0006.ヒロインは自分の魅力に無自覚
「……おい、起きろ」
男の声に、俺は目を開けた。
食事を持ってきてくれた、あの男だった。
「お頭が呼んでるんだ。さっさと出ろ」
ソフィアを起こし、荷物を担ぐと、俺達は牢の外に出た。
太陽はもう傾いていた。夕刻という事は、日中かなりの間寝てしまったようだ。
「おかげで、疲れも取れましたね」
ソフィアが笑う。
確かに、今朝に比べて身体はずっと軽かった。
「おいおい。牢を宿屋と勘違いすんじゃねえよ」
山賊の言葉に、俺は思わず苦笑した。
男に促されて入った場所では、飲めや唄えの宴会が繰り広げられていた。
俺達の姿を目に留めた山賊達は、拍手喝采で宴席の中心に座るよう促した。
「俺達の救世主に、乾杯!」
……どうやら、俺の言葉が嘘でないと証明されたようだ。
山賊の親玉は「がはは」と笑いながら、俺とソフィアに酒器を押し付けてきた。
「あんたの言った通り、憲兵隊が俺達の事を嗅ぎまわってるって知らせが入ったよ。普段通りに略奪してたら、今頃全員お縄だ。こうして酒が呑めるのも、あんたのおかげって訳だ!」
その言葉に、ソフィアの表情が険しくなる。
さっき言った、憲兵隊の裏切者に思いを馳せているのだろう。
俺は、そっと彼女に声をかけた。
「……今夜一晩、ここで身を隠して、明日の朝には城へ向かおう」
ソフィアは首肯し、再び哀れな奴隷を演じるべく、悲しげな顔を作った。
「……しかし、憲兵隊が近くまで来てるってのに、宴会なんかやってていいのか?」
注がれた酒に口をつけつつ、俺は親玉にそう訊ねた。
彼は笑いながら答える。
「こんな稼業やってると、いつ死ぬか分からねぇからな。後悔のないよう、やりたい時にやりたい事をするのさ」
そんな言葉に、手下達も同意した。
「へへ。あの酒呑んどきゃ良かった、なんて言いながら吊るされるのはまっぴら御免だからな!」
何と言うか、随分と刹那的な生き方だ。
……まあ、そんな考え方だから、山賊なんてやってられるんだろうが。
山賊達の会話に適当な相槌を打ちながら、俺は今後の事を考える。
元々のストーリーでは、山賊達を蹴散らした後に、憲兵隊と出くわす流れになっていた。
ただ、その時点ではアインゼルが幻王の手先だと明かされはしない。
城まで連れて行ってくれるという奴の申し出にホイホイと乗り、気付いたら魔族に捕まってしまうという展開だったはずだ。
魔剣の力があれば、大体どんな苦境であろうと簡単に打破できるが、現状、そういう訳にはいかない。
憲兵隊が山賊達を探している隙に山を抜け、ハーレスト城に辿り着いてしまうのが最善だ。
まさかアインゼルも、城の中で事を荒立てるような真似はしないだろう。
「しっかし、やっぱかなりの上玉だな、姉ちゃん。貴族に売られるのが勿体無ぇぜ」
「だなぁ。どうだ、俺達の仲間にならねぇか? 貴族の物になったって、楽しい事なんかありゃしねぇぞ」
ふと、酔っぱらった山賊達がソフィアに絡み始めた。
「え、ええと……」
困ったようにこちらへ視線を送るソフィア。
俺は頭を抱えて、
「おいおい。うちの商品に手を出さないでくれよ?」
人買いを装い、なるべく穏便な言葉で彼等をたしなめた。
そこに、親玉が声を上げる。
「馬鹿野郎どもが。俺達が他人に幸せなんて説ける立場かよ」
親玉の言葉に、彼等は「違いねぇ」と笑い、自分の席へと戻って行った。
「……ありがとう」
俺が礼を言うと、親玉は口の端を吊り上げて、また酒をあおった。
「こっちこそすまねえ。女っ気の無い場所だからな。たまに美人を見ると、手を出したくてたまらなくなっちまう。猿と同じだ。いや、そんな事言っちゃ猿に失礼か! ははは!」
美人、と評されて、ソフィアは少し頬を染めた。
「……また、ここでいいのか?」
牢に戻った俺達に、案内役の山賊はそう聞いてきた。
「俺達のねぐらなら、多少は快適だぜ?」
しかし、俺は首を振り、傍らのソフィアを指差しながら言葉を返す。
「いや、ここでいい。俺はこの『商品』を守らなきゃならないからな。俺が寝てる内に瑕ものにされちゃ、たまらない」
山賊は納得したようで、「ごゆっくり」と声をかけて牢を後にした。
「……さて」
山賊の足音が完全に消えたのを確認し、俺はソフィアに向き直った。
「今の内に、これからの計画を話し合っておこう」
明日からは、ただ山道を歩き続けるだけじゃない。憲兵隊と出会わず、ハーレスト城まで辿り着くというミッションになる。
先に、詳細な打ち合わせをしておかなければ――
だが。
水を向けられたソフィアは、どこかぼーっとしているように見えた。
「……ソフィア?」
