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ベイロンドの魔女  作者: 路地裏の喫茶店
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第十七話


 しばらくして私はベッドから起き上がると、鏡の前に立ってぼさぼさの髪をとかした。


 身体の節々はこわばって、だるさを感じる。いまだあのシェナでの疲労は残っているらしかった。髪を結び、バッグからバラのオイルを取り出すと、ふたに手をかけて止まった。



そっか――私、初仕事は遂げる事ができなかったんだよな。


 結局ふたを開ける事なくオイルの瓶を服のポケットに入れると、私は階下に下りていった。

 一階ホールの北側にある占いの部屋――私が仕事に出る前、ルピスの啓示を受けた場所だ。


「……」


 そう言えば…私は急にシェナのあの地獄絵図の時の、ある事を思い出した。


 自分でもわからない、謎の理由で体中に魔力がみなぎり、読む事のできないはずの禁呪のページが見えたあの時…意識が遠のいていく中、心の深遠から響いてきたような声。あの声が何かをささやきかけてきた時、私は何故かルピス…という名を感じた…。


 今になって思うと、何故あそこでそんな風な事を感じたのだろう。

 考えても考えてもわからない。私は自分の手の平をみつめると、占いの間のドアをノックした。


 今の私にはわかるべくもない。あの声はあれ以来一度も聞こえてはこないのだから…。



「入りな」


中からコリネロスのしわがれた声がした。ドアを開けると部屋の中の木のテーブルの周りには、コリネロスとリィディが腰掛けていた。


「ラン、座りな」

「はい…」


 私はシェナでのあの結末――逃げ出したまま終わってしまった事――に打ちひしがれて、コリネロスにどう切り出したらいいか迷っていた。


「…私達はねぇ、ラン、お前がシェナの街でどんな風に仕事をしていたのか、遠見の目薬で見ていたんだよ」

「…聞いたわ」


「…街へ着き、人と仲良くなり、友人の呪いを解くべく炭坑に行き、精霊と対話をして…そしてその精霊が街を破壊するのをくい止めようとした」


「……」


「しかし、やっとの事で精霊を封印したものの、人間達はもとより精霊の存在など知らない。アンタは化け物扱いされたね――」


「……」私は無意識に服の胸のあたりをギュッと掴むと、鼓動が早くなるのを感じた。


「そうしてお前はそれに耐えられず、リィディの助けを呼び――逃げ帰ってきた」


「心配だった?私はあんな大口を叩いて、ルピスの啓示があったとしても、きっとくじけてしまうって、コリネロスは予想していたの…?」


 街の人達のあの反応に触れられる事が、気持ちと関係なく私の身体を強張らせる。この部屋に来てまずしなければならない事は、仕事を遂げる事なく、あんな結末で終わらせてしまった事をコリネロスに詫びねばならなかった。



だけど私は今そんな事しか言えなかった。コリネロスは少し無言になってテーブルの上に置かれた手を組み直した。


 彼女は私をまっすぐ見据えていたけど、ほんの一瞬、視線を下に落とすと、意を決したようにもう一度私を見た。その仕草にはわずかな迷いがあった。


「…そう――だね。お前の初仕事は…ただの初仕事ってだけじゃない、もう一つ意味があったから…」


 ぽつりぽつりとコリネロスは、一言一言を苦しみながら言うようだった。



「――もう一つの…意味?」


「…ああ…ランや、お前も魔女の歴史というのを知っているだろう?古来、人々がまだ精霊の存在を信じていた頃、魔女は人間に頼まれて精霊と対話を繰り返してきた――人間だけの為じゃないさ。精霊と人間、相反するこの二つの種族の間を何とかしてとりもつのが、私達魔女がルピスに与えられた能力と使命なのだからね。


――しかしやがて時は流れ、人もそれを取り巻く環境も変わっていった――精霊は霧が晴れていくように段々と、眼に見えてすぐではないけども、その姿を普段から人間の前に現す事は無くなった。文明は発達し、人は火や石や鉄を使って、生活を豊かに、不自由なくしていったのさ。精霊を忘れ、そして魔女の存在も忘れられてゆく。今では魔女というのは彼等の中の多くには、ただの伝説か物語の登場人物でしかないのさ。


 だが、どこかに力が集中すればそれは他のどこかで歪みを生む。魔女は人が豊かになっていく陰で、小さなものから大きな精霊の歪みまでをも鎮め、止めなくてはならなかった。それは人知れず行われる場合もあったし――多くの場合には魔女というものはその使命(仕事)を人間には自ら明かす事はしないのだけれども――、人間に目の当たりにされてしまう事もあった。だけど、近年ではそれが問題となった。


 その魔力を見られてしまった魔女は――多くの場合人間に迫害される…」



「……!」


 息が詰まったような感覚を覚えた。


「…人間にしてみりゃ、当たり前――当たり前なのかもしれない…誰だって見た事も無いような、考えもしなかった魔法なんていう力を使う者がいたら、恐怖するのが当たり前なのかもしれない。だからね、四十三年前の魔女の長老の会議で決まった事があったのさ。即ち、魔女として最初の仕事は使命をこなす事ではなく、迫害を知っても魔女としての生き方ができるかどうかを試す試験という事…」



 バンッ!


