0003.「代償を払わなければ振るえない強大な力」が好き
次の瞬間、俺は暗い森の中にいた。
ぼんやりと浮かぶ月だけが、唯一の灯り。聞こえるのは木々のざわめきのみだった。
「……夜の森って、こんなに暗いの?」
ストーリー上では、確かに夜の森で、追っ手から逃げるソフィアと出会う流れだった。
「昼間にしとけば良かった……」
伸ばした手の先さえ見えない程の闇に、俺は急に心細くなってきた。
突然、がさがさ、と茂みから音がする。
「ひぅんっ!」
情けない悲鳴を上げて飛び上がる俺の横を、何かの獣が走り去っていった。
その時、俺は気付いた。
もしも――もしもだ。
ソフィアと合流する前に、森に棲む大型の獣か魔物と出くわしたら――
「……あれ? 俺、詰むんじゃね?」
勇者トウマに、俺はチート能力の付与をしなかった。
とにかく剣一本で闘うストイックな主人公を書きたかった――というのは建前で、事実は何かこう、それらしい能力を思い付かなかったからだった。
つまり。
魔剣を持たない今の俺は、丸腰で夜の森にいる一般人に過ぎないって事だ。
「ソフィア……どこ……? 早く、早く来て……」
俺は、か細い声でまだ見ぬソフィアを呼んだ。
その時、遠くから誰かの足音が聞こえてきた。何かから逃げるように、足早に移動している。
ソフィア! いや、もしかしたら魔物という可能性も……
足音は、だんだんとこちらに近付いてくる。
俺は極度の緊張感の中、逃げ出したい気持ちを堪えてその場に立ち続けていた。
やがて、木々を抜けて俺の前に現れたのは――大きな剣を胸に抱えた、銀髪の少女だった。
安堵感から、俺はその場にへたり込んだ。
しかし少女は、俺の姿に険しい表情を見せる。
「……新手! くっ……!」
そうだ、安心している場合じゃない。ソフィアは俺を追っ手だと思い込んでいる。まずは、その誤解を解かなければ。
俺は立ち上がると、前髪を軽くかき上げながら彼女に声を掛けた。
「……お前が、魔剣の巫女か?」
少女はこちらを睨み付け、言い放った。
「この魔剣は世界を救う希望――貴方達に、この剣を渡す事はできません!」
俺は感慨深げに何度も頷いた。まさしく、俺の描いたストーリー通りだ。
だったら、そろそろ追っ手が追いついてくるはず――
そこに、新たな足音が聞こえてきた。
ソフィアの物とは全く違う、重く力強い足取り。
「ようやく見つけたぞ、魔剣の巫女」
現れたのは、身の丈程の大剣を片手で担いだ、筋骨隆々の大男だった。
「ロックマイヤー……!」
ソフィアがその名を呼ぶ。
やはり、と、俺は心の中でほくそ笑んだ。
ロックマイヤー。人間でありながら幻王に味方する歴戦の戦士。
ちなみに、こいつは後で勇者の仲間になる。
「命が惜しくば、その魔剣をこちらに渡せ。大人しく渡すなら、危害は加えん」
大剣の切っ先を向け、ロックマイヤーは静かに言った。
「……渡せません、この剣だけは!」
ソフィアの言葉に、ロックマイヤーは「ふう」と軽く息を吐くと、その巨大な得物を高々と振りかぶる。
「ならば仕方ない。女子供の命を奪うのは本意でないが……」
そのタイミングで、俺はソフィアをかばうように、彼女の前に進み出た。
「……何だ、小僧」
実際に目の前に立つと、威圧感が半端ないな、この男。
しかし、こうしてソフィアと合流できた以上、俺に恐れる物はない。
「こんな夜更けに女の子と鬼ごっことは、随分といい趣味してるな、おっさん」
俺の口から出た軽口に、ロックマイヤーもソフィアも、呆気に取られる。
「貴方は……ロックマイヤーの仲間ではないのですか?」
かけられた声に、俺は頷いた。
「ただの通りすがりさ。だけど……君の『捜し人』かもな」
「……!」
ああ、これだ。この最高にクールな台詞。
これがやりたかったんだ、俺は。
「さあ、その剣を俺に貸せ」
ソフィアは戸惑いつつも、希望の灯った瞳でこちらを見つめ返した。
「私は魔剣を守護する巫女、ソフィアと申します。貴方が本当に私の捜し求める勇者なら……その名を、お聞かせください」
少女の求めに応じ、俺はこの世界での名を口にする。
「女神イシュタールに導かれし勇者、トウマ」
「トウマ様……!」
このやり取りを、ロックマイヤーは邪魔するでもなくただ見守ってくれている。ありがたい事だ。
「ソフィア。いざ、その魔剣を!」
「はいっ!」
差し出された剣の柄を握る。
その瞬間、鍔に埋め込まれた宝玉が、燃えるように輝いた。
「魔剣が……天空神グレンがその身を変えたという魔剣フェルナンデスが……反応を!」
紅いきらめきを目にしたソフィアは、その身を驚愕と歓喜に震わせた。
今後も伝説の武器がいくつか登場するが、その名は全てエレキギターのメーカー名から取っている。
理由は――何か元ネタのある名前がカッコいいと思ったからだ。
ちなみに俺は、ギターどころか楽器全般に興味がない。
「まさか……まさか本当にその小僧が、伝説の勇者だと!?」
ロックマイヤーが信じられないといった声を上げる。
いいねいいね。初の見せ場だ、もっと驚いてくれ!
