閑話 第二王子の自室
シオン第二王子視点です。
僕と兄上は、幼少期は仲睦まじい兄弟だった。よく護衛を撒いて野原で遊んだり、森や城下町にこっそり遊びに行ったものだ。
しかし、僕が8歳になった時のこと。一つ上の兄であるネルスが公爵令嬢と婚約をすることが決まってからは、今までの関係性は一変した。
兄上は第一王子としての責務を果たすため、勉強や剣技の訓練に励むようになったのだ。それに反して僕は体調を崩すことが多くなり、部屋に篭りがちになっていた。
「お薬をお待ちしました、シオン殿下。……まだお熱があるようですね。寝ながらの読書はおやめ下さいませ。それと、本日はお見舞いの品が届いておりますよ」
「そうか、もうそんな時間か…」
僕が熱に浮かされた頭でぼんやりと本を読んでいると、執事のセバスが薬を持ってきてくれた。ベッドの上で寝ている僕の側に腰掛けると、白い薔薇の花束と苦い薬湯を差し出してきた。この花は母上が庭師に命じて育てさせたものだろう。
そしてこの薬湯は……前に庭で転んで口にした、泥と同じ味がする。えぐみと苦味と酸味と渋味と、とにかく不味くて飲み込むのも一苦労なのだ。嫌な記憶も思い出してしまったせいか、思わず顔をしかめてしまう。
「う…どうしても飲まなければいけないか?」
そう聞くとセバスも困ったような表情をした。無理もない。王族として産まれた以上は、弱音を吐くことは許されないからだ。しかし、僕はどうしてもこの泥水のような苦い薬を飲みたくはなかった。
「シオン殿下。何度も言っておりますが、このお薬を飲まねば貴方の身体にある魔力回路に支障が出てしまいますよ?そうなればますます体力が落ち、お身体の成長にも支障が起こるでしょう。それでもよろしいのですか?」
「……うぐぐ…わかった……」
この身体を蝕んでいる熱は、この身に宿るには大きすぎる魔力によるものだ。それが分かった時には将来は魔法の才能を発揮して国を守る存在になれる、兄上の手助けになれると思っていた。なのにこんな病人みたいになってしまって、ろくに外に出る事も出来ずに苦い薬湯ばかりを飲むことになるとは思わなかった。
諦めて薬湯を口に含む。口の中に広がる酷い苦みに涙目になりながら、なんとか飲み込んだ。
「……ぷっはぁ!まずすぎる!」
「良薬口に苦しです。さあ、次はこちらのお花を飾っておきましょう」
「…いい香りだな」
白や紫の薔薇が枕元に咲き誇っている光景を見ると、少しだけ気分が良くなった気がした。薔薇の華やかな香りが、先程の泥のような薬の匂いを掻き消す様に鼻腔を通り抜けていく。
「こちらはレジーナ様から頂いたものです」
「レジーナ?ああ、兄上の婚約者か」
僕は呆れたように言った。彼女とはまだ挨拶も交わしていないが、兄上と一緒にいるところを何度か見かけたことはある。とても綺麗で優しい令嬢だと噂されていた。そんな女の子が何故わざわざ自分の元に花束などを贈ってくるのか分からなかった。
「あの方は聡明なお方です。きっとシオン殿下のことを思って行動なされたのですよ」
「僕を思う?会った事も話した事も無いのに?」
「はい。それに殿下はこの国の第二王子なのですから、いずれは王妃となる女性と親しくなっておく事は悪いことではありません」
「ふぅん?」
いまいち僕には分からなかったが、そういうものなのかと思い直して、口直しの水を飲む。だけど、その公爵令嬢に兄上が取られたような気がして面白くない。
「……もう行っていい」
「はい。また夕方に参りますね」
セバスが出て行ったあと、僕は窓の外を見た。そこには先ほどまで降っていた雨が上がって、空には虹がかかっていた。王城の庭園に雲間から陽の光が差し込んでいて、水たまりがきらきらと光っている。
きっとあの様子なら、訓練場の地面はデロデロに違いない。剣術訓練は中止になることだろう。もしかしたら今日は兄上が勉強を教えてくれるかもしれない。そう考えると胸が躍った。
早く夜にならないだろうかと、僕はそっと目を閉じた。
***
コンコンと控えめなノックの音が鳴る。静かに扉が開くと、ちらりと様子を伺うように青い目が覗く。そこに居たのは予想通り、僕の兄上であるネルスだった。
「兄上!!」
「久しぶりだな、シオン」
ネルスは優しく微笑むと僕の頭を撫でてくれた。以前は毎日の様にこうやってよく僕のことを褒めてくれたり慰めてくれたりしたものだ。僕はそれが嬉しくて仕方がなかった。だけど今は王としての教育や訓練に追われて、週に一度会えれば運が良いくらいだ。