「そんなっ!…じゃあ、じゃあ…私達は、魔女達は一体どうしてこんな魔力を授かったと言うの!どうして?使命を果たそうとしても迫害を受けるなら、私達はどこで暮らせばいいの?魔女になってしまうような運命の持ち主は、どこへ行っても人には認めてもらえないの?」


 コリネロスの言葉を聞き、私は紙の様に白くなっていたと思う。そのまま倒れてしまうかのような、意識の遠のくような、足元の重力がなくなってしまったかのような錯覚。だけど心の底からは言い知れぬいくつもの疑問や高ぶり、怒り、悲しみが突き上げてはまた突き上げてやまなかった。


 何を一番言いたかったのか、それさえも定かでなく私の手は机を叩いていた。セラノの顔、アバンテの顔、マーカントさん、セラノのお父さん、寂しい街の学園の同級生達、フランツ院長――様々な人の、様々な顔がオーバーラップした。



「私達魔女は、何の為にいると言うのよ――」


「だから魔女を捨てるという道も、ある」


 コリネロスは私の問いには答えず、憎らしいとまで言える程静かに言った。


「魔女を捨てる――…」


「そうさ、魔女の運命から逃れ、人間の世界で自分を隠しつつ生きてゆくか、それとも誰もいない世界の果てに一人暮らすか…。この試練にくじけ、絶望してしまってそうした魔女ももちろんいたんだよ。それは誰にも攻める事ができない――そう、ルピス様でさえもね。だからラン、お前が魔女であるという事に耐えられないというのなら、魔女を捨ててもいいんだ」



「そんなの…私はもう今回の事で知ってしまったもの!魔女になんてなってしまった者は例えどんなに人間と仲良くなれたって、結局どこかではやはり相容れないんだって、人間には聞こえない音を聞き、見えないものを見る事ができる魔女は、やっぱり人間とは違う、違うものになってしまったんだもの!


――じゃあ世界の果てで一人で暮らせと?そんな事ができるわけがないじゃない。両親に死なれ、親戚や学院に認めてもらえず、誰にも認めてもらえずここに来た。もう私に家族と言える人はコリネロス、リィディの二人しかいないのよ!それをも、最後のよりどころさえも失って世界の果てへ?おお――、それなら私はいっその事死んでしまった方がいいくらいよ!」


 激情にかられて私の眼から涙がぼろぼろとこぼれた。ぬぐってもぬぐっても止まらなかった。



「ラン――」


 リィディが私に心配そうに何かを言おうとして、止まった。彼女のいつも穏やかな眉間には、深く心の苦痛に耐えるようなしわが刻まれ、白い肌には血がのぼって紅く染めあがっていた。


「魔女を捨てるか、捨てないか…よく考えてみておくれラン…。

時間は次の満月まで、次の満月は八月の十九日だね――後十二日の間だ。それまでに決めとくれ…でもラン、実際あんたはよくやったよ。あたしはお前がまさかあんな才能があったなんて思いもしなかった――」


「そんなもの!そんなもの――私には苦しいだけのものでしかなかった!いくらそんな魔力があったって、それで無理矢理怒りに燃えた可哀相なミシェランを封印したって!何も、何もいい事なんてなかったんだわ!」


「ラン、それは違う――」


「こんなもの!」

 私はポケットからバラのオイルの瓶を取り出すと、机の上に置きつけた。


 それ以上耐えられなくなって私は、立ち上がるとドアを開けて占いの部屋を出て行った。止めようとするリィディの声、「いいんだよ」というコリネロスの声が聞こえた。


 魔女の最初の仕事が実は試練であった事、リィディやコリネロスが私の仕事をずっと見ていた事、そして魔女を捨てなければならない事――。様々な事がいちどきに押し寄せ、私はもう何が正しいのか、どうすればいいのか何もわからなかった。ルピスもほうき星も何も――何も教えてくれない。


 階段を上り自分の部屋に行き鍵を掛けると、ベッドに倒れ込んでむせび泣いた。


(私は、私は、魔女になって何がしたかったの?私がずっと望んでいたものは――)



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