そう思いつつ、俺はゆっくりと剣を鞘から引き抜いていく。
「だが……魔剣フェルナンデスはその強大な力と引き換えに、振るう度に発狂する程の激痛を受けると聞く……その貧相な身体で、痛みに耐えられるはずがない!」
その言葉を聞いた瞬間、俺は剣を抜く手をぴたりと止めた。
……そういや、そんな設定だった。
最初しか使わなかったから、すっかり忘れてた。
魔剣フェルナンデスは、その使用に際し『代償』を求める。
全身を苛む激痛に打ち克てし勇者のみが、その剣を自在に操れるのだ――
強大な力には相応の代償が必要だろうと思い、考えた設定た。
しかし勇者トウマは、類稀なる精神力によってその痛みを無効化し、当たり前のように魔剣を振るっていた。
俺は? 俺、そんな精神力なんて持ってないぞ?
固まったまま動かない俺に、ソフィアの叫びが飛んできた。
「勇者様なら――トウマ様なら、きっと魔剣は応えてくださいます! 恐れることなどございません!」
この可憐な美少女にここまで言われて、「やっぱ怖いからやめとく」なんて言える男が存在するだろうか?
少なくとも、俺は言えない。
そうだ。注射だって「ちょっと痛いですよ~」なんて言われるけど、実際にはそんなに痛くないだろう。それと同じだ、きっと。
頼むぞ魔剣。お前の力が無くちゃ俺はただの一般人だ。
空気読めよ、空気を――
俺は魔剣の柄を握り直すと、一息に引き抜いた。
抜き身の剣は驚く程に軽く、吸い付くように俺の手に馴染んだ。
――いける!
確信した俺は、剣の切っ先を振り上げて叫んだ。
「いくぞ、ロックマイヤあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!」
忖度のない激痛が、俺の全身を襲った。
「い゛だい゛い゛だい゛い゛だあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛っっっっ!!!!!!!!!」
例えるなら、身体中の肉を小さなドリルで抉られるような、そんな痛み。これを耐えるなんて、一瞬でも不可能だった。
涙と鼻水と涎をまき散らしながらのたうち回る俺を、ソフィアもロックマイヤーもぽかんと見つめていた。
だが、ソフィアは、はっと気付くと、
「トウマ様! 剣を! 剣をお捨てください! 魔剣から手を離せば、痛みは収まるはずです!」
ソフィアの声に、俺は必死になって手を開こうとした。
しかし、痛みに痙攣した身体はまるで言う事を聞かない。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛だずげでだずげでだずげでえ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛!!!!!!!」
俺の情けない叫び声に、ロックマイヤーは「はぁ」と溜息を吐くと、
「――ふん!」
俺の身体をがっしと掴み、そのまま魔剣を手から引きはがし、地面に放り投げた。
その瞬間、嘘のように痛みが消えた。
「ひっ……ひっ……ふぅ……」
あまりの恐怖に、思わずラマーズ法で呼吸してしまう。
ソフィアは地面に転がった魔剣を鞘に納めると、俺に駆け寄ってきた。
「トウマ様、大丈夫ですか!? お怪我は!?」
「あ、ああ……大丈夫」
あれだけの痛みは、魔剣を手離した途端にぱったりと消えてしまった。身体や衣服にも傷一つない。どうやら、使用者の精神に痛みを感じさせているだけのようだ。
「良かった……!」
ソフィアは安堵に表情を緩めると、いきなり俺に抱き着いてきた。
「もしトウマ様が死んでしまったら、私……私……!」
涙ながらに、俺の身体を強く抱き締める。その想いは本当に嬉しいのだが……硬い魔剣が身体に喰い込んできて、ちょっと痛い。
「もう……もう大丈夫だから。痛みも全然、無くなったから」
瞳を潤ませるソフィアにそう言葉をかけ、俺は彼女の手を取って立ち上がる。
ロックマイヤーが、気まずそうにこちらを見つめていた。
「あー……その、だな……」
俺は口元をひきつらせた。
本来、このシーンでは、魔剣を引き抜いた俺がロックマイヤーを軽く蹴散らすはずだった。
しかし俺が魔剣を使えないとなると、この後どうなるんだ……?
