。
「悪かったね」
ふてくされたように凪が言った。
「いや、別にお前のせいじゃねえよ」
「はあ……」
凪は大きくため息を吐く。
「すまなかった。 今度は危険な目には遭わせない。 雨美が何かして来ようとしたら、俺が命がけで守るから」
「それじゃあ、あたしも――」
凪はそう言うと俺の肩へ頭を置く。 いつもなら暑い、ひっつくなと言ってしまう所だったが、何故か俺は何も言えなかった。
「――あたしも、悠一のこと守るから」
なんだろう。 心臓がどきどきする。 アレ? ひょっとして俺、動揺してる?
「それじゃあ意味がない。 凪は全力で逃げるんだ。 俺が雨美を足止めするから」
「ダメだよ悠一。 雨美には敵わない。 さっき分かったでしょ? 悠一こそ逃げた方がいい」
「はは、俺一応これでも男――うわ!」
突然トラックが揺れて、俺と凪は体勢を崩してしまい倒れた。
――気づくと、俺は凪に覆い被さっていた。
スマホが落ち、照らしていた凪の顔がよく見えなくなる。
「……」
凪の吐息が、俺の顔にかかる。 その吐息が滴る俺の汗を揺さぶって……凪の顔へぴしゃりと落ちた。
「……」
心臓の鼓動が、さらに高鳴る。 猛烈に体が熱くなる。
「わ、悪い」
言葉に反して、俺はすぐに動けなかった。 何故だかは分からないが、体が動かないように命令をしているかのように、固まってしまう。
「悠一……」
凪が汗ばんだ俺の腰を両手で触れる。 俺は不意にその手を掴む。
凪の手もまた、俺と同じぐらい汗ばんでいた。 その絡み合った手を……上に持ってきて、凪の顔の横に、置く。
無意識に、まるで虫がライトの方へと吸い寄せられるかのように、俺は凪の顔へと顔を近づけ――。
「……」
携帯が鳴った。 それは凪のスマホだった。
それで俺は今自分のしている事にようやく気付き、慌てて凪から体を離した。
「ご、ごめん!」
凪は何も言わずにスマホを見て、電話に出た。
「もしもし? うん。 大丈夫。 今悠一と一緒にいる。 うん」
電話の相手は誰だろうか? 話し方を聞く限りでは親らしい感じだが……。
「わかった。 またかける」
凪は最後にそう言うと、電話を切った。 俺は隅っこで縮こまりながら聞く。
「誰だ?」
「お母さん」
「お母さんか……」
そういえば、凪の母親は国内の対テロ機関に所属する者らしい。 前に話した時にそんなようなことを言っていたな。
「さっきまで佐々宮首相と話してたらしい」
俺はそれを聞いて背筋を伸ばした。
「何の話だって?」
「……雨美は国際的に指名手配されているテロリストだって」
衝撃が体を走る。 やはり、雨美はそっち系の人間だったのか?
「テロリスト……」
「見つけ次第すぐに拘束するように命令が出てるらしい。 もしもの時は射殺してでもって……。 でも、今悠一が雨美を止めようとしているのは知ってるから、それ次第だって」
「そんな……」
凪は再び近づいてきて俺の手を握る。
「お願い悠一。 雨美を止められるのは悠一だけなんだ! 何とかして、雨美を……」
「ああ、大丈夫だ。 必ずあいつを止める。 心配するな!」
俺は再びスマホを手にして現在地を確認する。 見るとすでにオリンピックスタジアムを通り越していた。
「まずい! 下りるぞ凪!」
ちょうどトラックが信号で止まっていたので、俺たちはすぐに荷台から外へ飛び出した。
再び照り付ける太陽が皮膚を焼く。
「悠一! ほら! あれがオリンピックスタジアム!」
凪が指さす先に、オリンピックスタジアムはあった。
――俺たちはスタジアム前の広場まで来る。 広場の周りにはお馴染みの五輪のモニュメントや、よく分からない謎のモニュメントなどが並んでいた。
「着いたな! 雨美はどこだ?」
「悠一、もしかしたら中かもしれない」
俺たちは入場口を見た。 看板には高校生以下は無料と書かれている。
「以下ってことは……俺たちは無料で入れるってことか?」
「以下だから、そうじゃないかな?」
一応財布を出して確認してみる。 ふむ……足りなくはないな。
「よし、入ってみよう!」
俺たちが入場口から入ろうとした時、後ろから声がした。
振り返ると、スフィンクスみたいなモニュメントの上に、雨美が座っていた。
「オリンピック――スポーツの力で文化、国籍を問わず友情と連帯感をもって平和でより良い世界を実現か……。 本当にそんな世界になったら幸せだよねえ!」
雨美は元気よくそう言うと、そのスフィンクスみたいなモニュメントの上から飛び降りて地面に着地した。
「雨美……!」
「じゃ、次の解除手順を教えてあげる。 次の手順は、ネジで固定されたタイムカウンターを外すこと。 その開いた先に薄い膜が張られてるから、それを刃物とかで引き裂いて剥がして。 あと、膜の先にはコードが張り巡らされてるから、間違って傷をつけないようにね?」
俺は流星に電話すると、今雨美が言った通りに伝えた。
「雨美、問題はあといくつあるんだ!?」
広場の近くの柱時計を見る。 時刻は十三時十五分……十五時がタイムリミットなら、爆弾のタイムリミットはあと01:45:00だ!
