小さな侵入者
屋敷の外には出られないものの屋敷の敷地は広いので、歩けばそれなりに運動不足にはならない。薔薇園で執事長と別れた後、俺は裏庭を散歩することにした。
「おっ、丁度木影になってる。この辺がよさそうだな」
このあいだ見つけた猫がよくいる木箱の置いてあるベンチに座り、持ってきた漫画を開く。料理長に貰ったチョコクッキーを食べながら、たまに通りかかる使用人さん達に挨拶をしてのんびりと時間を過ごした。
「ふぁあ…結構微妙な展開だな…ん?」
ふと何処からか視線を感じて顔を上げると、屋敷を囲っている柵の間から少年が此方をじっと見つめていた。
年の頃はリリアと同じくらいだろうか。灰色の髪に空色の瞳をした吊り目の男の子だ。俺が手を振ってみると驚いたように肩を上げてから、少し恥ずかしそうに手を振り替えしてくる姿が可愛らしい。
だが屋敷の使用人に見つかったら怒られてしまうだろう。周りを見渡して誰もいない事を確認してから、こっそり柵に寄って少年に話しかける。
「坊主、どうしたんだ?」
なるべく怖がらせないように声をかけると、こちらを興味深そうに見ながら近づいてきた。
近くで見るとやはりまだ幼いことが分かる。街の子供だろうか。この屋敷の敷地内に街の子供が入ることは基本的に無いはずだが、もしかしたら迷子になってしまったのかもしれない。
安心させるように微笑むと、少年は少しだけ顔を赤くしたようだった。
「あ、あの、えっとおれ…どきょー試しでこの屋敷のお嬢様に会いに来たんだけど……」
どうやら迷子の類ではないらしい。彼曰く、街の子供達の中でこの公爵家のお嬢様はちょっとした有名人なのだとか。
何でも噂によるとこの国で一番可愛い少女だとか、吟遊詩人が王子との悲恋を歌っていたんだとかなんとか。まぁ、本物のレジーナお嬢様は居ないし、俺は今男の格好だから会わせることはできないんだが…
俺は苦笑いを浮かべつつ、少年の頭をぽんぽんと撫でた。
「お嬢様は今居ないんだ。それにこの屋敷に入ったらダメだって言われてるだろ?お前の父ちゃん母ちゃんに心配かける前に帰れよ」
諭す様に言うも、何故か不満げな表情をする。
「駄目だ!ここまで来たらお嬢様に会えなくても、この屋敷に来たって言うしょーこが無いと!どきょー試しにならないだろ!」
ううん、面倒臭い。
何とも言えない表情をしているであろう俺を見て、何を思ったのか急に少年がニヤリと笑った。嫌な予感がする。これはまずい。
逃げようとしたが、がしりと腕を掴まれてしまった。
「なぁなぁ、兄ちゃんもこの屋敷に住んでるんだろ?案内してくれよ。お嬢様の部屋はどこにあるんだよ!なぁなぁ」
「いててて、離せ。大人に迷惑かけたくないだろ」
「そんなの知らないね!無理矢理入ってもいいんだぞ」
この少年をほっといても、屋敷に招かれていない侵入者を排除する結界が張られているため、入る事はできないだろう。だが無理矢理入ればこの少年が結界の魔法で傷つく事になる。それでは流石に目覚めが悪い。
「分かった、分かったから。屋敷に来たっていう証拠が欲しいんだろ?だったらちょっと待ってろ、何か持ってきてやるから」
「本当か?やった!!」
はしゃぐ少年を宥めて俺は一度屋敷に戻った。何故か振り解けなかった少年の力の違和感には、まだ俺は気づいていなかった。
***
屋敷の中で比較的怒らない人。融通が利きそうな人を考えて、執事長にこっそり相談すると薔薇の花をいくつかもらうことができた。その花束を抱えて戻ると、先程の少年は嬉々として待っていた。
俺が近づくとその手の中にある物に気付いて首を傾げる。
「なんだ?薔薇の花?」
「この屋敷にある薔薇だよ。お嬢様の物を渡す訳には行かないし、それにここの薔薇は他に類を見ないほど綺麗だからな。これなら文句は無いだろ」
「うーん確かに綺麗だけど…」
「ふーん?それともお嬢様から愛の言葉でも欲しかったか?愛してる…ってな」
ニッと笑って囁くように渡すと、少年の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「あ、ああ、愛!?ばっ馬鹿じゃねぇの!!そんなんじゃねぇし!!!!」
「あはは、悪い悪い。この花を育てた人が言うには好きな女の子に渡すのでも良いってさ。ほら持ってけよ」
「……ふん!まぁ貰っていってやるよ!」
素直じゃない奴め。耳まで赤く染めてそっぽを向く少年の頭を再びぽんぽんと撫でると手を払い退けられた。
「ガキ扱いすんなって!」
「怒んなって、ガキはガキだろ?」
この間出かけた以来、かなり久しぶりにリリアの歳に近い子供を見たので、つい構いたくなってしまうのだ。
「うるさい!もう行くぞ!」
そそくさと立ち去る少年を見送った後、俺はベンチへと戻った。
「あ、そうだ」
思い出したようにそれを取って振り返り、まだ歩いていく途中の少年を呼び止めて小さな袋を投げる。
「おーい坊主!これもやるよ!」
「おわっ!?」
