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弱い心音

 体調の悪いルシアさんを部屋で寝かしつけた後、スレイは馬鹿みたいに浮かれてしまっていた。ルシアさんと仲直りしたのは良い事だとは思う。だけど仕事仲間としては、ただひたすらに面倒くさい。


「ふ、ふふふ…」


「スレイ、はぁ。元気になったのはいいし、仕事が早くなってるのもいいけど。あんたずーーっとニヤニヤしてて気持ち悪いわよ!」


「良いじゃないですかキャル。僕はルシアさんと気持ちを通じ合わせたのですから。それに今日は一日ずっとルシアさんが僕に甘えてきて、それはもう愛おしいばかりでして」


「はいはい、それももう聞き飽きたわよ!いつものポエム帳にでもその想いの丈を綴ってなさい」


 夕食の準備を手伝いながら惚気けるスレイに呆れつつ、私はスープに入れる野菜を切り刻んでいく。今日のメニューはシチューらしい。ふわふわのパンもあるみたいだし、楽しみだ。


「…あのさスレイ」


「なんです?」


「……いや、なんでもないわ」


 いつもならここで一言二言は嫌味を言うんだけど、どうにも言いづらい。……だって今朝見た二人の顔は、お互いに愛おしいものを見るような目だったから。今日くらいは水を差さないで浮かれさせたままにしてあげようと思った。


 そんなことを考えていたらいつの間にか下ごしらえが終わっていたらしく、後は料理長たちに任せて私達は調理場を出た。


「ねぇキャル。今夜は久しぶりに一緒に食べませんか?ルシアさんも一緒に」


「あ、それいいかも!じゃあちょっと多めに賄いお願いしちゃおっかしら。ルシアさん、寝起きならお腹ぺこぺこだと思うし!」


 普段は屋敷で働く使用人たちは旦那様やお嬢様が夕食を終えた後、自室や調理場などで食事を簡単に済ませている。だけど、たまにはこうしてみんな揃って食べることもある。特にこの屋敷のご主人様であるジルヴァ様がいない日なんかは、賄いをおかわりしたり気ままに過ごす人が多い。


 それを咎められる事はないけれど、ほんの少しだけ悪いことをしているみたいで楽しい。


「そういえばジルヴァ様、この間は早めに帰ってきたけど明日からは王城で一週間、その後は魔族領に視察だっけ?」


「確かそのはずですよ。来月に確実な休みを取るために忙しそうでしたから。まぁ、帰ってきたところでキャルに構ってくれるとは思いませんけど」


「うるさいわね!そういうんじゃないわよ!」


 この男は、本当に何も分かっていないと思う。私がどれだけあんたを想っているのかなんて。…それでも、数年の間口に出せていない自分が悔しくて情けない。


「あーあ。弟分のスレイが先に幸せを掴むのかぁ。残念だなぁ〜?…私も素敵なお姉様と恋してみようかなぁ…?」


 いっそ、ルシアさんに負けないくらいのとびきりの美人と付き合ってみたり……そんな人、そうそういる訳ないか。


「へぇ、誰のことです?」


「ふん。願望よ!ほらスレイ、そろそろ行かないと!ルシアさんのお腹が待ちくたびれて泣いちゃうかもよ!」


「それも困りますね。では行きましょうか、僕の愛しい人の元に」


 だからその言い回しは気持ち悪いってば。ため息を吐くと幸せが逃げちゃうとは言うけれど、今日くらいは叱る人も居ないし許して欲しいなぁと思った。



 ***



 秋風が冷やした肌寒い廊下を抜け、ルシアさんが使っている部屋にコンコンとノックをする。声もかけるが、まだ彼は眠っているのか中から返事はなかった。


「失礼します」


「ルシアさーん今日はマロンシチューですよ〜…」


 僕がキャルと一緒に静かに扉を開けると、部屋の壁際にあるベッドの上で毛布にくるまる彼の姿があった。まるで子猫のように丸まって眠る彼に、思わず笑ってしまう。


「ルシアさん、そろそろ起きてください。夜に眠れなくなってしまいますし、もう夕食の時間ですよ」


 声をかけるが起きる気配はない。仕方なく肩に手を置いて揺すろうとした時、違和感を覚えた。やけに体温が低い。それに呼吸も浅く、心音も聞こえない。僕が布団を捲ると、ルシアさんは死人のような白い顔で意識を失っていた。