「あと二問だね」
残り時間であと二問解かなきゃいけないわけか……しかし、俺にはみんなの知恵がある。
「早く次の問題を教えろ!」
「お? ようやくやる気を出したかぁ。 これは面白くなってきた」
雨美がスマホを操作すると、俺のスマホに通知が届く。 すぐにスマホを確認した。
【ワインにあって、ブドウにはないもの。 家具にあって、食材にはないもの。 楽器にあって、音にはないもの。 これなーんだ】
今度の問題は少しシンプルだ。 といってもまったく分からないわけだが。
「ところで真希」
雨美が不意に凪を呼ぶ。
「あなた悠一のどこが好きなの?」
突然の質問に、凪は動揺した素振りを見せる。
「なに言ってるの突然! そんなこと今は関係ないでしょ!」
「じゃあ私から行くね! まず第一に真面目なところ! すごく純粋で、好きになった相手には尽くしてくれそうなところが好き。 第二に脆そうなところ! ちょっとしたことで悩んで、困っちゃうところが愛らしくて好き。 第三に――」
「あたしも同じ!」
雨美が言い終わらぬ内に凪が叫ぶ。
「あたしだって、悠一の真面目な所が好きだし、すぐ困っちゃうところも好きだし、頼りきれないけど頑張ってるところが好き! それにそれに――」
「好きなところ百個言える? 私は言えるけど」
「い、言えるよ! 雨美なんかより、よっぽど私の方が悠一の事知ってるんだから!」
なんだコレ。 俺は咳ばらいをする。
「雨美! さっさといつもみたいに正解の場所に行け! 俺はゆっくり問題を考えさせてもらう!」
「はいはいそんなに慌てなくても行きますよって」
雨美は背を向けて歩きだそうとしたが、数歩先で立ち止まって言う。
「あ、あと」
「……?」
「あんたたちマークされてるよ? 警察に」
「……!」
「ま、悠一にその気はなくても、間接的にも警察が乗り出してきたらその時点で爆弾は爆破する。 それを忘れないようにね?」
そう言い残し、雨美は走り去っていった……。
※
【Gタワー情報処理層 十三時三十分 タイムリミットまで01:30:15】
≪村岡先生、いいですか? よく聞いてください。 今ヘリを使って、上から作業員が窓を拡張する作業をしています。 拡張が完了すれば開いた穴から人ひとりが外に抜け出せる穴ができるはずです。 ですが最悪の事態……爆弾がその前に爆発する危険性も考えられます。 少しでもその危険性を無くすためにも、解体処理をそちらで並行で進める必要があります≫
「解体は危険ではないですか?」
≪ドローンカメラで爆弾の内部を常に監視しています。 危険性はないとは言えませんが、私が見ています。 ですから、よろしくお願いします≫
「……分かりました」
宮部の言葉に、教師村岡は頷いた。
本来であれば爆弾の解体を素人に頼むことはしない。 それどころか、解体という方法さえも危険な行為であり、爆弾に精通したプロであってもその選択はしないものだ。
しかし上層部から窓の拡張は現実的に考えて時間が足りないという結果が出た。 そのため、現在の問題は爆弾を爆破させないことに絞られた。
宮部にとっては苦渋の決断であったが、それしか選択肢は残されていなかったのだ。
「金村さん」
教師村岡は爆弾の前にいる一人の生徒の名前を呼ぶ。 その生徒は金村という名で、手にはドライバーと刃物が握られていた。
刃物は別の女生徒の持っていたソーイングセットの小さいハサミを加工したものだ。
「お願いします」
「……い、行きますわよ……」
「頼む金村! キミの美術の技術がみんなを救うんだ!」
「分かりましたから! ちょっと静かになさって!」
流星の言葉は、今の金村には騒音だった。
金村は美術部でいつも彫刻を作成している。 彼女は少なくとも今この場にいる人間たちの中では一番手先が器用ということで今回の解体に名乗り出た。
「……」
金村は慎重にタイムカウンターのねじ止めを外していく。 みんなが固唾を飲んで見守る中、最後のネジを外し、そしてタイムカウンターを引っ張り上げた。
タイムカウンターの裏側には黒と紫の二つのコードが伸びていて、それを引っ張り上げて箱の横にそっと置く。 裏側が露わになり、そこには全体に膜が張られているのを確認できた。
「出ましたわね……」
金村は次に刃物を持ち、そっと膜に近づける。 刃物を持つ手が、震えていた。
流星はそれに気づき、そっと金村の肩に手を置く。
「落ち着け金村。 いつもの彫刻だと思えばいい。 お前は最高の彫刻家だ。 いつも通り、最高の手先で膜を切ればいい」
「彫刻……ちょうこ……く……」
金村はすぅっと深呼吸し、再び手先に全神経を集中させる。
スッと、ゆっくりと、正確に、下のコードを傷つけないように……切り裂いていく。
「……ハア」
膜がすべて切り取られ、中のものが露わになった。
「金村……よくやった……」
中から出てきたのは……〝赤と青のコード〟だった。