0024.自分で書いた設定を忘れて矛盾が生じているのに気付かない
「はあ……」
樽を載せた荷車を引きながら、俺は改めて嘆息した。
「ごめんな。絶対に二人で生き延びるって約束したのに、こんなことになって」
これまで何度も危機はあったが、今回はレベルが違う。
ドラゴンを『討伐』しなければならないのだ。
口八丁や逃げは使えない。
しかし、ソフィアは笑って答えた。
「トウマ様なら、きっとあの女の子を見捨てはしないと思いましたから」
彼女は、純白のヴェールを被っている。
生贄の身代わり、という訳だ。
「まあ、あんな小さい子を見殺しにはできないよ」
「それでこそ勇者です。それにあの樽、何か策をお持ちなのでしょう?」
自信なさげに、俺は一応首肯した。
「俺のいた世界にも、ドラゴンみたいなものを倒す話があってさ。まあ、遠い昔の話だし、創作だと思うけど」
「酒でドラゴンを倒すのですか? ドラゴンは、酒が弱点とか?」
はて、と不思議がるソフィアに、俺は苦笑する。
「酒を呑ませて、酔い潰れたところを倒すんだ。もし上手く行けば、戦闘にならずにドラゴンを倒せる」
「なるほど! さすがトウマ様!」
「いや、あくまで上手く行けばの話で……」
そんな話をしているうちに、俺達はドラゴンが根城にしているという洞窟の入口に辿り着いた。
「さあ、いよいよだ」
身体の震えを必死に押し留め、俺は唇を引き締めた。
俺の稚拙な策が功を奏すかは分からない。
しかし、やるしかない。
隣ではソフィアも、険しい表情で洞窟の奥を睨んでいる。
「……ソフィア」
俺は、頭の少し上の位置に開いた右手を掲げた。
「それは、何かのまじないですか?」
「そんな感じ。気合を入れる為のね。互いの手を、打ち合わせるんだ」
ソフィアも同じように右手を上げ、俺達は互いの手のひらをぱちんと叩き合わせた。
「確かに、少し気持ちが楽になった気がします」
ソフィアの顔から、わずかに緊張が消えたように見える。
俺は、再び洞窟に向き直って言った。
「絶対に、今回も二人で生き残るぞ」
「ええ。必ず」
そして、俺達は洞窟の奥を目指し、その中に足を踏み入れた。
『我は酒なぞ呑まぬ。持って帰れ』
ドラゴンの言葉に、俺は膝から崩れ落ちた。
「終わった……」
「と、トウマ様! お気を確かにっ!」
ソフィアが必死に俺の身体を抱え、立ち上がらせる。
『生贄を置いて、さっさと立ち去るが良い。素直に去るなら、その命、奪いはせん』
地の底から響くような重低音の声。
聞いているだけで、恐怖が込み上げてくる。
「ごめん。ありがとう、ソフィア」
俺はソフィアから離れると、ドラゴンを真正面から見つめた。
策が失敗に終わったなら、取るべき道は一つ。
「……あのぉ、生贄はどうしても必要なんですかね? 出来れば、もう少し他の物で代用させて頂けるとこちらもありがたいんですが」
そう、説得だ。
正面切っての戦闘では、恐らくこちらに勝ち目はない。
ならば、なるべく相手を刺激しない言葉を選びつつ会話を続け、最終的にはオークスの村から手を引いてもらうように話をつける。
幸い、ドラゴンも今のところこちらに手を出す素振りは見せていない。
俺は決死の覚悟で、ドラゴンと対話を試みた。
「そもそも、人間の娘を何に使用するおつもりです?」
『お前に話す必要はない』
取り付く島もないといった返答。
が、諦める訳にはいかない。
「もしかして食べるんですか? でしたら人間より、豚とか牛の方が美味しいと思いますが……」
『黙れっ!』
苛立ちと共に、ドラゴンは咆哮を吐いた。
鼓膜が潰れそうな程の音圧に、俺達は耳を抑えてうずくまる。
『ぐだぐだとつまらんことを喋るな。立ち去らないなら、殺してやろうか』
「いっ……!」
ヤバい。怒らせてしまったようだ。
このままじゃ説得どころか、ここで二人とも殺されてしまう。
どうする、どうする――
慌てる俺の裾を、ソフィアが、つい、と引っ張った。
「あの、トウマ様」
「な、何?」
するとソフィアは、俺の耳元で囁いた。
「これだけ会話ができるのであれば、四天玉が通じるのでは……?」
確かに、人間の言語を介する知能を持っているようだ。
キマイラの時のようにはならないだろう。
「でも、相手はドラゴンだぞ。通用するのかな……」
「可能性があるなら、やってみるだけやってみてはいかがですか?」
「……そうだな」
『何をごちゃごちゃ話している!』
再び、ドラゴンは唸りを上げた。
俺は震えながら、懐に手を差し入れる。
「あ、あのぅ……」
『どうした。いまだ去らぬのなら、その身体、引きちぎってくれるぞ』
「ちょっと、これをご覧頂ければ……」
緑に光る宝玉を、ドラゴンに向けて掲げる。
『何だそれは。そんなもの――』
そこで、ドラゴンの言葉が止まった。
効いた? 効いたの?