「最近はどうしているんだ?」
「えっと……本を読むか、ずっと寝こんでる……熱も下がらないし、体力も落ちてしまった。剣も握れないし、頑張ってる兄上の役に立てなくて、申し訳ないです……」
そう言うとネルスの顔が曇った。それはそうだ、せっかく兄上は第一王子として認められたのに、弟がこんな体たらくでは失望されてしまうに違いない。僕が俯いていると、ネルスが声をかけてきた。
「シオン、謝ることじゃないよ。お前は私の大事な弟なんだから、もっと頼ってくれてもいいんだ」
「でも……」
「私だって、いつもシオンの力になりたいと思っているよ。だから、何かして欲しいことはないかい?」
「……じゃあ……その、一緒に遊びたい。久しぶりに森の秘密基地に行きませんか?兄上」
「もちろん。喜んで付き合うよ」
ネルスは快く了承してくれた。嬉しさのあまり、そのままベッドから起きあがろうとして、ごろんとバランスを崩して床に転げ落ちてしまう。
「痛い!」
「おや、大丈夫かな」
すぐに兄上が手を差し伸べてくれて、なんとか立ち上がることができた。まだ上手く歩けず、足がもつれる。それでも二人で手を繋いで、城の抜け道から昔遊んでいた森の方へと歩いていった。
***
「ここは変わらないね」
王家が所有している森は、王宮と隣り合うようにして広がっている。この辺りには貴重な薬草も多く自生していて、昔から王族や貴族の人たちがピクニックなどに訪れていた。
僕たちが秘密基地と呼んでいる小さな小屋は、その森の中にぽつんと建っている。元々は狩猟用の道具などを置いておくために作られたもので、大人一人がやっと入れるほどの狭さだ。けれど子供の頃はそれで十分だった。
ランタンを付けると僕たちが持ち込んだ毛布やどんぐりなどの木の実などが散らばっていて、まるで隠れ家のような雰囲気がある。
「なんだか懐かしいです」
「うん。ここに来るのは一年ぶりぐらいか」
僕たちは並んで座ると、兄上が持ってきたお菓子を食べながらおしゃべりをした。最近の事、勉強の事、剣術の訓練で怪我をしてしまったこと。お互いに話したいことはたくさんあった。
だけど、婚約者の話題になると途端に言葉が出なくなる。兄上が婚約してからというもの、僕らはあまり会うことができなくなってしまった。
「この間は初めてお屋敷に招待してもらってね。見事な薔薇園が広がっていて、驚いたよ」
「そうなんですね」
「今度シオンも遊びに行こう。きっと気に入ると思うよ」
兄上は楽しそうに婚約者の令嬢について話してくれる。だけど僕は相槌を打つだけで精一杯だった。
「彼女はとても聡明な人でね。僕の話をなんでも聞いてくれるんだ」
「…………」
兄上がこんなにも幸せそうに話す相手は彼女だけだろう。きっと、兄上も彼女を好きになっているに違いない。
僕はそれを察すると胸が締め付けられるような思いになる。兄弟が知らないうちに何処か遠くへ行ってしまったかのような寂しさが押し寄せてくるのだ。
「……もしかして、寂しいかい?」
「え!?な、なんで分かって…!?」
心の内を見られて思わずそちらに驚いた顔を向けると、兄上は少し困ったように眉を曲げて笑った。
「わかるさ。シオンとは血のつながった兄弟なんだから、隠し事は無しだよ」
そう言って僕の頭を撫でてくれる。確かに、兄上に隠し事をするのは良くないと思った僕は素直に打ち明けることにした。
「はい……兄上がその婚約者の話をしてると胸の奥の方がモヤッとするし、その人の話を聞くだけで何だか嫌だなって思うんです。なんででしょう?」
それを聞いた兄上は微笑んでこう言った。
「それはきっと、シオンが私の事を心配してくれてるんだよ。閉じられた環境の中で知らない物が入ってくるってことに、不安を感じているんじゃないかな」
「そっか……」
今まで感じていた気持ちが何なのかわかった気がした。兄上のことが大切だから、よく知らない人に取られたくないって思っていたんだ。
「でも僕は、どうすればいいのだろう……」
そう言うと兄上は優しく微笑むと、また頭を撫でてくれた。
「シオンは優しいね。私はシオンが一番大事だし、これからもそのつもりだよ」
兄上の顔を見上げると、兄上はとても優しそうな表情をしていた。青い目には今にも泣きそうな自分が映っていて恥ずかしくなる。
「本当?約束ですよ!」
「ああ、もちろんだとも」