彼女は、はっ、と気付くと、慌てて頭を下げてきた。
「す、すいません!」
「どうした? もしかして、体調が悪いとか?」
だとしたら問題だ。
しかし、ソフィアはぶんぶんと首を振った。
「い、いえ! そんな事は全く!」
しかし、そう言う彼女は、やはり上の空といった様子だった。
「もし何かあるなら、遠慮しないで言ってくれ」
俺が問うと、ソフィアはもじもじしながらその顔をうつむかせる。
「……あの」
微かな声で、彼女は俺に訊ねた。
「わ、私……美人なのですか……?」
「……は?」
「あ、その! なな何でもありません! 忘れてくださいっ!」
俺は肩をすくめると、
「この世界の美的感覚がどうなのか知らないけど……少なくとも俺は、ソフィアは美人だと思うよ」
そう答えた。
途端に、彼女の頬が真っ赤に染まる。
「そう、ですか……」
紅潮した頬を手で押さえ、はにかみながらソフィアは言った。
「すみません、私、美しいなんて初めて言われたので……」
魔剣の巫女として生きてきた彼女の見た目なんて、きっと周りは気にもしなかったのだろう。
喜びなどなかったと彼女が語ったこれまでの人生――その片鱗を見せられた俺は、胸が締め付けられるような気分になった。
「……ソフィアは、綺麗だよ」
俺の言葉なんかで良ければ、何度でも言ってやる。
「ひっ!? あ、あの!」
頬どころか、顔中が紅くなってきた。
「自信を持っていい。きっと世界中捜しても、ソフィアぐらいの美人はそうそう――」
「と、トウマ様っ! もう勘弁してくださいっ!」
わたわたと手を振り回し、ソフィアは叫んだ。
その時、牢の外が何やら騒がしくなっているのに気付く。
「……宴会が盛り上がってるのか?」
しかし、ソフィアは首を振った。
「いえ……怒声に混じって、斬り合いの音も聞こえます。きっと、戦闘が行われています」
「何だって!?」
最悪だ。
この状況で、山賊に攻め入る奴等なんて一つしかいない。
「憲兵隊が……このアジトを発見したのか!」
「どうします、トウマ様?」
眉をひそめるソフィアに、俺は感情を押し殺した声で返す。
「……俺達は、ここにいよう」
「しかし、それでは憲兵隊に……!」
俺は頷いた。
「確かに、このままだと確実に憲兵隊に発見されるだろう。でも、この状況なら、どうにか逃げられる可能性はある」
俺は牢屋の格子をこんこんと叩き、話を続けた。
「いいか。俺達はただの一般人。旅の途中で山賊に攫われ、この牢に繋がれているということにしよう。魔剣は隠せないが、大抵の人間は実物なんて見た事がないだろう。一目見て魔剣だと分かる奴なんていないはずだ」
「憲兵団に救われた旅人として、そのまま彼等をやり過ごす、と?」
俺は頷いた。
「憲兵団の全員が幻王に通じている訳じゃない。『裏切者』にさえ出会わなければ、無事に逃げおおせるはずだ。……あ、人買いと奴隷っていう設定はもう無しだぞ。人買いだと思われたら、それこそ縛り首コースだからな」
俺達が会話している間にも、聞こえる怒声や苦悶の叫びはどんどん増えている。
「……ついさっきまで、一緒に酒を呑んでたのにな」
山賊は、善悪で言えば間違いなく悪人だ。
こうなる事も承知の上で、悪事を重ねていただろう。
ただ、そんな割り切り方は、俺にはできなかった。
山賊の群れ。
作者として、何の感情もなく配置した、名も無きやられ役達。
しかし今、牢の向こうで彼等が命を奪われていっている事実は、俺の胸に重くのしかかっていた。
「……トウマ様」
俺の苦しみを察したのか、ソフィアがそっと寄り添ってくる。
「我々は、生き延びましょう。命を失っては、後悔さえできないのですから」
「……分かってる」
そうだ。どんな手段を使っても生き延びると、俺は誓った。
気のいい奴等の下品な顔が脳裏にちらつく。
俺が魔剣を振るえていれば、きっと彼等を殺していたのは俺だ。
罪悪感からの苦悩なんて、俺に抱く資格はない。
叫び声が止んだ。
きっと、山賊は全滅したのだろう。
俺は目を閉じると、手を合わせた。
それぐらいさせてくれ、と思いながら。
ふと、がちゃがちゃと鎧の軋む音が聞こえてくる。
目を開き、俺はソフィアと互いに頷き合った。
「こちらは、牢屋のようです」
兵士らしき男の声が聞こえる。
間を置かず、兵を連れた一人の男が牢の前に姿を見せた。
「……っ」
ソフィアの顔が、青ざめる。
きっと俺も、同様の顔色になっているだろう。
他の兵士と一線を画すその豪奢な装備で見当が付く。
「……お前達は、何者だ?」
こちらに問い掛けてきた男は間違いなく、ハーレスト王国憲兵隊の隊長にして幻王の手先――アインゼルだった。