0002.序盤から世界観設定の解説を冗長に垂れ流す
気付くと、俺は見知らぬ神殿のようなところに立っていた。
いや、違う。見覚えはある。でも、こんないかにもファンタジーな場所に行った事なんてない。何かのアニメかゲームのワンシーンだったか――
そう考えていると、視界をまばゆい光が覆いつくした。
「――よくぞ来てくださいました。救世の勇者よ」
やけに神々しい声が、部屋の中に響く。
そして光の中心から現れたのは、煌びやかな衣装を身にまとった、麗しい美女だった。
「私の名は、女神イシュタール。この世界――デルヴェニン・イラを救う為、死せる貴方の魂を呼び寄せたのです」
「……はぁ?」
俺は顔をしかめた。自分の身に起きている事が理解できなかった――からではない。
女神が口にしたその名。女神自身も、世界も、俺が100万字を書いていた小説の設定そのままだったからだ。
「何の冗談だよ、これ。酔い潰れて見てる夢か?」
しかし、イシュタールと名乗った女神は、微笑んで首を振った。
「信じられないのも無理はありません。けれども、これは現実なのです。あちらをご覧なさい」
女神の指差した先には、大きな鏡があった。
そしてその鏡に写っていたのは、どこか死神を思わせる黒装束、片目を隠す黒髪、物憂げながら中性的な線の細さを感じさせる顔立ち。
紛れもなく、俺のイメージしていた通りの主人公が、そこにいた。
「勇者トウマ。それが、貴方の新しい名前です」
主人公の名前も、俺の小説そのままだった。
ちなみに、俺の本名と一字違いだ。
「……確かに、夢にしてはやたらリアルだな」
言いながら、俺は身体のあちこちに手を当てた。間違いなく、今の俺は勇者トウマのようだ。
しかし、もしこれが俺の書いた筋書き通りなら――イシュタールが言ったように、主人公は現実の世界で死に、魂だけでこの世界に来たということになる。
「まさか、本当に……俺は死んで、転生したのか?」
それも、俺が自分で書いていた小説の世界に。
「ですから、先程からそう言っております」
いまだ信じられない俺に、イシュタールは言葉をかけた。
俺の小説について、話しておかなければならないだろう。
俺が書いていたのは、いわゆる『転生もの』だった。
さえない男が不慮の事故で死に、ファンタジー世界の勇者トウマに生まれ変わる。
そして、魔剣を守る巫女ソフィアと出会い、共に魔王を倒す旅に出る物語。
魔剣を振るい、強大な敵を薙ぎ倒し、冒険は進んでいく。
新たな仲間との出会いがあり、主人公を慕うソフィアとのラブロマンスがあり――
……駄目だ。こうして語っていると、何だか凄く陳腐なストーリーに思えてきた。
いや、実際に陳腐だったから、誰にも読まれなかったのだろうが。
「命を賭けた危険な旅になりましょう。それでもこの役目、引き受けてくださいますか?」
イシュタールの言葉に、俺は唇を噛み締めた。
どうしてこんな事になったのかは分からない。
あるいは、やっぱりこれは現実逃避したい俺の脳が生み出した、ただの夢なのかもしれない。
でも。
誰にも読まれなかった、ただ虚無の中で日々投稿していたあの小説は、無駄じゃなかった。こうして俺は今、この小説の世界に生まれ変わったのだから。
勇者として、この世界で活躍する機会を与えられたのだから。
女神に向かって、俺は力強く叫んだ。
かつて小説の中で俺が主人公に言わせた、その台詞を。
「いいだろう。その役目、この俺が引き受けよう」
言いながら、俺は涙ぐんだ。
そうだ、俺の人生はここから始まるんだ。
勇者になって、この世界で無双して、人々から喝采と称賛を受ける。そして最愛のヒロインと結ばれ、魔王を倒し、幸せに暮らすんだ。
俺の返答に、女神はその表情を綻ばせた。
「感謝します、勇者よ。ではそなたに、デルヴェニン・イラについての知識を授けましょう」
「あ、いや……俺、知ってるんで。その辺は省略してもらえれば……」
というか全部、俺が考えた設定だ。作者だからな。
しかし女神は俺の発言を無視し、長台詞を喋り始める。
「気が遠くなる程に昔の事です。天空神グレン、大地神デーメテール、海洋神スレイプニルの三柱は、自らが創り出したこの世界を更に繁栄させるべく、原初の生命を生み出しました。そして神々は世界の発展を生物達に託し、永い永い眠りについたのです。生命は長い時間をかけて繁栄し、やがて多様な進化を遂げていきました。そしてその中に、人類と呼ばれる生物がおりました」
