王妃教育と休息
王宮に来て1週間と3日。俺はすっかり王宮暮らしが板についた。色んな仕事をしてきた経験からなのか、順応性が高いのが俺の長所だ。
だが、そんな俺でもお手上げ状態になってしまう。世にも恐ろしいブルスルド流王妃教育が襲いかかってきていたからだ。
「うおぉおお…シャロン、なぁ、流石にひと月で完璧な王妃様になるのは!無理が!あるんじゃないか…?」
「姫さまは海綿のように知識を吸収できておりますよ。本日はまだブルスルド王国の歴史と作法と刺繍の課題が残っておいでです。頑張ってくださいませ」
「脳みそスポンジって言ってんの…!?というか一日の仕事量を超えてるんだよなぁ…!?」
ルシアはげんなりした様子で言う。現在2人は妃殿下用の部屋にいて王妃になるための教育を受けているのだが、それが致死量というほどに多い。
マナーやダンスは元より王国の歴史から文化から軍事兵法裁縫刺繍…このままだと過労死まっしぐらだ。以前屋敷で受けたメイド長の貴族教育は、人間が死なない程度に加減されていたのだと痛感した。
「それとまず、自分でウェディングドレスを一から作るって超人すぎるだろ、この国の女の人は!」
「花嫁修業とはそういうものでございますわ。さあ、時間がありません。急ぎましょう」
針と糸を持って作業を再開するとルシアは悲鳴を上げる。シャロンに高級感のある金の裁縫道具を持たされて、ルシアは泣きながら作業をする羽目になった。
だがしかし、半日ほどでようやくヴェール部分だけが形になった時には達成感があった。
「ふぅーとりあえずできた……後の刺繍のことは考えたくねぇ…」
ルシアはため息をつくと出来上がったばかりのヴェールを見る。まだ白い薄布だが袖にはレースがあしらわれていてとても可愛らしいデザインになっている。頭に被ると首元まで隠れてちょうどいいサイズになっていた。
「素晴らしい出来栄えでございます。あとは伝統模様で刺繍してドレスと手袋を作成して…」
「あーもう!休憩!疲れた!外の空気吸ってくる!」
俺はシャロンから逃げるようにそのまま窓を飛び出して中庭へ出ていく。日傘代わりにヴェールを乗せて駆け出していくと、中庭のベンチには白い髪を揺らす先客がいた。
「エル、休憩中か?」
「んー…いま良いところなの、よ…?」
エルドリーズが眼鏡を外して娯楽小説から頭を上げると、此方をみて固まる。
「あんた何やってんの!?︎その格好!!」
「あーこれ、今日完成したヴェールなんだけど」
「いや、なんでそんなの被ってるのかを聞いてるの!!ちょっと貸しなさい!」
エルドリーズは俺の正面に立つと、コホンと咳払いをしてこちらを見据えた。
「それでは新婦に誓いのキッスを……っぶはぁ!!!無理だぁあああっ!恥ずかしくてできないぃいっ!」
顔を真っ赤にして両手で覆うとその場でゴロンゴロンと転げ回る。エルドリーズは俺が王宮にきた初日はツンケンしていたはずなのだが、こうして中庭で漫画について話しているうちにすっかり打ち解けた。
そして彼女は派手な見た目とは裏腹に本や娯楽小説などを読むのが好きな性格で、情緒不安定になることが多い。恐らく宮廷魔法使いの仕事が大変で、疲れているのだと思う。
「だ、大丈夫かよ。ほら、お茶飲んで落ち着け」
俺は近くのテーブルに置いてあったティーカップを手渡すと、エルドリーズは一気に飲み干す。
「ありがと……ぷは〜生き返った〜」
「お前、それ毎回言ってないか?魔法使いのエルちゃんは本当に疲れてるんだな」
そう言うと、急にガバッと抱きつかれる。なんだかよく分からないが、この数日で随分と甘えん坊になってしまった気がする。初めに会った時の妖艶な印象は最早皆無で、最近は近所に居た子供のように思ってしまっている。
「ぁぁ〜…こんなにいい匂いで可愛いのに男の子なんて……信じられない……」
ぶつくさ言いながら俺の顔を撫で回している。
「そりゃお嬢様の格好してるから当然だろ。そろそろ離してくれないかな」
「えぇー!もうちょっとだけ〜あと折角ならエルお姉ちゃんって言って欲しい〜」
「はいはい」
どうしようもない駄々っ子のような声を出して、ぐいぐいと頬擦りしてくるエルドリーズを引き剥がそうとすると、中庭に繋がる別の部屋のドアが開いた。
「おう、楽しそうな事してるな。エルちゃん」
「げっ!ヴァルちゃん!私はまだ仕事に戻らないわよ!」
入ってきたのはヴァルド陛下だ。彼は俺の背中にくっついているエルドリーズを見るなり、クスリと笑った。
「そんなことは分かってるさ。まあ、友達が少ないエルちゃんが仲良くやってくれているのは嬉しいね」
「やめてよ!わ、私は友達多いわよ!魔女の中でも一番フレンドリーなのよ!」
