第六話
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懐中時計は午後一時二十六分を指した。私はとうに朝食を終え、部屋で本を見たり秘薬の確認をしたりしていた。
さっき朝食に食堂に下りると、鉱山に出かけに行く鉱山夫の人達が珍しそうに私を見た。私は部屋の隅の方のテーブルで朝食をとっていたのだけど、いつまでたってもこっちを見ている人、私を見ながらひそひそと話す人達がいて、少し緊張してしまっていた。するとマーカントさんが奥からやって来て、
「ほらほら!何を物珍しそうに見ているんだい。この娘は用事があってシェナに来た普通のお嬢さんだよ。あんまジロジロ眺めていたんじゃあ失礼だろうよ!どいつもこいつもこれから鉱山で一仕事あるんだから、しっかり飯食わないとへばっちまうよ!」
と一括してくれた。鉱山夫の人達は「わかったよぉ」とか「いや、悪かったね」などと言いながらマーカントさんや私を見て頭を下げてくれた。マーカントさんは私のテーブルにミルクを置いてくれて、
「まあ確かにこんな宿じゃああんたみたいな娘さんは珍しいもんさ。でも鉱山夫は気のいい奴等だからあんま気にしないでおくれよ。こいつはサービスね」
とウインクをしてくれた。私がまだ食べていると、鉱山夫の人達は鉱山に行く時間になったようで、大勢の人が食堂をたっていった。
一年間塔で暮らしていて、大勢の人の賑わいを感じるのは久しぶりだと思った。マーカントさんと鉱山夫の人達とのやり取りが、すごく楽しいものに思えた。
その後受付で連泊を告げて、今に至る。そろそろセラノが呼びに来てくれるはずだ。
するとトントンとドアをノックする音が聞こえた。私はベッドを降りてドアを開けた。
「こんにちは。ラン、もう行ける?」
「うん。ありがとう」
「それじゃあ行こうか」
セラノはそう言うと、私に街の案内をしてくれた。
セラノの宿屋――「サファイアの原石」はメインストリート北側の裏路地にある。セラノはここから南の鉱山や工場までを案内してくれるのだ。
私は裏道や近道、有名で賑わっているお店や変わり者の店主がいる食堂など、色々なものを見せてもらった。
そしてメインストリートの南側に辿り着くと、私は再び鉱山と工場を見た。工場では相変わらず人の出入りが激しく、そして長い煙突からは黒い煙が吐き出されていた。時折小さな荷物運搬用の蒸気機関車が、坑道から続くレールを採掘された石炭を運びながら工場に入ってゆく。
セラノは鉱山の方をみやり腕を腰に当てると、こう言った。
「僕の父さんはあの鉱山の中で皆と一緒に石炭を掘っているんだよ。今この街には本当に多くの人が集まりつつある。父さん達はこの街をもっともっと大きくしようと、頑張っているのさ。僕ももっと大きくなったら技術屋になるんだ!」
「…」
セラノは今鉱山で働くお父さんの姿を想像してか、私が黙っていたのにはさほど注意を割かなかった。
私はその場でいつの間にか眼を閉じていた。眼には見えぬ大気のうねりに身をゆだね、精霊力の海に精神を溶け込ませると、遠く地の底からすすり泣くような、死神の統治する死霊の世界の底より、現実界をうらやんで怨気の声をあげる亡者の様な声が聞こえるような気がした。時間が経ってどす黒く変色した血の様な色のイメージが脳裏を貫いた私は、同時にもう一つのイメージにも気がついていた。
それは明るい黄色に輝く光。弱々しく疲れ果てていてもなお、その中に全てを包むような優しさの片鱗を見せるその光は、私を落ち着かせた。私はそれぞれが何であるかは明確にはわからなかったが、それ等が決して相容れない存在であるという事、そして災厄はこの鉱山で起こりうるだろうという事を、瞬間的に知覚していた。
「…セラノ、そう言えばお昼ご飯まだだったわよね?食べに行かない?」
私はそこにいるのがいたたまれなくなり、セラノにこの場所を移動する事を促した。
