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馬鹿なのは

 服を脱いで、風呂場にある椅子に座ると、服を着たままのスレイが背後に立ってシャワーの温度を確認してから掛けてくる。温かい湯が頭皮に当たって気持ちが良い。シャンプーを手に取って泡立てる音が聞こえてきて、それが妙にドキドキしてしまう。


(別にいつも通り、いつも通りにしてれば大丈夫だ)


 自分に言い聞かせるように心の中で呟く。スレイだって、黙々と俺を洗ってくれているじゃないか。何も気にする事はないのだ。


「ん……んん?」


 だが、ふと自分の体を見て愕然としてしまった。所々に赤い斑ら模様が出来ていて、特に胸の辺りにそれは多く見られた。何より驚いたのは自分の腕である。


 青紫色に変色した痣が出ていて、まるで死人のようだった。……こんな痣はさっきまで無かった。思わず鳥肌が立つような感覚に陥る。


 その時、頭を丁寧に洗っていたスレイの手が止まった。


「どうしました?痛かったですか?」


「ああいや、違うんだ……。ちょっと驚いてな」


 心配そうな表情でこちらを見てきたので慌てて否定する。スレイにはこの痣が見えていないようだ。少し迷ったが、スレイに聞いてみる事にした。


「あのさ、スレイ。聞きたい事があるんだけど」


「はい。なんでしょうか」


「この腕とか首筋に赤黒い斑点みたいなのが出てるみたいで…痛くはないんだけどさ。お前には見えてないよな?」


 スレイはその言葉を聞くと目を大きく見開いた後、ゆっくりと目を伏せた。そしてボソッと「あのババア…」と呟いた。


「それがジルヴァ様が言っていた「汚れ」です。あの孤児院に居る婆が付けたものですよ。そのままですと精神に悪影響を及ぼします」


「精神に!?」


 そんなものを付けられていたのか。というかそれってつまり、あのお婆ちゃんシスターに洗脳されていたようなものではないか。そりゃお父様がすぐに洗ってこいと言うわけだ。


「今すぐ洗い流しましょう。キャル!」


「はーい」


「え」


 スレイの声に反応してキャルが入ってくる。彼女は手に石鹸を付けて泡立たせながら、スレイの隣に立った。


「えっ、ちょ…」


「僕は頭を洗いますので、身体を。とくに直接触られる事が多い腕と首を重点的に洗ってください」


「りょうかーい。ルシアさん、失礼しますね〜」


 その時俺は思い出した。屋敷に来たばかりの頃、メイド達に全身を隈なく洗われた経験があることを。同性どころか異性に風呂場で洗われることを恥ずかしがるなんて、もはや今更なのだと。


「…お手柔らかにお願いします」


 スレイとはまた違う、華奢ながら力強い手つきに身を任せつつ、俺はそう言うしかなかった。



 ***



「……重くないか?キャル」


「いえいえ!羽のようですよ。ルシアさんこそお加減はいかがですか?」


「大丈夫。すごくスッキリしたよ」


 2人に隈なく全身を洗われた俺は、余りの容赦のなさに腰砕けになってしまっていてまともに立てなかった。おかげさまで痣だらけだった全身がピカピカだ。呪いを汚れと言う表現は合っていたらしい。


 なので今はキャルに抱き抱えられて浴室から出るところだ。さすがに服はなんとか自分で着替えたが、こんな女の子にまで軽々と横抱きにされると、元からバキバキに折れているプライドがさらに粉微塵になっていくような感覚がある。


 スレイの方はもう服を着がえ終わっているようで、外で俺が出てくるのを待ってくれていた。


「ありがとう、キャル。ごめんな色々とやってもらって」


「いいんですよ〜。それに私は好きでしている事なので。でも本当に良かったんですか?私達が着替えさせてあげてもよかったのに」


「それは遠慮しとく」


「えぇ〜残念」


 キャルはクスクス笑いながら部屋を出ていく。その後ろをスレイがついて行く。


「では、私はジルヴァ様に報告してきますので、湯冷めしないうちに部屋に戻っていてくださいね!」


「ああ」


「ルシアさん」


 扉の前で立ち止まり、振り返ったキャルの顔は笑顔だった。


「スレイとちゃんと仲直りしてくださいね!」


「へ?」


「楽しみにしてますね!」


 それだけ言い残してパタンと閉まるドア。俺とスレイは呆然としながらその姿を見送った。



 ***



 スレイと一緒に、月明かりが差す冷たい廊下を歩いていく。…めちゃくちゃ気まずい。なんだろうこの空気。


 いつもならどれだけ沈黙があっても気にならないのだが、なんだか嫌に居心地が悪い。コイツが何を考えているのかわからないからだ。


(…朝も昼も謝ったんだけどな、なんというか…)


