第十二話
三章・ランの誇り
何をどうすればよいのかも、何が正しいのかも頭に浮かばなかった。その時私が思ったのはこの声から逃げ出したいと、それだけだった。
いつの事だったのだろうか、もう、遠い昔の様な気がした。私のお姉さん役の魔女リィディの顔、そして私が仕事に出る時最後に会った時の会話。
(…でもね、もしも、もしも私に助けに来て欲しい時があったら、心の中で呪文を唱えなさい――)
私は――その呪文を、心の中でつぶやいた。だけどそんな呪文を唱えても、この場にリィディが来る筈はなかった。ベイロンドの森からこの街までは、ほうきの飛翔の魔法で全速で飛ばしても小一時間はかかる。その間に私は街の人達にどうされてしまうだろうか。
コツン。小さな石が私に当った。
「ば、化け物――」
投げたのは、始めの若い男の人だった。
「や、やめて――」
私は頭を覆うと、魔女の本をぎゅうっと握り締めてその場にへたり込んでしまった。
その時だった。
突然誰かの声と風を切る音が聞こえて、守るように私の肩に手が回された。びくりとする私の心を鎮めて優しい感触のその手は、一瞬にして私の赤毛の頭を抱え込んだ。
長く美しい黒髪、白い肌、端整な顔立ち、そして深く、憂いを宿した眼―――。
リィディだった。
「リィ…ディ――…」
何故今この瞬間にリィディが来れたのか、わからなかった。
しかしリィディの顔を見るとこらえきれず涙があふれてしまった。涙でぐしょぐしょの視界の中、だけどリィディは深く頷いて素早く私をほうきの後に乗せた。
リィディの背中越しに飛翔の言葉が聞こえる。ほうきはまるで意志を持ったかのようにふわりと浮かぶと、すさまじい速度で舞い上がった。
「ああっ!」
「魔女の仲間か!」
人々の声が急速に遠くなって、風が髪を流していくのを感じる。私はリィディの背中に額を押し当てると、強く、強く腕を回した。
とめどない涙がぼろぼろと流れ落ちた。自分の魔法も自分がやろうとした事も、今は何もかもが虚しさを感じさせていた。
「リィディ…どこへ行くの」
「ベイロンドに帰るのよ」
「駄目よ…私…まだやる事があるもの」
「セラノ君の呪いは…解けたわ。数日安静にしていれば、きっと元通り元気になる」
「――何で、リィディがその事を――そう、ずっと…遠見の薬で見ていたのね――」
「…ええ…。それから――あの上位精霊もあの魔法で封印されたも同然だわ。ラン、あなたは…シェナに降りかかる災厄を鎮める事ができたのよ。もうあの街には心配はいらないわ。呪いをかけられる人も、街が炎にさらされる事も――ない」
「で…も…」
遠く離れてゆくシェナの街をぼんやりと尻目に、私は意識が薄れてゆくのを感じた。
黒く生暖かい風が私の疲労を包み込んでゆくと、私は深い所に落ちた。
「セラノ…アバンテ…マンカートさん…」
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それはセピア色。私の昔の…今はセピア色となった思い出…。
私は何故か、そこに立っていた。
むせ返るような麦の匂い、乾燥した風のなでる土地、素朴で粗末な石の家々…。
私はその村で育った。
十歳の時私の大好きなお父さんとお母さんは、歩いて一日半の距離の親戚の家に用事があると言って、出かけていった。
私は隣の家のおじいさんに面倒を見てもらって、二人の帰りを首を長くして待った。
だけど待ちわびた三日目の晩、二人は帰って来なかった。その代わりにそれからさらに三日後に届いたのは、お父さんとお母さんが盗賊に襲われて森の中で遺体で見つかった…という悲報だった。私は信じられなくて、泣きじゃくったが、村の人達はお父さんとお母さんの遺体を見せてはくれなかった。
びゅうびゅうと吹きすさぶ風が吹き、私がその事件を受け入れる時間もない間に、数日後私の両親の家には親戚の人達が集まった。
喪服を着て両親の墓の前に立ち尽くす私は、その墓標に刻まれた二人の名前から眼を離す事はできなかった。
…後ろの方で何か話す声――張り詰めた神経が過敏にとらえた、親戚達の心境が聞こえた。
父の叔父の、カフカさん。
「――可哀相になあ、あんな歳で一人残されちまって…」
その奥さんの、ミクラさん。
「一体誰が引き取るんだろうね…(小さな声で)アンタ!言っとくけど家はそんな余裕はないからね!モルとルイーズだけで精一杯なんだから、無理だよ」
「ああ…そりゃわかっているよ。弟の娘だが…家では無理だ」
母の叔母の、アマデウラさん。
「ヴィートさん、アンタの所はお金があるんだから、引き取ってやっちゃどうだい?」
でっぷりと太って、頭の禿げ上がった叔父さん。
「冗談じゃあないよ。私は私の為にお金を使うのが好きなんだ。誰の為にも、得にもなんないような金は出しませんよ。…ならあなたが引き取ってあげればよろしいじゃないですか」
「うちはそんな余裕は無いよ。なにさ、ケチだね」
「それはあなたも同じなのでは?」
「な、なんだって!」
「…やめなさいよ、こんな所で」
「なら結局どうするんだ?村の人も引き取り手は無いそうだ」
「いい所があるぞ」
「ほう?どこですかなそれは」
「――私の知り合いで、小学園をやっているフランツ婦人という方がいる。寄宿制の学校なんだがね、私には恩があって、私の頼みなら断れない。本当なら入学金やもろもろかかる所だが、なぁに寮の空き部屋くらいの一つや二つはあるはずさ。だからそこに働きながら住まわせてもらえば…」
「なるほど、それはいいですわね」
「だろう。ようし私からランちゃんには言っておこう…ランちゃん―――」
私は彼等の、私や、死んだ両親の墓を見ているようでどこか全く別のものを見ていた眼を忘れない。私の事はいい。だけど、両親の死を痛んで欲しかった…。
私に学校の事を説明した叔父…私はもう彼の名前もはっきりと覚えてはいない。かりそめの笑顔と、そして決して表には出さぬ心の内とを、私はうつろな表情で見比べていた。
彼等の出した結論に、私はただうなずいただけだった。




