冷たい月明かり
俺が汗だくになって部屋に戻ると、湯浴みの準備が出来ていると風呂場に案内された。一人で大丈夫だとシャロンに伝えると、彼女は何故か残念そうな表情を浮かべた。
俺は服を脱いで浴室に入ると、身体を洗おうと石鹸を手に取った。すると、何だか見覚えのある文字が書いてある。
「あれ?これオルゴの店で作ってるやつだ」
久しぶりに見た幼馴染の名前を見て感心した。王室御用達という触れ込みで、確か貴族にも販売しているはずだ。俺は試しに泡立ててみる。すると、ふわりとした菓子のような香りが鼻腔をくすぐる。いい匂いに気分を良くして身体を洗って行くと、何か視線を向けられている気がする。俺は周りを見回すが、誰もいない。
「気のせいかな……」
しかし、確かに誰かに見られていたのだ。それは間違いなく、人間のものではない気配だ。俺は警戒しながら、ゆっくり身体を洗い流して行く。
「あ、タオルがない」
俺は慌てて立ち上がるが、その瞬間に扉が開いた。俺は驚いて後ろを振り向く。すると、そこにはメイド服を着たシャロンがいた。俺は思わず悲鳴を上げそうになるが、シャロンが口元に人差し指を当てて「静かに」と言うので声を飲み込む。
「しーっ、驚かせてすみません。タオルをお持ちしましたよ」
「え、ああ……」
「こちらに置いておきますね」
シャロンはテキパキとタオルを数枚置いて行くと、浴室の周りを見渡した。そしてある一点で何かを見つけると、そこの空間を鷲掴みにした。
「シャロン、どうしたんだよ?」
「最近この辺りに不審な魔力反応がありまして……お気になさらずに」
「いや気になるって……」
「いいから、じっとしててくださいね」
そう言って、シャロンは俺の背後の空間を掴んだまま離す。その手を開くと、そこには小さな鳥がぐったりしていた。
「……死んだのか?」
「いえ、魔法で作られた監視用の使い魔ですわ」
「へぇー」
そんな物があるのかと俺が感心していると、シャロンは小さく息を吐いて俺の方を見た。そして、どこか不機嫌そうな顔をしている。
「姫さまは危機感がありませんわ。つまりは誰かに覗き見をされていたという事なのですよ?湯浴みの時は、必ず一人使用人をつけるようにと何度も申し上げましたのに」
「いやだって。部屋にあるんだし」
「言い訳は聞きたくありませんわ」
シャロンがピシャリと言い放つと、俺は黙るしかなかった。そしてシャロンは呆れたような表情になると、周りをもう一度見渡して俺を見る。
「本日の所は、私はこれで失礼しますわ。お休みなさいませ」
そう言うと、シャロンはさっと出て行ってしまった。
「……なんか悪いことしたかも」
俺はそう呟きながら、残っている泡を流した。
***
夜になると、熱帯夜という言葉では生ぬるいほどの暑さだった。窓を開けるが、風も無く。それでもあまり変わらない。俺は寝間着の襟元を大きく開けて扇子でパタパタと扇ぐ。
「あちー…氷魔法があればなぁ」
そうぼやくと、外に人影が見えた。月明かりに照らされて、その姿が露わになる。髪を下ろしてはいるものの、それはシャロンだった。彼女は、片手にスコップを持って花壇の前に立っていた。
「シャロン、おーい!どうしたんだ?」
俺が声を掛けると、彼女は驚いた表情をしていた。キョロキョロと周りを見回してから俺を見ると、ほっとしたような表情をした。俺は窓からひょいっと飛び出すと、隣に降り立つ。
「姫さま、まだ起きていらっしゃったのですね」
「そりゃこっちのセリフだよ。こんな時間に何してたんだ?」
「少し、庭のお手入れをと思いまして」
俺が尋ねると、シャロンは答えた。俺は彼女の足元に目を向ける。するとそこには、綺麗に刈り取られた花々があった。
「うぉっ、いつの間に」
「ふふ、夜に咲く品種なんですよ」
シャロンは嬉しそうに笑うと、しゃがみ込んで数本を手に取る。
「この国は太陽の国と言われていますが、実は月光の下で咲く花の種類も豊富なんです。ご覧下さい」
「おぉ、少し発光してる?!」
「えぇ。この月光花はこのように、自ら発光する性質を持っているのです」
シャロンが手に持っている花は青白い光を纏っていた。俺は思わず見惚れてしまう。俺がそれに触れようとすると、シャロンが止めた。
「素手で触らない方がいいですわよ」
「どうしてだ?」
「これは光の魔力を帯びているので、姫さまが下手に触れると危険ですわ」
「あ、そうなのか。確かに光ってるもんな」
俺は素直に手を引っ込めると、シャロンがクスッと笑った。
「ですが、氷の魔力を込めれば涼しい空気になりますわよ」
シャロンがポケットから青い指輪を取り出すと、まだ蕾の月光花に付ける。すると蕾がみるみるうちに開いて、花びらが透き通った月光花が咲いた。シャロンはそれを刈り取ると、俺に手渡してくれる。手に取ると冷たい冷気が漂ってきた。
「おおぉ、便利な花なんだな!ありがとう!」
俺はそう言って、その花を眺める。
「私も、このような暑い日はよく使うんです。この花に氷魔法をかけておけば、寝苦しくならずに済むでしょう?」
シャロンが微笑むと、俺もつられて笑顔になる。そして俺達はしばらく二人で月を見上げた。
「……あのさ、シャロン。さっきもありがとう。それとごめんな、監視の使い魔とか、知らないとは言え…」
「いいえ。私は使用人なのですから、お気になさらずに」
「でも」
俺が言いかけると、シャロンは首を横に振った。そして俺の手をそっと握ってくる。その手はとても冷たく、だけど優しいものだった。
「でしたら、明日から王妃教育を頑張る事を約束してください」
「……分かった」
「よろしい」
シャロンは満足げに言うと、立ち上がった。
「では、私は部屋に戻ります。明日は朝早くからですよ」
「おう!じゃあまた明日」
俺はそう言うと、窓から自分の部屋へと戻る。シャロンは振り返ると小さく頭を下げた。そしてそのまま、静かに立ち去っていく。
「……」
青白く光る花は、月のように冷たく光っていた。