 壁を感じるというか、避けられているというか。そんな感じがするのだ。やっぱり怒っているんだろうか。そりゃそうだ。……俺は何度同じことを繰り返すつもりなのか。自分の愚かさに腹立たしくさえなる。


「……あの」


「はい!?」


 突然話しかけられ、つい変な声が出てしまった。慌てて咳払いをして誤魔化しつつ振り向くと、スレイはいつの間にやら足を止めたらしい。数歩分離れたところにいた。


「昨日といい、今日といい…すみませんでした」


 そして頭を下げる。まさか先に謝罪されると思っていなかった俺は面食らう。


「…僕は…ルシアさんの専属執事として失格です。もっと冷静でなければならなかった。今日だって、感情にまかせて…貴方を危険な目に合わせてしまいました……」


「……」


 どう答えたものかわからず、俺は黙ってその様子を見守る。


 するとやがて顔を上げたスレイの目には、涙が浮かんでいてぎょっとしてしまった。


「僕に代わって、キャルが専属メイドを務めることになると思います。その方が、ルシアさんを守れる筈ですから」


「…は、はぁ!?」


 どうしてそうなった。思わず素っ頓狂な声が出る。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!俺はお前に辞められたら困るんだが」


「え」


 今度はスレイの方が驚いて目を丸くした。


「何故ですか?やはり僕の事が信用できませんか。それとも他に何か理由が?」


「違う!…そうじゃない。確かにお前の事は一番…あ、いやまぁ…ほんの少ししか信じられないけどな……。それよりお前がいなくなるって言われると、俺は寂し、……えっと、とにかく嫌だからな…」


「………」


 じわじわと顔に熱が集まってくる。こんな事を言っている場合ではないのに、口が止まらない。


「そっ、それに!お前が居ないと変態の相手とか!キャルに任せられないだろ!学園で色々困るし!それに、お嬢様じゃなくて、お、俺の専属ですって、言ってくれたじゃないかよ…」


 スレイの手を取ると、彼は驚いたように肩を揺らしたが、すぐに手を強く握り返してきた。


「それは、もちろんです。執事にとって…主人は大切にすべき方です。それは変わりありません。ただ、それとこれとは話が別で、僕は、その、…ルシアさんの事も守りたいんです。それだけは信じてください」


 ……つまりはあれか?俺を守る為に俺から離れると。そういう事か。


 馬鹿野郎。そんなもん納得できるわけがない。


「わかった。ならこうだ。主人として命令する。お前は俺の専属執事を辞めるな。…お父様から許されなかったら真祖吸血鬼になってこの屋敷で大暴れしてやる』


「えぇ……」


『な、なんだよ、不満か』


「あはは、いえ滅相もない!」


 ほんの少し真祖吸血鬼の力を出し、ギロリと睨みつけて脅す。だけどスレイは笑って首を振った。


「わかりました。これからもよろしくお願いしますね、ルシアさん」


「うん、俺も今後は変にならないように気をつけるから!」


 やっといつもの調子に戻ったスレイに安堵する。…ドキドキと、胸が変に高鳴っている気がするが、きっと気のせいだろう。


「ところで、さっきの言い方だと、ルシアさんにも何か思うところがあったように聞こえたのですが」


「んぐっ!?」


 墓穴を掘ってしまったらしい。


「何があったのか、教えていただけますよね?僕は一番信用できるんでしょう?」


「えっとぉ……その…」


 ニッコリと微笑みながら近づいてくるスレイに、思わず後ずさりしてしまう。だが、ここで逃げても仕方ないので覚悟を決めることにした。


「……ふん!…こういうことだよ、ばーか!」


 ちゅっと手のひらにキスしてやった。この間のお返しだ。スレイの顔を見上げると、真っ赤に染まっていた。


「へ?」


 ぽかんとした表情を浮かべている彼に背を向ける。そしてそのまま自分の部屋に向かって走り出した。


「あっ、ちょ、ちょっと待ってください!ルシアさん!それって意味分かってやってます…!?」


「おやすみ!!」


 スレイの声を無視して走る。恥ずかしくて振り向けなかった。


(あいつが、俺を好きになるなんてあるはずないんだ)


 スレイには片想いしている相手がいる。それが誰なのかは俺にはわからない…けど、これぐらいの嫌がらせをしてもいいはずだ。俺のこんな変な感情は、きっと精神にかけられた呪いとか、それだ。つまり気のせいだ。


 そう思うのに、頬の熱さが一向に引いてくれないことに頭を抱えたくなる。


「あぁぁぁぁ…!馬鹿なのは俺だよ…!」


 飛び込んだベッドのふかふかの枕に顔を埋めると、ふと机に置いていた青いブローチに視線がいってしまって余計に悶々としてしまった。

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