拭ったはずの涙が、再びじわりと目から滲み出してきた。
「魔剣を引き抜く資格ある者と言えど、その痛みに耐え得るかはまた別、か……」
ロックマイヤーはそう一人ごち、空を見上げた。
「……しかし、ならば好都合。その魔剣、渡してもらおうか」
大剣を片手で担ぎ上げ、殺気のこもった眼差しを向ける。
……だよね。やっぱり、そうなるよね。
「我が主が欲するはその魔剣のみ。貴様等の命ではない」
ロックマイヤーはじりじりとこちらに詰め寄りつつ、あくまで静かに言葉を発した。
「もう一度言う。大人しく渡すなら、お前達に危害は加えん」
設定上、ロックマイヤーは厳格で嘘を吐かない男だ。危害を加えないと言っている以上、魔剣を渡せば大人しく去るだろう。
加えて、魔剣は今の俺には扱えない。持っていても荷物なだけだ。
いっそ、ここで渡してしまえば――そんな考えが頭をよぎる。
ソフィアも悩んでいるようだった。
その苦悶の表情に、俺は胸が締め付けられる思いだった。
魔剣の巫女としてずっと剣を守り続け、ようやく出会えた勇者が――その剣を使えるただ一人の存在が、痛みに耐えかねて魔剣を放り出すような体たらく。
彼女の絶望は、いかばかりのものだろう。
「さあ、返答は」
ロックマイヤーの声に、ソフィアは唇を噛み締めながら頷いた。
「……分かりました」
手にした魔剣を、すっ、とロックマイヤーに向けて差し出す。
恥ずかしながら、俺は心の底から安堵した。
これでいい。どうせ、俺には使えないんだ。
魔剣さえ失えば、ソフィアも巫女としての責務から解放される。
俺も、ただの一般人としてこの世界でどうにか生きていけばいい。
そう、二人でどこかに腰を落ち着けて、仲良く暮らしていこう。
幻王の脅威? 知った事か。
世界の平和? 誰か、他の人間が成し遂げてくれるさ、きっと。
「……聡明な判断、感謝する」
差し出された魔剣の柄を、ロックマイヤーはがしりと掴んだ。
その時、俺は――気付くと、彼の腕を力いっぱい握り締めていた。
「……何のつもりだ?」
ロックマイヤーが、ぎろりとこちらを睨み付ける。
「あ、あの……ええと……その……」
俺は必死に言葉を探した。
「俺を疑っているなら、安心しろ。魔剣さえ渡せば、絶対にお前達を傷付けはしない」
ロックマイヤーの声に、俺は首を振った。
そんなの知ってる。ロックマイヤーは卑劣な男じゃない。
誰よりも、俺はお前を知っている。
だって、俺が考えたキャラクターなのだから。
「……駄目なんだ」
俺は、ぼそりと呟いた。
「その剣を渡しちゃ、駄目なんだ」
理由は分からないけど、俺は確かに、この世界に『主人公』として転生した。
チート能力もない、魔剣も使えない。一般人未満の勇者として。
――でも。
俺は主人公であり、そしてこの物語の『作者』なんだ。
ここで魔剣を捨て、世界を見捨てて、世界の片隅でひっそりと生きる――そんなストーリーを、俺は読みたいと思わない。書きたいと思わない。
「その手を離せ、小僧」
ドスの効いた低い声に、背筋が震え上がる。
俺は考えた。
どうにかこの場を切り抜けられる手段はないか。魔剣も命も奪われない、そんな都合のいい選択肢は――
その時、閃いた。
「小僧、楯突くというのなら――」
「……取引、しないか?」
ロックマイヤーの言葉を遮って、俺は声を上げた。
そしてソフィアに向かって叫ぶ。
「ソフィア! 万能の霊薬を出すんだ! 持ってるんだろ!?」
「え? は、はい! ありますけど、あれはとても高価な物で……」
「いいんだよ! どうせ使わないんだから!」
俺の剣幕に、ソフィアはあたふたと懐に手を差し入れ、紫色の液体が入った小さな瓶を取り出した。
万能の霊薬。いかなる状態異常も治癒するという、激レアの快復アイテム。
