第十四話
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気がついたのは夏の濃い空気の中に射す、昼の日差しが眩しかったからだ。
「ん…」
そこは、どこか石造りの部屋の中だった。私はベッドに横になっていたが、あの学園の寮ではなく明らかに別の場所だった。
窓から見える外の風景は、黒いとも言える程に力強く色濃い緑の木々が、深い森を形成していた。空は突き抜けるように青く、遥か向こうに雪をかぶった山々が見える。
部屋の中には本棚が無数に置かれ、そのどの棚にも分厚い本が並べられている。壁には奇妙な紋様の描かれたタペストリや、見た事もない様な草や花のドライフラワーが吊るされていた。
「気がついたようね」
声を掛けられてはっとした。私の横になっているベッドの脇に、あの女の人が座って微笑んでいたのだ。
「あなたは…ここは…どこ…?」
「熱は引いたかしら」
女の人は私の問いには答えず、そう言った。言われてみて始めて、あの高熱が嘘の様に治まっていたのを知った。
「あなたが治してくれたの?」
「ええそうよ。あのまま放っておいたらあなた間違いなく死んでいたもの」
女の人の白い肌は、窓から差し込む日を受けて眩しいようだった。人にいとも簡単に心を許させてしまうような、深い慈愛に満ちた両の黒目が私をじっと見ている。
「…私、一体どんな病気だったの…」
「病気――とは違うわ。あれは、人間から魔女に転生する時に起こる精霊力の溢れが引き起こす高熱」
女の人は、突然私に全く理解する事のできない話を始めた。
「魔女――、あなた、一体何を言っているの」
「そうね、こういうものは口で言ってもわからない…その窓から、外を覗いて御覧なさい」
「外って…」
「いいから見て御覧なさい」
私はしぶしぶ外の景色を見た。ついさっきも見た広く深い森と青い空――。
「そのまま、心を落ち着けて…息をゆっくり吸い込みながら風の音によく耳を傾けてみて…」
女の人の声には何か人をそう行動させてしまうような響きを持っていた。私は無意識に声のままにしたのだった。
「あっ」
それは全く、今まで一度も感じた事のない様な感覚だった。
自分の周囲の風景と空気、そして自分が混ざり合って溶け込んだような感覚。私はベッドの上にいるようであり風景の中に漂う風になった様でもあった。幾陣もの風がうねり、吹き抜けていくのがはっきりと分かる。風は森の木の葉を揺らし、それが更に複雑でしかし流れるような風の軌跡を描かせた。
そして、その風や大地の様々な何かが、私には淡い発光体の様なものに見えたのだ。
発光体はその輝きに強いものと弱いものがあり、まるで生きている様にそこかしこを流れていた。私は何故か、今私がこうして横になっている世界、それとは違った世界に半分ずれ込んでしまったかのような錯覚を覚えた。
「見えるでしょう。それは精霊よ」
後で女の人が呟いた。私はハッとなって女の人を見た。
「これは…何…?」
「精霊よ。森羅万象に宿る大気や大地の力、その他様々なものを司るもう一つの世界の住人」
女の人が手の平を私の眼の前に持ってくると、その上に何か薄い緑色の光が現れた。
「キャア!」
光はおぼろげだが何かの形を…小さな少女の姿を形どった。少女は私を見てクスリと笑ったような仕草を見せると、渦を巻いて忽然と消えた。一陣の風だけが私の髪を撫でていった。
「これは風の精霊の一つ、シルフ」
「こ、これはあなたが私に見せているの!」
私は薄気味の悪いものを見て動揺を隠せないでいたが、この人は私に何かをしてこんなものを見せているのではないかと思い、しかもさっきから何故私がこんな場所に連れてこられたかさえ言い出しもしないので、無性に腹が立ってきたのだった。
「私があなたに見せているのではないわ。これはあなたが自分で見ているものだもの」
「嘘よ!」
「残念だけど嘘ではないわ。つまりあなたはこういうものが見えるようになってしまったと言う事なの」
「嘘よ!大体なんで私はこんな所に連れてこられたの!説明してよ!」
「いいわ。よく聞いてね。
世の中には、人間でありながら魔女になる事を運命付けられた人がいるの。人によって年齢にばらつきがあるのだけれど、その人はある日突然高熱に倒れるわ――あなたがそうなったようにね。
それはもうその人が人間でいられなくなる、魔女としての力を抑えきれなくなる限界点なの。その高熱は何日か続くわ。だけど人間のままでいれば間違いなく死に至る高熱よ。
助かる方法は一つしかない。人間から、魔女へと転生する事。他の魔女の手によって、定められし儀式と薬を使って、人間の体の構造から魔女の体の構造へと変換しなければならない。
魔女は占いによってそうした人達が現れるのを察知するわ。そうして高熱が現れ始めた頃、その人を助けに行かなければならないの。だから私は、あなたを学園からさらって行かなければならなかった。
そうして魔女は各地に点在する聖域に移され、魔女としての魔術、精霊との交信術を学んでいくのよ」
「わっ、私魔女になんてなりたくないわ!」
「そうね。そう言う人もきっといる。…だから魔女に転生した人にはもう一つの選択肢もあるの。元通りの生活に戻るっていう道もね」
「私その方がいい!学園に、元の生活に返してよ!」
私は何がなんだかわからなかったが、とにかく元の生活に返して欲しかった。いつの間にかさらわれて、こんな馬鹿げた話を聞かされて、魔女になりたいなどという人がいるだろうか。
「ううっ…」
ベッドから出ようとした瞬間、しかし力は入らなかった。
「熱は引いたとは言えまだ完全には治っていないわ。もう一日、二日は寝ていないと。帰りたいのならそれでも構わないから、本当にもう少し安静にしてなさい」
私はこんな所にもう一日もいたくはなかったが、彼女の言う通り体は言う事を聞きそうもなかった。悔しいけれどこれでは確かにここで休んでいるしかなさそうだ。
「さて、私はちょっと用事があるから下に行くわね。ご飯はちゃんと運んでくるから心配しないで、何かあったら呼んでね。私の名前は、リィディよ」
「……」
リィディと名乗る女の人は、そう言い残すと部屋を出て行った。私は一人取り残されるともう一度窓の外を見た。今度は精霊とかいうものは見えず、ただの普通の風景だった。
私はもう一度横になると、眠りについた。
*
「夕食よ」
リィディが私のいる部屋に夕食を運んできた。近くの小さな机に皿と食器を並べる。
「今日はまだ完全に治っていないのだから、ミルク粥を作ってきたわ。少し熱いから気をつけて食べてね」
「…ありがとう」
私はその時、正直言ってお腹が減っていた。学園で倒れて以来食欲はなかったし、ここに連れてこられてからかなりの間眠っていたのだろうから。
リィディに私はまだ気を許したわけではない。当たりの柔らかそうな態度だけれども、さっきから言っている事は到底信じられるとは思えない。だけどあの高熱が引いたのは確かにこの人のお陰なのだろうから、それについては礼を言わなくてはならないと感じた。
「どうぞ召し上がれ」
「…頂きます」
ミルク粥に口をつけると、優しく暖かい味が胃にしみわたっていった。