兄上と指切りをする。久しぶりに触れた兄上の手と僕の手の大きさは全然違って、なんだか不思議な気分になった。
***
自室の中で最後の念書に記入して、判を押す。凝った肩を回すとペキペキと音が鳴った。これで今出せる書類に関しては全て終わった。あとは国王陛下に提出するだけだ。
「…ふぅ」
……洗脳されていた間、僕の記憶はまばらだった。麻薬のようなマリとの逢瀬の記憶だけが残り、それ以外がずっと曖昧なのだ。思い出そうとすると頭が痛くなって、吐き気すら催してくる。だけど生徒会の仕事や学習した知識など、それらは生活に不自由が無い程度に残っているのが実に気味が悪い。
あの日、マリにかけられていた洗脳が解かれてから僕は、今までの罪を精算するべく奔走していた。
まずは僕の婚約者だったシャルロットの家族であるヴィラ公爵家に謝罪の手紙を書いた。僕が貴族として、人として許されないことをしてきた事実を認めて、心からの反省の意を示すとともに、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓った。そして、彼女に渡す慰謝料は全て僕の方で負担することを記しておいた。
次に、学園内で問題を起こしてきた生徒にも同様に手紙を書いて送っていた。彼らは僕が改心したことを信じられない様子だったが、それでも誠意を持って謝罪したところ、表面上では理解してくれた。
生徒会のメンバーたちには直接会いに行き、今までの非礼を詫びた。彼らからも責められる覚悟でいたのだが。皆一様に驚いていたものの、すぐに受け入れてくれたようだった。生徒会の皆も、僕ほどでは無いとはいえ、マリから悪影響を受けていたということもあったのだろう。
……僕が犯した過ちは、到底許されることでは無い。
だけど、兄上の婚約者だった本当のレジーナ嬢を学園から追放させた件については不自然なほどに責が少なかった。まるで誰かが裏で手を回していたかのように。
僕がこの国の第二王子だから揉み消してしまいたいという理由もあるのかもしれないが、僕が学園にそのまま通えるようになっている事といい、それ以上に何か別の力が働いているのではないかと勘繰ってしまうほどだった。
「……あまり深く考えない方が良いのかもしれないな」
考え事をしていると、部屋のドアがノックされる。僕は書類を机の中に戻すと、いつも通りの笑顔を作って返事をした。
「どうぞ」
すると入ってきたのはこの国で最も尊い存在だった。
「……息災か」
「っお久しぶりです。父上」
僕は椅子から立ち上がり、片膝をつく。ラクラシア王国の現王であり、僕の父でもある人物。ロストア=フォン=ラクラシア国王陛下が目の前にいた。
僕の様子を見るなり、陛下は失望したようにため息をつく。それに気づいた次の瞬間には、僕は頬を思いきり叩かれていた。破裂するような音と共にジンとした痛みが広がる。
呆然としている僕を見下ろすと、陛下は冷たく言い放った。
「第一王子といい、お前達は実に不完全な存在だ」
「申し訳、ございません……」
昔からずっと言われていた言葉だが、その度に心臓にナイフを突き立てられたような気分になる。叩かれた頬よりも、胸が痛くて仕方がない。
「私が何故こんなにも厳しく接しなければいけないと思う?」
「それは、自分達のせいです……」
僕が愚かだから、僕達の存在そのものが、陛下を苦しめている。そう思わなければいけない。だけど、悔しさで涙が出そうになるのを必死に耐える。そんな様子に気づいたのか、再びため息をついた。それから、僕の目を真っ直ぐに見つめるとこう言った。
「愚者は必要だ。だが、無能は許されぬ」
その一言に首を傾げるが、陛下はそれ以上何も言わなかった。
それからしばらく沈黙が続いた後、陛下は僕の部屋を冷めた目で見渡してから踵を返した。去り際に、扉の前で立ち止まるとこちらを振り向かずにぽつりと呟いた。
「……昼食は食べろ」
それを聞いた僕は思わず顔を上げると、声を上げそうになった。しかし、それと同時に、扉が閉まる音が部屋に響いて、僕の口から出るはずだった言葉は空を切るだけだ。
「父上、それはどういうことなのですか……」
今の言葉は一体何を意味しているのか。問いただしたとしても、また冷たい視線を浴びせられるだけだろう。だけど、産まれて初めて僕を気遣うような言葉を言われた気がして戸惑った。
僕に背を向けて歩き出した陛下の後ろ姿は、どこか小さく、頼りなさげに見えた。