ロックマイヤーが仲間になるというストーリーは決めたものの、仲間になるきっかけが思い付かなかった俺は急遽、彼の妹が不治の病に犯され、そのせいで魔王に協力しているという設定を考えた。
そして更に、都合良く特効薬をソフィアが持っていたという展開にして乗り切ったのだ。
「……ソフィアが持ってるのは、あらゆる病を癒す万能の霊薬だ。これがあれば、あんたの妹の病も治る」
ロックマイヤーは、驚愕に目を見開いた。
「何故……何故その事を……!」
ソフィアも、こちらに疑問の言葉を投げかける。
「どうして、私が万能の霊薬を持っている事をご存知なのですか……?」
まあ、腑に落ちないよね、普通。
しかし、命と魔剣がかかってるんだ。なりふり構ってる場合じゃない。
俺はできるだけ重々しい声色で、二人に向かって言った。
「……女神イシュタールから、教わった」
さすがに『この世界の作者だから』なんて言う訳にはいかない。
苦し紛れのでまかせだったが、女神の名前は絶大な効果をもたらしてくれたようだった。
「女神さまが……! 分かりました。ロックマイヤー。私達と魔剣を見逃して頂けるのであれば、この霊薬、差し上げましょう」
ソフィアは、ロックマイヤーへと霊薬を向けた。
しかし、ロックマイヤーはその霊薬をじっと見つつ、俺に声をかける。
「……俺がここでお前達を殺し、魔剣も薬も奪うと言ったら?」
俺は肩をすくめた。
「あんたは、そんな奴じゃない」
そう、そんな事をする人間じゃないって、俺は誰よりもよく知ってるんだ。
ロックマイヤーは「ふ」と短く声を漏らすと、剣の柄から手を離し、ソフィアの持つ霊薬をつまみ上げた。
「……これがあれば、本当に妹は助かるのか?」
「ああ。絶対に助かる。俺を信じろ……って言っても無理か。でも、信じた方がいい」
ロックマイヤーの腕から手を離し、俺は笑った。
彼もまた、微かに口元を緩め、俺達に背を向ける。
「……お前の言葉が真実か、確かめなければならんな。だが、もしも妹の病が治らなかったら、次は容赦しない」
「ああ。その時は俺を、なますに刻んでも構わないぜ」
「……また会おう」
大剣を携えた剣士は、それきり宵闇の中へと消えていった。
「……助かったぁ」
緊張の糸が切れた俺は、へなへなと地面に座り込む。
そんな俺に、ソフィアが声をかけた。
「……トウマ様」
俺は震え上がった。
生き延びた安堵感で忘れていたが、むしろこっちの方が大問題だ。
伝説の勇者が、魔剣も扱えないろくでなし――ヤバい。彼女に愛想をつかされたら、俺はどうやって生きていけばいいんだ。
どうにか、一緒に旅をさせてもらえるように説得しないと……
「あ、あのですね、ソフィアさん……」
思わず敬語になる。
しかし、ソフィアは地面に腰を下ろすと、
「ありがとうございます……!」
俺に向かって、お礼の言葉を発した。それも、目に涙まで浮かべて。
「い、いや……俺は何にもしてないから」
そうだ。霊薬はソフィアの所持品。
何もしてないどころか、俺はむしろ、彼女の私物で勝手にロックマイヤーと取引を始めた責められるべき人間だ。
だが、ソフィアはかぶりを振った。
「勇者トウマ様。どうか私と共に来てくださいませんか? 幻王を討ち果たし、世界に光をもたらす為に」
「……いいの? 俺、魔剣も使えないヘタレだけど」
ソフィアは、首を縦に振った。
なら、俺としても願ったり叶ったりだ。
頼る者もいないまま、この世界に放り出されるなら、ソフィアと一緒にいた方がずっと安心だ。
俺達は立ち上がると、互いに手を握り合った。
「これからよろしくな、ソフィア」
「はい! よろしくお願いします、トウマ様」
思ってた流れとは随分変わってしまったが、とりあえずソフィアと仲間になれたから、まあいいだろう。
行く先に不安を感じつつも、俺はひとまず、この少女が共にいてくれる事に、深く感謝した。