「う、うん、いいけど?」
私達はきびすをかえすと、人のまばらなメインストリートの方へと戻って行った。
セラノがおいしいと太鼓判を押すサンドイッチ屋で自分とセラノの分のサンドイッチを買うと、セラノはそこで食べるよりもいい場所があると言って、私の手を引っ張って行った。私はさっきの声がまだ少し気になっていたのだが、結局セラノに従ってついてゆく事にした。
メインストリートを東側の裏路地に入り、更にその路地を突っ切ると街の東側は小高い丘になっていた。
「セラノ!どこに行くの?」
「いい所さ」
丘をなだらかな傾斜の場所から回りこんで登り終えると、丘の上には小さな林が広がっていた。その林を抜けきると…。
「ああ」
「見て。この場所からの眺めが街が一番良く見渡せるんだ」
額の汗を拭う私を後眼に、セラノは嬉しそうにそう言った。確かに眼下にはシェナの街の全貌が見通す事ができた。メインストリートとその周辺の店々、それとひときわおおきな町長さんの屋敷の後姿。右手には私が通ってきたスターク峡谷が見え、左手には鉱山と工場が見えたのだった。
林の方から時折吹き抜ける心地のいい風が、私の気持ちを癒した。
「うん、気持ちいい――」
私は風に弄ばれる髪を手で抑えると、セラノの方を見やった。
「そっか。あはは」
私はバッグを開けると、さっき買ったサンドイッチの一つをセラノに差し出した。
「いつもここでご飯を食べるの?」
「うん、たまにここで母さんの作ってくれた弁当を食べるんだ。街を――ここから見るシェナの街が好きでさ。それにここは学校の友達との秘密の場所にもなっててさ、後でランにも見せてあげるけど、僕達の少年団のアジトも林の方にあるんだ」
セラノはサンドイッチをめいっぱいほうばりばがらそう言った。私はそんなセラノの屈託のない顔を見ていると親近感を覚えて、セラノの色々な事を聞いてみたくなったのだった。
「学校って…楽しい?」
「うん?勉強はあんまり好きじゃないけど、体育と機械工学の勉強は好きだよ!友達もにぎやかな奴等が多いけど、みんな面白い奴等だよ。ランは?学校楽しくないの?」
「…私は…学校には行ってないから」
「え!そうなの?」
「うん…祖母と姉が勉強を教えてくれるから…」
「そっか……本当にいいおばあさんとお姉さんなんだ」
「お父さんとお母さんは好き?」
「…うちの父さんはお酒が好きで好きでしょうがなくて、家じゃあんまり仕事はしないけど鉱山の仕事を頑張っているし、母さんも口うるさいし怒りっぽいけど、好きだよ。――ランがおばあさんとお姉さんの事を好きなのと同じくらいに、好きだと思う」
「セラノは好きな食べ物とかあるの?」
「――ステーキかな。白熊亭のワンポンドステーキを丸ごと食べるのが夢なんだ。いつか食べてやろうと思ってこづかいをちょっとずつ貯めてるんだけど、どっちにしろお前じゃ食いきれないよなんて白熊亭の親父さんは言うんだ!」
「まあ!あはは…」
私達は遅い昼食を食べ終えて、午後四時半くらいまで色々な話をした。私は魔女という事を言わなかったから、時折セラノの質問に考え考え答える事はあったけども、それでもセラノと、同年代の子と話をするのは楽しかった。
「さて、じゃあアジトの方も見せてあげるよ」
セラノは立ち上がって林の方に私を誘った。林の中ほど、ひときわ大きくどっしりとした広葉樹のたくましい枝の上に小さな木の小屋が作られている。小屋からは縄梯子が降りていて、下からでも登る事ができそうだった。
「あ、誰かいる」
セラノは仲間内の秘密の暗号を読み取ってか、小屋の中に人がいる事に気付いた。
「友達が何人か来てるみたいだ。ラン、みんなを紹介するよ」
そう言ってセラノは私に縄梯子を登るように言った。
「…」
「ラン、どうしたの?」
私は戸惑っていた。梯子を登って私を見る人達が、私を認めてくれるのだろうか。
