0004.ヒロインは主人公を全肯定してくれる
よく冒険物のゲームや小説なんかで、『目的地はここから山を三つ越えたところだ』みたいな台詞が出てくるだろ。
何とも思わずに読み飛ばしてきたけど、よく考えてみたら、山を三つ越えるって……普通の人間にはかなり辛くないか?
「はあ、はあ……」
息も絶え絶えの俺を見て、ソフィアは苦笑した。
「この辺りで、休憩を取りましょうか」
俺は大の字になって土の上に寝転ぶ。
黒装束が泥で汚れるが、気にしてる余裕はない。それにしても冒険者の服装じゃないだろ、この衣装。
ようやく呼吸が落ち着いてきた俺に、席を外していたソフィアが革袋のような物を手渡した。
「近くの沢で、水を汲んできました」
手にすると確かに、たぷんと水の詰まった感触がする。
俺は口をつけると、一息にあらかた飲み干してしまった。
「あ……ご、ごめん! ソフィアが汲んできたのに、一人でほとんど……」
ソフィアはくすくすと笑うと、
「また汲んできますね」
そう言って、革袋を手に木々の中を進んでいった。
その後ろ姿が見えなくなったのを確認すると、俺はまた、地面に寝転んだ。
「……情けねえな、俺」
現代人として生きてきた俺には、山で生き延びるスキルなんて皆無だ。ソフィアがいなかったら、きっとこの山から出る事さえ不可能だろう。
勇者として魔剣フェルナンデスを振るい、襲い来る魔物を薙ぎ倒す――それができない俺が、ソフィアにしてやれる事なんて何もない。
あー、駄目だ。一人になると思考がどんどんネガティブになっていく。
そこに、再び水を汲んだソフィアが帰ってきた。
俺は座り直すと、岩場に腰を下ろした彼女に向かって問い掛ける。
「で、山を越えたところにあるのが……この国の城なんだっけ?」
ソフィアは首肯した。
「はい。私達が今いるハーレスト王国、その国王様が住まう居城がございます」
そこで一度、言葉を切ると、真剣な面持ちで再び口を開く。
「先月、ハーレスト王の枕元に、女神イシュタール様がお立ちになったそうです」
「……イシュタールが?」
俺が繰り返すと、ソフィアは頷いて話を続ける。
「近く、異世界より来たりし勇者が、魔剣の巫女を伴い、この地に訪れるであろう――そう神託を受けた国王様は、広く世界に向け、勇者を求められました」
俺は心の中で、「よし」と呟く。
やっぱり、俺の書いていたストーリーの通りだ。
「ハーレスト城に向かえば勇者様に出会えると信じ、私は旅を続けておりましたが……」
そこでソフィアは、こちらに満面の笑顔を向けた。
「こうして無事、トウマ様と出会えました! これも、女神様のご加護ですね!」
「そ、そうだな。じゃあ当面の目的地は、ハーレスト城って事か」
ソフィアの勢いに気後れしつつ、俺はそう言った。
「はい。勇者と認められれば、金銭や装備などの支援が期待できます。私もあまり蓄えがございませんので……旅を続けるには、やはり国王様に謁見し、トウマ様が勇者であると認められるのが最善かと」
「まあ、俺は蓄えどころか一文無しだし……資金援助は欲しいところだ」
俺の小説では、トウマは国王の前で魔剣を振るって見せ、勇者と認められた。
魔剣の使えない俺を、果たして勇者と認めてくれるか疑問だが……まあ、出たとこ勝負で行くしかない。
身支度を整えたソフィアは、
「では、そろそろ先に進みましょうか」
そう言って、笑顔を見せた。
正直、もっと休んでいたかったが――さすがに弱音を吐いてばかりはいられない。
しかも、ソフィアは魔剣まで抱えているのだ。
手ぶらの俺に、「もう少し休もう」なんて言う資格はない。
「うん、行こう」
疲れた身体に鞭打って、俺は立ち上がった。
山道を一日中歩き通して、俺達はどうにか行程の半分までやって来た。
「日が暮れてしまいましたね。これ以上は危険ですから、今夜はここで野宿しましょう」