その瞬間。
「ひえええええええっ!」
甲高い悲鳴と共に、ドラゴンはみるみるうちに小さくなり、
「い、命ばかりはお許しをっ! まさか、まさかオグマ様にその力を認められたお方とはぁっ!」
そこには、こちらに向かって土下座しながら命乞いする、赤ん坊ぐらいのサイズの魔物がいた。
「え? えっ?」
事態が吞み込めず、俺は困惑しながらソフィアを見る。
「この魔物……インプですね」
ソフィアの呟きに、俺は首を傾げた。
「え? じゃあこいつ、ドラゴンじゃないの?」
赤黒い肌と蝙蝠のような翼、そして小さな角。とてもドラゴンとは似ても似つかない。
おかしい。
ストーリー上では、ここでトウマが倒したのは本物のドラゴンだったはずだ。
どうして、それが偽物にすり替わってるんだ?
「なあ、お前」
「は、はひぃっ!」
俺が声をかけると、インプは弾かれたように顔を上げた。
「お前、本当にドラゴンじゃないのか? それとも、前は本物のドラゴンがここに棲んでたとか……」
すると、インプは肩をすくめて答えた。
「嫌ですよ旦那。ドラゴンなんて、本当にいるはずがないじゃないですか。あんなの、人間が考えた想像上の生物ですよ」
「何だって……?」
その発言に困惑しつつ、何故か俺は、心に引っかかるものを感じた。
どこかで聞き覚えがあるような。いや、でもこの世界に来てから、ドラゴンの話なんてしてないし……
「ああっ!」
俺の奇声に、ソフィアもインプもびっくりしてこちらに視線を向ける。
思い出した。
あれは、確か俺の小説が90話ぐらいまで来たところだ。
――ドラゴンなど、現実には存在しない。あんなもの、人間の想像が生み出した幻想に過ぎぬ。
そんな台詞を書いた。書いてた。
序盤でドラゴン退治の話を書いておきながら、普通にそんなことを言わせてた。
「あちゃあ……」
恥ずかしさに顔が火照る。
いや、どうせほとんど誰も読んでない小説だけど、それでもこれは恥ずかしい。
「トウマ様、どうされたのですか?」
ソフィアが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「いや、ごめん。ちょっと考え事をしてて」
そうだ。俺の小説のことはもうどうでもいい。
それより、この魔物の処遇をどうするかだが。
「あのさ、お前。どうしてドラゴンの振りをしてたんだ? 幻王軍の誰かの指示か?」
インプは、ぶんぶんと頭を振った。
「いえいえ、とんでもない! 私は、いわゆる脱走兵ですんで!」
「脱走兵?」
卑屈に笑いつつ、インプは言う。
「ひひ。恥ずかしながら私は、昔から戦闘が苦手でして。幻王様の軍を逃げ出して、どこかでひっそりと暮らそうと思い、ここに流れ着いたんですよ」
「……それが、どうしてドラゴンに化けて村人を脅かしたんだ」
俺が聞くと、
「ここにドラゴンが出るという噂が広まれば、人間が近寄らなくなって、静かに暮らせるかなと思いまして……この洞窟、いい具合に瘴気が溜まっていて、とても心地いいんですよ」
へこへこと頭を上げ下げしながら、そんなことを言う。
「インプは変身魔法に長けた種族ですが、その他の能力は軒並み低いと聞いたことがあります。それに変身も、ただ姿を変化させるだけで、実際の能力は元のままだとか」
ソフィアの言葉に、インプは同意した。
「ええ、その通りでございます。私はただ、ここで独り静かに暮らしたいだけで……」
殊勝に聞こえる言葉だが、俺は眉間に皺を寄せた。
「だったら、どうして生贄をよこせなんて言ったんだ」
怯えるインプ。俺は魔剣の柄に手をかけ、
「村人に危害を及ぼすなら、放置はできない」
そう、凄んだ。
「ちちちち違います! 危害を及ぼすなんてとんでもない! 生贄の娘にも、一切何も手を出すつもりはございません!」
「……どういうことです?」
首を傾げるソフィアに、インプはおずおずと口を開いた。
「生贄は、この洞窟に人間が近付かないことを条件に、開放するつもりでした。そうしたら、ここにはもう誰も近寄らなくなるでしょう?」
「……本当か?」
「はい! それはもう、スレイプニル様に誓って!」
「でも、お前がそんなことを言ったせいで、騎士団まで討伐に乗り出したじゃないか」
インプは青ざめながら声を上げた。
「あれは胆が冷えましたなあ。岩に化けて、どうにかやり過ごしましたが」