私は基本的に新しく人と会うのは苦手なのだった。ルックさん、アンナさん、マンカートさん、セラノのお父さん、セラノ。この仕事に出てから本当に優しい人達に会う事が多い。それとリィディとコリネロス。そんな人達の笑った顔は、いつも私の奥底に消える事なく存在している、人に対する凍てついた警戒心や恐怖心を暖めてくれるのだけど、それでもやっぱり新しい人というのは、私には少し怖い。
セラノが行こうとしない私を不思議そうに見ると、何かを言いかけようとした。その時。
「セラノ――!その娘は誰だい?」
小屋のドアが開いて中からセラノと同じくらいの歳の男の子が数人顔を出した。
どの子も私に好奇の視線を向けている。
「――ああ、この街に用事があるって言うんで家の宿に数日泊まる事になったランっていう娘さ」
「へぇ―――っ!」
彼等は一斉に驚いたような顔をして、次々に梯子を降りて来て私を取り囲んだ。
「ランっていうのか」
「いくつなの?」
「かわいぃ――!」
大きな子、小さな子、ぽっちゃりした子、痩せた子。彼等はそれぞれの感想を口にしながら騒ぎ立てる。私はどうしたらいいのかわからずセラノを見た。
「おいおい」
「ほらぁ!そんなにうるさくしちゃあその娘が可哀相だよ!」
セラノが助け舟を出そうとしてくれた時、最後に縄梯子を降りて来た子が他の子を一括した。私は最初その子を男の子であるかと思ったが、輪をくぐって私に近づくその子は、どうやら女の子であるみたいだった。
「うるさくしてごめんよ。見慣れない娘がここに来たんで、珍しがってるのさ」
そう言ってその娘は濃い赤のベレー帽を取った。
柔らかなショートの栗毛色の髪に、負けん気の強そうな茶色の瞳がキラキラ輝いている。半袖のシャツとズボンを履いていたので男の子と勘違いしたけども、よく見るとすごく綺麗な娘なのだと気がついた。
「…ランって言うの」
「ランかい。あたしはアバンテって言うのさ。よろしくっ」
「よ、よろしく」
アバンテはにやっとすると、手を出して握手をした。
「こいつら、全員同じ学校の同じクラスの友達なんだ。僕達はさっき言った少年団を作っていて、学校が休みの時とかよくここに集まって遊んだり話したりしているのさ」
セラノがそう説明すると、アバンテは私を小屋に誘った。他の子達も次々に着いて来て、小屋はあふれんばかりの人数になった。
小屋の真中の小さなテーブルの周りに椅子が三つある。私は真中の椅子に座らされ、もう二つの椅子にはアバンテとセラノが座った。他の子達はめいめい場所を見つけては座っている。
同い年の子にこれだけ囲まれたのは久しぶりだった。私は無意識に胸に手を当てると、激しく打つ鼓動を感じた。
どきどきしている…。昔を思い出している。
「…ラン、ラン?聞いてる?」
「え?うん、ごめん。何?」
「あはは!何ボーっとしてるの?あのね、ランはどうしてこの街に来たのって聞いたのさ」
「うん、ちょっとこの街に用事があって…」
私のあやふやな答えに、アバンテは更に質問をしようとした。だけどセラノが「さっき僕も聞いたんだよ。あんまり喋りたくないようだから別にいいじゃないか」と言ってくれたのだった。
「フーン…」
アバンテは私から顔を離すと、腕組みをして値踏むように私を見た。
「そうかい。言いたくない事だってあるよね。わかった聞かないさ。でもじゃあこれは聞いていいかい。あんたはいつまでこの街にいるの?」
アバンテはそんな事などおかまいないと言わんばかりにすっぱり流すと、そう聞いた。
「はっきりと決まってはいないのだけど…もう数日はいると思うわ」
「そうなんだ!じゃあまたここに遊びにおいでよ」
アバンテは嬉しそうな顔をしてそう言った。私は仕事に来たのだし、いつ起こるかわからない災厄に常に備えていなくてはいけない。だから遊んでいる訳にはいかないのだった。だけど突っ込んだ話を聞きもせずに、また遊びにおいでといってくれたアバンテの気持ちが嬉しくて、私は何と言おうか迷っていた。