言うや否や、ソフィアは地面に落ちている木の枝を集め始めた。
それぐらいなら、俺も手伝える。
正直、脚は既に棒のようだったが、この程度の手伝いはしないと、罪悪感でどうにかなりそうだった。
「お休みになっていて大丈夫ですよ、トウマ様」
ソフィアが優しく言ってくれるが、
「ソフィアには、ずっと世話になりっぱなしなんだ。……俺にも少しぐらい手伝わせてくれ」
その誘惑を跳ね除け、使えそうな枝を必死に探しては拾った。
拾った枝を積み重ねると、ソフィアは手をかざし、呪文のような言葉を口にした。
「――大地の精霊よ。我が求めに応じ、炎を生み出したまえ」
途端に、木々が熱を持ったかと思うと、ぱちぱちと音を立てて炎が燃え上がった。
「……魔法か。実際に目にすると、信じられないな」
「私は単純な魔法しか使えませんが……トウマ様の世界では、魔法は使用しないのですか?」
「俺のいた世界じゃ、魔法ってのは空想の中にしかない存在だよ」
ソフィアは、心底驚いたように目を見開いた。
「では、火を点けるだけでも大変なご苦労をされているのですね」
「あー、いや……その代わり、色々と便利な道具があるから」
ファンタジー世界に現代世界の知識や技術を持ち込んで無双するというのは定番だが、この世界でもそれは可能な気がする。
問題は、無双できる知識も技術も、俺にはないという事だ。
「では、いかなる道具にて火を起こしているのでしょう?」
「えーと……コンロってのがあって……何だろうあれ。まあ火打石を打つと、可燃性の気体がそこに流れ込んで火が点いてくれる、みたいな」
詳細を知らずに使ってきた人間の知識なんて、この程度だ。
正直、蛇口を捻ると水が出る仕組みすら俺はよく知らない。
しかしソフィアは目を輝かせて、俺の話を聞いている。
拙い現代世界の知識でも、彼女との会話の種になるなら、まあ上出来かもしれない。
ふとソフィアは、懐から包みを取り出して、封を開けた。
中には、干し肉が何枚か入っていた。
「どうぞ、召し上がってください」
俺は礼を言い、板のように固いそれに噛り付いた。
そう言えば、今日は朝から水しか飲んでない。
ビーフジャーキーよりなお嚙みちぎれない肉と奮闘していると、ソフィアは俺の手から肉を取り上げ、小さなナイフに突き刺した。
「火で焙った方が、美味しいですよ」
言われるままに、肉を焚き火に近付ける。
温まった肉は相変わらず硬かったが、俺は何とか嚙み砕き、咀嚼した。
「ありがとう。美味しかったよ」
ナイフを返し、俺は強がりを言った。
正直、全然足りない。
でも、これは本来、彼女が食べるべき物のはずだ。
何の役にも立たない俺に、貴重な食料を分けてくれたのだ。
欲を言ったら罰が当たる。
「もう一枚、いかがです?」
「いや、もう腹いっぱいだよ」
しかし、身体は正直だ。
俺の腹は、恥ずかしい事に大きな音を上げやがった。
顔を真っ赤に染める俺に、ソフィアは「ふふ」と微笑んだ。
「遠慮せず、どうぞ」
「……ごめん」
俺はナイフと、もう一枚の干し肉を受け取った。
食事を終えたソフィアは、また俺のいた世界の話を聞きたがった。
俺としても、まるで展望の見えないこれからの話をするより、そんなどうでもいい話題で気を紛らわしていたかった。
「魔力もなく、空を飛ぶのですか!?」
「そうだよ。飛行機って言ってさ、巨大な鉄の塊が人を何百人も乗せて雲の上を飛んでるんだ」
飛行機、コンビニ、冷蔵庫。
どれも専門的な知識なんてないから、上っ面の話しかできないが、それでも驚き、笑い、喜んでくれるソフィアを見ていると、俺も楽しくなってきた。
話題がテレビに移った時の事。
不意に、ソフィアが問い掛けてきた。
「トウマ様は、元の世界に戻りたいですか?」
俺は、言葉を詰まらせた。
