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ぎこちない主従関係

 翌朝。俺はあれからしっかり眠れなかった。


 結局キャルの勘違いを解くことは出来なかったし、あの後、頭の中でぐるぐると俺がスレイの事をどう思っているのかを考えてしまって、全く寝付けなかった。


「はぁ〜……」


 大きくため息をついて、寝巻きからドレスに着替える。今日はメイド長に貴族教育を受ける日だ。


「…………うぉぉぉ…いかんいかん」


 昨日の事を思い出しそうになって頭をブンブン振る。首を振りながらも手早く身支度を整えていく。


 普段着用のシンプルな物に着替えて、メイド達に教わった髪のアレンジと化粧を施していけば、休日のレジーナお嬢様の完成だ。


 鏡の前でくるりと回ってみる。スカートの裾が広がり、ひらりとした感覚がくすぐったくて楽しい。いつもより少しだけ秋らしい色使いに意識したメイクも、中々悪くないんじゃないだろうか。


「よし、俺はお嬢様、完璧なお嬢様…」


 小さく呟きながらドアノブに手をかけて部屋を出ようとすると、ノックの音と共に聞き慣れた声が聞こえてきた。


「ルシアさん、起きていますか?」


「っ…っ、…ぅぉあっ…いってぇ…」


 思わず飛び退いて壁に背中をぶつけてしまった。慌てて平静を取り繕いながら返事をする。


「あ、ああ。今開ける」


 ……危ねぇ……変な声がでるところだった。深呼吸しながら扉を開けると、そこにはいつも通りの笑顔を浮かべているスレイが朝食を持って来ていた。


「おはようございます、ルシアさん」


「……おはよ」


 思わず目を背けてぶっきらぼうに挨拶してしまう。


「朝食をお持ちしました。今日のメニューはフレンチトーストです。蜂蜜とメープルシロップがありますが、どちらにしますか?」


 スレイは気にしていないようで、いつも通りに話しかけてくる。蜂蜜を指差すとテキパキとテーブルにセッティングしてくれた。


 しかし俺はそれどころじゃない。昨日風呂場で押し倒してしまった事がキャルのおかげで頭の片隅から離れず、どうしてもぎこちなくなってしまうのだ。


(…くっそ、昨日のこと謝りたいのに…)


 思い返すだけで心臓が変な風になってスレイを見れなくなってしまう。


「……ルシアさん?どうかされました?」


「な、なんでもない!いただきます!」


「……」


 いつもよりも食べにくい朝食の後、食後の紅茶を飲み始めると、スレイが真剣な表情でこちらを見た。


「……ルシアさん、その……昨夜の事なんですが」


「ブッフォ!?」


 突然切り出された話題に思わず吹き出す。スレイの顔を見るとやはり申し訳なさそうな顔をしていた。


「ごめんなさい、いきなりあんなことをしてしまって……」


「え!?いやいやいや、俺こそごめん!昨日は俺がぶつかったのが悪かったし!むしろスレイの方こそ疲れてたんだろ?無理矢理風呂に突き合わせて悪かった」


 頭を下げるスレイに対して俺も頭を下げて謝罪する。するとスレイは困ったような顔をしながら首を振った。


「…いえ、そんなことはありません。ルシアさんに不快な思いをさせてしまったと、反省しているのです。…許してもらえないものだと思っています。お詫びと言っては何ですが」


「へ……?」


 そう言ってスレイは自身の手首を噛んでみせる。血に濡れた赤い舌がちらりと覗いた瞬間、ごくりと喉が鳴った。


「僕の血を飲んで下さい」


「ッ……」


 目の前に差し出される血から目が離せない。頭がくらくらとしてきて、全身が熱くなる。欲しいという衝動が、身体を動かす。手に触れると、スレイは寂しそうに微笑んだ。


「…僕が枯れるまで飲んで頂いて構いません」


 スレイの泣きそうな声に、はっと我に帰る。そして差し出された手首を押し退けて、スレイの肩を掴んだ。


「だ、駄目だ!!」


「えっ?」


 驚いたように目を開くスレイを見て、掴んでいた手を慌てて離した。だがスレイに触れた事で、手から伝わった体温が昨夜の出来事をフラッシュバックさせて、じわじわと顔に熱が集まってくる。


「嫌なんじゃなくて…うううぅ…ちょっとごめん、なんかその、駄目なんだぁ…!」


「えっ、ルシアさん!?」


 スレイから離れると俺は部屋を飛び出して洗面所に向かった。鏡を見ると、そこに映っている自分の頬は真っ赤に染まっている。深く息を吸って吐くと、朝の冷たい空気が頭を冷やしてくれた。


「ふー……落ち着け、落ち着け……」


(そうだ、別にアレは事故だったんだ。スレイに謝れたし、もう忘れるべきだ)


 自分に言い聞かせるように何度も心の中で繰り返す。スレイは疲れてただけで、あれは事故。俺はキャルに言われて変に意識してしまっていただけ。


 …よし、大丈夫。落ち着いた。


 俺は何事も無かったかのように洗面所を出て部屋に戻ると、そこにスレイの姿は無く、食べ終わった朝食やティーカップは綺麗に片付けられていた。



 ***



「お嬢様、お嬢様!聞いておりますか?ぼんやりとしてどうしたのですか?」


「ご、ごめんなさいメイド長」


 貴族教育の時間中、ぼうっとしてしまった俺を心配するようにメイド長が声を掛けてくる。だめだ、集中しないと。今の俺はレジーナの身代わり…公爵家の令嬢なのだからしっかりしなければ。


「顔色が優れないようですが……何かありましたか?」


「いいえ何も……少し考え事をしていただけですわ。気にしないでください」


「……わかりました。あまり無理なさらないで下さいね」


「…はい」


 心配そうな表情をするメイド長に笑顔で返す。


(…………ん?)


 その時、視界の端にきらりとした光を捉えて、窓の外を見る。庭の木陰に人影が見えた気がしたが、一瞬のことだったためよく見えなかった。


「では男爵、侯爵に対するマナーと伯爵、公爵に対する姿勢についておさらいしましょう。よろしいですね?」


「はい、よろしくお願いします!」


 パチンと教鞭を持ったメイド長との貴族教育はいつも通りに進んでいったが、珍しくメイド長から吹雪が降ることはなかった。



 ***



 昼になり、いつものように屋敷のダイニングへ向かうと、廊下でばったりスレイと出会った。


「あっ、スレイ」


「……」


 俺の顔を見た途端、ペコっとお辞儀をして無言で去っていこうとするスレイを呼び止める。


「あのさ!本当にごめんな!でもほんと、疲れてるならあんまり無理するなよ?俺のせいで倒れられたらこっちも困るし!」


 それだけ言うと俺は逃げるようにその場を去った。スレイも気まずかったのか、呼び止められたことに驚いている様子だったが特に追ってくることはなかった。


 その日の昼食は好物のチーズサンドイッチにキノコのミルクスープだったのだが、塩を足しても味がとても薄いような気がした。

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