「用事が忙しいのかい?」
「…今日は街をセラノに案内してもらっていたの。私は街の事を色々知ったりしなければいけない事情があって、明日からも明るいうちは街を色々回ると思う。だから…ごめん。アバンテの気持ち、すごく嬉しいのに…ごめん」
ああ、これで嫌われてしまうな。と思った。私は自分で言ったながら、昔見た、あの冷たい視線をよぎらせていた。セラノも、アバンテも、周りの子達も、その眼を私に注ぐのだと思った。
「何だ。そうなんだ。街の事が知りたいのかい?何だかどんな用事か興味あるねえ――あっ、それは聞かない約束だったのだけど――それなら私達が教えてあげるよ」
アバンテは急に膝を叩くと、私にそんな提案をした。
「えっ…でも悪いよ、そんなの」
「いいよ、あたし達、あんたにすごく興味があるのさ。この街には炭鉱夫や技術者はやってくるけど、子供なんて普通は来ない。学校で顔を合わせるのは皆昔からの顔なじみだからね。だからさ…もし時間が作れたら、その間は私達と話してくれるかい?」
「私、皆と話していても急に用事が出来てしまって、帰らなくてはいけないかもしれないわ?」
「うん、それでもいいよ!なあ皆?」
アバンテは私の手を取りながら、皆に聞いた。周りの子達は「もちろん」と明るい笑顔をしてくれたのだった。
「セラノの案内だけじゃあ今いちよくわからなかったろう?結構いい加減なんだからねぇ」
「ああ!アバンテ。そんな事を言ったな!僕だって一生懸命案内したんだぞ」
「あは、あはははは…!」
真っ赤になって弁解するセラノが、何だか可愛くて、おかしくて、私はお腹の底から笑った。アバンテも周りの子達も、皆笑っていた。
「あはは…でもセラノは本当によく案内してくれたのよ」
「あはは…まあ、きっとそうなんだろうね!フフフ…。それで、ランはこの街について知りたいって言ってたけど、特にこれについて知りたいっていうのはあるの?」
私はセラノやアバンテに、特に鉱山や鉱山を取り仕切るシェナの町長さんの事について知りたいという事を伝えた。するとセラノは、セラノのお父さんが炭鉱夫の一隊のリーダーであるというので、鉱山を見学させてもらえるよう頼んでみると言ってくれた。アバンテはシェナにある実家が裕福な家らしく、お父さんは町長さんとも親しいらしい。近々ある炭鉱夫の上部の人達の(と言っても五十人も集まるらしい)パーティーを見学させてくれると言った。
私は彼等が協力してくれるお陰で、それ等の事を知るのに一人でやるより、ずっと詳しい情報を知る事ができるようになった。
「ありがとう。でもなんで会ったばかりの私にそんなに…」
「私ランをさっき見た時思ったわ。この娘、すごく純粋そうな娘だって。きっと、優しい娘なんだって。私の第一印象って、結構当るからさ。でもさ、セラノもそう思ったから今日案内を引き受けてくれたんじゃないかな」
セラノは私の横でしきりに赤くなっていた。
「私の用事っていうのは…絶対に悪い事をするわけじゃないから。私の事をいきなり信用してっていうのは無理かもしれないけど、その事にかけてだけは絶対にそうと言えるから…」
「あはは。そうかい?私はランはそんな事する娘じゃないって、もう思ってるって。たださ、さっきの話も、もし時間ができたらよろしくね…あはは」
「そうだよラン。僕だってそう思ってるよ」
「うん…」
私の胸を、安息が走った。セラノ達がそう言う風に言ってくれるのが、本当に嬉しかった。一人前の魔女になる為、一人で仕事をこなす為、私はこの街に来た。この街に降りかかる災厄を鎮めるという事は絶対にしなくてはならない。そう常に思っている。
でも、何もかも、話したい事やしたい事、セラノやアバンテ達と普通にしたいとも思った。仕事などなくて、私が魔女でなくて、普通の友達のように遊べたら…それはどんなに楽しい事だろう!