「お話をうかがっていると、トウマ様のいらっしゃった世界は、このデルヴェニン・イラよりずっと恵まれていて、豊かな場所のように思います」
「まあ……そうかもな」
ソフィアは寂しそうな顔を、こちらに向ける。
「では――」
しかし、俺はソフィアが何か言う前に、口を開いた。
「俺さ。前の世界では、何も成し遂げられないまま……死んだんだ」
煌々と燃える火を何となしに眺めながら、俺は話し出した。
もしかしたら全部夢かもしれない――そんな思いもまだ心のどこかに残ってはいるが、やはりこの体験が夢とは到底思えなかった。
ということはつまり、元の世界での俺は何らかの理由で死んだのだろう。
「だから正直、女神に『お前は勇者だ』って言われた時、心が躍ったよ。これからが、俺の本当の人生なんだ、って」
こんな話を、すべきでない事は分かっていた。
ソフィアを困らせるだけだと、理解していた。
それでも、このまま吐き出さずにいると、頭がおかしくなってしまいそうだった。
「でも、参ったよな。幻王を倒す魔剣は、俺にしか使えない武器なのに……まさか、痛くて……痛くて、使え、ない、なんて……」
俺は、泣いていた。
悔しくて、情けなくて、涙が止まらなかった。
誰にも顧みられなかった小説。
その小説の主人公にまでなっても、まるで役立たずの俺。
お前には何もできやしない――そう、言われてるようだった。
その時、ソフィアが立ち上がり、俺に寄り添うように座った。
「そ、フィア……?」
ソフィアは何も言わず、俺の頭に手を添えると、そのまま膝の上に寝かせた。
視線の先には、こちらを見下ろすソフィアの優しげな顔がある。
「トウマ様。あの時、トウマ様がいなければ、私は確実にロックマイヤーに殺されていたでしょう」
「でも……俺は本当に、何もできなかった……」
「私を殺し、魔剣を奪ったロックマイヤーは、私の持つ万能の霊薬になど目もくれず立ち去ったでしょう。トウマ様がいたからこそ、私も、ロックマイヤーの妹さんも、助かったのですよ」
ソフィアは、慈愛に満ちた目で、俺を見つめた。
「貴方はもう、この世界で二人の人間を救っているのです。それも、魔剣の力を使わずに」
主人公を全肯定してくれるヒロイン。
それが、俺のイメージしたソフィアの設定だ。
だからきっと、これは作者である俺が言わせてるようなもの。
情けない自分を肯定して欲しいという、子供じみた欲望の発露に過ぎない。
でも――
「うっ……うわあああああああああ」
打ちひしがれた俺の心に、その優しい言葉は染み渡った。
俺はソフィアの膝の上で、子供のように泣き続けた。
「お眠りになったのですね」
膝の上で眠る青年が静かな寝息を立てたのを確認し、ソフィアはそっとその頭を地面に置いた。
「トウマ様」
その安らかな寝顔を見つめ、少女はふと、一人ごちる。
「……正直言って、私は幻王など、どうでもいいのですよ」
魔剣の巫女として、あってはならない発言。
しかしソフィアは、とても安らかな表情で誰にともなく言った。
「物心ついた頃から魔剣の巫女として育てられた私に、おおよそ喜びというものはありませんでした。でも――」
目を閉じ、眠り続けている青年の黒髪をそっと撫でる。
「貴方が……魔剣を引き抜ける貴方が来てくれて、私のこれまでの人生は救われたのです。この人生に意味はあったと、思えたのです」
ソフィアは、自分も休息を取るべく、地面に横になった。
「トウマ様。魔剣など、使えなくても構いません。貴方がいてくださるだけで、私は――」
それきり、少女の意識は深い眠りに沈んでいった。
しかし、その寝顔は、穏やかだった。
翌朝。
目覚めた俺は、まだ眠りについているソフィアの顔を覗き込んだ。
昨夜、実は俺は眠っていなかった。
硬い地面の上で寝るなど、慣れない俺には難しかった。