慌てて受け取った少年はきょとんとした顔でこちらを振り返る。
「何だ?これ、おかし?」
「チョコクッキーだ。甘くて美味いぞ。あとこの辺の警備に見つかったら多分説教されると思うから、見つからないように帰れよー」
ひらひらと手を振ると、「余計なお世話だバーカ!」という声と共に少年の姿があっという間に遠くに消えた。
少年が見えなくなったのを確認してから、俺も屋敷に戻ることにした。
***
「ただいま戻りましたー。…げっ!」
「ルーシーアーさーんー?」
玄関を開けると、そこには仁王立ちしているキャルが待ち構えていた。
「見てましたよ…!あの男の子、また絶対来ちゃいますよ!どうするんですか!」
ぷんすかと怒って詰め寄ってくるキャルを宥める。
「大丈夫だって。まだ子供だし、結界をすり抜けられるほどの力は無いだろうし」
「そういう問題じゃないです!もしバレたら不法侵入ですし、ジルヴァ様に見つかったら最悪の場合…」
「ほらキャル、あーんして」
「むぐ…むぐむぐ…クッキー如きで騙されること…もぐ…」
キャルは甘いものに目がないので、すぐに機嫌が良くなる。おやつとして用意していたチョコクッキーをいくつか口に運ぶと「美味しい〜!」と笑顔になるのが可愛らしい。
「キャルは優しいからスレイとお父様に黙っててくれるよな?」
「もぐ。しょうが…もぐもぐ…ないですね〜!もぐもぐ!」
チョロい。この子はこれで大丈夫なのだろうか。まぁそういうところがキャルの良い所ではあるけれど。
「ありがとうキャル。あ、そういえば誕生日近いんだろ?何か欲しいものは無いのか?」
ダメ押しで話を逸らすと、キャルの目がキラッと光った。
「えっ!?そうですねー、新しいドレスかな〜」
「そ、それは自分で買ってくれ……他には?」
「うーんと、あ!じゃあ私もルシアさんとお出かけしたいです!いっつもスレイばっかりでズルいですし!」
「おお、それだったらいいぞ」
ふんふんと鼻息荒くアピールしてくるキャルに苦笑しながら了承すると、嬉しそうな顔をしてぴょんと飛び跳ねる。
「やったー!!いつ行きます!?明日ですか!?明後日!?」
「落ち着けって、ちゃんとスレイやお父様にも聞かないと行けないから。帰ってきたら聞いてみような?」
「分かりました!」
はしゃいでいるキャルを見て微笑ましく思いながら、俺は自室へと向かった。
***
花瓶に差した黒い薔薇を日の当たりにくい枕元のテーブルに置いて、読んだ漫画を学園の鞄に戻す。
くあっと欠伸をしながら伸びをすると、窓の外にはもう夕日が落ちようとしていた。今頃リリアは学校帰りなのだろうかと思って、窓の外を眺める。
橙色に染まる空を見て、別れ際でも仏頂面をしていた幼馴染の顔を思い出してしまい眉間に皺が寄った。
「……この間のブティックで、オルゴと兄妹みたいに仲良くしてたよなぁ。あー!俺もリリアの成長を見守りたいな。くそぉ、ずりぃー…」
窓の縁に肘をついてため息を吐く。最近はそこまで考えては居なかったが、指名手配をされている以上、女装しない状態で屋敷から出ることはできない。それは分かっている。だけどこっそりリリアと会うくらいは許してくれてもいいと思う。
スレイは嫌そうな顔をするだろうし、お父様に聞いたら…どうなるのかはやったことは無いけれど、隣国であった出来事を思い出しただけで恐ろしい。下手をすれば氷漬けにされてしまうかもしれない。
「…そうだ!キャルに頼んでみるか」
それならきっとバレないだろうし、何よりキャルは可愛いものが好きだ。リリアに会えると言ったら喜んで協力してくれるに違いない。それに今度遊びに行く約束があるじゃないか。
「ふふふふふ。どうして今まで思いつかなかったんだろう。我ながら名案だ」
よしよしと自分の頭を撫でると、扉の向こうで誰かの気配を感じた。
「………まさか?」
「ええ、僕ですよ」
その声を聞いた瞬間、全身の血が凍るような感覚に陥る。やはり奴からは逃げられないのだ。恐る恐る振り返ると、子猫を持つようにキャルの首根っこを引っ掴んだ、人形のように無表情なスレイがそこに立っていた。
「……どこから聞いてた?」
「リリアさんの成長を見守りたい、辺りからでしょうか」
「ルシアさん〜ごめんなさい〜…」
にっこりと笑顔を浮かべるスレイとは反対に、青ざめた顔になったキャルが申し訳なさそうに謝ってくる。しかし、この男相手に隠し事をしようとしたのが悪いわけだし、そもそも悪いことをしたつもりはない。だから俺は毅然とした態度で言い返した。
「すっ、スレイが勝手に勘違いしているだけだろ?俺はただキャルとお出かけする時に、リリアをキャルに確認してもらえないかなーと思ってただけだ」
「……ふむ。僕は侵入者をルシアさんが対処したと聞いていたので、それについて確認に来たのですが…そちらについても、詳しく聞いた方が良いみたいですね?」
どうやら墓穴を掘ったようだ。いつも通り冷静沈着な様子で淡々と話すスレイに恐怖を覚えつつ、俺から冷や汗が流れ落ちた。




