薔薇園の管理人
窓を開けて空気を吸うと、太陽の光が差し込む。カーテンが風に揺れる音が心地よい。俺は伸びをしてベッドに腰掛けた。
「んー…っ今日は完全な休みかぁ」
今日は祝日が連なった連休中で、学園はおやすみだ。そしてさらに、スレイとお父様は本物のレジーナお嬢様の店に遊びに行っていて丸一日屋敷に居ない。つまり、今日の俺は自由だ。この屋敷の中だけの話だけども。
指通りの良くなった髪を無造作に縛ると、クローゼットからシンプルなシャツとベスト、ズボンを取り出す。ドレスでもワンピースでも無いラフな格好に着替えて部屋の外へ出る。
食堂には誰もいないだろうと思いながら扉を開けると、予想に反して朝食が用意されていて驚いた。
「おはようございます、ルシアさん!」
そこには満面の笑みを浮かべたキャルがいた。テーブルの上に並んだ料理を見て目を丸くする。
「え!用意してくれてたのか?今日は俺、執事見習いになってる日なのに。大変じゃなかったか?」
「いえいえ!いつも頑張ってるルシアさんの為ならこれくらいどうってことありませんよ!」
胸を張って答えるキャル。こういうところも本当に良い子だと思う。
「ありがとうキャル。頂きます」
手を合わせてから席に着く。フォークを手に取ってサラダを口に運んだ。うん美味い。
「あぁそうだ。ルシアさんに聞きたいことがあったんですけど」
そう言って首を傾げるキャル。
「何だ?」
「今朝早くにお嬢様に向けて来客の知らせがありまして…ですが今日はジルヴァ様もスレイも居ませんし、ルシアさんに心当たりが無ければお断りしますが、どうしましょう?」
「ふむ?アベル=テスタロサ…」
キャルが差し出した手紙には確かに差出人の名前があった。だが社交に疎いルシアには判断がつかない。お父様の知り合いかも知れないが……
「んんー…学園の知り合いにこの名前の生徒は居なかったし、お父様には何も言われて無いな。一応メイド長にも確認しておいてくれ」
「がってんです!」
元気良く返事をするキャルを見送って食事を済ませると、赤い花びら入りの紅茶を飲んで一息ついた。
***
「うーん、さて、これから何しようか」
「んぎゃー!」
漫画でも読もうかな、と一人呟いたその時だった。厨房の方で騒がしい声が聞こえてきたのだ。それを聞いて立ち上がると、足元を何か小さな生き物が通り抜けていく。
「あー!ルシアさん!そいつ、そいつ捕まえてください!また逃げられちゃいました!」
慌てた様子の料理長の声を聞いて見ると、足下には赤い影が蠢いている。ぬるりとした手触りに驚いてよく見ると、足の生えた細長い赤い魚の様なものと目があった。
「ひぇっ!なんだコイツ!?ちょっ、うわっ登ってくるな!」
ズボンの裾からぬるりと這い上がってくるそれを必死に振り払おうとする。だが魚モドキは諦めずに俺の身体を登ってこようとするではないか。確かこの魚モドキは、先日の夜会の時に出された魚のパイの中に入っていたやつだ。
あの時は美味しかった、とは思ったがこうして生きている姿を見ると中々グロテスクだ。
「うおぁっ!?気持ち悪い!!」
腰元まで登り詰めてきた魚モドキに、ぬるぬるした感触が気持ち悪くなって思わず投げ飛ばしてしまった。するとソイツは床の上を勢い良く転がっていき、壁にぶつかって動かなくなる。死んだのか?と思ったらビチビチと動いていて、どうやらまだ息があるようだ。
拾い上げると、俺の手の中で暴れるそれをまじまじと見る。ギョロッとまた目があったが、しばらく見つめ合うと降参したのか大人しくなる。
「はぁ…すみません、ありがとうございます!」
捕まえた赤い魚?を持っていると料理長がドタドタとやってくる。
「ルシアさんに以前教えてもらってから、生でも食べられる魔物料理を研究していまして。それでようやくレシピが完成したのでコイツを捌こうとしていたんです。ご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありません!」
頭を下げる料理長。まぁその気持ちは分からなくもない。
「いいよ別に。それよりこれを…生で食うのか?…なんか…すごい見た目だけど」
「はい!既に毒抜きしているので、踊り食いでも味は保証できますよ!食べますか!?」
「踊……いや、今日はいいかな。ありがとう。」
包丁を片手に笑顔を見せる料理長は正直怖いので丁重にお断りしておく。肩を落としながら調理場へ戻っていく背中を見送った後、お腹いっぱいになった腹を撫でて食堂を出た。
***
「こう、何もしなくていい日、ってなったらそれはそれで暇だよなー…」
自室の窓の外を見て、はぁ、と息をつく。だからといって普段やっているような貴族教育の復習はしたくないし。
せっかくならと思って日焼け止めを塗ってから庭へ出ることにした。薔薇園の奥にあるベンチに座って、漫画を片手にぼんやりしていると不意に声をかけられる。
「おや珍しい。今日はお休みですかな?」
「あーはい。庭師さん。今日はスレイも居ないんでダラダラしてて…え?」
振り向くとそこにはボサボサの白髪を後ろで束ねた猫背の老人の姿があった。
俺はその姿に目を丸くして驚くことになる。だってそこに居たのは庭師ではなく、執事長だったのだ。普段はビシッとした執事服に整えられた髪形をしているのに、泥だらけの作業服に両手に球根を持っていて、今日の格好はとてもラフである。というかこんな所で何やってんだこの人。