それでも寝たふりをしていたのは、これ以上ソフィアに甘えるのが情けなかったからだ。
魔剣の巫女、ソフィア。
魔剣フェルナンデスを守護し、勇者と共に闘う運命を定められた少女。
彼女については、設定ノートに10ページを超える量で事細かに書き込んである。
だが、彼女の過ごしてきた半生については、大して考えていなかった。
「…………」
俺は自分を殴ってやりたい気分だった。
生まれながらに魔剣を守護する宿命を押し付けられた少女が、その人生が、幸せに満ちたものであるはずがなかったのだ。
そんなの、ちょっと考えれば分かる事だ。
「う、ん……」
ソフィアは眠たげな声を上げると、目を擦りながら身体をねじる。
そして俺の顔を見るなり、慌てて飛び起きた。
「お、おはようございます! すみません、私……トウマ様より遅くまで寝ちゃうなんて……!」
わたわたと旅支度を始める彼女に、
「ソフィア。いいから、ちょっと座ってくれ。話したい事があるんだ」
俺はそう声をかけた。
きょとんとする少女に、俺は口を開く。
「……正直、俺が魔剣を扱えるようになるとは思えない。このまま旅を続けても、俺が役に立てるか分からない」
ソフィアの顔が、不安そうに翳った。
「そんな! 魔剣など使えなくても――」
「最後まで聞いてくれ。頼む」
彼女の叫びを押しとどめ、俺は再び口を開く。
「でも、俺は諦めない。勇者の使命なんてどうでもいい。俺はただ……ソフィア、君を守れるようになりたい」
そう。
何の力も持ってない、何の役にも立たない俺。
でも、自らの書いた世界に呼ばれ、この地に降り立ったのだ。ならば作者として、ヒロインぐらいは守らなきゃいけない。
「だから、二人で生き延びよう。どんな手段を使っても、どんな目に遭っても。魔剣が使えなくたってどうにかする。……カッコ悪いけどさ」
頬をかきながら言った俺の手を、ソフィアはがしりと両手で握った。
「はい! 生き延びていきましょう、一緒に!」
「ああ。生き延びよう、絶対」
チート能力もない。
頼みの魔剣も使えない。
ただ、俺には知識がある。
作者としての、この『小説』の知識が。
大筋のストーリー通りに進んでいれば、次に何が起こるかは大体分かる。
キャラクターを知っていれば、ロックマイヤーの時のように闘わずして生き残れる策を思い付くかもしれない。
あまりにもか細い糸だが、それに縋るしかない。
俺自身を、そしてこの少女を守る為に。
「よし、じゃあ出発しようか。とにかく、ハーレスト城まで辿り着かないとな!」
「ええ、すぐに準備を終わらせますね!」
「一人じゃ大変だろ。俺も手伝うよ」
「あ、ではこれをしまって頂けますか?」
俺達は協力して、旅の準備を開始した。
木製の食器を片付けながら、俺は考えを巡らせる。
本来の流れでは、ロックマイヤーを撃退した後、やはりハーレスト城を目指して山道を進んでいたはずだ。
ここまでは、大筋とあまりズレてないはず。
だとしたら、次のストーリーは――そう考えたところで、俺は「げっ」と声を漏らした。
と同時に、森の奥からガサガサと茂みをかき分ける音がする。
「……何者かが、こちらに近付いてきます」
緊張気味に、ソフィアは俺に囁いてくる。
俺は、その正体に見当が付いていた。
勇者の強さを引き立てるには、やっぱり雑魚との戦闘だろう――そう思って、ただ倒されるだけの引き立て役として登場させたのは……
「こんな朝っぱらから、なかなかの上玉を引き当てましたな」
「当ったり前よ。早起きは銅貨3枚の得って言うだろうが」
「へへ。若い男と美人の姉ちゃんか。それなりの値段が付きそうじゃねえか」
野卑な言葉遣いの男達が、森の奥から現れた。
俺は頭を抱えた。
いかにもテンプレ通りの山賊――それが、勇者トウマが次に闘う予定の敵だった。