創世神話から始まる、世界設定の説明。
実に壮大だ。しかし正直……聞いていると眠くなる。
設定を全部知ってる俺でさえこうなのだから、初見の読者が文字でこれを追えるだろうか――うん。全部読み飛ばすよな、絶対。
そう言えば、世界観の説明だけで一万字ぐらい書いてた気がする。
俺は頭が痛くなってきた。
「――そして発展を続けた人類は、遂に陸の覇者となりました。しかし人類はそれに飽き足りず、海洋への進出を試みます。その頃、永き眠りから神々が目覚めました。目覚めた神々は人類の爆発的な人口増加とその発展に驚き、その支配欲に危惧を抱きました。海洋神は人類の危険性を他の二柱に説き、人類を滅ぼすべきだと提言します。けれど、大地神デーメテールは『愛すべき大地の子』である人間を滅ぼすべきではないという立場を取りました。海洋神は天空神を説得し、人類を滅ぼすべく戦争を仕掛けます。これが世に言う『大戦』の始まりでした」
女神は息継ぎもせず、この長文をベラベラと喋っている。
ラッパーにでも転向した方がいいんじゃないか、イシュタール。
俺は、どこかにSKIPボタンが無いか探し始めた。
だが当然、そんなものはどこにも見つからなかった。
「長きに渡る戦いにより双方は疲弊し、また海洋神によって陸地の七割が水没させられました。世界中の生物が大量に死滅し、当時の人類も文明を失う事となります。もはや人類にこの先の繁栄無しと判断した天空神グレンは、これをもって大戦を終結すべきとデーメテールとスレイプニルに提案しました。二柱はこの提案を呑み、戦争は終わりを告げました。そして、長い戦いによってその力のほとんどを失っていた神々は、再び眠りについたのです。また神々が目覚めたのは、今から三百年前の事でした」
うん。何か寝たり起きたりばっかりだな、この神々。
多分、誰もこんな長台詞を読んでないと思うから、かいつまんで説明する。話が終わるまで暇だし。
要するに、神様同士が喧嘩した。喧嘩の理由は、人類を滅ぼすべきか否か。以上。
「……40文字足らずで説明できたじゃねぇか」
必死になって考えた世界観設定。
そのあまりの薄っぺらさに、俺は何故か涙が出てきた。
それから10分程かけて、ようやく話は倒すべき『幻王』、そしてそれを滅ぼせる『魔剣』の説明に差し掛かった。
「――世界をこれ以上破壊すべきでないと考えた天空神は、海洋神と再び手を組む事はありませんでした。海洋神は怒り、自らに残された力を使い、己の姿を邪なる者へと変化させました。これこそが『幻王』フギン・ムニン・ハールバルズ。貴方の打ち倒すべき敵なのです。ハールバルズは数多の眷属を従え、少しずつその力を強めております。このままではいずれ、世界は幻王の手に堕ちる――そう考えた天空神グレンは、その残された力により、自らを『魔剣』とし、選ばれし者がその力を手にする日を待つ事としたのです。そして大地神デーメテールは、やはり残された力を使い――」
長い。長過ぎる。
こっちは早く冒険を始めて無双したいんだ。
お願いだから、さっさと話を終わらせてくれ。
そう願うも、イシュタールは俺が小説に書いた通りの説明をきちんと続けている。スキップもできない以上、話を全て聞くまでは終わらないだろう。
それから更に30分が経った頃、
「――説明は以上です。ご理解頂けましたか?」
ようやく話が終わり、俺は深く息を吐いた。
結局一時間近く喋り続けてたぞ、この女神。どんな肺してんだ。
「必要なら、もう一度最初からご説明致しますが」
女神の言葉に、俺はぶんぶんとかぶりを振った。
冗談じゃない。
「大丈夫です! とにかく魔剣を守る少女と出会って、その魔剣で魔王を倒せばいいんですよね!?」
俺の言葉に、イシュタールはにこりと微笑んだ。
「さすが、私の見込んだ勇者です。魔剣は選ばれし勇者にしか振るう事のかなわぬ伝説の武器。さあ。貴方の手で、どうか世界を救ってください――」
その言葉と共に、光り輝く扉が出現した。
「その扉をくぐり、デルヴェニン・イラへ降り立ちなさい」
女神の言葉を聞くが早いか、俺はドアノブを引いて扉を開けた。
ここから、俺の輝かしい人生が始まる。
28歳アルバイト。趣味なし、友人なし、もちろん恋人なしの俺はもう死んだ。
さあ、今からが俺の本当の人生の始まりだ――
期待と興奮に胸を膨らませながら、俺はその光の中に足を踏み入れた。