「どうかしましたかな?」
「いや、ちょっと、執事長のそんな姿は意外だなと思って…」
「ほほ、そうですかな?」
驚いている俺を見て執事長が首を傾げる。そう言えば以前キャルが執事長の事を変だとか言っていた気がする。確かにこんな姿を見ればそう思うのかもしれないが、いつもの姿からお爺ちゃんみたいな姿は想像つかなかったのでちょっと意外過ぎる。
「それにしても、今日は良い天気ですな。ほほほ。私、晴れ男なのですよ」
そんなことを言う執事長が空を見上げて眩しそうな顔をする。俺にとっては良い天気とは言えないけれど、確かに雲一つ無い秋空は見ているだけで心が洗われるようだと思う。
執事長は手に持っていた球根を植え替えて土を整えると、重そうな麻袋から新しい球根を取り出した。そしてまた同じ作業を何度も繰り返す。
黙々と植え続けるその横顔は真剣そのもので、なんだかとてもカッコよく見えた。しばらく見ていると俺の視線に気付いたのか、ふっとこちらを振り向いてくる。
「ルシアさんもおひとつやってみますかな?楽しいものではありませんけどね」
「いいんですか?土いじりはまだやったことないので興味あります!」
俺はワクワクしながら足元に落ちていたスコップを拾うと地面に穴を掘り始める。その様子を見た執事長がまた、ほほほと笑った。
執事長に教えてもらいながら初めて植えたアネモネの球根は、「育つまでのお楽しみ」だと何色が咲くのか教えてもらえなかった。
だが達成感のようなものがあって楽しかった。
「庭師さんって見たことなかったんですけど、執事長がこの屋敷の庭を管理しているんですか?大変じゃないですか?」
素朴な疑問をぶつけてみると、執事長が少し困ったように笑う。
「いえ、普段は私だけでなくメイド達が代わる代わるで管理しておりますよ。ただ、私はこういう土いじりが好きなもので。メイド達からはやらなくても良いと言われているのですが、つい夢中になってしまうのです」
ここの薔薇は私がこだわって植えたんですよ、と執事長は笑って言う。この屋敷の庭はいつも綺麗に整えられているので専属の庭師がいるものなのだと思っていたのだが、どうやらこの屋敷のメイドたちは優秀らしい。
「すげぇな…。この屋敷に来た時、よく薔薇園に迷い込んだもんなぁ。全然気付かなくて……今考えるとあの時の俺凄いな」
まだこの屋敷に来てすぐの頃、深夜にこっそり一人で散策していた時期があった。その時はちょうど薔薇が満開の時期で、見渡す限りの真っ赤な花々が咲き乱れる様子はとても美しかったのを覚えてる。
だけど、それを目にした瞬間俺は血の気が引いたのだ。
赤黒い薔薇の花びらがハラリと一枚地面へと落ちる光景があまりにも恐ろしく思えたから。
赤い薔薇には毒がある。という古い御伽噺は有名な話だし、実際俺も小さい頃に母に揶揄われて口元を押さえられたことがある。母は薬に関わる仕事をしていたし、やけに信憑性のあるその話を聞いて以来、なんだか怖くて赤色の花は極力避けてきた。
でも、この屋敷の薔薇園に来た時は思わず足を止めてしまった。まるで吸い寄せられるように。美しいものに目がくらんでしまったかのように。
それ以来、この薔薇園のおかげで赤い薔薇に対する苦手意識は無くなったと言ってもいいだろう。むしろ好きになったくらいだ。
ふと思い出した昔の記憶に懐かしんでいると、執事長が何かを思い出したかのような表情をしてこちらを見ていた。
「こちらの奥に、この時期に見頃を迎える薔薇がありましたな。見てみますかな?」
そう言って歩き出すので、俺は慌ててその後を追った。
***
しばらく歩くと、その先にあったのは小さな花壇に生えた黒いバラだった。他の薔薇に比べて小ぶりで、本数も少ない。枯れた様にも見えるが、とても深い緑の葉を宿していた。
「異国から輸入された希少な物でしてな。明るい日差しの指す場所でなく、このような少し日陰になっている場所にしか咲かないのです」
執事長がまだ蕾のその一輪を手に取ると満足気に微笑む。
「夜にしか育たない品種ですので、こうして昼間の時間は影に隠れる場所に植えているのですよ」
「へぇー」
だからなかなか見る機会がないんだとか。確かにこんな薄暗い所に咲くなんて、普通じゃ気付きにくい。
「ふんふん、あ、良い匂いですね。他の薔薇よりも柔らかいような香りがします」
「わかりますか?満開の黒薔薇は香水の原料などにも使われるのですよ」
黒に近い深い青紫が光を受けてキラキラ輝いていて、なんだか神秘的な雰囲気すら感じる。鼻腔をくすぐる心地よい芳香は確かに普通の薔薇とは違うものだった。
執事長が大事そうにその黒いバラを一輪持ってくると、そっと手に渡してきた。棘が刺さらないように手触りの良い布に包まれて渡されたそれは、なんだか特別扱いされているみたいで嬉しい気持ちになる。
「いいんですか?希少な物なんじゃ?」
「ほほほ!せっかくお手伝いをしてくれたのですからな。お礼ということで受け取ってください」
「ありがとうございます。へへ、大切にします!」
執事長が嬉しそうな顔で言うものだから断るのも悪い気がして、結局その黒薔薇は貰ってしまった。