「…スレイ、それって…」


「…っ…吸血鬼特有の症状ですね。恐らく疲労が出たんでしょう。一度ソファに移動させます」


 僕はルシアさんを横抱きにして移動する。ルシアさんは軽いとは思っていたけれど、最近は少し重くなっていた。なのに今の彼は人とは思えない重さで、さっき馬車から下ろした時よりも軽い。短時間でここまで変貌するのは異常だ。


 そのまま暖炉近くのソファまで移動させると、キャルがソファをずらしてさらに火元に寄せてくれた。


「…まずは身体を温めましょう。お湯を借りてきますので、その間キャルは暖炉の火力を上げてください。それと棚にあるタオルも用意をお願いします」


「分かったわ」


 指示された通りにキャルは火属性の魔法を使って部屋の温度を上げる。そして僕は持てるだけのお湯を用意して彼の元へ急いだ。


「ルシアさん、少し服を脱がしますよ」


「……」


 反応のないルシアさんのシャツを脱がせる。露わになった上半身に触れると、生きている人だとは思えないくらいにあまりにも冷たい。


 彼の横腹には大きく抉られたような傷跡があり、塞がってはいてもそれはとても痛々しいものだった。それらも労わるように、お湯で温めたタオルで身体を拭っていく。すると、真っ白だった肌に徐々に血色が戻ってきた。


(良かった…大丈夫、まだ手遅れじゃない)


 そう思いながら作業を続けていく。


 この症状は、吸血鬼等の長命の種族が休眠状態に入る前兆でもある。つまりこのまま放っておけば、吸血鬼なら数年、数十年。もしくは二度と目覚めないという事例がある。


「……」


 暖炉の火が照らす中、子供の頃に仄暗い孤児院で起こった光景を思い出す。地面に倒れ付した友人の姿。必死に呼びかけても目を覚まさなかった彼女のことを考えるだけで、心臓が激しく脈打ち始める。


 落ち着け、今は冷静になれ。あれはもう過去の事だ。


「スレイ、どうしたの?」


「…何でも無い。知り合いから頂いたきつけ薬があるのでそれを飲ませます」


 心配するキャルに微笑みかけ、ルシアさんを抱き起こす。小瓶を開けて口に含むと、彼の口に流し込んだ。喉仏がゆっくりと動くのを確認してからもう一度口移しをして飲み込ませる。


 不味く鉄臭いそれは、人の血が混ざっている吸血鬼向けの薬だ。効かないとしても、ライアン委員長の濃い血を飲ませれば多少はマシになるはず。


「……」


 ルシアさんの反応は無い。だけど、体温はいつもの温かさぐらいになってきた。これならきっと大丈夫だ。…そう信じるしか無い。


「スレイ…」


「大丈夫です。打てる手は打ちましたから。あとは目を覚ますだけですよ」


 彼の頬には赤みもある。呼吸も…心音も…まだ弱々しいが先ほどよりはマシだ。…目覚めてくれないと、僕たちはもうどうすれば良いのか分からない。困ってしまう…


「ちょっと、泣かないでよ…」


「え?あ、いや、これは違うんです」


 泣いてなんかいない。そう思っていたのだが、ポタポタと僕の瞳からは涙が落ちてきた。慌てて腕で拭うものの止まらないそれに、自分が思っている以上に動揺していることに気づく。


 その後一晩、僕とキャルはルシアさんを看病し続けたのだが、今日の内に彼が目を覚ますことは無かった。

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