その言葉を聞いて少し恥ずかしくなったのか、エルドリーズは俺から離れてくれた。
「それで今日はどんな用件ですか?」
ルシアが尋ねると、ヴァルド陛下は懐から手紙を取り出した。
「ああそうだ、忘れるところだった。ジルヴァから脅迫…いや、手紙が届いてな。明日の朝、王宮に来るらしい」
「え!お父様がですか?そんなに急に?」
ヴァルド陛下の話によると、エルドリーズの魔法で作られた転移魔法を使ってお父様とスレイが王宮に来てくれるらしい。城に連れてこられてから何も連絡が無かったので、もう来ないものなのかと思っていたのだが。それにしてもスレイが無事だと知って安心した。
「ルシアくんってばニコニコしちゃって。執事くんが心配だったのね〜」
揶揄うように言われてしまい慌てて否定しようとするが、でも心配だったのは本当だ。
舞踏会のあの夜に何が起こってアレックスと婚約を結ばされたのかは誰も教えてくれないが、きっと俺が真祖吸血鬼として暴走してしまったんじゃないかと思ったのだ。もしそうだとすれば、俺の一番近くに居たスレイに何か危害を加えたかもしれない。だからずっと気にしていたんだ。
「…うん、スレイはいつも一緒に居たからな。久しぶりに会えると思うと嬉しいよ」
「あらら〜これは…アレックスに勝ち目は無いかしらねぇ。ヴァルちゃん〜」
「そうかもなぁ…じゃあ明日また迎えに来る。それまでに準備をしておいてくれ」
それだけ言って、ヴァルド陛下は中庭から出ていった。その後俺たちを連れ戻しにきた魔法使いとシャロンによって、俺たちはまた作業に戻ることになった。
***
「おはようございますルシアさん。お久しぶりですね」
「おはよー……あれ、スレイ?まだ夢か……」
「寝ないで下さい。ほら朝ですよ」
王妃教育でへとへとになった次の日、朝早くにスレイが王宮にやってきた。
正確に言えば、モーニングコールがスレイだった。この王宮のメイド服を着てカーテンを開いている姿を見て、シャロンと見間違えた。
「は?なんで居るの?」
「居ても立っても居られず。少し早めに来てしまいました」
一瞬屋敷に戻ったのかと錯覚していると、スレイはとても嬉しそうな顔でベッドに腰掛けた。寝起きのぼんやりした頭で、執事って凄いんだな、なんて思っていると、エルドリーズと本物のシャロンが部屋に転がり込んできた。
「コラー!姫さまのお部屋に勝手に入って!出て行って下さい!!」
二人が騒いでいるのを無視して、スレイは何食わぬ顔で赤い花びら入りの紅茶を用意し始めた。
「僕はお嬢様の専属執事ですから。仕えている主の元に参上するのは当然でしょう」
(いやお前メイド服じゃん)
という言葉をぐっと堪えた俺を誰か褒めて欲しい。だけど、以前の習慣からスレイから紅茶を受け取って飲んでしまう。キラキラと光る白いティーカップが朝日を反射して眩しい。
「ありがと。…お父様と転移魔法で来るって聞いてたけど」
「聞いてよルシアちゃん!そいつ勝手にうちの国の転移魔法陣起動させたのよぉ!危ないじゃない!」
エルドリーズがぷりぷりと怒るが、その様子は可愛いらしい。どこか妹のリリアに似ているな、と年上の美女に対してそう思ってしまう自分は大分絆されているのだと思う。
「昨晩遅くにライアンやギルバ…お嬢様のご学友の皆様に協力して頂いて、さっそく会いに来たというわけなのです」
スレイの顔を見ると、あまり眠れていないのか目の下に薄く隈ができていた。この男はきっと自分のために無理をしたのだろう。そう思うと、不思議と胸のあたりがきゅうと締まる感覚がした。
「そうだったのか。でも、大丈夫なのかよ?」
「ふふ。僕を誰だと思っているんですか?優秀な執事たるものこれくらい何ともありませんよ」
ルシアの心配に笑って答えるスレイだったが、いつもの笑顔と違ってどことなくぎこちなかった。スレイはルシアの前に立ち膝をつくと、その手を取り恭しく口付けた。
「お迎えが遅れてしまい申し訳ございません。ルシアさん」
まるで漫画で見たの王子様のような所作にルシアは思わずひぇっと変な声が出てしまう。前もやられたような気がするぞ。これ。
そんな2人を見ていたシャロンは顔を抑えてニマニマとしていた。
「あら、見かけによらずやりますね」
「ちょっと執…メイドくん!?抜け駆け禁止よ!!私だってルシアくんを弟にしたいんだから!!」
「だぁ!そんな目で見るな!ムズムズする!!」
「あの、お父様もいるんだけども…後で来るね…」
部屋の外から覗き込むお父様が居たのだが、恥ずかしくなったのか顔を赤くしながら両手で口を押さえて、そっと去っていった。
乙女か。