なるほど。そりゃ、ドラゴンが見つからない訳だ。
俺は嘆息しながら、改めてインプに問うた。
「じゃあつまり、お前は人間に危害を加えるつもりも、生贄も必要ない。ただ、誰にも邪魔されずにここに住めればそれでいい、と。そういうことか?」
「ええ。さすがオグマ様のお認めになられたお方。ご理解が早い」
「見え見えのゴマすりはいいから。……ソフィア、どう思う?」
作り笑顔で手を揉むインプから視線を外し、俺はソフィアに訊ねた。
「インプは、元々そこまで危険な魔物ではありません。能力が能力なので、人を驚かせる程度しかできませんから」
「じゃあ、別にここで退治しなくてもいいかな?」
俺の言葉に、インプは目を輝かせた。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「ああもう! 抱き着いてくるな、うっとうしい!」
インプを引きはがそうとする俺に、「でも」とソフィアが声を上げた。
「村の方々が、納得してくださるでしょうか……」
ソフィアの言葉は、確かにその通りだった。
危害を加えるつもりはなかったと本人は言っているが、ドラゴンに化け、生贄を差し出せと村を脅したのは事実だ。
「……俺が村人だったら、きっとお前をボコボコにするだろうな」
「ひいいいっ!」
インプは震え上がった。
「素直に謝ったところで、受け入れてはもらえないか」
俺はやれやれと頭を振った。
「で、では……」
そこに、インプが恐る恐る声を上げる。
「手土産なぞあれば、いかがでしょう?」
「手土産? そんな価値のあるものなんて、お前、持ってるの?」
すると、インプは「いっひっひ」と笑った。
「ちょうど、酒をお持ち頂きましたから。お見せ致しましょう」
その声と共に、インプは酒樽に跳び付いてその蓋を開けた。
「ははあ、これはいかにもな安酒ですなあ」
そして、その中に両手を突っ込んだ。
「おい、お前! 何やって――」
その時、酒樽から金色の光が溢れ出した。
と同時に、アルコールの臭いしかしなかった大量の酒が、やけに芳しい香りを放ち始めた。
ちゃぽん、と酒から手を抜き、インプが言う。
「私、昔からこの魔法だけは得意だったんです」
俺とソフィアは、こわごわ酒樽を覗き込む。
中に入っていたはずの無色透明の酒は、今や琥珀色に姿を変えていた。
「もしかして、物質変化の魔法ですか?」
ソフィアの言葉に、インプは胸を張って答えた。
「ええ、その通りでございます。ちょっと、味見してみてください」
「変な物に変わってないだろうな……」
ちょん、と指先を酒に付け、舌先で舐めてみる。
「……!」
「どうです、お口に合いますかな?」
驚いたように、ソフィアが叫んだ。
「口に合うどころか、このお酒……凄く美味しくなってますよ!?」
確かに、蜂蜜のように甘いのに、鼻に抜ける香りは清々しい。
度数の高いだけの安酒が、最高級の美酒に生まれ変わっている。
「この酒をお持ちすれば、村の人間も許してくれませんかね?」
「そうだな、確かにあの安酒をこんな高級酒に変えられるなら、村人達も許してくれるかもな。ただ――」
「ただ?」
インプは目を丸くした。
ソフィアが、いたたまれないといった表情で言う。
「これほどの能力を持っていると分かれば、村の皆様はきっと、貴方を放ってはおかないでしょうね……」
「ええっ! そんなぁ!」
「そりゃそうだろ。これだけの味を生み出せるお前を、みすみす放置なんてしないさ。許してもらう代わりに、村で毎日働かされる羽目になるだろうな」
「私はっ! この洞窟で独り静かに過ごしたいんですよぉ!」
「そんなことを言われてもな……」
素直に謝れば、村人達がただじゃなおかないだろう。
と言って、この酒を詫びに持って行ったら、重宝されてこの洞窟にはいられない。
さっきから見ていると、ちょっと間抜けそうだが悪い奴ではなさそうだ。
人間に危害を加えるつもりがないのなら、どうにか望みを叶えてやりたいが……
謝るのが駄目なら、もっと違う方向性でのアプローチをすれば――
「そうだ!」
俺は、ぱちんと手を打った。
「何か、名案を思い付かれたので?」
ソフィアの声に、俺は頷いた。
「なあ。お前、もう一度ドラゴンに化けられるか? それも、俺が言う通りに」
「へ? は、はあ。言って頂ければ、その通りの姿になりますが……」